「あなた、自分が欠片も悪意を受けない人間だと思っているの?」
ティアは慰めのつもりでその言葉を口にした。その言葉の後に、ガイはルークのことを憎んでいても、それでも貴方を迎えに来てくれたんじゃない――そんな言葉を続けるはずだった。ルークの足元に居る、ミュウに遮られるまでは。
「ティアさん酷いですの〜! ご主人様、ティアさんなんか放っといてあっち行くですの!」
「…ああ、そうだな」
ルークが沈んだ声で、ミュウの言葉に同意を示す。親友だと周囲に公言して、また自身もそう思い、信頼を寄せていたガイに憎悪されて傷心していたルークに対してティアはトドメをさしたのだ。
暗鬱な表情をするルークは、ミュウに促されてベンチから立ち上がり背を向けた。
「あっ、ちょっと、ルーク!」
ティアは慰めようとした言葉を掻き消して、ルークの名を呼ぶ。
しかし、決してルークは立ち止まろうとしなかった。
この日を境にルークとティアの間で溝が生まれた。
ガイとルークは様々な蟠りを乗り越えて、それでも関係を修復した。
「…最近、ルークとティア、何かおかしくない?」
「…ええ、そうですわね」
アニスがぽつりと呟くと、隣を歩くナタリアが同意した。アニスの視線の先にはルークとガイがいる。
ティアはルークの少し後ろに居て、ルークに話かけたそうにしているのだが、その都度ミュウが遮ったりしてしまう。話しかけることに成功しても、ルークはティアとあまり話したくないらしく、無理やり用事を見つけて会話を中断する姿を何度となく仲間達は見かけていた。
今もそうだ。ガイとルークの会話に割って入ったティアに、ルークは二、三、言葉を置くと、ジェイドと話したいことがあるからとジェイドの元に向かってしまう。ティアはその姿を見て、分かり易く傷ついた表情をしていた。
ガイの復讐云々の件があるまでは、ルークとティアは少しばかり恋が含まれた良好な関係を築いているように仲間達の目には映っていたのだが、今ではティアがルークに向ける好意の方が重たくなっていた。対するルークはティアへの好意を無くしたかのように振舞っている。
ガイが二人の関係をどうにか修復させてやろうとアレコレ動いていたが、ルークは関係を修復する気がないらしい。ティアと二人きりの機会が与えられると、途端にアレコレ理由を作って逃げ出す。
パーティメンバーの中で良くも悪くもリーダー的存在のルークが、ティアに対してあれほどまで露骨に忌避する姿は異様だ。
ルークがティアから距離を取る理由が知りたい。
仲間達は、理由を知っていそうなミュウをとっ捕まえることにした。
夜。アルビオールを街の外に停めて、一行は宿屋に泊まることにした。
今の時期は観光客も少なく、宿屋も空き部屋が多いらしく、一人ずつ個室を取ることに成功した。食事を終えて、各自指定された部屋に引っ込む。アニスはルークが泊まっている部屋のドアをノックした。「誰だ?」と声が返ってくる。アニスが自分の名を言うと、ルークが部屋のドアを開けた。
「何か用か?」
「うん。あのねルーク、ミュウをちょっと貸してくんない?」
「ミュウを? 何か用があるのか?」
ルークは不思議そうな目をアニスに向ける。
ミュウはルークの肩で小首を傾げていた。
「うん、ちょーっと」
「ふーん。…ミュウ、行って来いよ」
「はいですの!」
ルークは深く追求することなく、肩に乗ったミュウをアニスに手渡す。アニスはお礼を言って、後で連れてくるからと言って別れた。ルークからミュウを借り受けて、アニスは食堂に戻る。食事時はとうに過ぎたから、食堂は人が捌けて空いている。食堂の隅の一角にある、大きなテーブルを囲みルークを除いた仲間達全員が勢揃いしていた。
「みんな、ミュウ連れて来たよぉ」
「みゅ?」
アニスはテーブルのど真ん中にミュウを置く。そしてティアの隣に座った。ティアの隣にはナタリアが座り、向い側にはノエル、ジェイド、ガイが座っていた。
ミュウは見上げて、大きな眼で、順繰りに仲間達を見ていく。しかしティアを視界に入れた瞬間、全身の毛を逆立てて、すかさず距離を取った。警戒心と敵意を態度で示すミュウに、ティアはショックを受けて顔を俯ける。
先日まではミュウもルークもなんともなかったのに、今では、まるで今までの態度が嘘のように素っ気無く冷たい。ミュウに至っては、これ以上自分にもルークにも近付くなと威嚇するようになってしまった。ルークに好意を抱き、ミュウを可愛がっていたティアは一人と一匹の変貌に心を痛ませた。
