王都バチカル――旅装姿で行き交う旅人にまぎれて、ナタリアとティアは足を踏み入れた。
本来ナタリアはコソコソ帰る必要などないのだが、勝手に王城を脱け出した負い目がある。それに加えて、殆どのバチカル市民はナタリアの顔を知っているため、堂々と帰還しては市民に足止めを食らう可能性が高い。二人は旅人に扮して天空客車まで近付くと、守衛を言い包めて――――ナタリアの顔を見せて通してもらえるようにした。ティアはナタリアの従者ということにしておいた――――、天空客車に乗る。市民が住む区画とちがって、貴族街は閑散としている。
特別邪魔されることはなくファブレ公爵家にたどり着くと、ナタリアは門前を守る二人の白光騎士団兵に自分達を通すように命令を下した。職務に忠実な騎士はナタリアと言えどもすんなり門に通す気はなく、一人がナタリアの来訪を告げに公爵家に入る。急いた心情を抱える二人にはその時間すら惜しくて、早く通すように訴えるが、甲冑に身を包む騎士は一向に首を縦に振ろうとしない。
「いいではありませんか! わたくしはアッシュの婚約者ですのよ」
「いくらナタリア王女と言えども、お通しすることは出来ません」
騎士の代わらない返答に、だんだんと腹が立ってくる。ナタリアが険を孕んだ声で”お願い”しても騎士は立派に職務を勤め上げる。その態度がナタリアとティアの眼には融通が利かない騎士に映った。ティアはそっと溜息を落として、仕方ないと息を深く吸い込むと口を開いた。
「フェレェズェ…」
「!」
騎士が驚愕した表情ですかさず剣を抜く。ティアに向けられた切っ先は、けれどもティアに到達することはなかった。騎士の手から、剣が石畳に向かって落ちる。
カランという音と共に剣は倒れ、次いで金属音が雪崩を起こしたような耳に突き刺す音が落ちた。騎士は顔面から石畳に倒れていた。頭部は甲冑で守られているため、頭を打った様子は無い。落ち着いた呼吸は騎士が眠っていることを示していた。
「急いでいるなら手段を選んでる暇なんてないでしょう? この方が早いわ」
「…そうですわね」
眠る騎士に小さな謝罪をして、二人はファブレ公爵家の門をくぐった。
まさかその姿を見られているとは夢にも思わずに。
邸の中を歩き回っていたメイドや騎士が思いがけない来客者の姿にギョッと目を瞠る。彼らが我に帰る頃には、ティアの譜歌は響き渡り、強制的に意識を闇に落とされていた。
毛長の絨毯の上に次々と倒れていく人々の姿。ナタリアはティアの譜歌の威力の高さに感心して、二人で奥へと突き進んでいった。
澄んだ歌声が遠くで聞こえた。
聞き覚えのある歌声にルークは戦慄した。
「これは……」
――――ユリアの譜歌。
聞こえてくる歌声が、記憶の中のティアの歌声と重なる。いくらなんでもティアが再びファブレ公爵家を襲撃する真似をしないだろう、と一笑してしまいたいところであるが、歌声は耳に馴染んだものだった。ユリアの譜歌の威力を思い出して、部屋を飛び出す。
あの旅でルークは仲間たちから攻撃を食らわぬよう、味方識別を受けていた。故にルークにはティアの譜歌は聞かない。だが、邸にいる者たちはそうではない。ティアのユリアの譜歌を食らい、廊下には倒れる騎士やメイドの姿があった。頭部を甲冑で守る騎士はまだ良い、けれどメイドたちは頭から昏倒してしまったのか、意識を失いながら苦痛の表情を浮かべている者がちらほらと存在していた。中には窓枠に頭をぶつけて、血を流すメイドもいる。
両親とアッシュの無事が気になる。特に病弱な母の様子が気になった。母がいるであろう両親の寝室を目指して走ると、廊下の途中で、壁に手を突いて亀のような歩みで母の元へ向かうアッシュと出くわした。アッシュの太股には、花瓶の破片が突き刺さっていた。
「アッシュ! 無事か!?」
「っルークか…俺のことはいい! 早く母上の元に行け…っ」
「けど、お前、怪我してんじゃねーか!」
