「よくいらっしゃいました、公爵様、お客人方」

 バチカル郊外にある大きな邸には、一人の女性と数人の使用人が住んでいた。
 金髪碧眼の女性が出迎えながら微笑む。傍には、一列に並んだメイドが頭を垂れて控えていた。

「ああ。……ミリア、私の息子のルークとアッシュだ」
「まあ。公爵様の……。ご挨拶が遅れました。わたしの名前はミリアと申します。以後お見知りおきを」
「あ、どうも。ルークです」
「……アッシュです。父上、この方は……」
「立ち話もなんですから、応接室に案内致します。どうぞ、こちらへ」

 ミリアは凛と背筋を伸ばしながら優雅に歩き出す。公爵がその後に続く。ルークとアッシュは顔を見合わせて後を追いかけた。

 応接室はファブレ公爵家に似た作りだった。長方形の部屋に、長テーブル。冷たい陽射しが差し込む窓には、花模様にあしらわれたレースのカーテンがかけられている。座るように勧められて椅子に腰掛けると、メイドが手馴れたようにお茶の用意をしていった。人払いをして、話を始める。

「単刀直入にいう。ミリアはホドの生き残りだ」
「ホドの?」
「ああ。そして、おまえ達のよく知っている人物の姉でもある」
「それって……!」

 ルークとアッシュは息を飲んだ。

 ”ホドの生き残り”、”二人がよく知る人物”、”姉”。

 このワードで連想するのはガイだ。ガイが女性恐怖症になった原因。ガイを庇って殺された姉だった。

「生きていたのか?」
「どうしてキムラスカに?」
「本来であれば、禍根を断つために処刑される身であったが、ホド戦勝の褒章として私が彼女を引き取った」

 ホド戦争後。キムラスカ軍が撤退準備を進める中、ホドはフェレス島を巻き込み、擬似超振動により崩壊した。これにより、キムラスカ軍も派遣していた部隊を失うという悲劇に見舞われたが、戦の功労者であるファブレ公爵は先にキムラスカに向かって出発していた。
 戦時中のため情報が錯綜していたこともあり、キムラスカに到着した時には、キムラスカ軍がガルディオス伯爵家を根絶やしにしたのだと思われていた。
 ガルディオス伯爵家の生き残りとしてミリアの身を差し出したが、キムラスカは正直なことをいうと彼女の扱いに困った。はっきり言って、ホドで死んでいてくれた方が良かった、と当時その話を伝えられた重鎮一同は思ったという。
 処刑するか、マルクトに引き渡すか、はたまた誰かに下げ渡すか。
 キムラスカが厄介者の扱いに困る中、戦勝の褒章としてファブレ公爵は彼女を望み引き取った。
 公的には、ミリアはファブレ公爵の褒章であり、愛人ということになる。

「は、母上はこのことは……?」
「もちろんシュザンヌも知っている。ルークに何かあった場合、ミリアがファブレの跡継ぎを産むことになっていた」
「マジかよ……」

 ルークは唖然と口を開けた。アッシュは米神に指を当てると、苦悩に塗れたような声を出した。

「……それで、俺達にこのことを知らせてどうしようと言うんですか?」

 ルークはハッと息を飲むと父を注視した。公爵はミリアをちらりと見たあとに「……その話は家に戻ってからだ」と告げた。ミリアの前では話し難いことらしい。ミリアは追及しなかった。

「ルーク、おまえは終戦会談に起きた国王陛下殺害未遂の件は覚えているな」
「っ父上……ガイは脅すつもりで……!」
「そうだとしても、あれの本当の意図はあれ自身にしかわからないだろう」

