格好を整えたルークは自室を出て再び応接室へ向かう。
毛長の赤絨毯が敷かれた廊下を歩いていると、バッタリとアッシュに出くわした。
「あ、アッシュ」
「…お前か」
アッシュは眠そうな顔でふらふら歩いていた。大方徹夜でもしたのだろう。ファブレ公爵家に帰宅してからというものの、アッシュは自らが犯した罪を反省し、罪を償うために自分が出来る精一杯のことをこなそうと必死になっている。
近いうち、コーラル城付近一帯の領地を治める領主となることが決まっているため、勉学に熱をあげていたのだろう。領主とは言ったものの、コーラル城付近一帯は領地というものは名ばかりの荒地である。
実情は流刑のようなものだが、アッシュはそのことをファブレ公爵から遠回しに告げられても落ち込むことなく、それどころか、それならコーラル城付近一帯を開拓してみせるまでだと意気込む様子を見せた。
罪人とは言え、アッシュの身に流れるその血は、希少なキムラスカ王族の蒼き血を受け継いでいる。彼は妻を娶り、子を成すことを義務付けられていた。
アッシュ自身は王籍から抹消された身だが、アッシュの子に彼の罪は適用されず、子供には王籍が与えられる。
ゆくゆく、アッシュの子供はファブレ公爵家の跡継ぎとして迎え入れられることだろう。
ルークとシュザンヌと違って、アッシュは正装ではない。
当然だった。アッシュは本来ならば罪人の身。ミリア王女が居る夕食会には参席できず、ファブレ公爵夫妻とルークがミリア王女と夕食を行う間、アッシュは一人部屋で寂しく食事を摂る手筈になっている。
もともと彼がファブレ公爵家に居られるのは、一重にファブレ公爵家に与えられたキムラスカ国王の温情だ。短い間でも、家族として過ごせるように国王陛下は取り計らってくれた。故にほんのわずか、許された時間だけ、ファブレ公爵夫妻とルークとアッシュは家族として過ごしていた。
だから、アッシュは自分一人だけ家族とは違う場所で食事を摂ることに複雑な気持ちを覚えても、飲み込む。それが自分が犯した罪の代償なのだと。
それに、もともと一人で食事を摂ることは慣れている。ルークの名前を失っていた七年間、ずっと独りだった。今さらなことだ。
アッシュはルークの正装姿を視界に止めて、何気ない素振りで視線を逸らす。ルークは曇った表情をした。アッシュはそのことに気付いていたが、慰めるような真似はせず、話題を変えた。
「俺はこれから一眠りする。起こすなよ」
「…起こさねぇって」
「ぎゃあぎゃあうるせぇんだよ」
「うるさい?」
「応接間。無作法な連中が来てるようだな、うるせえ」
「ああ…」
ガイたちのことか――ルークは納得して苦笑した。
応接間の厚いドアを隔ててもなお、ガイたちの声は遠巻きに聞こえている。ふと、ルークとアッシュは彼らの声が近くなっていることに気付く。
応接間を出たらしい。玄関を通じて応接間に戻ろうとしていたルークはバッタリと、ガイたちにかち合った。
「ルーク! それにアッシュ!」
ガイたちは顔を輝かせる。先頭に立つジェイドは久しぶりに会うルークの元気そうな姿を見て表情を和らがせる、と、同時にタイミングの悪さに舌打ちしたくなった。これ以上の迷惑をかける前に退散するつもりだったのだが、どうも運の巡り会わせが悪い。アッシュは顔を顰めた。
「……何でここに居る」
「ルークがミリア王女と婚約するっていうから、駆けつけてきたんだよ」
「……それで、どうしてテメェらが来る必要がある。結婚式に来るならともかく、個人の婚約事情に口出すばかりか、抗議する権利なんてテメェらには無いだろう」
もっともなことを告げるアッシュにジェイドは小さく相槌を打つ。ルークは言葉遣いが乱れているアッシュに「アッシュ、テメェって言ってるぞ」とツッコミを入れた。アッシュは途端に渋面になった。
「どうしてって…おいおい、お前まで忘れちまったのかよ。ルークが本当に好きなのは…」
ガイはルークに一瞬視線を向ける。アッシュに近付くと、小さな声で言った。