「これは譜歌の威力を消すためにテメェでやったんだよ。早く行け!」
怪我しているのに、アッシュは元気そうだ。
大丈夫そうだと判断して、ルークは「わかった!」と言うと両親の姿を求めて駆け出した。
「母上、父上失礼します!」
両親の寝室に行くと、ベッドに臥せるシュザンヌを守ろうと数人のメイドが彼女のベッドを囲んでいた。母とメイドを声をかけることで起こす。
「母上、母上起きてください! お前たちも起きろ!」
「っ…ルー、ク?」
「母上! 大丈夫ですか?」
「わ、たくしは大丈夫…ルーク、あなたは?」
「俺もアッシュも無事です! 父上がまだ…」
父の様子はまだわからない、とルークが言おうとすると、開け放たれたままだった寝室に続くドアからクリムゾンが数人の騎士を伴って現れた。
「シュザンヌ、無事か!」
「あなた」
「父上!」
「ルーク、お前もいたのか。無事か?」
「俺もアッシュも無事です。アッシュは正気を保つために花瓶を割り、破片を太股に突き刺して怪我をしましたが…」
「そうか。今すぐアッシュの元に騎士を向かわせる」
クリムゾンが相槌を打つと同時に布を切り裂くような悲鳴があがった。
「なんだ!?」
動揺した声で料理長の名を叫ぶ声が厨房から聞こえた。
「何かあったのか?」
怪訝に眉を寄せるルークと違い、血相を変えたクリムゾンは騎士たちをシュザンヌの傍に置いて一人厨房へ向かう。騎士は「公爵様」と名を呼び自分たちを連れて行くように言うが、クリムゾンが足を止めることはない。ルークはシュザンヌを騎士に任せて父の後を追った。
廊下の途中で、なんとか意識を保つ兵士に両親とアッシュの身の安全の確保を頼み、眠る家人に声をかけて起こす。その間にもクリムゾンが足を止めることはなかった。
厨房に続くドアを開け放つと、まず鼻先に油の匂いと何かの肉の匂いを嗅ぎ取った。
ルークがぐるりと周囲を見回すと、床に倒れる見習い料理人の姿が目に入った。料理に使うと思われる、ジャガイモの皮を包丁で剥いたまま倒れている。包丁とジャガイモを下敷きにして眠る見習いの料理人の腕に、包丁が突き刺さっていた。決して少なくは無い血の量に顔色を変えて、ルークは料理人に駆け寄る。慌てて包丁を抜き取り、自身の二の腕を覆う服を強引に破って、その布で止血した。
そうして他に犠牲者はいないかとさらに視線を走らせたあと、ルークの背筋はぞっと冷えた。
「料理長…!」
父が口元を抑え、料理長の傍に立ち「なんと惨い…」と呟く。傍には料理人が青褪めながら腰を抜かして、何かを一心に見つめていた。
床に落ちた白いコック帽。料理長が顔を隠すようにうつ伏せで倒れている。彼の全身は油まみれだった。近くに落ちたフライパンに油が張られていたのか、天井から降り注ぐ照明の光を滑らせて反射している。ルークは料理長に「大丈夫か?」と強張った声をかけながら近付く。
父が「ルーク、来るな」と止めるがルークは父の言葉を聞かなかったことにして近付いた。履いているブーツが油にまみれて、ねちょりと粘着質な足音を立てる。
ルークは料理長の肩に手をかけて、ひっくり返す――。
「うわあああああ!!」
喉から絶叫がほとばしった。ルークの双眸に、油と火によって惨たらしい顔に変えられた料理長の凄惨な姿が映った。
料理長の顔面の皮膚の表面が爛れている。すっかりと死体を見慣れたルークであったが、油まみれになった人が火に焼ける光景は当然見たことがない。まるで、油をかけられて火に焼かれたような。悪意ある殺人を連想させる。
料理長は絶命していた。助かったところで、彼は耐え難い絶望に襲われていただろう。油の所為で目は完全に失明し、顔全体に火傷を覆っていることになっていたのだろうから。料理長の物言わぬ屍姿にしばし絶句していたルークは自身がごくりと唾を飲み干す音で我を取り戻した。
(なんだよこれ……なんでこんなことになっちまってるんだよ!!)
