ファブレ公爵家襲撃事件により、妻シュザンヌと離婚させられたファブレ公爵は今まで通りの生活を維持することは困難になり、コーラル城に居を移した。
今まで放置していたコーラル城は、とてもではないが住める状態ではなかった。魔物の棲家と化し、誰かが勝手に使っていたような跡がそこかしこに残っていた。住めるよう業者を手配し、なんとか環境を整えた頃、コーラル城に一人の侵入者が現れた。
レプリカの譜業装置の処分に困り果て――何しろどの譜業も高価なものだ。捨てるには惜しく、再利用を考えていた――、その部屋だけ放置していたのだが、コーラル城の屋上に魔物で降り立った者がその部屋に向かって侵入したのだ。私兵である白光騎士団によって捕まえられ、公爵の元に連れて来られたが、侵入者を見る者たちの眼には一様に驚愕と動揺を露にしていた。
「っ父上……」
ローレライ教団の軍服を身に纏う、鮮血のアッシュ。
彼の容姿は息子と瓜二つだった。そればかりか、アッシュは呆然とした面持ちで公爵の姿を見て父と呼んだ。
その瞬間、公爵は気付いた。コーラル城にあったレプリカの譜業装置、鮮血のアッシュが自分を父と呼んだ意味、――公爵は決して愚鈍ではない。この城で息子のレプリカが作られ、今の今まですり替わっていた事実に気付いた。
「……ヴァンか……っ」
息子をすり替えた犯人も自ずと検討がついた。コーラル城でルークを見つけたというヴァン以外、犯人が考えられなかった。険しい形相に変化を遂げた公爵にアッシュはぐっと息を飲む。
公爵は知らなかったが、このときアッシュはアリエッタに命じてルークをコーラル城に連れて来るようにいっていた。ディストの協力は得ることができなかったが、レプリカルークのフォンスロットを開いて通信できる状態にしようとしていたのだ。父がコーラル城に居を移していることなど知らず、アッシュは城にいた父に驚いて、名乗るような真似をしてしまった。自分の正体が気付かれたことにアッシュは激しい動揺を浮かべる。
「何故父上が……」
「……”ルーク”、おまえこそなんだ、その格好は」
「これは……」
「7年間ダアトにいたのか」
「…………戻ろうと思いました。ですが、ファブレには、レプリカが……」
「あの子がいたから戻って来れなかったとでも? おまえには記憶がある。おまえとあの子を比較してみれば、どちらが”ルーク”かなんて簡単にわかることだ。7年間ずっと自ら名乗ることもせず、ローレライ教団の兵士などに成り下がっていたとは……貴様には王族としての自覚がないのか!」
「っ」
父の厳しい叱責を受けてアッシュは身を震わせた。公爵は叱ったあとに、苦々しく顔を歪めた。
「……あの子とおまえの違いに気付かない私たちにも問題があったのだろうが……」
公爵は深い溜息を吐くと、アッシュを見る。
「じっくり話をする必要があるな。その後は私自ら再教育しよう」
元帥の地位を追われた、今の公爵にはたっぷりと時間があった。預言と違う状況に、キムラスカ王国の在り方も変わると確信を覚えている。おそらく、息子を失うような未来にはならないはず。――そのことに安堵を覚えながら、公爵は困惑している息子とじっくり話し合うべく、部屋の用意を使用人に命じた。
バチカル城――国王の私室で思考に耽るインゴベルトの姿があった。
「モースめ……」
インゴベルトは悲憤に駆られていた。彼の手には、布で包まれた赤ん坊の小さな遺骨があった。――ナタリア王女の遺骨である。
ファブレ公爵家襲撃事件、襲撃犯によるルークの拉致、譜歌による攻撃を受けたことでミリア王女が昏睡状態になるという、いくつもの重大事件が立て続けに起きたことで、キムラスカ王国は犯人探しに躍起になった。
大詠師モースの部下が犯人だと知り、キムラスカは彼とヴァンを捕縛した。犯人が制服を着用していたことから、上司に命令を受けて犯罪が行われたと推測したからである。2人に対して厳しい取調べが行われた。昼夜を問わず行われた取り調べが堪えたモースとヴァンが重大発言を漏らした。
現キムラスカ王女ナタリアが偽者であるという事実と、今のルークがレプリカである事実、それに預言の真実。
それらはキムラスカに激震を走らせた。
インゴベルトは、本物のナタリアが死産していて、しかも名もない墓に入れられたという事実に苦しめられた。
ナタリアは誰も訪れそうにないひっそりとした場所で、誰にも存在を知られることなく、父であるインゴベルトは18年間娘をすり替えた乳母の孫を娘と思い込み育てていたのだ。
この事実はインゴベルトに深い哀しみと衝撃を与えた。今の娘であるナタリアを可愛がっていた事実は否定できない。だが、本物の娘をすり替えた乳母の孫だと思うとナタリアに対して複雑な気持ちが湧き上がり、今までと同じ愛情を注ぐことはできそうになかった。産まれたばかりの娘の姿を見る権利さえ、インゴベルトは乳母に奪われたのだ。
