障気中和IF/アッシュ、ティア、ナタリア厳しめ
「ダメだ、アッシュ!! お前の超振動じゃ…!」
切迫詰まったルークの声がレムの塔を駆け巡った。
塔の階段を駆け上がってくるルークを蔑んだ眼で一瞥し、アッシュは両手を突き出し超振動を放った――それが何を招くのか、考えることもせずに。
空を瞬く間に覆った赤紫色の障気は、人々の体を刻一刻と蝕み始めた。
各国が集って知恵を絞り出す中、マルクトの天才ジェイド・カーティスが打ち出した案が採用された。
彼が打ち出した案とは、レプリカ一万人分の第七音素と、超振動による障気中和。
ジェイド自身は一種の例えでレプリカ一万人分の第七音素が必要だと言ったのだが、被験者に都合の良い言葉に反対する者は誰一人おらず、その瞬間、レプリカと、単体で超振動を起こせるレプリカルークが障気を中和することに決定してしまった。
一行が反対の意を唱えたが、だからと言って他の代案があるわけでもない。
ジェイドは会議が終わった瞬間ルークに向かって頭を下げ、ガイはルークが死ぬくらいならアッシュにやらせれば良いとアッシュの姿を探そうとしたが、ナタリアやティアによって止められ、障気中和の日を迎えた。
ルークが障気中和の実行者に選ばれた理由は、本当はもう一つあった。
それはルークの超振動の方が制御が利くことだ。
だからこそ、ルークが障気中和を行わないといけなかったのに――。
一行は、赤紫色に覆われた空を、愕然と見上げた。
「何で……何で障気が消えねえっ!?」
一万人いたレプリカは跡形もなく消えた。
確かに先程までレプリカたちがいた証拠として、レムの塔には第七音素が満ちていた。淡い光がうずまく幻想的な光景に、呆然と佇む一同は、空とその場を交互に見回して目が眩む。
障気で濁った空は、以前の青を取り戻さず、悠然とそこにあった。
アッシュは我が身可愛さで障気中和を尻ごむレプリカルークの代わりに、世界中の民を救うという大義を成し遂げるはずだった。だが結果はご覧の通り。アッシュの大義が失敗に終わった事実を濁った空は告げている。
瘴気中和を実行したアッシュが「馬鹿な、」と呟いた。
ルークは呆然とした足取りでアッシュに近寄ると、空を見上げたまま虚ろな声で呟いた。
「アッシュじゃダメだったんだ……」
「なんだと…!? 俺がお前の超振動に劣ると言うのか!?」
自分が劣化レプリカと蔑んでるルークに劣るなんて認めるわけにはいかないと、声を荒げるアッシュにルークはちがうと首を振った。
「そうじゃない、その逆だ! お前の力は強力すぎたんだ……!」
ローレライの鍵を使って、一万人分のレプリカと共に障気中和をすることで、本来の正常な青空が戻るはずだった。しかしアッシュの力は大きすぎて、制御が利かず、結果、レプリカの第七音素を吸収して、ただ大気に解き放っただけとなった。
それを証明するように高濃度の第七音素が大気に溶けて、ルークの周囲に漂っていた。第七音素を使えるティアやナタリアが戸惑った声を上げ、第七音素を使えないガイたちですら視覚できるほどに。
アッシュはルークの言葉に言い返したくても、言い返すだけの言葉を見つけることができず、ただ黙りこむ。ルークは困惑を浮かべた表情で、空を見上げた。
(障気はローレライに言えば何とかなるかも知れないけど……)
ルークは気付いていた。
自分以外のレプリカが超振動の影響を受けて、この世を去ったことに。
レムの塔にいたレプリカだけではなく、世界中のレプリカがアッシュの障気中和に道連れになってしまった。ローレライの加護を最大限に受けたルークは守られたものの……このあと障気をどうすれば良いのかわからなかった。
(……俺は被験者を救う気になれない)
