太陽も沈み、星が爛々と輝く夜――バチカル城を追い出されたティアたちは、そのままファブレ公爵家に訪れた。
アポイント無しで来訪したため、彼女たちは当然のように、門前を守る白光騎士団兵士によって足止めされた。
ルークに逢わせるよう要求する彼女らを、職務に忠実な兵士は素気無く追い返そうとする。
邸の外で行われている騒ぎに気が付いたファブレ家に仕えるメイドの一人が、ひょっこりとドアから顔を覗かせた。メイドの視界に映るのは、鉄製の柵で出来た門越しに見えた、見覚えのある無数の人影。彼女は顔を顰めて、ドアを閉める。
メイドは執事長ラムダスの許まで走り、白光騎士団兵士を押しのけてでも入ろうとしている招かざる来訪者の存在を告げた。
ラムダスはメイドの話を聞くなり、邸の主の許へ向かった。
「…え? ガイたちが?」
「まあ…」
ファブレ夫妻の寝室。ベッドに伏せているシュザンヌと、傍に置いた椅子に腰を下ろしていたルークは、執事長から話を聞くなり同時に呆れたような顔をした。
人の家の外で何を騒ぎを起こしているのかと、ルークは溜息を吐いた。
「…応接室に通せ」
「宜しいのですか?」
「無理やり入って来られても困る」
「…畏まりました」
ルークの命令を受けたラムダスは一礼して去っていく。
「すみません、母上。ガイたちがお騒がせして」
「いいのですよ、ルーク。それより、母も後ほど応接室に向かいます」
「え? ですが、母上の体調は…」
「大丈夫ですよ。それに、あと1時間もすればミリア姫も訪れるでしょう。夕食会に備えて、そろそろ支度をしなくては」
女性の支度は時間が掛かるものなのだと告げたシュザンヌにルークは相槌を打った。
今夜の夕食には、ミリアを招いていた。王城の料理と比べると些か見劣りしてしまうだろうが、ファブレ公爵家が抱える料理人も素晴らしい腕前を持つ。王女も食すと聞かされた料理長はいつにも増して気合が入っていたそうだ、きっと舌が蕩けるような美味しい料理を作ってくれることだろう。ミリアが来る約束の時間前に、さっさとガイたちを帰らせたほうが良い。ガイたちを夕食会に招いても良いのだが、すでに夕食の時間は迫っている。今から料理を増やしてくれるよう料理長に無理難題を言うことはできなかった。
シュザンヌを置いて、ルークはファブレ夫妻の寝室を後にする。今夜の夕食会に思いを馳せながら、彼は応接室に向かった。
応接室の扉が、白光騎士団兵士の一人によって開かれる。
今か今かと待ち構えていたガイたちは一斉に視線を開かれた扉に向けた。子爵位を拝命したときのように、ルークはきちんと身なりを整えていた。1時間後に迫る、ミリア姫との夕食のためだ。
王子様と称して良い格好をしているルークにティアは見惚れ、アニスは「ふわ〜」と間抜けな声をあげた。ガイは、ルークが身なりをきちんと整えていることに驚きながらも、見惚れるようなことはさすがにしなかった。
「よ、久しぶりだな、ルーク。元気そうで何よりだ」
「ああ、久しぶり。ガイたちも元気そうだな」
ルークが正面の席に着くわずかな間も待ちきれずに、ガイは早速本題に入った。
「早速で悪いんだが…ルーク、お前ミリア姫と結婚するって本当なのか!?」
「は? …ああ、本当だよ。祝いに来てくれたのか?」
ルークは笑いながら言った。
ミリア姫との結婚を肯定したルークにショックを受けているティアに気付くこともなく。
「祝いって…何言ってるんだ、お前!」
ガイはテーブルを叩きながら立ち上がり、身を前に乗り出して正面の席に座るルークを睨みつけた。
睨まれた理由がわからないルークは目を丸くさせた。
「なに、いきなり怒ってんだよ」
「怒るに決まってるだろう! ルーク、お前、ティアのこと好きだったんじゃないのか!?」
ガイは責める口調で怒号を飛ばす。