誰も訪れることがないような場所で眠らされていたせいか、娘の墓は荒れ果て、遺骨もそれほど残っていなかった。おそらく魔物に墓を掘り返されたのだろう。もしかしたら、娘の肉体が残っているうちに、魔物に食われたのかも知れない。そう思うと、厳重に管理されている、王家の墓に娘を入れられなかったことが、心底悔やまれた。
(……ナタリアの遺体が、すべて魔物に食われていなかったことを幸いと思えというのか? 名を奪われ、生誕を祝われることなく、存在を闇に葬られたのに。何故だ。王の娘なのに、どうして私の娘がこのような目に遭わなければならないのだ)
片手に納まるほどしか、娘の遺骨は残っていなかった。
インゴベルトは娘の遺骨を抱く手とは反対の手で顔面を覆った。
乳母が憎い。すり替えをそそのかした教団が憎い。乳母の孫が、――娘と思っていたナタリアが憎い。
愛情と憎しみが鬩ぎあい、ついには憎しみが勝った。
インゴベルトは自身の憎悪がナタリアに剥く前に、偽者の娘に向ける最後の愛情として、彼女にすこしの財産を持たせて王城から追い出すことに決めた。
「お父様……ミリア……」
ナタリアは、追い出された城を見上げて悲しそうに呟いた。
これからもう二度と、家と思っていた城に足を踏み入れることはないのだ。
インゴベルトにいくらかの財産を持たされて追い出されたことに激しいショックを受けながらも、同時にナタリアは仕方ないことかと絶望と共に諦らめていた。
ナタリアは王家を謀った乳母の孫だ。彼女自身に問題はなくても、祖母が仕出かした罪により、本物の娘を奪われたインゴベルトが酷く傷ついたことは確かだ。インゴベルトに18年間愛情を注がれたナタリアは、国王がどれほど娘に愛情を持っているのか、身をもって知っていた。そして、インゴベルトがナタリアを追い出したことが、自分に向ける最後の愛情であることも。わかっていたから、インゴベルトを恨む気持ちはなかった。
「…………」
ナタリアは一先ず街下に降りる。いつまでも城を見上げていても、帰れない事実に胸を痛めるだけだ。王女の格好をやめてしまえば、ナタリアが王女と気付く人はあまりいなかった。貧相ではないが上等ともいえない格好をしているせいで、王女に似た人だとしか思われないのだ。ナタリアは悲しげな笑みを浮かべて雑踏の中を進み行く。
「メリル……」
「――え?」
自分の本当の名前を呼ばれて、ナタリア――メリルは立ち止まった。巨体の男がもう一度「メリル」と呼ぶ。
「何故わたくしの名を?」
巨体の男――つい先日までラルゴと名乗っていたバダックは、柔らかい笑みを浮かべた。
メリルという名前を自分の名だと認識している娘との再会を、心から喜ぶように。
キムラスカからダアトに向けて宣戦布告が発せられると同時に、二つの重大な真実が世に広まった。
ラルゴにとって、預言の真実はどうでも良かった。だが、ナタリアが偽姫だと知り彼女を追い出すことに決めたインゴベルトの意向は看過することはできなかった。自分の娘を預言で奪ったキムラスカ王家が、王家の都合で娘を捨てるのだ。その辺の複雑な事情が世に出回ったところで、バダックにとって、キムラスカ王家と義母は預言によって愛する妻と娘を彼から奪った存在でしかなく、またその認識がバダックの中から覆ることはなかった。
モースとヴァンの逮捕を受けて、リグレットはヴァンを救出する意思を見せていたが、預言を覆すという目的で彼らとつながっていたバダックは預言とは違う方向に進む世界の情勢を見て考えを改めた。このままバダックたちが手を加えなくても、世界は預言離脱の方向に纏まりつつある。それに伴い、ローレライ教団の必要性はぐんと下がっていた。
キムラスカの宣戦布告に加えて預言の真実を知った大半の者たちは、教団と心中する気はないとサッサと教団を抜けて、新しい生き方を始めている。
六神将の中でも脱退する者がいた。ディストとシンクである。ディストは早々に逃げ、シンクも教団と計画を実行に移せない現状に見切りをつけるように姿を消した。ヴァンを何が何でも助けようという気概を見せる者は、今となってはリグレットと、辛うじてアッシュくらいだ。もっとも、アッシュもある時を境に行方が知れなくなってしまったが。
自分はどうするべきかとバダックが悩んだとき、気になったのはやはり娘の存在だった。
娘が追放される日の情報を入手したバダックは自然と教団の制服を脱ぎ捨て、バチカルに足を踏み入れていた。
きょとんと目を瞬く娘に、バダックは大事に持ち歩いていた妻と娘が映った写真入りペンダントを胸元から取り出して、手渡した。
メリルはハッと息を飲み、バダックを見上げ、驚愕を顔に貼り付けて衝撃に震える唇で呟いた。
「――わたくしの、ほんとうの……お父様?」
娘に父と呼ばれる日など来ないと思っていた。
その幸せを噛み締めるように、バダックは娘に向かって微笑んだ。
半年後、ケセドニアで暮らすバダックとメリルという二人の仲が良い傭兵親子の名が一躍話題となるが。
――今は親子として再出発したばかりである。
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