アッシュの命令により、カイツール軍港を襲撃したアリエッタから整備士長を救出して、ヴァンはルークたちと共にキャツベルト船に乗り込んだ。
「グランツ謡将」
声をかけられて、ヴァンは振り向いた。
そこに立っていたのはミリア・ヘルメスだった。
彼女は黒髪をシニョンに纏め上げて、神託の盾騎士団の情報室長だけが着ることを許された黒色の制服を身に纏っている。制服のみならず、革手袋、軍用靴まで黒色であるせいか、胸元に飾られた赤と金の印章がとても印象的だった。
「情報室長……何かご用ですか?」
「ええ、少々お話が」
ヴァンは内心舌打ちをついた。これからルークのもとに向って、操りやすいように暗示をかけるつもりだった。その前にミリアに捕まってしまうなんて。
「いったい私に何の用ですか?」
ヴァンを見つめるミリアの瞳の奥に、不可思議な色が、ちらり、と、瞬く。
ミリアと交わした視線に潜む暗示に、彼は気付かなかった。
(いったい私は何をしようとしていたのか……?)
ミリアと話が終わると、ヴァンはすっかり何をしようとしていたのか忘れていた。それほど話が長かったわけではない。ミリアは他の導師守護役と交代するまでイオンの護衛を勤めることになったこと、それと、手が足りないからヴァンにも護衛に協力して欲しいという話だった。ミリアの傍にいたイオンにまで頼まれたので、ヴァンに断るという選択肢はない。
(イオン様の護衛よりも、もっと、私にはやることがあったはず……)
思考に耽ろうとしたその瞬間、声が聞こえた。
「ヴァン師匠ー!」
弟子が笑顔で駆け寄ってくる。
(ルーク……様には大変迷惑をかけてしまった)
ルークの姿を見て、ヴァンは自分がしなければならないことを思い出した。
(そうだ、妹の不始末をキムラスカに謝罪して、責任を取り、総長を辞めなければ。そうして私が……)
「ヴァン師匠、船がつくまで剣の稽古をつけてください!」
「ああ、もちろん」
「やった! 早く!」
ルークがヴァンの腕を引っ張って開けた場所に連れて行こうとする。ルークのはしゃいだ様子を呆れたように見つめる妹と、ヴァンはすれ違った。
(私が、ユリアの血を繋げなければ)
誰かに筋書きを決められたような思考に、ヴァンは疑問を持たなかった。
くすり、とミリアが小さく笑った。
彼女の瞳の奥に丸い譜陣が浮かび上がり、刹那、ぼんやりと光を放った。瞬く間に消えてしまった譜陣は誰に気付かれることなく役割を終えた。
唯一ジェイドだけが音素の流れを感じ取り、赤い双眸を細めて周囲を見回していたが、ミリアと離れていたこともあり、異変らしきものが何も起きなかったせいで見過してしまった。
ミリア以外誰も気付かぬうちに、ヴァンの脳を異変が蝕んでゆく。
その異変は、ヴァンの運命を変えた。
「そういえば、ミリアは何故カイツール軍港にいたんですか?」
ミリア・ヘルメスは教団内部にある情報室室長である。
各地の情報を分類して管理する彼女が情報室から動くことは滅多にない。逆のことを言えば、その滅多にない事態が起きているといっても過言ではなかった。
もうじきキャツベルト船がバチカル港に到着する。その前に聞きたいことは尋ねておこうと思い、イオンは気になったことを聞いた。
「アニスとモースとティアの件であなたがここに?」
カイツール軍港で別れたアニス、今もなおルークの傍にいるティア、それにバチカル城でふんぞり返っているであろう大詠師モースの姿をイオンは思い描く。
イオンは既にティアが何を仕出かしたのか知っていた。
ティアは白昼堂々ファブレ公爵家に侵入し、結果、ルークを誘拐した。ヴァンの殺害を企てたことは、結局殺害が未遂で終わったため、兄妹喧嘩の範疇で済ませられるかも知れない。しかしファブレ公爵家で事を起こした以上はそうはいかないだろう。
穏和な思考を持つイオンでさえ、ティアを救うことはできないと、諦めの溜息を落とした。
「ええ。事態が事態ですので、一般団員に任せるには荷が重いものですから」
アニス、ティアの件はともかく、これからミリアはモースに失脚を突きつけるのだ。
「そうですよね……。でも、あなた一人で大丈夫ですか? モースのことだから、きっと失脚したと言われても素直に従いませんよ?」