たとえば、かつての旅路でガイが同じことを尋ねていたら。――おそらく、ルークは顔を赤く染めた。
しかし、今のルークは顔を赤く染めることもなく、不思議そうな顔をするだけだった。
「そう言えば、そうだったか?」
その言葉は、ルークの中でティアを想っていたことは過去の出来事に変化している証拠であった。
ティアは真っ青な顔色で、食い入るようにルークを見つめていた。
「な、なに言ってるんだ、お前! お前、ティアのこと好きだっただろう!?」
「そう言われてみれば、そうだったような気がするけど…悪い、あの時のことは記憶にあるんだけど、いまいち感情が追いついてなくて」
「え? ど、どういうことだ?」
「ヴァン師匠を倒すまでの一連の記憶はあるんだ。でも、その旅路で何を思ったのかとかどういう風に感じたのかとか、ところどころ抜けていて…。正直なこと言うと、ガイが今言った、俺がティアのこと好きだったってヤツ、信じられないんだよ」
「え!?」
「ティアのこと、好きになれる理由がないって言うか……たしかに美人だと思うけど、それくらいで好きになるくらい、ティアのこと良い印象持ってたわけじゃないしな…。俺、本当にティアのこと、好きだったのか?」
ルークは、ガイが言う”自分はティアが好きだった”と言う感情を思い出そうとする。しかし、いくら心の中を探してみても、ティアを好きだという感情は見つからなかった。それどころか、ティアに抱く感情は、好意という暖かい気持ちとはまったく反対のような感覚がした。
ルークはティアを見つめる。見つめられたティアは青褪めた顔色を、少しずつ温かみを取り戻していく。
――ティア・グランツとの出会いは、最悪なものであった。大好きな師との稽古中、突如として響き渡ったユリアの譜歌。この世で最も強いと当時思っていた師が、幼馴染が、庭師が苦痛に唸る。譜歌を歌いながら現れたティアはナイフを振り回し、師を襲う。全身に纏わりつく気だるさを振り切り、木刀で彼女を追い払おうとしたルークとティアとの間に擬似超振動が発生し――。
『ヴァンデスデルカ…覚悟!』
『個人の事情よ。それに…聞いていったいどうするつもり?』
『あなた、何も知らないようだから』
『話しても理解できるとは思えないわ』
『詠唱中は守って!』
『調子に乗らないで』
『ご苦労様』
『ここは戦場なのよ』
『お人形さんなのね』
『私はいつでもあなたを見限ることが出来るわ』
『落ち込んでる暇はないわ。悲しんでいても、何も始まらないのよ』
『ごめんなさい。私、まだ迷ってた。兄さんと戦うこと…。兄さんを説得できないか、ずっと考えてた。…でも、もう迷わないわ。私は、私は最後まで兄さんと戦う』
これまでのティアの言動と行動を思い出したルークは苦々しく呟く。
「…なあ、俺、本当にティアのこと好きだったのか?」
ガイとアニスは絶句し、ティアは再び顔色を無くして、華奢な身体を震わせた。
ルークの表情は”自分がティアを好いていた”と証言するガイたちの気持ちを裏切るように、苦く歪んでいた。その表情を言葉で表すなら――嫌悪、というのが相応しいのだろう。
ガイは困惑した。ルークの日記には、たしかにルークがティアを好いているようなことが下手糞な文字で書かれていた。それなのに、どうしてルークがこんな表情をするのか、理由がまったくわからなかった。何を言えば良いのかわからなくなり一行が言葉を探しあぐねていると、シュザンヌが遅れて現れた。
ルークの隣の椅子に腰掛けたシュザンヌはガイたちと簡単な挨拶を交わすと、彼女らが来訪した理由を尋ねた。ミリア姫との婚約の件で、と口ごもりながらガイは告げると、シュザンヌは喜んだ。シュザンヌは、ガイたちがルークとミリア姫の婚約を祝いに来てくれたものだと思ったのだ。それにしては、ガイたちは浮かない表情で何かを言いたそうにしている。シュザンヌは自分が思い違いをしていることに気づき、顔から笑みを消した。ガイたちにはルークに話せない何かがある――シュザンヌはそれとなく、ルークに席を外すよう促すことにした。