障気中和の実行者に選ばれたときのことを、昨日のように思い出す。
被験者は真っ先にレプリカを犠牲にすると決めた。
障気中和には一万人のレプリカが必要だというが、人間のレプリカで補う必要はなかった。ホドのレプリカであるエルドラントを使うこともできたし、世界中から一万人の第七音素を保有する罪人を集めることもできた。
他にも代案を見つけることができたのかも知れないのに、被験者は、手っ取り早く提示されたレプリカ一万人による障気中和を選んだのだ。
被験者から犠牲を出すことなく、レプリカを犠牲に選んだのだ。
どうしてそんな被験者たちを助けるために、我が身を犠牲にしなければならないのか。
全てが馬鹿らしく思えて、何もかも投げ出したかった。
それでも逃げ出さないのは、アクゼリュスを崩落させた贖罪があるからだ。ヴァンは何がなんでも倒す。その贖罪の気持ちだけが、今のルークをこの場に留めている。
ルークが濁った空を翡翠の眼に映していると、その肩をガイが優しく叩いた。
「アルビオールに戻ろう。な」
これからどうするか、国に判断を任せた方がいい。苦笑を浮かべたガイに促され、ルークを初めとする一行とアッシュは、レムの塔に足を踏み入れた時とは打って変わって重い足取りで、アルビオールに向かった。
ダアトへ戻った一行を待っていたのは、困惑した面持ちの国王と側近たちだった。
マルクト皇帝は難しい顔をして、キムラスカ王はここ数日で一気にやつれた顔で一行と、ガイに無理やり連れてこられたアッシュを出迎える。
障気中和 実行予定時刻、レムの塔から超振動と高濃度の第七音素が観測された。
各地のレプリカはルークを残し消滅したが、障気によって澱んだ赤紫色の空は依然と晴れないまま。
てっきり障気中和が成功したとばかり思い込んでいた首脳陣は、この事態に戸惑いを隠せなかった。
彼らはルーク達の話しを聞くなり、絶句し……気を取り直したときにはアッシュをまるで親の仇を見るような目で、睨みつけた。
「お主はいったい何と言うことをしてくれたのじゃ!!」
ことの顛末を知ったインゴベルトが、アッシュに怒声を浴びせた。
三国の首脳陣はこぞって渋い表情でアッシュを睨むように見てる。アッシュの両親であるファブレ公爵などアッシュに視線を向けるのも嫌だと顔を顰めた。それも仕方ないことだろう。ルークの手により障気中和が成されるはずだったのに、邪魔をしたのはアッシュ……被験者ルークだ。誘拐された当時は優秀と持て囃されていた被験者ルークに寄せる期待は大きく、その分、失望も大きかった。
「お、お父様落ち着いて下さいませ! アッシュは障気中和をしようとしただけで悪気はありませんわ!」
「悪気がなければいい問題ではないぞ……! 障気中和は失敗したのだ、各地のレプリカを巻き沿いに! 次に障気中和をするのならばレプリカではない、被験者から一万人出さねばならないのじゃぞ!?」
「っ…!」
ナタリアは口ごもる。レプリカならいくら犠牲を出そうと構わないと言うような発言に、幾人かが顔を顰めた。しかしインゴベルトもキムラスカ陣も、被験者の中から犠牲者を出さないといけない事実を重く受け止めるだけで、人間以外の命が亡くなることに関してはさして重く考えてないようだった。
「アッシュ……お主はこの始末を、どうつけるつもりじゃ?」
「それは……ッチ!」
王に向けて舌打ちしたアッシュに「無礼な!」と怒号が飛び交う。上手くいくはずだった障気中和が失敗しキムラスカ勢の困惑と言ったら、マルクト勢が眉を顰めるほど見苦しいものだった。難しい顔をしていたマルクト皇帝が、ぽつりと呟く。
「……ジェイド、障気中和はもう不可能か?」
一同の眼がマルクト皇帝に向いた。
「……いえ、可能でしょう。しかし、次に障気中和をするとなると、一万人の第七音素を素養する被験者で行わないといけません」