ティアのユリアの譜歌が、どれほどの災難を生み出すのか、目の当たりにした。
擬似超振動でタタル渓谷に飛ばされたルークは、自身が消えたあとの邸の様子を知らない。あのときも、料理長のように使用人が死亡したのだろうか。
そう言えば、一時帰還したとき見えなくなっていた顔がいた――――つまり、その者たちは。
――――死亡してしまったのか。
(こんな…こんなことって…!)
料理長を凝視したまま、ルークは震えた。
「ルーク、気をしっかり保て」
「ち、父上…」
父の呼びかけにルークはハッと気を取り直した。深く息を吐いて呼吸を落ち着けると、むせ返るような油の匂いと血臭が同時に鼻をついた。吐き気を呼び起こす臭いにたまらずルークは顔を顰めた。
クリムゾンは目の前の凄惨な光景から目を逸らさず、公爵家に害を齎した人物を罵倒した。
「賊め…一度許されて図に乗ったか。再びこのような愚行を働くとは。正気とは思えん」
クリムゾンは賊の正体に確信を覚えているようだった。――ルークと同じように。
ルークは拳を作った。綺麗に切りそろえられた爪が、掌の皮膚に爪痕を残すほど硬く握り締める。
ルークの目の前には、ティアの犯罪行為によって命を奪われた哀れな料理長の姿がある。
ルークを擬似超振動によって連れ出したティアは、自身の歌の犠牲になった人がいることを考えもしないだろう。巻き込むつもりはなかったと。あの頃ルークに告げたように言うのだろう。
(……冗談じゃない!)
自分一人が犠牲になればティアが満足するなら、それは仕方ないことだと諦めていた。
ヴァン討伐を掲げて旅をしていた頃、ルークを取り巻く人間はミリアを除いて、誰もがティアの味方をしていたから。
ミリアはルークを助けてくれたが、その都度ティアはミリアがルークを甘やかしていると言って、ミリアを悪者に仕立て上げていた。仲間たちはティアの言動を信じてミリアを悪い風に言う。そんな光景を見たくなくて、ルークはあの頃ミリアと距離を置いて接していた。そうすることで、ミリアは、自分以外の誰かは大丈夫だと信じていた。
けれど実際は、ティアの自分本位な行動や言動はルークのみならず、こうして見えないところで、他の者まで犠牲が及んでいた。
それを知りながら、ティアをみすみす受け入れることなど出来ない。
――なんて、誰かのためなんて嘯いているけれど。
(もう嫌だ…!)
自分が、ティアという存在を嫌っているのだと。
ルークは理解していた。
だから。
「父上、俺が賊を捕まえてきます」
ティアではなく、賊と。
ルークは言った。
賊の正体に気付いていたクリムゾンは、ルークの決意を知り頷いた。
「そうか。…念のために騎士を数人連れていけ」
「いえ。俺一人で充分です」
「そうはいかない。賊が一人であるとは限らん。……もう二度と、息子を喪うかも知れない父親の気持ちはしたくない。私の気持ちを汲んでくれ」
「――はい。それじゃあ、騎士を数人お借りします」
呟くようにいわれた言葉に胸がいっぱいになって、ルークは掠れた声で、それでもしっかりとした口調で返事を返した。父に背を向けて、厨房から出た。
向かうは、清らかな歌声が聞こえる場所。
これが、最期になるだろう。
(さよならだ、ティア)
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