「ルーク、髪が崩れていますよ。ミリア姫が訪れる前に直してきたらどうかしら」
「え? …げ、またかよ。はぁ…直してきます。ごめん、皆。ちょっと席外させてもらう」
「あ、ああ…急がなくていいぞ」
席を立つルークを、一行は笑顔で見送る。
扉越しに消えたルークの背中、毛長の絨毯に吸い込まれる足音。応接室からルークの気配が遠のいたのを見計らい、ガイは怪訝な面持ちで口早に尋ねた。
「奥様、ルークのヤツ、なんか変じゃないですか?」
使用人であったときの癖が抜けず、ガイはシュザンヌのことを奥様と呼んだ。
シュザンヌは「そうかしら」と穏やかに微笑みながら、小首を傾げてみせる。
「そうですよ! いったいどうしちまったんだ…、ルークのヤツ…。あの頃はあんなにティアのことを想ってたのに…」
先刻のルークの表情はティアへの好意を裏切るものだった。
すっかりと落ち込んでしまったティアは顔を俯かせ、アニスはそんなティアを慰める。
「奥様、ルークの婚約の件、止めてもらえませんか? ルークは本当はティアのことが好きなはずなんです。今のあいつは、なにかおかしい。あいつが正気に戻ったとき、ティア以外の女性と結婚していたら、きっと…苦しむと思うんです。だから、ルークに早まった真似させないでください!」
「……まあ、ガイはルークのことを思ってくれているのね」
「…俺は、あいつの親友ですから」
シュザンヌの理解を得られたと思い、ガイは自分がルークの親友であることを主張した。
まるで、ルークのことを一番思い、ルークの心情を一番理解しているのは、自分であると言うように。
「そう。…ガイ、貴方はルークのことを思ってくれていても、あの子の心情は理解出来てないようですね」
「!?」
自分が一番ルークを理解している。そう思っていたガイにとって、シュザンヌの言葉は聞き捨てならなかった。
どういう意味だと問う前に、シュザンヌは穏やかな微笑を崩さぬまま、控えめに紅が塗られた唇で、言葉を発した。
「どうしてルークがティアさんを想っていると思えるのかしら。あの子に害しか与えなかった女性を、わたくしの息子が好意を抱くわけがありませんのに」
美しい笑みを浮かべた貴婦人が発した毒を孕んだ言葉に、一行は目を見開く。
唖然として、ガイたちは言葉を脳の片隅に置き忘れた。
「ガイ、あなたには失望しました。今後、必要以上にあの子と接触しないで頂戴。あなたがいくらルークのことを思ってくれても、ルークの心情を理解しようとしないのなら、あなたはあの子を傷つける。わたくしは母として我が子が傷つく姿を見過ごすわけにはゆきません」
ハッと彼女らが我を取り戻したときには、シュザンヌは乾いた口を潤すために紅茶を飲んでいた。
「そんな、俺はあいつのことを!」
「あの子のことを思っているのなら、あの子を傷つけたティアさんを想っているなどと、口が裂けても言えないでしょうに。――ガイ、あなたは忘れているようですが、ティアさんは公爵家を襲撃し、ルークを無理やり外に連れ出した、加害者ですよ。被害者であるあの子が、どうして加害者に好意を抱くと思えるのです」
「っ」
ガイは口ごもった。ティアは青褪めた。ふたりにとってはとうの昔に時効になっていた、公爵家襲撃事件。
その話を今さら持ち出されるとは、まったく想像していなかった。
ティアなどは許しを得たと思い込んでいたから余計だ。
「…いや、でもティアは謝罪しましたし」
