――グランコクマ宮殿に隣接されたマルクト国軍本部。
ジェイドに宛がわれた仕事部屋に、ノックひとつろくにしない無作法な輩がドアを開いた。
「ジェイド、ルークが政略結婚させられそうなんだ! 協力してくれ!」
「お断りします」
ジェイドは書面から顔も上げずにバッサリと申し出を切り捨てた。
執務机に積まれた書類の山をどうにか攻略しなければならないのに、そんなことをしている暇など無い。ジェイドには大佐と言う地位に見合う仕事はいくらでもある。ガイのようにブウサギ係だけしていれば良いというものではないのだ。――ペンを動かして、また一枚仕事を片付ける。
執務机から顔を上げようとしないジェイドの態度が、ガイには冷徹なものに感じられて、不快に顔を染める。許可もなく入室したガイはそのままズカズカとジェイドの元まで歩み寄り、何とかジェイドの協力を得られないものかと言葉を尽くした。
「旦那、忙しいのはわかるが、ルークの一大事なんだぞ。助けてやろうとは思わないのか? ルークにはティアがいるんだ。ふたりは思いあってるんだぞ。両思いなのに結ばれることが出来ないなんて、そんなのおかしいだろう。ティアだって貴族なんだし、ルークと結婚することは可能なはずだ」
「……」
「ジェイド、協力してくれ。頼むっ、この通りだ!」
パンっと両手を合わせて、お願いポーズをとられる。
ジェイドは無視しようと思ったのだが、執務机の横で、そんな格好を取られてはどうしても視界に入る。ガイを無視することは出来そうになかった。ジェイドが忙しいことは見てわかるが、ガイとしてはどうしてもジェイドを味方につけたかった。
「…はぁ…」
「協力してくれるのか!?」
「…早とちりしないで下さい。今の溜息は了承ではありません。ガイ、私が忙しいのは見てお分かり頂けていると思うのですが?」
「それはわかってるさ! けどな、今、俺たちがルークの政略結婚を止めてやらなけりゃ誰があいつを救えるって言うんだ。ルークは、本当は政略結婚なんてしたくないはずなんだ。…ティアが好きだから。でも、そんなこと卑屈なルークは言い出せなく、」
「ガイ、妄想はそれまでにして頂けませんか。貴方はルークではないでしょう。ルークの心情を想像するのは貴方の勝手ですが、ルークから政略結婚したくないと実際に聞いたわけでもないのに、それをさもルークの心情のように話すのは間違いです」
「間違いって…」
ガイはむっと顔を顰める。ルークの一番の理解者は自分だと思っているガイにとって、ジェイドの言葉は酷く怒りを誘うものだった。
ガイの声の調子が変わったことで、彼の機嫌を損ねたことにジェイドは気付く。しかし、ジェイドはそれでも書類から顔を上げようとしなかった。
「ルークはティアを想っているんだぞ!?」
「そうだとあなた方の都合は良かったんでしょうけどねえ。私にはルークがティアを好きだとは想えないので、あなた方の協力には乗れません」
「あんた、旅の最中ルークとティアの仲を応援してたじゃないか!」
「面白がってはいましたが、応援はしてません。ティアがルークに好意を寄せているのはあからさまにわかりましたが」
「でもルークの日記にはあいつがティアを、」
「――ガイ、貴方はルークの日記を読んだのですか?」
「っ!」
ジェイドはようやく顔を上げて、ガイを冷たい眼で睨むように見る。
ガイはばつの悪い表情をしていた。どうやらガイはルークの日記を読んだようだった。
「…他人の日記を読んで楽しかったですか?」
「いや、俺はルークがどう思ってたのか知りたくて、だから、」
「だからと言って他人の日記を読むことを許されて良いわけないでしょう。貴方はルークを何だと思っているんですか? ルークは貴方の所有物ではありませんよ」
「所有物なんて思ってないさ! でも、俺はルークの育て親で、」
「育て親、親友なんて言葉は他人のプライバシーを侵す免罪符になりません。貴方とルークは実際には赤の他人であり、親兄弟でもない以上、貴方とルークの関係上はせいぜいが友人でしかない。貴方が行った行為はまぎれもなくプライバシーの侵害ですよ」
「……それは悪かったと思ってるさ。けど、あいつの日記を読めば、ルークがティアを想っているのは間違いないんだ!」
「だから何だと言うんです。あれから3年も経過しているんですよ? ルークの心情が変わっても不思議ではない。それを貴方は忘れているようですね。それに…今の私だから言えることですが…あのとき私はティアとルークが昔ながらの知己のように見えていたからこそ、ルークとティアの仲を微笑ましく見ることが出来ますが、彼女、犯罪者だったそうじゃないですか。譜歌を使って、使用人を眠らせ、ファブレ公爵邸を襲撃したそうですね。エルドラントから戻ってきて、ピオニー陛下からその話を聞いたときは驚きましたよ。貴方はルークとティアが被害者と加害者であることを知りながら、よくもルークがティアを想っていると思えますね。――ああ、ルークの日記を読んだから、余計にそう思えるのかも知れませんね」
ジェイドは一拍間を置くことで、自身の言葉の理解をガイに促した。ジェイドの言葉を噛み砕いて理解したガイは少しずつ顔色を悪くさせた。しかし、それでもなおティアとルークが想いあっているのだと弁護しようとする。
「だけど、あいつの日記には」
「精神医学用語のひとつに、ストックホルム症候群というものがあります。被害者が加害者に対して、必要以上の同情や連帯感、好意など好感情をもってしまうことをそう呼ぶのですが。それを知ってもなお、貴方はルークがティアを想っていると思えますか?」
「――――」
ガイはジェイドの言っている意味がわからなかった。
「ルークがティアを想っている可能性は否定しません。――ですが。ガイ、貴方はティアと共に”ストックホルム症候群”と”リマ症候群”という症状を調べてみたらどうですか? もしかしたら、違うものが見えるかも知れません」
どういう意味か尋ねることが怖くて、ガイは「あ、ああ」と小さく頷いた。
これ以上ジェイドの話を聞くと、ティアだけでなく、自分にとっても恐ろしい答えが導き出される気がした。ガイは仕事の邪魔したことだけを詫びて、よろよろと部屋を出た。扉越しに消えて行ったガイの背中を見送ったジェイドは溜息を吐く。
そして席を立ち、――ピオニー陛下にガイが暴走寸前であることを告げに行った。
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