 ファブレ公爵がすっぱりとルークの発言を切り捨てる。ルークはガイを庇うことができずに黙り込んだ。

「ミリア」
「はい」
「そなたの弟と名乗る者が、終戦会談でインゴベルト陛下殺害未遂を企てた」

 ミリアは目を瞠り、硬直した。薔薇のように色付いていた頬が青く染まる。

「……なぜ」
「そなたには黙っていたが、……ガイは長らく、ファブレ公爵家に使用人として潜り込んでいた」
「使用人? あの子が、ですか?」
「そうだ。ガイが何を考えて公爵家に潜り込んだか、想像はつくだろう」
「あの子は、そんな大それたことを考えていたのですか?」

 ミリアの真っ青な顔を見ながらファブレ公爵は頷いた。ガイの殺意を直接的に受けたルークは固い表情でうつむくことしかできない。

「なんてことを……お詫びのしようもありません」
「気にするな」
「ですが、あの子は公爵様に復讐しようと潜り込んでいたのでしょう? 奥方様にも、ご子息様にも、たいへん迷惑がかかるようなことを……本当に申し訳ございません。……あの子は、なんということ」

 ミリアは手で顔を覆ってしまった。

「ガイ・セシルをガイラルディアと認めれば、ガルディオス家は汚名に塗れ、親戚筋にあたるセシル少将の出世にも影響が及ぼう。ガイをどう扱うか、その裁量は私に任せられている。今ならば、あのガイを、我が家の使用人として処分することができる。――どういう意味かわかるな」

 ルークとアッシュは息を飲んだ。それは、つまり。――マルクト貴族のガイラルディア・ガラン・ガルディオスではなく、ガイ・セシルという使用人として彼を処分するということになる。
 ガルディオス家の汚名は消えるが、その代わりにファブレ公爵家の名にわずかな皹を入れることになる。躾のなっていない使用人を終戦会談に同席させたせいで、王に剣を向ける事態となったのだから。その責任は、当然、ファブレ公爵家に向かう。

「……公爵様は、いったいわたくしに何をお望みですか?」
「私は、そなたの望みをなるべく尊重したいと考えている。これまで、そなたには支えられてきたからな。その恩に報いたい」
「恩に報いるなど……! それはわたくしの言葉です。公爵様には、弟の命を助けてもらったばかりか、今日までわたくしを育ててくれた恩があります。一生分の恩を、わたくしはどうやって返せば良いのですか……!」
「すでに返してもらっている。言っただろう、私はそなたに支えられてきたと。そなたの存在は、私の心を救ったのだ」

 息子が国の繁栄の犠牲になると知り、当時のファブレ公爵の心情は激しく荒れた。何も知らない妻と、健気に父を慕う息子の顔を見れず、邸から足が遠退いていた公爵の心を慰めたのはミリアだった。
 どれほどミリアの存在が救いになったか。彼女は知らないのだろう。

「ガイをガイラルディアと認め、ガルディオス家の名を汚すか。ガイをガイラルディアと認めず、家名とセシル少将を守るか。二つに一つ、どちらも辛い選択には変わりはないが、これ以上の選択肢を私は与えてやれない」
「……弟の、命は、」
「奇跡は二度は起こらない」

 ミリアは目を固く瞑った。次に瞼を持ち上げたとき、彼女の顔には決意が浮かんでいた。

「――ならば、命ある者の未来を選びましょう。ガルディオス家はホド戦争と共に滅亡しました。すでに滅んだ家の名がどう汚れようと構いませんが、セシル少将を巻き込みたくはありません。わたくしの意思を汲んでいただけるのであれば、どうか、セシル少将には火の粉が降りかからぬようお願い申し上げます。……それと、公爵様」

 ミリアは疲れたように溜息を落として、言った。

「わたくしの最期の頼みごとを聞いていただけるのならば。――わたしを弟と共に、葬り去ってくださいませ」
「……なにを、」

 驚愕する公爵の前で、ミリアは憂いに満ちた表情で懇願した。

「わたしは、ホドの亡霊です。ホドと共に眠りにつけなかったばかりか、不相応にも、弟が立派な貴族になる夢を見てしまいました。そうして、いつか、マルクト貴族の弟の名を聞く日が来るのだと、――それが、こんな形になるなんて。弟が生きていてくれることだけが、わたしの希望だったのです。でも、もう。希望は持てません。二度と夢を見ないよう、永劫の眠りにつきたい。わたしは、その思いでいっぱいなのです」
「……そなたは、」
「ごめんなさい。公爵様。こんなことを頼んでしまって」