「だから何だと言うのです。謝罪しただけで許されるほど、ティアさんの罪は軽いわけではございません。それに贖罪もしていないでしょう。よもや、あの子を邸に送っただけで、ティアさんの罪が帳消しになると思っていたのですか? …あの子には贖罪をさせたというのに」
シュザンヌに冷たい眼差しを向けられたティアは硬直した。
ティアは、ルークを邸に送り、謝罪をしたことで、自身の罪を帳消しにしたつもりだった。――いや、彼女は自身が罪を犯した自覚など、最初から持ち合わせていなかった。
ヴァンを殺害するために押し入ったのがたまたまファブレ公爵家だった。警備兵を眠らせたのは、白光騎士団兵士を私情に巻き込まないため。その程度の認識しか持ち合わせていないティアだからこそ、ルークに害を成した自覚がなかった。彼女は”ルークを巻き込んでしまった”ことに罪悪感は抱いても、それ以上の気持ちは抱かなかった。自分が贖罪を必要とする、犯罪行為を犯していたと聞かされて、ティアは戸惑う。ティアが犯罪者だと思っていなかったガイも同様だった。アニスはひとり蚊帳の外にいた。アニスはティアがかつてルークに対して犯罪行為をしていたことを知らなかった。
「…本当は言わずにおこうと思ったのだけれど…。わたくしはあの頃のルークがティアさんを想っていたのは、ストックホルム症候群だと確信しています」
ストックホルム症候群とは、一時的に犯人と被害者が場所やおなじ時間を共有することによって、犯人に対して被害者が同情や好感情を抱く状態を指す。犯人と共にいることが被害者の心に大きな負担を生み出し、恐怖で支配された状況下で自身の生存率を高くするために生まれる被害者の心理的反応をストックホルム症候群と言うのだ。
犯人に対して嫌悪で対応するよりも、協力や好意で対応するほうが生存確率が高くなるため、被害者は犯人に好意を抱いているものだと錯覚してしまう。犯人と接する機会が多かった被害者の自己防衛本能が働くことによって、発症されるストックホルム症候群は自己欺瞞的心理操作(セルフ・マインドコントロール)であるため、通常は犯人から開放されれば被害者は犯人に対して好意をなくす。
ルークがティアたちから別れて3年の月日が流れた。帰還したルークは、ティアの支配下から開放されていたおかげで、ティアへの愛情をすっかりと無くしていたのだ。
シュザンヌからストックホルム症候群の説明を聞いたガイは脳を揺さぶられるほどの衝撃を受けた。
ここにきてガイはキムラスカに訪れる前にジェイドが告げてくれた言葉が、ガイやティアたちに向けた忠告であったことを理解した。
全身に嫌な予感が走る。ガイは当人すら知らぬ間に冷や汗を流していた。額から流れ落ちた汗は頬から顎に伝い、ついには膝の上で握っていた拳の上に落ちた。
ルークから自分への愛情が錯覚だと知らされたティアは愕然として、血の気を失う。ティアを慰めていたアニスは、そっと彼女から離れた。
今の今までティアがルークに犯罪行為をしていたことを知らなかったアニスは、あの頃のティアとルークの関係性を思い出して、顔を歪める。シュザンヌが告げたストックホルム症候群を否定する材料をアニスは持ち合わせていなかった。
思い起こせば、あの頃のルークとティアの関係性は酷く歪だった。ティアがお姉さんぶってルークのことを説教した光景が当たり前のように一行には見えていたが、ティアの犯罪行為を知ってしまえば、恐怖を誘う光景でしかない。彼女はルークに厳しく当たっていた。アニスはその光景を当然として受け入れていた。ルークが我侭であることを理由に、説教されるのはルークが悪いのだと、思い込んでいた。
しかし、ルークがストックホルム症候群にかかっていたとしたら。
ティアが厳しく当たるたびに、ルークの精神は恐怖ですり減らされていただろう。ルークにとってティアは犯罪者、彼女の思うとおりに動かなければ命の危険性があった。
