栄光の大地と称される決戦の地で消息を絶った、ふたりのルークが、3年の時を経て帰還した。
始まりの地とも呼べるタタル渓谷に姿を現したふたりを、仲間たちは涙と笑顔と共に出迎えた。生存が絶望視されていたふたりが帰還したことは、仲間たちにとって最高の奇跡だった。仲間たちはその場でふたりのルークの生還を祝ったが、いつまでもタタル渓谷にいるわけには行かず、その日はお開きとなった。近いうちに、盛大なルークの帰還パーティを祝い集まることを約束して。
ノエルが運転するアルビオールでそれぞれの居場所に戻る。ジェイドとガイはグランコクマへ、ティアとアニスはダアトへ。ナタリアは一度は喪った婚約者と、幼馴染を連れて、バチカルへと戻った。ふたりのルークの生死を諦めていた公爵夫妻は、すこしばかり大人びて帰還したルークの姿を見て、目を瞠りしばし呆然とし、都合の良い夢を見ているかのように泣き顔を見せた。両親のそんな姿を一度たりとも見たことがなかったふたりのルークは慌てて、ナタリアは感動の再会に目を潤ませたものである。
――それから、一月の時間が矢のように流れた。
キムラスカ・ランバルディア王国首都、バチカル城の会議室。
毛長の赤い絨毯が敷かれ、円卓を囲む顔ぶれはキムラスカの重臣と呼ばれる者たちだった。彼らは一様に難しい表情で、国王に視線を向けている。国王の隣席に座るファブレ公爵も王の決断を今か今かと待ち詫びていた。
重臣の視線を集めた国王は、これまた重臣らに負けぬ難しい表情をしていたが、決断したかのように小さく頷いた。
「…我が国の軍港を襲撃し、王族の殺害を幾度と無く企み実行しようとした鮮血のアッシュを”ルーク・フォン・ファブレ”と認めるわけにはいかぬ」
「陛下、では…」
強張った臣下の問いに国王は頷くことで、答えを示す。
国王の決断に、ファブレ公爵は目を伏せ――円卓の下で何かに耐えるように拳を作った。
「――お父様! いったいどういうことですの!?」
兵士が止める声を無視して、ナタリアは王の私室の扉を無作法に開け放った。子供が癇癪を起こしたかのように顔を真っ赤に染めて、柳眉をきりりとつり上げて、若草色の双眸に苛烈な色を灯らせている。
ナタリアはぐるりと広い室内を見回し、バルコニーに続く窓が開け放たれていることに気付くと、全身に怒りを漲らせながらバルコニーに近づいた。そこには、白いテーブルセットを囲む、国王の姿と――ひとりのストロベリーレッドの髪の女性の姿があった。ぴくりとナタリアの眉根が不快げに寄る。ナタリアは意図的に少女を無視し、自身と同様に不快げな顔をした国王に近付いた。
「お父様っ、いったいどういうことですの!? アッシュを…アッシュを邸に監禁するなどと! アッシュはわたくしの婚約者であり、いずれはこの国を継ぐ者ですのよ!? お父様にとっても、大事な甥ではございませんか!!」
「…ナタリア…そなた、アッシュが我が国に何を仕出かしたのか覚えておらぬのか?」
「何を…? アッシュは世界を救った英雄ですわ。彼とルークがいなければ、障気中和は成されず、人類は死亡していたことでしょう」
「たしかにそうじゃが、その功績だけではアッシュの罪は帳消しには出来ん」
「アッシュの罪…?」
アッシュの罪と聞いて思い当たることがひとつも無かったナタリアは、父の言葉の意味を理解できず、怪訝に顔を顰めた。
「カイツール軍港襲撃の首謀犯が誰なのか、そなたは忘れてしまったというのか。軍港が襲撃された当時、数多の兵士が殺害され、そなたはあれほど心を傷めておったというのに」
「! あれはっ、…そう、アッシュにも何か事情があったのです! ですから、温情を」
「その事情なのだが…アッシュに尋ねたところ、あいつはルークのフォンスロットを開くためだけに、軍港を襲撃し、整備土長を人質にとったそうじゃ。アッシュは反省しておったぞ。やってはならぬことをやってしまった、と」
「そんな……嘘です!」
ナタリアは王の言葉を受け入れられず、否定を返した。
「嘘ではない。アッシュは罪を犯したが、それと同時にそなたが言ったとおりに世界を救済した英雄でもある。ゆえに、ある程度罪を軽くすることも出来よう。しかし、アッシュをキムラスカ王族として迎え入れることは最早できん。当然そなたとの婚約は破棄じゃ」
「…わたくしは納得いきませんわ、そのようなこと! 何とかなりませんの!?」
「ならぬ」
「お父様!!」
「いくら言おうとならぬものはならぬ。それともナタリア、そなた国王の決断に否を申すというのか?」
「それは…っ、…ですが…今回ばかりはお父様が間違っています。わたくしとアッシュは愛し合っているのです。どうして理解してくださらないのですか?!」
