ルークの記憶はやさしいものではなかった。
 記憶喪失を嘆く母、ろくに相手してくれない父、赤ん坊のようになったルークに嘲りを隠さない使用人、――約束のことばかり持ち出して、ろくに言葉も覚えていない子供に対して帝王学を押し付ける、婚約者。 アッシュが”ルーク”であった頃、単体で超振動を起こせるため嫌な思いをさせられてきたが、それでも両親は厳しくもやさしく、婚約者は愛しい思いを与えてくれた。

 だというのに、ルークの記憶は。いったいこれは何だ。
 記憶を失っただけで、これほどまでに人はルークに対して、接し方が変わってしまうのか。

 衝撃だった。そして、もしも自分が本当に記憶喪失でルークとしていたらという思いを覚えた。自分が本当に記憶喪失のルークだったら、ルークだったら、――父は息子の死を予見しながら国のために死地へ送り、親友と名乗るガイは、婚約者のナタリアは見捨てていた。

 あの頃のアッシュは、もう1人の自分と言ってもいい、ルークが犯した失態に、失望を抱き怒りへと転じていたから、ナタリアがルークをあっさりと見捨てて、鮮血のアッシュであった自分をルークと認めたことについて何も思わなかった。

 ナタリアは自分の都合の良いルークが目の前に現れれば、今まで共に過ごしたルークを見捨てることが出来るのだ。彼女は、薄情な女性だった。そのことに気付かされたアッシュは、ナタリアに愛情を抱き続けることは出来なかった。

 それどころか、ナタリアの傍に居ることが怖くなった。
 ナタリアが向ける自身への愛情が偽りにしか見えず、またその感情は都合の良い相手が現れたら簡単に摩り替わるものだと気付いてしまったから、彼女自身に恐怖を覚えた。
 その恐怖から逃れるために、アッシュはミリアの元に通い始めた。



「……悪い」

 今宵も、アッシュは国王夫妻の寝室に行くことが出来ず、ミリアの元を訪ねた。
 一人用の寝室で寝ているとナタリアが来るのだ。だからアッシュは1人でいるという選択肢を選ぶことが出来ず、ナタリアが訪れることは出来ないミリアの部屋で寝る。それが最近の日課である。

 国王の来訪を、ミリアは微笑んで受け止めた。ナタリアいわく彼女の親友であったというミリアだが、彼女の口からナタリアの話を聞いたことはなかった。もしかしたらアッシュがナタリアの話題を避けている所為かも知れない。

 キングサイズのベッドは広々としていて、大人が3人くらい寝ても余分にスペースが空いている。
 ミリアの元に夜毎訪れるアッシュであるが、彼女を抱いたことは初夜以来なかった。初夜で抱いた時だとて、義務のようなものだ。
 いずれミリアとの間に子供を設けなければいけないことはわかっているが、日中ナタリアが寄越す、ミリアへの嫉妬に塗れて自分を責める視線に咎められて、彼女を抱くことが出来なかった。

 アッシュがベッドに座ると、スプリングがわずかに軋んでその分シーツが沈む。目の下に隈を拵えたアッシュにミリアは「随分お疲れのようですね」とやさしい口調で言うと、アッシュの横に潜り込み、早々のランプの明かりを消そうとする。
 夜に傍にいると、抱くようにそれとなく迫ってくるナタリアと大違いだった。

「……おまえは、オレに抱けと言わないな」

 ナタリアとミリアを比較して思わず呟いた言葉を、傍にいたミリアは拾った。

「仕事を終えて疲れている貴方に、就寝時間を削ってまで、抱いて欲しいとは思いません」
「……そういうものなのか? ナタリアは違うようだが」
「王妃様はご不安なのでしょう。自身の立場の不安定さに薄々感づいているようですから」
「………」

 むしろ気付いていないと、それは暢気な馬鹿だと言える。

「だから、お子を望んでいるのです」

 子供を産めば王妃としての面目は保てるとナタリアは思っているのだ。ミリアの言葉にそうか、とアッシュは相槌を打って、胸中では、ナタリアの期待には応えられないと呟いた。

 キムラスカ国王として、国の中心に立つアッシュは知っている。ナタリアはお飾りの王妃であることを。
 ナタリアはお飾り以上の立場を求められていない。お飾りが、キムラスカ王族の子供を産むことはない。妊娠の兆候が見れないよう、彼女の食事には妊娠不能薬が混ぜられている。それだとて、完全なものではないが、もし万が一妊娠した場合も、彼女には何らかの不幸が訪れて、子供は流れることだろう。

 ナタリアの境遇は憐憫を誘うに相応しいものだが、それでも彼女は守られていた。インゴベルト国王の命令に背き、さらに本物の王女と擦りかえられた乳母を祖母に持つ偽姫としては。

 本来、何らかの処罰を与えられて、城から追い出されていてもおかしくないのに、インゴベルトがナタリア可愛さに庇った。国民人気も高いのでお飾りの王妃として置いておくことに周囲は決めたのだ。
 ナタリアにとって幸せとは言いがたい現状だろうが、それでも一応は王妃として認められて傅かれて、衣食住困ることがない生活をしているのだから、底辺の生活をしている者にとっては充分幸福に見えるだろう。
 アッシュがミリアの元にばかり通うことにナタリアは不満ばかり述べているから、傍から見れば充分幸せな場所に立っていることに自覚はない。どうしてミリアを迎え入れたのかと、父親であるインゴベルト先王にすら不満を持つ始末である。娘を守るために、インゴベルトは退位せざる負えなかったというのに。
 インゴベルト国王は娘の可愛さのために彼女を庇い続け、彼女を守ることと引き換えに、国の重鎮達に退位を求められた。だが、ナタリアは父の愛情を理解しておらずに、父に不満を述べる。インゴベルトも報われずに哀れなものだ。

 アッシュは溜息を一つ落として、ベッドに横になると目を瞑る。
 ミリアは「おやすみなさいませ」と声をひとつかけて、ランプの明かりを落とした。



END.

もう1話だけ続く。…けど書き飽きました…。
2012/12/13
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