アニスはアクゼリュスの一件を思い出す。あのとき、ティアはルークと共にユリアシティに残った。アニスたちがいない間に、ティアはいったいどんな言葉でルークの精神を追い詰め――殺したのだろう。
犯罪者が犯罪を犯した自覚もないまま、被害者を追い詰めていく。その光景を脳裏で想像してしまったアニスは、ティアに恐怖と嫌悪を覚えた。
それでもアニスはティアを見放すことが出来ず――何しろティアはルークのことを失くせば、鬱陶しいところもあるが、良い仲間なのだ。それに、ティアはアニスの罪を受け止めてくれた。自分の罪を受け入れてくれた人の罪を知って、相手を切り捨てられるほど、アニスは情の無い人間ではなかった――そのことがアニスを破滅に導くこととなる。
「皆さんは、リマ症候群をご存知かしら。ストックホルム症候群とは正反対で、『加害者が被害者に感化されて、被害者に対する態度が和らぐこと』を言うのですが…ご存知なかったようですね」
ルークがストックホルム症候群にかかっているのなら、ティアはリマ症候群にかかっていると言っても良い。
リマ症候群とは簡単に説明すると、加害者が被害者に感化されて被害者に対する態度を和らがせることだ。被害者に感化された加害者は、被害者に親近感を覚えたりする。一般的には、加害者と、被害者の間に、文化的的な差、経済差があった場合に加害者が被害者の環境や文化に興味を覚えることによって、リマ症候群が発症すると言われている。この場合、被害者の多くがストックホルム症候群になりかけていることから、生存本能を上げる為に加害者に対してやさしい態度を取り、そのことがまた加害者から被害者に対する態度が和らぐということだ。
加害者がリマ症候群を発症すれば、被害者の命の危険性はぐっと減る。ストックホルム症候群から開放された被害者は加害者に対して憎悪や嫌悪を覚えたりするが、リマ症候群に陥った加害者は被害者に対して親近感を覚えたままだという。
「わたくしは、あの子からティアさんへの好意も、ティアさんからルークへの好意も、健全だとは思いません。いずれ破綻する確率が高い関係を、どうしてルークの母親であるわたくしが推奨できるでしょう」
シュザンヌは、ガイ、アニス、ティアの順で彼女らをぐるりと見回した。
全員が複雑な面持ちをしていたが、そこに納得した様子は見えない。シュザンヌは口から突いて出そうになった溜息を押し殺す。
「…これでもまだ、あなた方は納得していただけないようね」
ガイたちは納得がいかないと口を結んだ。けれどここで引き下がることは出来ないと口を開こうとして、出鼻を挫かれた。
コンコン。軽やかなノック音が落ちる。その後に続いたラムダスの声はひとりの来訪者を告げた。
「マルクト皇帝陛下勅命により、ジェイド・カーティス大佐がお越しです」
「「「!」」」
「まあ…」
シュザンヌは口に手を当てた。ガイたちは喜びに顔を綻ばせた。ジェイドが現れた。しかも、マルクト皇帝陛下の名を引っさげて。ティアの味方をしに現れたのだろう。
ジェイドがガイたちと共に同行しなかったのは、ピオニー陛下を味方につけるためだったのだ――都合の良い解釈をして、それがさも事実のように彼らは受け止めた。
「通してくださいな」
「はっ! …どうぞ」
ドアが開け放たれる。叩頭するラムダスの横をすり抜け、軍服姿のジェイドが現れた。応接室に入室した彼は、まず先触れなく来訪した非礼を詫びた。
シュザンヌは顔を穏やかにして、ラムダスにお茶を命じる。公爵夫人はマルクト皇帝陛下勅命で現れたジェイドを持て成そうとしたが、ジェイドは用事を済ませたらすぐにお暇するからと、せっかくのお茶を断った。
「大佐! ティアを応援しに来てくれたんですよね?」