「王女が私情で結婚できるわけなかろう。そなたこそ、何故わからない?」
「私情なんかではございません! アッシュはキムラスカ王族です、王位継承権第三位という高位の王位を持つ者。王女であるわたくしと婚約するのは正統ではございませんか!」
「アッシュのその身はすでにキムラスカ王族では無い。いくらその身に高貴な血が流れようとも、アッシュは罪人なのじゃ。わかったなら、わがままを言わず、国王の決断に従うのじゃ。……そなたの婚約者は追って知らす。下がりなさい」
「……お父様は耄碌してしまわれたのですね」
ぽつりとナタリアは零した。
国王を耄碌したなどと口にするなんて、あまりにも不敬が過ぎた。ふたりの会話を見守っていたストロベリーレッドの髪の女性が「お姉さま!」と厳しい声をあげる。マラカイトグリーンの栗型の双眸で睨まれたナタリアは睨み返す。
「お黙りなさい、ミリア! これはわたくしとお父様の問題、貴方が口出しする権利はございませんわ!」
「…黙るのはそなたのほうじゃ、ナタリア」
「…お父様は変わってしまったのですね」
失望したと言外に告げて、ナタリアは背を向けて足早に去っていく。敬意と礼を失したナタリアの行為にインゴベルトは頭痛を感じて、額を抑えた。
ストロベリーレッドの髪の女性――ミリアが心配そうな顔でインゴベルトを見る。
愛らしさと美しさが混在した女性だった。王妃が産んだ娘と思われたナタリアが、王族の象徴を持たずに産まれたことで、妾をつくりその妾に産ませた子がミリアだった(妾はミリアが6歳のときに病気で亡くなってしまった)。即ち、キムラスカの第二王女である。名をミリア・ウル・キムラスカ=ランバルディア。
潔癖で夢見がちなところがあるナタリアは母である王妃以外の女性とインゴベルトが男女の関係を持ったことが許せなかったらしく、妹であるミリアに対して態度は酷かった。そこには、6歳まで母がいて母親の温もりを知り、王族の象徴を持つ妹への嫉妬も含まれているのだろう。ナタリアにとってミリアは、自身のコンプレックスを突きつける存在であることを、インゴベルトは知っていた。
「大丈夫ですか? お父様」
「うむ、平気じゃ。…ナタリアも困ったものだ。王女としての自覚に欠けておる。このまま私情を優先させるようならば…」
「お父様、それは、」
「…致し方あるまい」
インゴベルトが呑んだ言葉を、ミリアは読み取る。親子そろって沈鬱な表情をしていた。
ナタリアが置かれている現状は、彼女自身が思っているよりも余程辛い状況にある。王族とも関係ない出自であり偽姫であること、王の命令を一度背き、王女の公務をすべて放り出して、親善大使に同行したこと――。そして、王女に仕立てられた理由が、彼女を王女である理由を砕いてしまった。
ナタリアが王女に仕立て上げられた理由は”預言に詠まれていた”という一点に尽きる。預言のままに生きた人類がたどった道が滅びであったことから、今までとは一転して、預言を排斥する動きを世界中が見せ始めている。預言に詠まれた王女たるナタリアは自身の力で、周囲に王女であることを認めさせなければいけない身であるというのに――。
「…ミリア、そなたとルークの婚約の件だが、このまま推し進めても良いか?」
「はい。ルークお兄様さえ良ければ、わたくしは一行に」
「それは問題ない。ルークには良い返事をもらっている。…済まぬな。そなたとルークには迷惑をかける。そなたもすでに婚約者がいた身であったというのに」
「お父様、わたくしのことは気になさらないでください。わたくしのことよりも、婚約破棄してしまったローゼンベルグ公爵家に便宜を」
「うむ、無論するつもりじゃ。ナタリアとルークが婚約するのが一番なのだがな…ナタリアのあの様子を見る限りでは無理じゃろう。――近日中にでも、ルークとそなたの婚約を世界中に公布する。結婚はミリアが成人した後――1年後を予定しておる。その間にミリアはルークと親睦を深めなさい」
ミリアはインゴベルトの言葉に素直に頷く。
娘の同意を得たインゴベルトは、もう一方の娘の姿を脳に描く。王城でおとなしくすれば良いのだが――。
父の願いも空しく、ルークとミリアの婚約が世界中に発表された、その日。
ナタリアは周囲の制止を振り切って、勝手に城を抜け出した。ナタリアを追いかけた彼女付きの兵士たちは、城預かりになっていたアルビオールにナタリアが乗り込む姿を目撃した。1分も経たぬうちに、アルビオールはエンジンを噴かせ飛び上がり、雲ひとつ無い青空に羽を羽ばたかせて、一路マルクト方面に飛び去って行った。
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