「……そうか。となると、言い争いをしてる場合じゃないな。早く第七音素を素養する者を選出しないといけないな」
「待たれよ、ピオニー陛下! それでは貴殿は被験者の中から犠牲を出すと申されるのか…っ!?」
一人の貴族の言葉に、ピオニー陛下はスゥッと目を細めた。
「犠牲ならとうに出てるだろう。障気中和を行い、亡くなるはずだった一万人のレプリカは今回の件で無駄死したのも同然だ。彼らの死を犠牲にした私たちには、必ずや障気中和を成さなきゃいけない。一万人の被験者で、何万もの命が助かるなら皇帝である以上、私はそれを決断するまでだ。無論、キムラスカ国王、貴方もそうだろう」
「う、うむ……」
王として一万人の被験者を犠牲にすると決断したマルクト皇帝と違い、キムラスカ王の返事はか細い。王としての器が見えて取れたキムラスカ王に、ファブレ公爵は溜息を吐く。公人として国のために息子を犠牲にする決意を、とうの昔に強いられたファブレ公爵は、アッシュとルーク二人を交互に見つめ、重たい口調で切り出した。
「カーティス大佐、やはり障気中和には超振動が必要になるか?」
「ええ」
「それならば私は、ルークではなくアッシュに今度こそ障気中和を成し遂げさせよう」
「なにを仰ってますの、叔父様…!」
悲鳴交じりのナタリアの声が響く。
アッシュは蒼白した面持ちで、父を呆然と見やっていた。
「元はと言えばアッシュが障気中和を邪魔せねば、成功していたはず。アッシュが余計な真似をしなければ、一万人の被験者を犠牲にしなくて済んだかも知れぬ。アッシュはその責任を取る必要がある」
「ち、父上……」
「お前はかつて“ルーク”だった。改名した今も、私の息子に違いない。王族ならば、民のために死ねるな。――アッシュ」
「っ!!」
父から言われた死刑勧告に、アッシュは瞠目し肩の力を抜いた。今にも膝を落としそうな婚約者の姿を見ていられず、ナタリアは公爵の言葉を撤回させようとまくし立てた。
「酷すぎますわ、叔父様! アッシュに死んでこいと仰るなんて…! アッシュは本物のルークですのよ!?」
一部を除いて全員が眉を顰めた。
かつて美しい思い出をくれた婚約者に対する愛情からきたのか、それとも美しい思い出の続きを与えてくれる婚約者を無くす自分を、憐れんで出た言葉なのかも知れない。どちらにせよ、ナタリアが口にした言葉は、王女が口にするには愚かしい言葉に違いなかった。
「ナタリアの言う通りだわ。アッシュは貴方の息子です、そんな言い方はいくらなんでもあまりにも酷すぎます」
「そうですわ!」
自分達が正しいのだと、言い張る彼女達に部屋の中は沈黙に包まれる。
公式の場で、偽姫とは言え王女を呼び捨てにし、公爵にものを申した礼儀知らずなダアトの軍人に、言葉を失った。娘を可愛がっていたインゴベルトでさえ、何と言ったら良いのか分からず呆気に取られた。ファブレ公爵は怪訝も露にティアを見る。その眼には温情の一欠けらも浮かんでいない。
「……貴様は何か勘違いをしてるのではないか?」
「え?」
「これは三国の首脳陣による世界会議だ。ダアトの一平卒が口出しをする権限など無い」
「っ……それならば何故ここに私をお呼びしたのですか?」
意見を聞くためだろう――問うティアにファブレ公爵は不快を隠さずに告げる。
同時に、ローレライ教団の代表として会議に参席していた詠師たちが血相を変えた。
ファブレ公爵は無言のまま、詠師たちに視線を移す。
「……失礼しました。ただちにティア・グランツを退出させます。衛兵!」
