鬱屈とした毎日を送っていた。

 四角に切り取られた窓から見える空しか変化は起きない。繰り返す毎日に溜息を落とし、心は死にかけていた。そんな日常を、すこしだけ、彩ってくれた人達がいた。

『ルーク、元気にしていたか』

 ――ヴァン師匠。

『ルーク、約束は思い出せまして?』

 ――ナタリア。

『よっ、ルーク。暇なら剣舞でもやるか?』

 ――ガイ。

 大切だったんだ。
 たとえ、彼らがどんな思いで自分を見ていたとしても。 
 裏切られても、見捨てられることができないくらいには、情を寄せていた。

 だから。

「なあ、ガイ。俺は、おまえの姉上を生かすよ。ガイが生きられなかった分、ミリアには生きていてほしいんだ。たとえ、彼女が真逆のことを願っていても。それが俺の身勝手な願いになるとしても。ミリアに生きていてもらうよ。どんな手段を使ったとしても」

 罪人として処刑された友の墓を作った。

 墓の下には腐乱死体が眠っている。友が亡くなった翌日、一日中降り続いた雨のせいで死体が腐るのは早かった。野ざらしにされた体は雨に打たれ傷みやすくなっていた。鳥に啄ばまれたせいで、眼球は剥がれ落ちて、ところどころ皮膚が剥がされて骨が見えていた。腸はまるで縄のように地面に落ちて、そこには蛆の卵が産みつけられていた。初めて見た時には、胃液がこみあげて思わず吐いてしまったが、今はもうそんなこともない。
 墓の名前は刻まなかった。罪人の墓は荒らされてしまうと聞いたことがあるから。
 ガイの墓に向かって決意を表明するかのように呟いたが、誰に届くこともなく、渇いた風に攫われていった。

 その日、――ND2019年・シルフデーカン・55の日。
 ガイの処刑より、6日後のこと。
 眠りについていたミリアが目を覚ました。




 ベッドで目を覚ましたミリアは呆然としていた。虚ろな眼差しを宙に投げかけ、どうして、と呟く。ベッドの傍らの椅子に腰掛けていたルークが呟きを拾った。

「どうして、死なせてくれなかったのですか」
「父上は恩人だから死んで欲しくなかったんだ。俺は、……ガイの姉だから」
「ガイ?」

 ミリアがぴくりと肩を震わせ、ルークを見る。彼女の動作は緩慢としていた。6日間も眠っていれば無理もない。

「ガイラルディア。俺の親友だったんだ」
「――そう。そうですか、あの子の……なんて、皮肉なんでしょうね」

 ミリアの言ってる言葉の意味はわかっていた。仇の息子と親友になる。たしかに運命の皮肉だ。

「わたしにいったいどうしろと言うのです?」
「生きていてほしい。ガイの分も」
「……ふざけたことを。わたしは亡霊です。生きるもなにも、ホドと共に死んでいる」
「君が亡霊だというなら、ガイはいったいなんだったんだ。ガイも亡霊だったのか? ――なら、あいつがホド戦争で生き残ったのは間違いだったのか」

 ミリアの顔色が蒼く染まった。小さな手が毛布を握り締めたまま震える。

「嘘でもそんなこと言えないだろ。君が命がけで守った弟は、ホドで死ぬべきだったなんて」

 ミリアは毛布から手を離して、両手で瞼を覆った。涙が次々と溢れ出してシーツに染みを作った。

「ガイは俺の親友だったんだ。俺の親友を、命がけで守ってくれてありがとう。俺はガイに何もできなかったけど、君を助けることはできる」
「……わたしに、どうしろと言うのです。わたしは、もう嫌なのです。あの子を助けるために、わたしはこの身を売りました。恥辱で死にたくなる思いをいっぱい味わいました。それでも、生きていたのは、姉としてあの子を守る義務があったからです」

 ミリアはもう生きる理由がないのだと呟いた。ルークはミリアを見つめ、しばし沈黙すると、冷えた声でいった。

「――仇は討たなくていいのか?」

 ルークは表情一つ変えなかった。

「……どういうことですか?」
「ファブレ公爵は君の仇だろう。君が命がけで守った弟を、……処刑台に送ったのは俺の父だ」

 カッとミリアの顔が怒りに染まった。ルークを睨みつける。が、すぐに深い溜息を吐いて、気持ちを落ち着けた。

「……仇を討ちたくても、わたしにはその手段がありません。武力では到底敵いそうにありませんから」
「あるだろ。君が気付いてないだけで。……もしかしたら、気付いててみないふりをしてるのかも知れないけど」

