※ティアが可哀想な目に合います。
作中に性的な表現が含まれるため要注意。


 ティアの高らかな歌声は、公爵家全体に響き渡っていた。
 邸中の人々を苛んでいることも知らずに恥じることなく奏でられた歌声に、ルークの怒りはよりいっそう煽られた。
 夜空の月を背景に中庭の立つ二人の姿を見つけ、中庭に通じる扉を開け放ち階段を下りながら、ルークは感情に突き動かされるまま怒声をあげた。

「――その歌をやめろ!」

 ピタリと歌声は止まった。まるでタタル渓谷でルークを待っていた時と同じように、ティアは月を仰ぐように、ユリアの譜歌を歌っていた。
 ティアはゆっくりと振り返る。ルークの姿を見つけた途端、彼女は顔を綻ばせた。

「ルーク!」

 ルークの名を呼びながら、ティアは駆け寄ってきた。抱擁をねだるように伸ばされた手。その手が自分の身体に届く前に、ルークは左手で強く叩いた。ティアは大きなショックを受けた顔で硬直した。叩かれた自分の手を見て、ルークにどうしてと彼の行動を咎めるような眼を向ける。ルークは怒りに満ちた眼差しでティアの眼を見返した。

「ルーク……?」
「ルーク、なんてことをするのです! ティアはあなたのために来てくださったのですよ」

 ルークとティアが両思いだと誤解をしているナタリアが、ルークの敵意に満ちた行動を声高に非難する。

「誰がそんなことを頼んだ! 俺はティアに来て欲しいなんて一言も言ってないだろ!? ましてやこんな手段を使って来るなんて……お前ら、自分達が何をしたのかわかってるのか!?」
「何を言ってますの!? こんな手段など…わたくしたちはただ、門番が融通が利かなかったから、致し方なくユリアの譜歌を使ったまでですわ。ユリアの譜歌はただ眠らせるだけでしょう。それなのに、そのように叱責されるなど甚だ不愉快ですわ」

 ナタリアは謂れのない非難をされたと思い、声を荒げる。ティアもナタリアと同様の思いを抱えていたので、不満げな眼でルークを見ていた。そんな二人の態度はルークの怒りに油を注いだ。

「眠らせるだけだって…? ああ、そうだろうな、ティアがユリアの譜歌を歌って眠らせた所為で、料理長は死んだんだ」
「えっ…?」
「なに驚いてるんだよ。ユリアの譜歌には眠らせる効果があるのはわかりきってたことだろ。だから、だから…気付けたはずなんだ。ティアが歌うユリアの譜歌の所為で、人が死亡する可能性があるってことを」
「うそ、だって私は、巻き込まないために、」
「お前がどんなつもりでも、お前の行動は人を巻き込んでるんだよ! その所為で死んじまった奴らもいる! 今回だって、…三年前だって! ――お前は俺だけじゃなく、たくさんの人を巻き込んでるんだよ!」
「――――、」

 ティアは瞠目して、言葉をなくした。脳内をかき回して言葉を探す。

「そんな、私は…私はそんなつもりじゃなかったのよ。あの時は兄さんを止めようと必死になってたから、だから、」
「ルーク、ティアは肉親の凶行を止めるために追い詰められていたのですわ。それはあなたもよくわかっているでしょう。どうしてそんなに酷いことを言うのです」
「――何を愚かなことを言っているのです」

 ティアを庇おうとしたナタリアを叱責する凛とした声。その場にいた全員が、声が聞こえた方に視線を向けた。
 そこにはミリアが護衛兵を連れて、夜闇に紛れるように立っていた。
 ルークの驚愕した視線を受けて、ミリアはやわらかく微笑み非礼を詫びると、一転して厳しい眼差しに変わり、ナタリアを見つめた。
 ナタリアの体が一瞬震えたが、すぐに彼女は動揺を押し殺し、ミリアを睨むように見た。ミリアは呆れたように浅い溜息を吐くと、背後に立つ兵士に命令を下した。

「お姉様を城へお連れしなさい。手段は選ばずとも結構です。お姉様が何を言っても決して放さぬよう」
「はっ!」

 ミリアの命令に忠実な兵士は職務を全うすべくナタリアに近付くと、彼女を罪人のように囲んでしまう。血相を変えたナタリアが騒いだ。

「お前たち何をしているのです! ミリアの命令など聞く必要はありませんわ!」
「早く連れて行きなさい。お姉様はお疲れです」
「ミリア! わたくしにこんなことをして一体どういう、」
「――お姉様、これは妹からのお願いです。『王女ナタリア』の名前をこれ以上穢さないでくださいませ」
「――!」