 ミリアの眼は凪いだ海のように静かだった。意思を変えようとしないミリアに、公爵は苦渋の呻き声をあげて小さく息を吐く。

「――わかった」

 ミリアは小さく微笑む。その笑みを見つめながら、公爵の双眸に鋭い光がちらついていた。





 キムラスカ国王陛下殺害未遂。
 マルクト貴族の名を騙り、せっかく整った和平を台無しにするばかりか、終戦会談という歴史的記念典をぶち壊したガイにくだされた判決は情のないものだった。
 死刑。
 ガイの処遇を巡り時間がかかったが、結局死刑という判決は変わらなかった。

 今にも空が泣き出しそうな悪天候の中。
 ガイの死刑は執行される。
 バチカルの闘技場は死刑執行の場へと変わり、観客席は人で埋まっていた。歴史的犯罪者の死を一目見ようと物好きな観客が集い、真実など何も知らないくせに好き勝手にガイを罵倒している。

(くそ、どうしてこんなことに。俺の一生は無意味だったのか? 敵も討てず、マルクト貴族にも戻れず……無駄だったというのか!)

 断頭台に連れてこられ、台の上にあげられる。両脇は屈強な兵士に固められていた。手錠がはめられた手ではろくな抵抗もできない。
 死刑執行人となるセシル少将が入場する。本来であれば将軍が死刑執行を行うことはないのだが、今回は犯罪者がガルディオス家の遺児を名乗っていることから、セシル少将が死刑執行人として選出された。
 セシル家は、ホド戦争前にガルディオス家に嫁を出している。亡きガルディオス夫人がセシル家の者であったことは国民の知るところで、ホド戦争はガルディオス夫人がキムラスカ王国を裏切った報復で行われたものだと思われているのだ。
 ホド戦争が原因で、セシル家は没落した。ガルディオス家のせいといっても過言ではないのだ。ガルディオス家に恨みはあるが、同時に親戚でもある。
 ガイ・セシルが、ガルディオス家の遺児を名乗り、キムラスカ国王陛下殺害未遂という重罪を犯したせいで、セシル家までキムラスカ国王に反意を持っているのではないかと疑惑の眼が向けられた。
 その疑惑を晴らし無実を証明すべく、死刑執行人に、セシル少将は自ら立候補した。
 セシル少将は厳しい顔に凍てついた眼で、ガイを見ていた。

 ガイは、従姉妹にこんな眼を向けられるとは思わずに、呆然としていた。

 ガイにとってセシル少将は親戚だった。家族が死に絶えた今となっては、セシル少将だけがガイの血縁といってもいい。そんな相手に疫病神のような眼で見られ、殺されようとする状況に、今さらながら頭が冷えた。

 なんて馬鹿なことをしてしまったのか。

 悔やんだ頃には、剣が閃いていた。



「……すみません、すみません、すみません、ガイラルディア様、すみません、すみません、すみません、――マリィベル様――!」

 ペールは、枯れ木のような両手を組み額につけて滂沱を落とした。大粒の涙に塗れた頬は痩せこけ、年のせいもありやるせなかった。
 守るべき主君、ガイラルディアが死んだ。
 弟の命を守るために我が身を差し出した彼の姉に、どう申し開きをすればいいのか。ペールにはわからない。きっと、ガイラルディアの姉はこの無慈悲な光景を見ているだろう。そうして涙を落とすのだろう。彼女の絶望を生んだのは、まぎれもなくガイラルディアで、そして、彼を託されたペールだった。

