「兄さ、ん…どう、して」
ティアは今にも薄れ行く意識を必死に留めて、視線の先にいる自分とそっくりの少女と兄を見つめた。
兄はティアに優しい視線を向けて、「お前がいつまでも戻ってこないからだ、メシュティアリカ」と言った。
「あの出来損ないは、お前とコレの区別もつかないだろう」
「そ、んなこと、ないわ。ルークは、ルークは、きっと気づいてくれる…」
「どうだろうな…とにかく、今は眠れ、メシュティアリカ」
ルークたちは――ルークは、きっと気づいてくれる。
レプリカティアと、ティアの差を。仲間との絆を、この時のティアは信じていた。
「…ティア、変わったよね」
アニスの言葉をきっかけに、一同の視線は一斉に渦中の人物に向けられた。
ティア――否、ティアレプリカはどきりと不安に鼓動を高鳴らせた。まさか、自分がレプリカであることに気づかれたのだろうか。不安が芽生える。
「髪の毛切ったし」
被験者ティアの紛い物として送り込まれた彼女であったが、彼女は自身の偽物という立場に反発心を覚えていた。
ティアとそっくりであることを望まれた彼女は、手始めに被験者ティアと似た容姿を変えた。片目を隠すように伸ばしていた前髪を切り、戦闘中に邪魔にならないようにショートヘアになり、少々鋭い目つきが露になっている。
しかし、被験者ティアとは違い、彼女は柔らかい表情をするので、それによって氷どけし始めた春のような雰囲気に変わっていた。
「服装も変わりましたわね」
ナタリアがアニスに同意を示す。服装はスカートからズボンに変わり二の腕も晒さず、ヒールが高いブーツは、ヒールもない、けれども雪道も大丈夫そうな丈夫な軍用ブーツに変わっていた。
「そ、そう…?」
「話し方も変わったよね。」
「ええ、変わりましたわね」
「態度も以前より、ずーっと良くなったし。戦闘中でも『詠唱中は守って!』って言わなくなったもんね」
「ええ。それどころか、詠唱中に守ると『ありがとう』ですものね。わたくしは今までどおりしてるつもりですのに。戦闘後も『ご苦労様』の変わりに『お疲れ様でした』ですもの」
「良い方に変わったよねー。…あたしさ、以前のティア、無神経でダイッキライだったから、今のティア好きだよ」
アニスは笑顔で言った。ナタリアはアニスの笑顔を見て、一瞬黙りこむとチラリと何故かルークを見やった。
すこし前までぎこちない笑みを浮かべていたルークは、今はちゃんと笑っていた。それを見たナタリアは笑顔になった。
「そうですわね。わたくしも、今のティアの方が好ましいですわ」
「あ、ナタリアもー? 大佐とルークは?」
「おいおい、俺には聞かないのか?」
ガイが苦笑して話に口を挟む。
「だってガイは以前のティア嫌いじゃないでしょ?」
「まあ、そうだけど…」
「だからガイはべつにいいよ」
アニスの言い方に冷たい壁のようなものをガイは感じた。
ガイが違和感を口に出す前に、アニスは話の矛先をジェイドに向けてしまい、尋ねる機会は失われた。
「大佐は?」
「私ですか?そうですね…今の方が好ましいですね」
ジェイドは迷う様子も見せず、そう言った。
自然にルークに視線が移る。
「俺? 俺も…今のティアの方が好きだよ」
ティアレプリカはルークの言葉を受けて、目を丸くさせた。そして徐々に顔色を赤くさせて「ありがとう」と言った。
彼女の赤が伝染したかのように、ルークは真っ赤になってしまい「べ、べつに礼言われるようなもんじゃないから!」と弁解するようなことを言って、食事中にも関わらず席を立ち、慌てて食堂から出ていってしまった。
いつもはガイかナタリアの叱咤が飛ぶのだが、微笑ましい目で見守るだけだった。
「はは、ルークの奴、照れてたな」
「もー、こんなに残しちゃって勿体ないなぁ。ね、ティア、あとでルークにおにぎり持ってってあげてよ。こんなに残しちゃうと、きっと夜中お腹空いちゃうからさ。それじゃ眠れないだろうし」
「そうですわね。食堂のおばさまに話つけておきますわ。ですから、持っててあげてください」
「え、でも…夜に男性の部屋を訪ねるなんて…。私より、ガイや大佐に頼んだほうが…」
「大丈夫ですわ。ルークに女性を無理矢理乱暴するような真似は出来ませんもの。それは、幼なじみのわたくしが保証致します」
「だって、はい決定! ティア、頼んだからね」
アニスが強引に決めると、ティアレプリカは仕方なく頷いた。
べつに強く否定するものではなかった。
アニスは満足げに頷くと、サッサとご飯食べちゃおうとみんなを急かした。
「じゃあ、ティア、そのおにぎりルークに渡してね」
「ええ、わかったわ」
ティアレプリカはおにぎりが3個乗せられた皿をアニスに手渡された。
おにぎりのお供にお新香も皿の片隅に添えられているが、果たして貴族育ちのルークは食すのだろうか。
疑問に思いながらも、ティアレプリカは笑顔のアニスに見送られて、ルークの部屋に向かった。
ティアを見送ったアニスは振り返ると、真剣なまなざしで居残った仲間たちを順繰りに見つめた。ルークとティア、ガイを除いた全員が揃っている。ルークとティアは部屋に、ガイはジェイドに買い物を頼まれたため、その場に居なかった。
「ね、ティアのことどう思う?」
「今までのティアとは違いますわね」
「…彼女はレプリカですよ」