 強烈な嫌味を食らって、ナタリアは憤激に顔を赤く染めた。
 『ナタリア』という名前は本来ナタリアのものではない。彼女の本名はメリル。ナタリアと言う名前はメリルではなく、亡き王女にこそ与えられるものであった。ミリアは亡き王女に与えられたはずの名を、偽姫であるメリルが穢してくれるなと言ったのだ。さらに、ナタリアは自分の行動に非を見出していない。だからこそ、ミリアに王女の名を穢すという表現を使われたことに腹を立てた。
 二つの意味合いがこもった嫌味を受けて、品性に欠けた怒声がナタリアの口を突く。その前にミリアの命令に従った兵士に無理やり引きずるように連れて行かれ、ナタリアは「ミリア、お前という者は――」という意味のない言葉しか吐き出すことしか出来なかった。

 一つの嵐が去って、不自然なまでの静寂が中庭を支配した。
 ルークはいつの間にか詰めていた息を吐き出す。強張っていた身体から力が抜けて、目線の先にいるティアをひたりと見据えた。

 ティアの白貌には動揺と焦燥が透けて見える。
 まるで、この先に見えた未来を恐怖するような表情に彩られていた。
 そんなティアの表情を眺めて、ようやくルークはティアが怖くなくなった。

 此処にいるのは、一人の女だ。
 自身が犯した犯罪から目を背け、そのくせ他人の罪を責める女だ。
 恐れる必要はない。

 次に瞬きをしたとき、ルークの双眸に浮上した感情は怒り一色に染まっていた。
 ルークの感情の変化を、彼の表情から読み取ってしまったティアは瞬時に絶望を浮かべる。けれども、まだ取り返しがつくはずだと、ルークをアクゼリュスで追い詰めた時のように厳しい表情をして睨み上げた。――それを二度と許さないミリアがいた。

「ルークお義兄様!」

 ミリアはルークを庇うように立つ。その行動に合わせてミリアの護衛もルークとミリアを守るように四方を囲んだ。
 時同じくして、続々と中庭に騎士が集った。ファブレ公爵家を襲った賊を射殺さんばかりに見ている。
 騎士たちは一様に武器を構えて、ティアを包囲した。

 ティアは自身が置かれた状況の悪さに気付いて、頬を引き攣らす。
 どっと体の奥から噴出し始めた汗は滝のように彼女の身を濡らした。

 ティアの動きに注視しながら、ミリアはルークの手をそっと握った。
 勇気付けられたルークは目を丸くして、苦く笑った。
 大丈夫だというようにルークの一回り以上小さな手を握り返して、ティアと相対する。二人の睦まじい光景にティアは激しい嫉妬に駆られた。

「ルーク! 三年前のことも、今日のことも謝るわ。けれど、私はあなたのことが好きだから、あなたに会いたくてこんな――」

 ティアは尚ルークへの好意を打ち明けようとする。ルークが自分の想いを受け入れるように。
 ――そうしなければ、ティアに未来はないのだと。彼女の本能が警鐘を打ち鳴らした。

 ルークにインプリティングしたティアへの好意は消えようとしている。そんなこと認めるわけにはいかなかった。
 認めてしまえば、ティアは自分が犯した罪を突きつけられる。此処にはティアに同調してくれる仲間はいない。
 ティアを守ってくれる人はルーク以外いないのだ。
 そのルークが今、――ティアの人形であることをやめた。

「ティア、俺はお前の人形じゃない。もう、お前の独り善がりな行動を受け入れるなんて嫌なんだよ!」

 独善などではない。そう言おうとしたティアの言葉は音になる前に、ルークによって消された。

「――そいつを捕らえろ!」

 ルーク、とティアは喉奥から悲鳴をあげる。そんな彼女の視界は白光騎士団によって塞がれていった。
 怒りを全身に纏う騎士によってティアは殴打されて冷たい石畳に叩きつけられた。全身を打ち付けて痛みに呻く。痛苦によって狭まった視界に、ミリアとルークの姿が映った。
 
 ルークは両肩を怒らせて俯く。その肩にミリアはやさしく触れて、慰めの言葉をかけた。
 ルークとミリアと、惨めに石畳に転がされたティア。
 ルークはもう二度とその眼にティアの姿を映すことはなかった



 聖女ティア・グランツ、ファブレ公爵家不法侵入により逮捕。
 侵入時に使用したユリアの譜歌により、死傷者、重軽傷者多数。
 その訃報はオールドラント中を駆け巡り、国際問題に発展した。