 ルークはミリアの顔を覗き込んだ。冷徹な眼差しに射抜かれて、ミリアは硬直する。

「俺を利用すればいい」
「どういう、ことですか」
「いい加減気付かないふりはやめろよ。どういう意味かわかってるだろ」

 ルークはもう一度「俺を利用すればいい」と繰り返した。

「仇を討つ方法はある。ファブレ公爵家を乗っ取ればいい。次期ファブレ公爵は俺だ」

 内定だが、次期ファブレ公爵は話し合いにてルークと決まった。

 公爵はミリアを殺すつもりはなかった。大切な娘なのだ。彼女に憎悪と恨みを抱かれようとも、彼女の意思を尊重して死なせるくらいなら、どういう手段を使ってでも生かすと決めていた。
 公爵の思想に共感したのは、ガイを親友だと思うルークだ。
 アッシュは公爵ともルークとも違う。ガイを幼馴染以上の感情で見たことがないアッシュは、ルークほどガイに強い思い入れがない。アッシュにとってミリアはただの幼馴染の姉でしかなかった。

 アッシュはルークに次期公爵の座を譲り渡し、王の養子として王家に入ることになった。
 インゴベルトもアッシュの養子を歓迎した。カイツール軍港襲撃の一件でアッシュは大きなハンデを背負っているので厳しい監視と教育は避けられないだろうが、それでも次期国王になると決めた。
 ――おそらくは、ナタリアと果たせなかった約束を糧に生きると決めたのだろう。国を豊かにする。そのためなら公私を捨てる覚悟を決めたのかも知れない。

 ともあれ、次期ファブレ公爵はルークになった。

「俺の妻になり、君が子供を産めば、ファブレ公爵家の血筋に、ガルディオス家の血を混ぜることになる。そうすれば、今となっては罪人になったガルディオス家の血でファブレ公爵家の血は汚れ、公爵家の財産は君のものになる。公爵家の血を滅ぼすことはできないけど、これも一種の復讐だろう」

 ミリアは絶句した。

「……馬鹿な。正気とは思えません」
「俺は正気だ。元々、君は俺とアッシュがアクゼリュスで死んだら、父上の子供を産むことになっていたんだろう? ファブレ公爵家にガルディオス家の血筋を組み込むことは想定範囲だった。なら、相手が父上から俺になったって変わらないはずだ」
「前提がちがいます。罪人の血を、誉れ高き王家の血筋に組み込むなんて」
「俺にとってガイは親友だ。罪人じゃない」

 ルークはミリアから顔を離した。

「……君が俺を利用するなら、俺はよろこんで君に利用されよう」
「私はそもそも生きる気は……」
「死ぬことだけは却下だ。もし死ぬっていうなら、君が生きる気力を取り戻すまで四六時中監視をつけてやるからな。風呂でも目を離させねえ」
「な……」

 ルークのいいようにミリアは呆気に取られる。
 おそろしいことを言ってたくせに、子供のようなことを言う。

「……それは、嫌ですね……」
「だろう?」
「わたしがあなたの言動を真に受けたらどうするんですか? 妻にしてくださいといったら、してくれますか? ……ファブレ公爵家を乗っ取ることを許してくれますか?」
「いいよ。乗っ取れるなら好きにすればいい」
「……その自信はどこからきているのか」

 新しく生きる理由を提示されてミリアは笑いそうな気分になっていた。家族を死に追いやった仇の息子を前にして暢気なものだ。

 よくわからない女を、親友の姉という理由だけで結婚しようと思うなんて。家を犠牲にまでして。
 変な人だとミリアはこぼした。

「惚れた女の一人もいるでしょうに。わざわざ疵物の女を娶り利用されようとするなんて」

 ルークの言葉は人によっては甘いと言われるだろう、だがミリアにとっては優しいものだった。死へ急くミリアを引き止めるために、ルークは自分の将来と家を差し出したのだ。うつくしい自己犠牲に、彼を大切に想う人はきっと傷ましく目を細めるのだろう。

 ――いつか、自分も彼を想う一人になるのだろうか。

「……ありがとうございます」

 片隅によぎった思考はすぐに霧散する。今のミリアには、ルークは仇の息子で、弟の親友でしかない。

「よろしく、ミリア」

 この日、ルークとミリアは婚約者になった。時を待たず早々に二人は結婚する。
 夫婦という仮初の関係が本物に熟すまで、長い年月を要する。今はまだ、二人は始まったばかりだった。



END.
(2016/02/18)
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