ガイの目から見て、ミュウのティアに対する態度は理不尽なものにしか映らない。こらっと軽く叱るがミュウはふいと顔を背けてしまうばかりで、ティアに歩み寄る気はまったく無いようだった。
「も〜、ミュウと言いルークと言い、いったいどうしちゃったの?」
「そのような態度はいけませんわ」
「まったく、何が原因なのか知らないけど、そんな態度を取ることはないだろ?」
アニスはテーブルに顎をついてミュウをじとっと見つめる。ガイとナタリアはティアを気遣ってミュウを叱るが、ミュウは謝る気はなく、それどころか言い返した。
「元はといえばティアさんが悪いですの! だから僕もご主人様も絶対に謝らないですの!」
「おやおや、それは困りましたねえ」
「…大佐〜、そんな軽く言われてもちっとも困ってるように見えませんよぉ」
「心外ですね。困ってますよ?」
「…嘘くさっ」
「アニス、貴方は少し黙ってなさい。…まあ、困ってるのは本当ですよ。リーダー的存在のルークがあからさまにティアを嫌っているので、パーティの輪が乱れて仕方ありません。今はまだパーティ内に支障は出ていませんが、今のままではいずれ、戦闘などに支障を来たすことは明白。早期に問題を解決する必要性があります」
ルークがあからさまにティアを嫌っていると言う件で、ティアはさらに落ち込んだ。ガイが引き攣り笑いで「そ、それは言いすぎなんじゃないか?」とティアのフォローに回ろうとするが、ジェイドはにっこり笑顔で「そうだと良いですね」と返す。ガイは二の句が告げず黙り込んだ。
「と、言うわけで。ミュウ、何故ルークがティアを嫌っているのか、理由をお尋ねしても宜しいでしょうか」
問題を解決するためには、まず、原因を知る必要がある。
訊ねたジェイドにミュウはティアを睨んで、喋り始めた。
「ティアさんが、この間落ち込んでいるご主人様に『自分が欠片も悪意を受けない人間だと思っているのか』と言ったのですの。ご主人様、ガイさんが自分を殺したいほど憎んでいたと知って、すごく苦しんでたのに…」
ガイはハッと息を飲んだ。シンクにカースロットで操られて、一時的に意識不明状態に陥っていた。その時のルークの姿を、ガイは知らない。ルークがどんな思いを抱えて、ガイを許したのか。きっと、酷く苦悩したことだろう。
それまでのルークは、心からガイを信頼して、親友だと思っていてくれたのに。ガイから悪意をもたれていることなんて、想像すらしたことが無かったはずだ。今まで考えたことが無かった親友からの悪意に、真摯に向き合っていたルークにとって、ティアの言葉は心を突き刺したことだろう。
ルークの心情を想像して、ガイの眉間が寄る。ナタリアとアニスもティアが吐いたきつい言葉に絶句して、顔を歪めている。広がった沈黙に、ティアは気まずい思いを味わって身を捩じらせた。
「…ティア、君、そんな酷いことをルークに言ったのか?」
「え? …ええ、たしかに私は言ったわ。でも、欠片も悪意を受けない人間がこの世にいないのは事実でしょう?」
ティアは戸惑いながら、答える。ティアにはルークを傷つけた意識が無かった。悪気が無かったのだから、当然なのかも知れない。
彼女の態度を見ていると、ガイも、アニスも、――仲間達全員が。
駄目だと、感じてしまった。
仲間達は、ティアとルークの拙い恋が育っていこうとしている姿を近くで見守っていた。でも、この恋に育とうとしている想いは実らせてはいけないのだと、全員が思ってしまった。
ここでティアの悪いところを指摘して、改善させることは出来るかも知れない。けれど、ティアはもう十六歳だ。十六年間培ってきた性格を、言動を改善することは容易くない。それに、ティアは一介の軍人として軍に身を置いきながらこの性格と言動で通用してしまったのだ。その経験はティアの中で、『自分は立派な人間だ』と言う先入観を生み出して根付いてしまっている。
そのことに気付いてしまい、何とも言えない苦い感情が一行に過ぎった。
「…ティアさ、『自分が悪意を欠片も受けない人間だと思っているの』」
「…え?」
ティアはアニスを見る。アイスブルーの双眸には困惑が読み取れた。
「…どうしたの? 急に」
「良いから、答えて」
「それは…」
ティアは言いよどむ。
しかしすぐに決然と顔を上げて応えた。
「…思ってないわ」
きっと自分はどこかで誰かの悪意を受けているだろう、とティアは応える。
その姿は立派としか評せない。
だからこそ、駄目だ。
「…………そっか。じゃあ、ダメだね」