 ダアトが聖女と認定した女による犯罪行為は、信者たちに深い動揺を与えた。キムラスカに厳しい責任追及をされたダアトは聖女ティアを引き渡すことしか出来ず、これにより信者たちは混乱し、ダアト、キムラスカ間で暴動を起こした。キムラスカ国内で勃発した暴動行為はすぐさま鎮圧させられたが、その際に信者側に死傷者が多数出る騒ぎになった。

 聖女ティアの名を掲げて信者たちが犯した暴動により、多少なりとも被害を被ったキムラスカ側はダアトを厳しく責任追及した。
 ダアト側は責任の一切を否認、これによってダアトとキムラスカ間の国交が荒れて、関税の引き上げが両国間で始まった。ダアトはキムラスカに一泡吹かせるべく、マルクトから自国を通じてキムラスカへと輸入される食料品の税を値上げしたが、逆にダアト側が苦しい思いをするだけだった。

 マルクトとキムラスカ間の国家間が荒れているときならいざ知らず、現在は両国間の関係は悪くない。
 キムラスカはすでにダアトを通じずにマルクトと取引できる。ダアトを通じていたのは、ダアト間との国交を考えての遠慮でしかなかった。
 しかし、長い間キムラスカの上に胡坐をかいていたダアトはそのことに気付けないまま、予算を減らして行った。じわじわとダアトの財政が圧迫される中、さらにキムラスカはダアトへの一切の金銭援助をカットした。
 これによりダアトは事実上キムラスカによって経済制裁を食らったことになり、マルクトに金銭援助を要求。

 この頃になると、ピオニー陛下が即位して数年経つこともあり、マルクトの内情は安定していた。
 キムラスカとの親善のため和平の使者派遣したマルクトであったが、その和平使者は預言により抜擢された者だった。ピオニー陛下自身は預言に疑心を覚えている身であったが、独裁政権ではないため我を押し通すような政治は行えず、前皇帝時代からいる宮廷に救う預言を妄信する狸共の意見も尊重しないといけない立場であった。
 が、時勢により『預言通りに行動した末に人類を待ち受けている未来は滅亡』という預言が広がってくれたおかげで、世界中が預言脱却の動きを見せ始めている。預言を重用する旨味がないことを知った狸たちはころりと意見を変えてダアトと距離を置くべきだと告げた。老人たちの意見の翻しぶりに呆れながらも、同意見であったため、マルクトはダアトと距離を置いた。
 そんな最中にダアトに要求された金銭援助。貸しを作っても良いが、その貸しを返済する能力がダアトにあるのかマルクトには疑問だった。ダアトは返済能力が足りず、金銭の工面に難航している。そのためキムラスカへの借金は膨らむ一方である。キムラスカはこの機会にダアトを徹底的に追い詰める所存らしく、あれもこれもと莫大な利子を言い掛かりのようにつけている。マルクトは両国間の内情を調査した結果、メリットよりデメリットが大幅に上回ると判断して、ダアトの金銭援助要求を突っぱねた。
 数年後――ダアトは資金繰りに困った末、解体の道をたどることとなる。






 ――牢屋の中は、譜業灯の明かりを頼るしかない。
 その明かりは充分とは言えず、視力の低下を促す。眼が疲労を訴えて、キムラスカのバチカル城の地下牢に収容された、ティア・グランツは針仕事で穴が開いて傷だらけになった手を休めた。
 彼女の手元にキムラスカカラーの赤色のハンカチがある。ハンカチの右側の片隅には、白糸でセレニアの花が今まさに形になっていくところだった。渇いた目を数度擦り、ティアは小さな溜息を吐く。
 罪人の食料にも金がかかるから、自分の食い扶持を稼ぐために仕事をしなければならない。針仕事を与えられたティアは何度も何度も手に針を突き刺して、ようやく一人前程度の針仕事の技能を身につけた。

 ここに収容されて、数年。30歳を超えたティアは重罪を犯した死刑囚だった。すぐに死刑にならなかったのは、彼女の身分がダアトにより『聖女』と認定された難しいものだからだそうだ。収容された当初は救いを信じていたが、1年、3年、5年…と時が経つにつれて救いを求めることなど無駄だと知った。ダアトは解体されてしまい、ティアを助けてくれる人は誰もいない。――ルークも。
 バチカル城の地下牢にいる所為で、ルークとミリアの話はよく聞こえた。
 数年前ルークはミリアと結婚した。キムラスカ国王になるため帝王学を学び、国王の補佐をやって、経験を積んでいる最中だという。男児の子供に恵まれて、夫婦仲は睦まじいそうだ。アッシュもどこかの変り種の令嬢と結婚して、公爵家を継いだと聞く。ナタリアの話も数年前まではよく聞こえた。失策が目立った末に失脚してしまい、恥の上塗りをするかのように何か重大事件を犯してしまい、庶民に身分を落として街を追い出されたと聞いたが本当のことはわからない。
 このまま自分はこの牢屋で生涯を閉じるのだろう。