「ティアだろ。だから俺たちは、ルークとティアの恋を成就させてやろうとして此処に来たんだよ。ルークが誤った道を進まないようにな」
ルークの友人面してガイはのたまった。アッシュは不思議なものを見るような眼でガイを見やる。そして傍に居たルークを見た。
「おい、ルーク。お前、ヴァンの妹が好きなのか」
ルークは目を丸くした後、口を開いたものの、言い淀む。
「え? ……仲間としては…、でもなあ…」
「だとよ。テメ…お前ら、よくそんな勘違いできるな。勘違いするのはお前らの勝手だが、変な妄想に他人を巻き込むな。迷惑だ」
アッシュはきっぱりと迷いない口調で言った。ティアは傷ついた表情をして、アニスは慰める。ガイは眉間に皺を刻んだ。
「勘違いって…俺たちは勘違いなんかしてない。それどころか俺たちはルークが間違わないように導いてやってるんじゃないか」
「っ、ガルディオス伯爵! 止めなさい!」
ジェイドはガルディオスの名を呼ぶことで、ガイの立場を思い出させようとしたが、無理だった。ガイは邪魔しないでくれと厳しい声で吐き捨てて、アッシュに怒りをぶつける。
「それなのに、アッシュたちはルークの気持ちを無視して、ミリア王女と結婚させようとして…なんでルークをちゃんと見てやんないんだ! ルークは都合の良い人形じゃないんだぞ!」
「――なんだと? それをテメェが言うのか、ガイ!」
ガイに責めるように怒鳴られたアッシュの頭に血が昇った。すこしは大人になったかと思えば、アッシュの沸点は相変わらず低い。
「テメェこそ、こいつの気持ちを無視して人形のように扱ってんじゃねぇか!」
「俺たちのどこが! 俺たちはアッシュたちとは違う! 馬鹿なこと言わないでくれ!」
「では何故、ヴァンの妹とルークをくっつけようとする! その女がルークに何をしたのかわかってんのか!? こいつを無理やり邸の家に連れ出して、戦闘を強要させたばかりか、本来ならば行う必要が無かった殺人まで強要した犯罪者だぞ! それなのに、ルークがその犯罪者を好きだと!? 犯罪者を好きになる被害者が何処にいる!! ふざけたことぬかすんじゃねえ!」
アッシュの怒声を浴びて、ティアの顔色は青に染まる。息を飲んで立ち尽くすティアを、ガイは背に庇う。
「おい! 二人ともやめろよ!」
「ガルディオス伯爵、あなたもいい加減になさい!」
ルークとジェイドが止めようとするが、ジェイドの手をガイは振り払い、アッシュはルークに邪魔するなと言った。二人とも完全に頭に血が昇っている。
周りが見えないほどに激昂する二人は感情に揺さぶられるまま、声を大きくしていった。
「ティアはルークを変えてくれたんだ! 姉のようにルークを叱り、時に導いてくれたんだぞ。自分を良い方向に変えてくれた女性を好きになっても不思議じゃないだろう!?」
「この女は、ルークとは何の関係もないただの犯罪者だ。それなのに姉のようにルークを叱り、導いた? その言い方がそもそもおかしいってことにテメェらはまだ気付かねぇのか! こいつはルークとは何の関係もなかった女なんだぞ! 加害者が被害者を叱り、導く。それを”自分を良い方向に変えてくれた”と良解釈する被害者が何処にいる? 好意を持つ被害者がどこにいる! 加害者が被害者を自身の支配下に置くためにマインドコントロールしていると考えるべきだろうが!」
「違うわ! 私は…っ」
アッシュの言葉に言い返したくて、ティアは青白い顔色で小刻みに体を震わせながら、脳をかき回して言葉を探す。ルークは被害者で、己は加害者。そんなはずはない。自分とルークはそんな不健全な関係ではない――そんな思いでアッシュを睨むように見た。
「テメェがやってたことは、心理的虐待だ。ルークを手酷い言葉で今まで拒否し、脅して来たそうじゃねぇか。『貴方って何も出来ない人形さんなのね』『いつでも私は貴方を見限ることが出来るわ』これを脅迫、拒否と言わずに何て言う? テメェは無意識かも知れねぇがな、だからこそ性質が悪いんだよ!」
アッシュは最後に一言吐き捨てた。
「金輪際、ルークに近付くんじゃねえ!」