「良かった、旦那が味方になってくれるなら百人力だ」
「大佐…お忙しい中、ありがとうございます」
アニス、ガイ、ティアはジェイドの応援を確信して、それぞれが歓迎した。ジェイドはニッコリと笑った。
「まさか。あなた方の応援も味方もするわけないでしょう」
「えっ?」
「あなた方の迎えに来たんですよ、私は。さあ、いつまでも駄々を捏ねてないで、サッサと帰りますよ」
「だ、駄々って…迎えって…」
「話は後にしてくれませんか。私も暇ではないのですよ」
ファブレ公爵家で騒ぎを起こしてはまずい。ジェイドはそう思って、退去を促す。ジェイドの言動に不穏の色を感じ取ったガイたちはざわめき立つものの、席を立とうとしない。
彼女らの態度に、苛立ちを覚えたジェイドは溜息を吐き出しそうになるものの、グッと喉奥で堪えて、努めて平静な顔をした。
「アポイント無しに訪れて長居することを許される間柄ではないでしょう、あなた方とファブレ公爵家は。非常識な振る舞いを続けて、自身の恥を晒す前に、素直に帰ったほうがあなた方のためだと思いますが?」
ルークと自分達の関係性を言い訳につかおうとするものの、ジェイドの視線の冷たさに気圧されて言葉を飲み込む。ガイたちは一様に黙り込み、顔を見合わせると、しぶしぶイスから立ち上がった。ジェイドは内心安堵した。
シュザンヌに向き合って、ジェイドは深々と頭を下げる。
「我が国の伯爵と男爵がこのような無礼な振る舞いを行い、大変失礼致しました。このお詫びは後程ピオニー皇帝陛下より、必ず」
ガイは、マルクト帝国伯爵だ。ガイ・セシルを捨てた彼はすでに、ガイラルディア・ガラン・ガルディオスに名を改めている。
それは即ち、伯爵位を賜った以上、ガイの背後にはマルクト帝国伯爵という肩書きがついて回るということだ。
伯爵位を取り戻すことによって付随する責任を真に理解しないガイは、ジェイドが――マルクト皇帝陛下の勅命により訪れた使者に頭を下げさせたことについて「大袈裟だな」と苦笑するだけだった。
ティアだとてそうだ。ルークと結婚するためにガルディオス家を通じて、メシティアリカ・アウラ・フェンデ男爵に名を改めているというのに。マルクトに迷惑をかけていることについて愚鈍に気付かず、眉根を寄せてチラチラとシュザンヌを見て引き止められるのを待っていた。
自身の振る舞いの所為で、マルクト皇帝陛下がキムラスカの公爵家に貸しを作ったというのに。
ピオニー陛下の温情を理解しないガルディオス伯爵とフェンデ男爵に、ジェイドは苦々しい心中に包まれた。
シュザンヌはゆるりと微笑む。
「あらあら…ピオニー陛下も大変ですね」
お気になさらず、とはシュザンヌは言わなかった。
格下の貴族に舐められて許すほどファブレ公爵家は甘くない。そしてピオニーに借りを作らせたことは、シュザンヌなりの優しさでもあった。
借りをきちんと返せば、伯爵と男爵の無礼な振る舞いは水に流す。
シュザンヌは言葉少なくそう言ってみせた。タダより高いものはないとはよく言ったもので、ここでお気になさらずと言ってしまえば、恩を着せることになり、後々火種になる可能性がある。
この件でチクチクとマルクト皇帝を虐めてみるのも一興だが、寛容な態度で謝罪を受け入れてマルクト皇帝に恩を売った方が後々ファブレやキムラスカのためになる。一瞬で判断したシュザンヌは、本心を笑みに隠してしまう。
権謀術数の世界に身を置いたことがないジェイドには、シュザンヌの表面だけの言葉を受け取ることしか出来ない。
シュザンヌの思惑に気付かずに一安心したジェイドは、シュザンヌに騒がせた詫びを告げて、ガイたちを連れて応接室を後にした。
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