(――私、何やってるのかしら)

 もっと違う未来があったのではないかと、ティアはここのところよく考える。
 たとえば、ルークを都合の良い人形のように扱わなければ。ルークに恋心を抱くことはともかく、憧憬のまま終わらせていれば。ルークが雲上人であることを理解して、節度ある態度を心がけていれば。ティアの未来はこんなものではなかったはずだ。

 普通の男性と結婚して、子供を持って、家庭を育んで。
 孫に看取られて生涯を閉じる。
 そんな平凡で、けれども今のティアには夢のような幸福を選ぶことも出来たのに。

 深い後悔が襲う。あのときもしも、そんな仮定を空想する。

「…ランツ」

 思考に耽るティアの名前を、いつの間にか目の前にいた牢屋番が呼んだ。

「ティア・グランツ!」
「っはい!」
「お前に恩赦が与えられることになった」
「……え?」
「新王即位に際して、すべての罪人に恩赦が与えられることになった。お前は……」

 牢屋番は手元の紙に視線を下ろす。

「本来は死刑囚だが、恩赦により軽減される。ティア・グランツはユリアの子孫であることを踏まえ……血を残すことを義務として、公爵家襲撃時の被害金を全額支払うことにより、牢屋より解放される」
「え?」
「えーと、なになに……本来引き取り手は肉親に限るがティア・グランツの血縁者は全員死亡しているため、デガード伯爵に引き取られる。デガード伯爵は公爵家襲撃時の被害金を全額肩代わりして、ティア・グランツを見受けるそうだ」

 血縁者が全員死亡している――その一言により、ティアは祖父のテオドーロが死亡していることを知った。
 激しいショックを受けるティアの気持ちなど知らず、牢屋番はさらに言葉を続けた。

「新王即位まで今しばらくそこで大人しくしているように」
「……」

 虚脱状態に陥ったティアは牢屋番が去っていくことも知らずに、ぼうっとしていた。

 ――数日後。
 憎憎しいほど晴天の空が広がっていた。街中は、新王陛下万歳とルークの名前を呼ぶ人々で溢れかえっている。その声が馬車の中まで届いていた。
 恩赦により罪を軽減して牢屋から解放されたティアは馬車の中にいた。服装は質素極まりない。喉にはユリアの譜歌を使えないよう、音律師の罪人にはめられる首輪がつけられている。歌を歌おうとすると自動的に首輪が締まるという特殊な罪人用の譜業である。髪がぼさぼさに伸びていた。
 ティアはデガート伯爵の使いと名乗った使用人が運転する馬車で、バチカル上層にある貴族街に向かう。
 デガート伯爵は奥まったところに邸があるらしい。使用人がデガート伯爵の活躍を誇らしげに説明していたが、ティアの耳は右から左へと話を流した。

 不意に、馬車が急停止した。質素な生活をして軽くなったティアの体重がふわりと軽く浮いた。
 何事かと顔を窓に寄せてみると、豪奢な王家の紋章入りの馬車とすれ違った。窓から顔が見える――年を重ねて、精悍な顔つきになったルークの姿と、ミリアの姿だった。2人は穏やかに談笑している。2人の子供なのだろうか、朱色の髪の男の子がミリアの腕に頭を寄せて眠っていた。

「ッあ……」

 ルークの名前を、ティアは思わず呟いた。
 ルークを乗せた馬車が遠退いていく。ティアは未練がましくその馬車を視線で追った。空いた距離は、埋めることは出来ない。
 ティアは乾いて罅割れた下唇を噛んだ。牢屋の中では基礎化粧品など当然入手できず、ティアの容姿は衰えていた。それに比べて、ルークの隣にいたミリアときたら。年を重ねてもなお、華やかな容姿は衰えていなかった。精悍な顔つきをしたルークの隣にいても遜色ないほどに。

 ルークの隣にいるのは自分だと夢想した。その思いが、こうしてルークを目にしたことで再び芽生えた。
 ――いや、消えていなかったのだ。叶わぬ夢だと思って、諦めたふりをしていただけで。

(ルークの隣はミリアじゃないわ)