詠師の一人が声をあげる。これ以上教団の汚点を晒すことは避けたかったのか、教団からは誰一人として反対の声は上がらなかった。それどころか、何故この場に連れてきたのかと、同行の許可を出した者を恨む始末である。恨めしげな視線を受けた者は苦々しく顔を顰めるが、胸中では反論する。
ローレライ教団はヴァン・グランツたちが起こした数々の凶行により名誉が地に落ちていた。中でもユリアの名誉はこれ以上地に落ちる余地もない。
何しろユリアの子孫は一人は世界滅亡を企み、もう一人も同じようなものである。だが、ヴァンと違ってティアの罪は様々な思惑と絡み合った結果なし崩しに許されたのだ。そうであるならば、ユリアを聖女として扱う教団にとって、ティアはまだ価値があったのだ。プロパカンダとしての価値が。
ティア・グランツは世界救済のために兄と敵対することを選んだ悲劇の聖女。
そうやって宣伝することで、教団とユリアの名誉を上げようとしていたのに、世界各国の首脳陣が集まる場において、まさか身も弁えずに発言するとは思わないではないか。
胸中でごちる。今では言い訳にしかならないので、口にすることはなかった。
「ティアは何も悪くないではありませんか!」
柳眉をつり上げ怒りを顕わにする王女に、失望の溜息が落ちる。ファブレ公爵の言い分は正しいのに、親しいユリアの子孫を庇う王女。公私混同も甚だしかった。ナタリアが偽姫だと知り、前々からナタリアに批判を覚えていた一派が鋭い視線を向けてる事に勘づくこともない。
これ以上の醜態を見せれば、ナタリアの地位剥奪は免れないだろう。
薄々その事に感づきながらも、預言から離れた今、国王であることに自信を持てなくなったインゴベルトは口を挟めなかった。貝のように口を閉じて黙りこくる情けない国王をファブレ公爵は一瞥し、マルクト側に付け込まれる前に、と、溜息と共に言葉を吐きだした。
「ナタリア殿下はどうやらお疲れ気味のようだ。陛下、ナタリア殿下は退席されたほうが良いのでは?」
「う、うむ、そうじゃな。ナタリアを連れて……」
「お父様! わたくしは平気です! 叔父様……いえ、ファブレ公爵もなぜそのようなことを仰るのです。ファブレ公爵の方がお疲れで気味ではないのですか? 失言が先ほどから目立ちますわ」
「ほう、私は先ほどから当然のことを口にしたまでなのですが。為政者としてのナタリア殿下の言動は先ほどから目に余るものが有ると思われますが……それに気づかれないとは……長旅の心労が祟りよほどお疲れのようですな」
「わ、わたくしのどこが…! 叔父様、いくらなんでも王女のわたくしに無礼が過ぎますわ!!」
キムラスカ陣の目つきが険しくなり、米神を押さえる者が続出した。マルクトとダアトの前で先ほどから何をやってるんだ王女は……! 聞くに堪えない王女の言動に何人かがインゴベルトに視線を送る。インゴベルトは惑いながら声をあげた。
「ナタリア止めよ。これ以上の失言はさすがにわしでも庇えぬぞ」
「お父様、それはわたくしではなくファブレ公爵にこそ言ってくださいませ。ファブレ公爵はアッシュを犠牲にすると仰ってますのよ!? 本物のルークを……!」
沈黙が、落ちた。
誰もが言葉を忘れたかのように、ナタリアを凝視する。
ようやく自分が失言したことに気づいたナタリアが、ハッと口を手のひらで押さえる。
突き刺さる氷の様な冷たい視線に、周囲を見回し味方がいないと知ると、ナタリアは視線を落とす。
怒りを宿らせた声で、ファブレ公爵が沈黙を破った。
「――自身が偽物の身でありながら、そのようなことを言うとは……」
言外に“王族の血を引かないくせに”と皮肉る。
王権神授説を敷くキムラスカにおいて、ファブレ公爵の言葉は明らかに不敬な言葉であった。
しかしナタリアが偽姫であることは、キムラスカ国民周知の事実。