「――――っ」
「――本当に、近付かないで頂きたいものですわね」
凛とした声が落ちる。応接間から出てきたシュザンヌが厳しい視線をティアとガイ、アニスに送っていた。ハッと気を取り直す。
「ファブレにも、――ルークにも」
声を失ったのは、ガイ、ティアを除いた二人以外の者たちだった。再度警告されてガイたちは流石にばつが悪くなり、黙り込む。シュザンヌの言葉の重みに気付いたアニスは瞠目していた。
二人は、気付けない。
シュザンヌの言葉の意味を。
「母上、それは」
「ルーク、いけません」
「っ」
シュザンヌに一瞥されたルークは諦めたように溜息を吐いた。静かになったルークから視線を逸らして、シュザンヌはそれはそれは綺麗な笑みでぐるりと一同を見回す。固唾を飲み様子を窺っていたメイドたちに仕事に戻るよう促した。
「もう夕食の時間になるわ。ミリア殿下が来ても粗相のないようにね」
メイドたちはピンと背筋を伸ばし、仕事に戻っていく。野次馬が減ったのを見届けて、シュザンヌは複雑な表情で黙り込んでいるルークとアッシュに声をかけた。
「ほら、ルーク、アッシュも。いつまでもそのような顔してないの。もうじき夕食ですよ。ルークはミリア殿下がいつ訪れてもいいように支度を整えてらっしゃい。アッシュは随分疲れているようね。目の下に酷い隈がありますよ。勉学に励むのもいいけれど、あまり根を詰めないでちょうだいね」
ルークとアッシュは双子のように揃ったタイミングで頷いた。場の雰囲気を自分のものに変えてしまったシュザンヌにジェイドは安堵感と苦い感情が込み上げる。ジェイドは足を一歩踏み出して、深々と頭を下げた。
「この度は無用な騒ぎを起こしてしまい、誠に申し訳ございませんでした」
「あらまあ…ピオニー陛下によろしく言っといてくださるかしら」
「……はい。必ず、お伝えします」
シュザンヌはにこりと笑い、去っていく。シュザンヌの姿が遠ざかって行く姿を見届けて、ジェイドはようやく下げていた頭を上げた。ルークとアッシュと視線がかち合う。何も言わずに、視線を逸らす。ルークもアッシュも、ジェイドも酷く苦い表情をしていた。
「…ガルディオス伯爵、フェンデ男爵、マルクトへ戻りますよ」
「…ん、ああ…ルーク、早まるなよ」
まだ、ルークとミリアの婚約に納得できずにガイは余計な一言を置いて、ジェイドに促されるままにファブレ公爵家の玄関を通る。ティアは未練がましく、ルークが自分を引き止めることを期待して、ちらちらとルークを見ていた。
「フェンデ男爵」
ジェイドは冷たい声で促す。ルークは何も言わずに、ティアを眺めていた。ティアは未練がたっぷり含まれた溜息を落とした。
「わかりました。…ルーク、またね」
「――…」
ルークは何も言わずに、ただ、苦く微笑んだ。憐憫がこもった笑みに、けれどもティアは気付かず、ルークに向けられた笑みを再会の約束として受け取る。ファブレ公爵夫妻に、アッシュに拒絶されても、ルークに拒絶されてはいない。そんな都合の良い夢を脳内に描き、足取り軽く去っていく。
「た、大佐…ルーク、それにアッシュも、その…ティアとガイに悪気があったわけじゃないんだよ…」
アニスはガイとティアのフォローを力なく入れる。ルークを見つめて、懇願するような眼差しだった。
「だから、その、」
ルークは無言で首を振った。アッシュは溜息を吐いて「俺はもう行く」と冷たい一言を置いて、去っていく。ジェイドは「無駄ですよ」と言った。
「…これ以上、ファブレ公爵夫人の怒りを買ったらどうなるかわかりません。サッサと帰りましょう」
「……はい」
「それでは失礼しました」
ジェイドはしょ気るアニスの肩を押すように、ファブレ公爵家の玄関から出て行った。ガイとティアは、ジェイドとアニスの曇った表情に不思議そうな顔をして、頓珍漢な会話をし続けていた。
――自身の立場の悪さを、自覚することなく。
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