 そうだ、自分こそがいるべきなのだ――ティアはミリアからルークを奪おうと画策する。
 幸い、ティアが身請けされたのはキムラスカ貴族だ。デガート伯爵なんて聞いたこともないが、その伯爵にくっついていれば、城で開かれる夜会に出席できる。ルークと逢うことも難しくないだろう。そのためにデガート伯爵の心を自分に引き付ける決意を固めた。

 デガート伯爵邸は高い壁に四方を囲まれていた。壁の上には侵入者対策なのか鉄線が張り巡らせられている。
 屋敷は無駄に大きく、豪奢である。白と金が入り混じった装飾は美を超えて、成金のようだ。

「これがユリアの子孫か。ふん、大して美人ではないな」

 デガート伯爵は老人だった。
 テオドーロより1回り上の老人だった。

「生意気そうな女だな。まあいい、こういう女こそ躾がいがある」

 デガート伯爵は煙草で黄ばんだ歯を剥き出しにして嗤う。

「まずはこの女を肥えさせろ! 俺は骨皮を抱く趣味はない!」

 使用人はデガートの命令に頷いて、ティアを屋敷の中庭に連れて行く。
 中庭を通じて、もう一つ屋敷があった。たくさんの女性がいる。驚くことに皆が透けた格好をしていて、体の線が見えていた。殆どの者の眼が死んでいる。ティアは恐怖を感じた。通りがかった一人の女にティアは声をかけられた。

「あら、新人さん?」
「え…あ…ティア・グランツといいます」
「そう。ティアさんね。貴方も、何か犯罪を犯してここに連れて来られたのでしょう?」
「え?」
「あら、知らないの? 伯爵は引き取り手のない罪人の女を引き取って集めているのよ。ここはさながら、罪人の女の園ってところかしら」
「どうしてそんな……」
「伯爵は女好きなの。でも毎夜娼館で遊んでたらお金がいくらあっても足りないでしょう? だから引き取り手のない罪人の女を引き取ってるのよ。身請け金が高くても娼館で何日も女を買うよりは安いから。それに――どんな扱いをされても私たちは文句を言わないし、行く場所がないから」
「………」

 ティアの表情は硬くなった。

「ふふ、驚かせちゃったかしら。伯爵に飽きられたり怒りを買わないように気をつけてね。伯爵は自分の気に触った女を飼うほど寛容ではないわ」
「…どうなるんですか…?」
「気に触った女はね、みぃんな惨い目にあうの」
「…惨い目?」
「そう。私が知っているのは3人。1人目は性行為中に死んだんだって。首を締められて泡を吹いて死んでたそうよ。2人目は伯爵と同じ趣味を持つ仲間に回されて犯されて死んだらしいわ。3人目は性器にビンを挿入してそれを足で蹴って割ったそうよ」
「っ――」

 性的な拷問を受けて死ぬこともあると、女はくつくつと嗤いながら告げた。
 ぞっとした。恐怖のあまり思わず後ずさるティアに、女は「あら、どうしたの?」と平然と尋ねた。
 どうして女がそんなに平然と言えるのかわからずに、ティアはただ顔色を青くさせる。逃げたい。うまくやっていく自信なんて瞬時に消えた。

「怖いの? でも仕方ないわ。これを受け入れるしかないのよ。私たちには他に行くところなんてないし……逃げ出せもしないんだから」

 女は屋敷を囲う壁に視線を向けた。
 高い高い壁。梯子なしに越えられるわけがない。
 そもそも鉄線が張り巡らされた壁など、越えることが出来るのだろうか?
 あの壁はここにいる女たちを逃がさないためのものだと、ティアは気付く。青を通り越して白へと変化する顔色に、女は気遣わしげな視線を向けた。

「大丈夫。心なんて捨てて、快楽を楽しめばいいのよ。それだけ私たちは上手くやっていけるわ」

 ここは女にとって地獄だ。
 女の尊厳をなくしてしまう地獄だ。
 牢屋にいたときのほうが余程マシだ。

 この地獄から抜け出す術を、ティアは思い描けない。
 ユリアの譜歌を歌って逃げ出すことを考えたけれど、もうティアはユリアの譜歌を歌うことが出来ない。――喉にはめられた首輪の所為で。

 ルークの隣に立つことを夢見たのは、ほんの数10分前だというのに。
 これが、こんなものが、自分の、

「牢屋にいるより幸せでしょう? ここにいれば食べるものにも着るものにも困らないのよ。ただ伯爵が来たときだけ、彼に抱かれればいいだけよ。――ほら、私たちは幸せよ」

 ――幸せだというのか。



END.

2012/10/10
2017/02/22 再掲
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