「え?」
ルークが、飲み込まれてしまうほどに、ティアは様々な意味で苛烈すぎる。
ティアの性格と言動は立派過ぎて、ルークの劣等感を否応なく刺激して、傷つけてしまう。
「…あいつは、今まで君のように思ったことは一度も無かったんだよ」
「ガイ? …何が言いたいの?」
「いや…。君とルークは、あまりにも違うなと思って」
「? 当たり前でしょう? 違う人間だもの」
何を当然のことを、とティアは目を丸くする。ガイは苦々しく笑った。
ティアなら姉さん女房のように、ルークを支えてくれる女性になると思っていた。けれど、今のガイはもうそんなことを思えない。
「ティアは、立派ですわね」
「ナタリア? どうしたの?」
「誰もが、貴方のように立派に生きられるわけではありませんのよ。貴方はいつそのことに気付くのでしょうね」
「ナタリア? …本当にどうしちゃったの? 大佐…」
次々とかけられた三人の言葉に困惑するティアは、ジェイドに助けを求めた。
ジェイドはティアをじっと見つめ、浅く溜息を吐き出した。
「…ティア、ルークは深く傷ついたと思いますよ」
「え?」
「『自分が悪意を欠片も受けない人間だと思っているか』なんて言われて、傷つかないはずがないでしょう。誰もが皆、貴方のように思えるわけがない。ルークはガイを信頼して、親友だと思っていた。親友から憎まれていることを知り苦悩しているときに、そんな言葉をかけられたルークの心情はどれほど傷ついてしまったのか」
「それは………わ、私、ルークを…?」
ティアは傷つけてしまったのかしら、と呟いた。表情が曇りだす。
今さらなことだと、ジェイドは胸中で呟く。
「で、でも、私、そんなつもりはなくて。ただ、誰もが皆、何かしら他人から悪意を受けて生きていて、悲しむことなんて無いのよって言いたくて…。それでもガイはルークを迎えに来てくれたんじゃないって…」
もしそう言っていたとしても、ルークが傷つくことには変わりないだろう。悪意云々のことを抜きにして、悩んでいたルークに「それでもガイは貴方を迎えに来てくれたのよ」と言っていれば、ルークの心も晴れていたかも知れない。
しかし、それは仮定の話でしかなく。現実にはティアはルークを傷つけてしまっている。
「…今のルークは決して無知ではありません。誰かから自分が悪意を受けていることも身をもって理解しているでしょう。アクゼリュス崩壊を機会に、私達は罪を犯したルークに何かしら悪意をぶつけていたのですから」
特にアニスは酷かった。目覚めたルークに対して「ずっと寝ていればよかったのに」と刺々しく告げていた。これを悪意と言わずに、なんて形容するのか――いろいろあったとしても、ぴったりと当てはまる言葉は矢張り”悪意”だろう。
「貴方が告げた言葉は、ルークの心をより傷つける言葉でしかなかった」
「………ルークに、謝ってきます」
ティアはそう言って立ち上がる。意気消沈とした足取りでふらふらと食堂を出て行く。
ミュウはティアの背中をじっと睨んでいた。
「…どう思う?」
「ルークは、謝ったら許してくれるさ。でも……」
「これまで通りとはいきませんわね」
「ティアはともかく、ルークの心にしこり残っちゃうだろうし。そんなこと何回も繰り返したら、ルーク、精神的に疲れちゃうよ」
アニスが溜息混じりに吐き出して、人差し指でミュウを突いた。ミュウは「みゅっ!?」と驚いた声をあげながら、テーブルの上をころんと転がって、起き上がるとすぐさまティアが出て行った食堂の出入り口を睨むように見る。ご主人様想いの獣は、ティアを許す気は毛頭ないらしい。
ティアからルークに向ける感情は、出来の悪い弟を見守るような姉から、恋愛感情にシフトしつつある。
その点、ルークがティアに向ける感情は今は憧憬感情に近い。憧れと言った感情は、現実に直面すれば、壊れてしまうのが大半だ。
今回の一件で、ティアを憧憬の眼差しで見ていたルークは、彼女が悪意なく人を傷つける姿を見せたことに幻滅しただろう。
だからこそ、ルークはティアから距離を置いた。
その行動が示す意味は――つまり。
「…終わっちゃったね」
END.
「あなた、自分が欠片も悪意を受けない人間だと思っているの?」は小説版のTOAのティアの言動から拝借。
もしかしたらゲームでも告げているかも知れませんが、細部は覚えていません。
2011.01.04
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