「バチカル港で部下たちと落ち合う予定なので問題ありません。腕が立つ者たちばかりですから。導師守護役もバチカル港にいるはずなので、そちらと護衛を引き継いだら、私は私の仕事をさせてもらいます」
「はい、そうしてください」
――何故、ミリアは一人でカイツール軍港に来たのだろう。
教団から部下を連れてバチカルに向かえばよかったのに。
不思議に思ったが、何か事情があるのだろうと、イオンは追及することなく話を終えた。
船旅は順調に終わった。
バチカル港に到着すると、キムラスカ兵と導師守護役と教団員が勢揃いしていた。先頭に立つのは、セシル少将と、導師守護役長のシュナと、そして――烈風のシンクだった。その隣にもう一人シンクと背格好が似ている人物が立っている。
シンクはミリアと同じ形の軍服を纏っていた。色こそ黒ではないが、情報室所属であることがわかる形の白い軍服である。隣にいる人物も同じ格好をしていた。
「シンク!?」
警戒して驚く一同を余所にシンクは腰を折り曲げて、ミリアとイオンに挨拶する。
「導師イオン様、情報室長お待ちしておりました」
「あ、お疲れ様です……」
思わずイオンは間抜けな挨拶を返してしまう。イオンがぼうっとしている間に、導師守護役長のシュナとセシルが挨拶をした。自国の少将に手厚い歓迎を受けながらルークもシンクのことが気になっているらしく、ちらちらこちらを見ている。
ミリアは無数の視線を集めながらシンクに近寄った。
「ご苦労様。だけどね、シンク、その仮面を外してきなさいって言ったでしょう?」
ミリアは小さく溜息を吐いて、シンクの顔から無造作に仮面を剥ぎ取った。
ばつの悪そうな面が露になる。その顔は、イオンに似ていたが、イオンよりももっと目尻がきつく、シャープな顎のラインを持っていた。
「今のあなたは烈風のシンクではなく、私の部下なのだから」
ミリアはシンクの耳にだけ届くよう、小声で「神託の盾騎士団の参謀総長が教団の情報室長の部下なんてあまり知られたくないでしょう」と言った。シンクはますますばつの悪そうな顔をすると一応「いつも使ってる仮面じゃないよ」と反論を試みたがミリアには通用しなかった。
「仮面の男=シンクだってわかるのよ」
「……すみませんでした」
「やーい叱られてやんのー」
シンクの隣にいる人物が、シンクを指差す。よく見れば、その人物もイオンに似ていた。浮かべる表情がまったく違ううえに、短髪だからパッと見ではわからない。シンクは隣の人物の指を叩き落として、足の脛に軽く蹴りをいれた。
「うるさいよ。黙れフローリアン」
「痛いな! なんだよ! やるか!」
「二人とも喧嘩はプライベートでやってちょうだい。今は仕事中よ」
「……は〜い」
「いったいどういう……」
「彼らは私の補佐です。シンク、フローリアン挨拶を」
「シンク・ヘルメスです」
「フローリアン・ヘルメスです!」
「彼らはミリアの弟ですか?」
「はい。導師イオンもご存知のように、シンクは参謀総長としての顔を持っていますが、元は情報室の人間です」
それがなぜ参謀総長に。尋ねる視線を受けてシンクは憮然とした顔で返した。
「人手不足なので僕に白羽の矢が立てられました」
「なんというか、すみません」
イオンは居た堪れなくなって謝った。
人手不足はイオンのせいではないのだが。
それに教団では複数の階級を持っている者は珍しくない。神託の盾騎士団ではトップに立つ主席総長のヴァンだとて、教団では別の階級を持っている。シンクの場合は神託の盾騎士団で参謀総長の顔を持ち、教団内部では情報室室長補佐の顔を持つ。両方階級は謡士である。
「シンク、フローリアン、頼みますよ」
「「はい」」
「導師守護役長、導師イオンをお願い致します」
「はい」
ミリアの指示に導師守護役長のシュナが大きく頷いた。シュナはイオンの斜め後に付く。と、イオンの四方を他の導師守護役が囲んだ。ミリアはシンクとフローリアンを連れて、セシル少将に案内される形でバチカル城へと向かった。
まだ続く…っぽい!
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