 ガイに伝えることすらできなかった。

 あなたの姉は、生きているのだと。

 伝えていれば、何かが変わっただろうに。
 ペールはガイラルディアの死と罪に堪えきれずに膝を折った。







 ――ミリアの眼から一筋の涙がこぼれおちた。

 重たい頭が地面に落ちて、セシル少将の手が頭をつかみ上げると、高々と掲げる。
 観衆はワッと声をあげて興奮に包まれた。
 自国の王を殺害し、平和条約に皹を入れようとした重罪人が死んだ。
 歓喜の声が満ちる。

「ああ……」

 立ち上がって歓声をあげる者が多い中、一人席に座ったままミリアは両手で口を覆った。
 観衆の笑い声は、弟の死を歓迎する歓喜の声だ。
 弟を、命を賭けて守ろうとした姉の気持ちなど、観客は想像さえしていないのだろう。死刑囚にも、その命を惜しむ肉親がいるというのに。たしかに、弟は悪いことをした。だが、それでも、ミリアにとってはたった一人の肉親だった。
 ミリアの心にじわじわと黒い染みが広がってゆく。煮えたぎったその感情を堪えようと、唇を噛み締める。血が滴った。ミリアの視線の先に、首と胴体を切り離された弟が地面に横たわっている。
 弟の死体はしばらく晒されるだろう。
 大衆に晒され、野ざらしにされて、野鳥に突かれて蝿が卵を産みつけるのだ。そして、その腐肉から蛆が何十匹も孵る。よく見かける光景だ。珍しくもない。
 耐え切れない現実から背くように、瞼を固く閉じた。鼓膜を震わす大きな歓声に、ミリアの心はとうとう壊れた。

「ありがとうございます、公爵様」

 ミリアはゴブレットを両手でもちながら微笑んだ。これで弟たちのもとへ逝ける。弟の死刑執行日が決まってからというものの、ミリアの顔は暗く沈んでいた。だが、それも、もう終わりだ。ミリアは毒の杯を躊躇なく呷った。
 喉を焼くような痛みに固く目を瞑り、身を任す。意識が暗闇に閉ざされる前に、ミリアは最後に公爵の姿を視界に収めた。

 両親の、ホドの仇。
 弟を処刑台に送った男。
 ミリアを今日まで生かし、弟を先日まで生かしてくれた、恩人。

 これまでの日々を思い出す。弟の誕生日を祝う、両親や使用人たちの姿。誕生日会を台無しにするかのごとく、突如現れたキムラスカ軍。その後に行われた血の惨劇。踏み躙られた。人も大地も命も尊厳も。
 ミリアだとて踏み躙られた。敵国の兵に命乞いをし、敵国に向かう最中、心細さに身を強張らせてたミリアの花を散らしたのはファブレ公爵を始めとした敵国の兵だった。やることはやられた。屈辱に舌を噛み切ってもよかった。
 それをしなかったのは、いつか生き残った弟が反撃の狼煙を上げて立ち上がると信じていたからだ。憎悪に心を焦がしながら、屈辱を抱えて生きた。

 ――その憎悪も、数年の時を経て、馴染んでしまったけど。

 人を憎み続けるのはとても疲れることで、ミリアはもう憎むことに疲れていた。よくしてもらったのだ。たとえミリアに屈辱を味あわせた相手でも、公爵はよくしてくれた。もういいかと思っていた。憎むことを終わりにしようと思っていたのに。――弟が死んだら、そうもいかない。だが、もう。

(憎むのは疲れた。これで終わりにしましょう)

 弟が死んだ。これ以上憎しみに心を疲労させるまえに、すべてを終わらせたかった。毒が全体に回る。ゆっくりと感覚をなくした体に、ぷつんと意識が切れた。
 崩れ落ちるミリアの体を受け止めたのは、ファブレ公爵の息子、ルークだった。
 ルークは思いつめる表情の中に決意を宿らせて、意識を失ったミリアを腕の中に抱きながら、公爵を見る。

「死なせるものか」

 ルークはミリアの顔を見ながら、ガイの死を思い返し、小さく頷いた。



(2016/02/18)
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