歴としたキムラスカ王族の血を継ぐファブレ公爵と、偽姫として一度は王家を追放された庶民出のナタリアでは、王家の血筋を大切にする貴族がどちらの味方かは一目瞭然のこと。
マルクト側もナタリア王女の失言は目に耐えられないと口を挟むことは無く、キムラスカ王は義娘を見てられず目を逸らした。
その場はファブレ公爵の独壇場であった。
「……わたくしはっ!!」
「アッシュを犠牲にするなと仰るのは結構! そういうからには、貴殿の頭の中にはカーティス大佐が打ち出した以上の障気中和案があると言うのでしょう。それをお聞かせ願いたい。もっとも、もし何も考えずアッシュを犠牲にしたくないと言うのならば、それは貴殿の私情でしかないことを無論理解してでのことでしょうな。この様な場において私情で口走るなど……いくらキムラスカ王女であらせられても許されることではありますまい」
「……ッ!!」
恥辱に赤面したナタリアは言い返す言葉を失った。れでも何か言い返してやらねばと魚のごとく口をパクパクとさせるが、一向に反論はでてきやしない。ファブレ公爵は侮蔑した。
「……無いようですな」
ナタリアは、悔しげに唇を噛み締めるしかなかった。
「インゴベルト陛下、ナタリア姫の退席をお許し下さい」
「……うむ。仕方あるまい」
「そんな、お父様……っ!!」
インゴベルトは苦々しく義娘から目を逸らす。父と合うことのない視線に、納得いかない顔を見せるナタリアはどうして追い出されるのか理解出来てないようだった。
現れた兵により、ティアとナタリアが引き摺られるようにして連れ出されていく。
追い出されて行く間にも、みっともなく自身の地位や立場を誇示し留まろうとするが、誰も彼女らの言動に耳を貸そうとしない。去り際に見苦しい真似を繰り返したナタリア王女に対し、流石に庇い切れないとキムラスカ王は悟り、各国の首脳陣前で何らかの処罰を施すと明言するしかなかった。ダアトも同様に疲れきった表情でティアの処罰を名言した。
世界会議は終始マルクト皇帝とファブレ公爵が先導するような形で終わり、結果、鮮血のアッシュが超振動を起こし、ティア・グランツを初めとした第七音素を保有する一万人の罪人が障気中和を成すことで合意された。
父親に死を勧告されたアッシュは最早抵抗する気力もないようで素直に従った。いや、あるいは最後に自らの非を認め、その上で死を選んだのかも知れない。
そして、世界会議が終わった後、キムラスカは別に新たに会議を開き、ナタリア王女の処分をどうするか議論が交わされ――ナタリア王女の地位剥奪、王籍抹消に加えたうえで彼女は障気中和の際にその身を捧げることとなった。
それは死刑を宣告されたも同然である。
キムラスカは王女の崇高な意志により、障気中和を自らの身をもって成すことを世界に向けて発表し、王家の威信は守られたのである。ナタリア本人の意思を置き去りにする形で。
障気中和、実行予定日。
ルークは障気中和に巻き込まれないように仲間や王達の意思により、ファブレ公爵家に居た。ジェイドに宛がわれた客室に訪問してきたルークを、ジェイドは出迎えた。イスに座らされたルークは出された紅茶も手をつけず、どこか沈鬱な表情で怖々と口を開いた。
「……ジェイドはさ、良いのか?」
「何がです?」
「とぼけるなよ。お前、不思議に思ってんだろ? 世界からレプリカが消えたのに、どうしてレプリカの俺は消えないんだって」
気付かないわけがないのだ。天才が。ジェイドは白々しくも笑みを浮かべておどけたように肩を竦める。
「さて、何のことでしょうか。私には理解できませんね」
「……」
ルークの真向かいに座ったジェイドは紅茶で喉を潤しながら、嘯いた。レプリカの中で、ルーク一人が残った事実にジェイドは当然気づいている。またファブレ公爵や国の首脳陣、仲間……ガイとアニスも気づいている。それでも口を閉じたまま、その事実を指摘しないのは選んだからだ。
