マルクトにやってきたナタリアはアルビオールを街の外で待機させると、その足でガイの邸を訪ねた。
グランコクマ宮殿近くにある貴族街の一角に建てられた白作りの邸は、貴族の邸としてはそれほど大きくない。アポイントを取らずにやってきたナタリアを出迎えたのは、邸の主であるガイではなく、フェンデ家を再興させて貴族階級を賜ったティアだった。それもこれも、ルークと結婚するために。現在ティアはガイに仕えていた。
「ナタリア、どうしたの?」
「ティア…」
親友と言っても良いほど、あの旅で仲良くなったティアを見て、ナタリアの若草色の双眸は潤みだした。
アッシュの件で父と仲たがいしてからというもの、監視されているような気がして、ずいぶんと気を張っていた所為だった。
急に泣き出したナタリアに驚愕したティアは急いで彼女を邸の中に招き入れる。青と白のマルクトカラーで統一された調度品で整えられた応接室に通されたナタリアは、ティアにソファに座るように勧められて素直に従う。メイドがおもてなしの紅茶と茶菓子を出してくれたが、ふたりは手をつけることも忘れて、話し始めた。
「お父様がアッシュとわたくしの婚約を破談すると仰って…その理由がアッシュがカイツール軍港を襲撃したからだと言いますの」
「え…でもそれは、アッシュにも事情があってのことでしょう?」
「わたくしもそう言いました。ですが、お父様が言うには、アッシュはルークと便利連絡網を繋ぐためにカイツール軍港を襲撃したと言っていて…。そのような浅慮なこと、あのアッシュがするわけありません。もっと深い事情があるに決まってます。それなのに、お父様は一方的に決め付けて、わたくしの話に聞き耳をもってくださらなくて」
「そんな…」
話を聞いたティアは、ナタリアの心情を思って同情する。
ぽろぽろと涙をこぼすナタリアにティアはそっとハンカチを差し出す。ナタリアはお礼を言いながら受け取り、目元に当てた。胸中に抱えていた思いを話したことで幾分すっきりとしたナタリアは照れたように微笑む。
「みっともない姿を見せてしまいました」
「いいのよ、そんなこと気にしなくて」
「ふふ、そうですわね。私とティアはいずれ従姉妹になるのですから」
ナタリアがアッシュと結婚して、ティアがルークと結婚する未来を、示唆する。
途端にティアの顔色は鮮やかな赤に染まり、目元を和らかくさせて微笑む。そして、何かに気付いたようにハッと瞠目した。
「ナタリア、それじゃあアッシュのこと、諦めないのね」
「もちろんですわ。今のお父様は聞き耳を持ってくださらないですが、根気よく話せば、きっとお父様も理解してくれるはず。わたくしは諦めたりしません」
「そうね、諦める必要なんてないわ。インゴベルト陛下も今は聞く耳を持てないだけで、少し経てばきっとナタリアの話に耳を傾けてくれるはずよ」
「ええ! …ティアに話したらすっきりしました。城に戻り、お父様を説得致します」
「そう…頑張って」
「ええ」
心の余裕を得たナタリアは、遅れながら突然の来訪を詫びた。思い立ったが吉日と言わんばかりに、早速城に戻るべく、ナタリアはソファから腰を上げる。玄関まで見送ることにしたティアも立ち上がり、ふたりはそのまま応接室から出て行く。テーブルの上には手付かずの冷めた紅茶と茶菓子が取り残されていた。
玄関まで見送ってくれたティアにお礼を言い、ナタリアはガルディオス家の邸を後にした。グランコクマの外で待っているアルビオールの元に向かうべく、貴族街から出ようと足を進めたナタリアは真向かいから駆けて来る人物に気を取られて歩みを止めた。その人物もナタリアに気付いて、ナタリアの前で立ち止まる。
「ナタリア! どうして君がここにいるんだ? まさか…」
「ティアに用事が少しあって…ガイはそんなに急いでどうされたのです?」
「っそうだ、ナタリア、君なら詳細を知っているんじゃないか!?」
「え?」
「ルークとミリア姫の婚約だよ! さっき、ピオニー陛下からミリア姫とルークの婚約を知らされたんだ。いったいどういうことなんだ? ティアとルークが両思いなのは君も知っているだろう? どうしてこんなふたりの心情を無視する真似が出来るんだ」
「ルークと…ミリアの婚約!?」
初めて知った情報にナタリアは驚愕する。
ガイはその様子を見て、すこし落ち着いた。
「知らなかったのか?」
「ええ、そんなことわたくしは知りませんでしたわ」
「そうか、なんだ…俺はてっきり君が此処にいるのは、ティアにルークを諦めさせるために説得しに来た所為だと思ったよ」
「まさか、わたくしがルークとティアを引き離すはずがございませんわ! 見くびらないでくださいませ!」
親友であるティアと、幼馴染であるルーク。ふたりが手を取り生涯を共にする幸せを思っているのに、そのようなことをするとは、ガイの中でどれほど自分は薄情な女に思われているのか。頭に血が昇ったナタリアは、足を一歩踏み出してガイを睨みつける。ナタリアとガイの顔の距離が近付いた。今も尚、女性恐怖症をすこし引きずっているガイは慌てて顎を引いた。
「お、俺が悪かった! だから近付かないでくれぇ!」
「まったく、情けないですわね。女性恐怖症は治ったんじゃないですの?」
「原因はわかったけど、身体に染み付いた女性恐怖症はそう簡単に治らないんだよ…。俺の話は今はどうでもいい。そんなことよりナタリア、ルークとミリア姫の婚約は…」
「きっとミリアがお父様におねだりしたのでしょう。ミリアは以前からルークのことを気にしてました。ミリアに甘いお父様のことです、ルークの意思など無視して婚約を結んでしまわれたに違いありません」
「…政略結婚なんてものは、確かに当人の意思なんて関係ないんだろうが、ティアはルークと結婚するためにフェンデ家を再興させて、男爵位を賜ったんだぞ。ルークと釣り合うには少し身分が足りないかも知れないけど、ティアは世界を救った英雄でもある。決してルークとティアが結ばれるのは不可能じゃないはずだ」
「ええ、わたくしもそう思いますわ!」
「…俺はルークとティアに幸せになってもらいたいんだ。ミリア姫には悪いけど、ルークはティアと結婚するのが一番幸せになれると思うんだ」
「ミリアのことなど気にする必要はございませんわ! あの娘も、いい加減この世には権力でも儘ならないこともあるのだと思い知るべきです。…ミリアとルークの婚約を妨害致しましょう」
「ああ! アニスとジェイドにも協力してもらわなくちゃな。アニスはともかく…ジェイドは協力してくれるかわからないが」
ガイはナタリアの協力を得られることが決まって、ほっとしたように表情を和らげている。
ふたりはルークとミリアの婚約を破談させることに決めた。それがルークとティアの幸せに繋がると信じて。安直なふたりは、仲間たちを巻き込んで、バチカル城に向かい直接インゴベルト陛下に抗議しに行くことに決めた。――彼女らはあの旅で気軽に国王陛下と謁見できる状況に合った。その状況があまりにも彼女らにとって”普通”になっていたから、いつしか彼女らは自分たちが特別扱いされていたことすら忘れてしまっていた。
prev next
back