一万人の被験者の命で障気中和を成し遂げるのならば、超振動を使うのはアッシュで良いと。
アッシュでなく、彼らはルークを選んだのだ。
国の重鎮は度重なる罪を犯したアッシュよりも、ルークの方が都合が良いと国益を考えた。ファブレ公爵も同様に公人の立場を選んで決断を下した。そして仲間達は……ガイも、アニスも、ジェイドも、アッシュよりもルークを選んだ。ルークに死んでほしくなかったのだ。
だから、疑問に蓋をした。
取捨て選択だ。
どちらかを犠牲にしなければならないのなら、好意を抱く方を生かしたいと思う。それは人間であれば当たり前の感情だ。ジェイド達とルークの付き合いはアッシュよりも長い。その分、ルークに入れ込む感情は多かった。
ジェイドの意図を悟ったルークは視線を下げ、「……そっか」と小さく呟く。
「良いのかな、それで」
レプリカを犠牲にすることを躊躇無く選んだ被験者を憎む気持ちは、今もしこりのように胸に残っている。
今回の障気中和案も、アッシュではなく自分がしなくちゃいけないと思っていた。
超振動を使えるのは、ルークとアッシュのどちらか一人。
被験者は当然、被験者を選ぶと、一度は選ばれなかった身で思った。
だからこそ、被験者を冷めた目で見ていたのだ。
その結果が、ナタリアとアッシュ、ティアを含む被験者一万人の障気中和――。
(オレは生きてても良いのかな)
ルークはゆっくりと眸を閉じた。
次に、死ねと言われたら最初から死ぬつもりだった。
音譜帯にあがるのは悪いことじゃなかった。
あそこには同胞が居る。
そこには差別なんて無い、自分にとったら、とても温かい世界だと知っている。
死ぬことは怖くないのだ。怖いのは、人の意思を無視して、他者に犠牲を強いてなおしぶとく生きようとする被験者だったから。
(被験者に選ばれたオレは幸せなのか? それとも――……)
差別があるこの世界で生きて行くのは、レプリカである自分にはとても大変だ。
侮蔑されてこの世界で生きるのと、差別がない同胞が待つ世界で眠るのはどちらが自分に幸せなんだろうと思いながら、瞼を持ち上げた。
ジェイドの背を通して、窓が見える。
窓越しに見えた濁った空に、一本の神々しい白い光が立ち昇ってゆく。
それはあたかも、神に救済を求める人々を天に導こうとする階のようだ。
あの階段を、アッシュは上がるのだ。
どういう思いであの光を見つめたのだろうか。死への絶望か、あるいは虚無感か、それとも、すべてが終わる安堵感だろうか。
ほんのすこし、羨ましい。
あそこには、幸も不幸もなく、ただ安らぎだけがあるのだ。
何も悩まされることなく、揺りかごにいるような安らぎがそこにあるのだ。
ぶつっとルークの頭の中で何かが切れた。
ああ。
アッシュが、逝った。
アッシュは痛みを覚えることもなく、ただ、超振動によって崩れ行く自身の体を眺めていた。不安も恐怖もなく、最期に瞼を閉じて、静かに、逝った。
光が散らばる。そうして、障気が薄れゆく。
アッシュと一万人の人間の命を吸うようにして、空は群青色に染まっていく。
ワッと遠くで歓声が聞こえた。
久方ぶりの青空に、世界中の人々は歓喜の雄叫びを上げてるいるのだろうか。
そこにある犠牲も知らずに、喜んでいるのだろうか。
「――ルーク、旦那! 障気が消えたぞ!」
ドアを開けて駆け込んできたガイとアニスが、久方ぶりの青空に嬉しそうな声を上げる。
その姿を見つめ、ルークは諦めたように、微笑んだ。
END.
2015/06/02リメイク
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