食事後のお茶を飲みながら、ジェイドは静かな口調で告げた。アニスとナタリアは驚いた表情をしたが、すぐに納得したように頷いた。
「そっか、じゃあ別人なんだ。…だからなんだ、ティアが良いほうに変わったように見えたの」
「ええ、良いほうに変わったように見えましたわね。別人というのなら納得です」
「うわ、辛辣ぅー。ナタリアってティアのこと嫌いだったんだ?」
「ええ。わたくしには最初から、ティアは大した実力も無いのに威張り散らしている女に見えましたもの。…なんて。嫉妬ですわね。…ティアを気に入らないと思ったのは、ルークの傍にいたからですわ。ルークはわたくしの婚約者ですのよ。どうして他の女が近づくことを嫉妬せずにいられましょうか」
ナタリアはふうと軽い溜息を吐いた。
紅茶に角砂糖を1つ落として、スプーンで一週かき回せるとティーカップに唇を寄せた。こくりと一口紅茶を飲み、眉をひそめる。思っていた以上に、宿屋の紅茶はまずかった。紅茶に手をつけることを諦め、話を続ける。
「…もっとも、わたくしが恋愛感情を抱いているのはルークではなく、アッシュであったことを知らされて、嫉妬は消えましたけれど。ですが、ルークもわたくしの大事な幼馴染ですもの。ルークに向ける感情は恋愛ではなく、親愛に変わりましたが、それでも大切なことには変わりありません。そのルークが、ティアと一緒にいるとき、暗い表情をするのですわ。わたくしがティアを嫌う理由には十分でしょう?」
「…うん、そうだよね。あたしも、ティア嫌い。あたし、ルークにはいっぱい酷いことして、苦しめちゃったのにさ。…ルークって、やさしすぎるんだもん。ガイはルークのやさしすぎるところをさ、卑屈って言うけど。ルークをそんな風にしたのはさ、あたしたちの所為なのに。ルークって、あたしがずっと寝てればいいのにとか言っちゃいけない言葉を言っても、あたしにやさしくして慰めてくれたんだ。あたしの方がルークよりもずっと酷い罪を犯してたのにさ。あたしは、ティアよりもずっとずっとずっとルークが好き。だから、ルークを傷つけるティアは嫌い」
ナタリアとアニスの本音をジェイドは居心地が悪い思いで聞いていた。
この流れでは自分も本音で話さないといけないのだろうか。
それは勘弁して欲しい――ジェイドは視線をテーブルの上に落とす。
テーブルの上にはお茶のセットが並んでいる。
食後のデザートと、アニスとナタリアが注文したケーキとゼリーがあった。
ゼリー用のスプーンを重たそうに持ち上げて、ミュウがオレンジ色のゼリーを突いて口に運ぶ。
「おいしいですのっ」と弾んだ甲高い声をあげるミュウを見ていたジェイドは赤色の双眸を瞬かせた。
いつもルークの傍にいるミュウがなぜ居るのだろうか。いつもならばルークと共に部屋に引っ込むはずなのに。
「…ミュウ、ルークの傍にいなくて良いんですか?」
「みゅ? 問題ないですの。ご主人様とティアさんによく似た人をミュウはふたりきりにしてあげるのですの」
なるほど、ミュウなりに気を利かせたらしい――ジェイドはミュウが”ティアさんによく似た人”と口にしていることに気づき、食い入るようにチーグルを見つめた。
「ミュウは、彼女が別人であることに気づいていたんですか?」
「えっ? マジ!?」
ジェイドの言葉にアニスとナタリアもミュウに視線を向けた。
ミュウはゼリーの食べかすを口にくっつけて、重たい頭で首を傾げた。
「はいですの。みなさんは気づいてなかったですの?」
「あ、あたしは…大佐に言われるまでわかんなかったなー」
「わたくしもですわ…」
「私も、気づいたのはつい先日ですよ。ミュウはいつごろから?」
「最初からですの。ご主人様もティアさんじゃないって気づいていましたの」
アニスとナタリアは驚愕した。
ジェイドは一瞬動揺したが、眼鏡のブリッジを押しあげる動作をして、動揺を悟らせなかった。
「ええぇぇええ!? ウソ!?」
「まあ…」
「本当ですの!」
「本当なんだ…あれ? え? …じゃあ、さっきのルークの言葉は…」
ミュウはゼリーをまた突き始める。食べたりないらしい。
生クリームをたっぷりスプーンで掬い、ぱくりと食べてしまった。
ようやく自分のデザートがミュウに食べられていることを知ったアニスが「ああああたしのゼリー!」と嘆く。
ナタリアはアニスの反応に大いに呆れ、また頼めば良いじゃないですのと口にした。
アニスは膨れ面で、よほどゼリーに未練があったのか、おなじゼリーを店員に頼んだ。
ミュウは生クリームでべとべとになった口を手で拭おうとする。
ジェイドは仕方なく布巾を手に取り、ミュウの頭を左手で固定して、口元のクリームを拭い取ってやった。
「ありがとう、ですの!」
「それでミュウ、いったいどういうことですか? ティアが入れ替わっていたことにルークが気付いていたというのは」
「? そのままですの。ティアさんと、ティアさんによく似た人はご主人様に対する態度がまったく違うですの。…ご主人様はティアさんに見限られぬよう、一生懸命今まで生きてきたんですの。ユリアシティでご主人様はティアさんに自分はいつでもご主人様を見限ることが出来るって言われたから」
「なんですって…」
ジェイドは顔を顰めた。
見限るという言葉は、何かに対して諦めたり愛想をつかせ切り捨てたりする言葉だ。人に面と向かって言う言葉ではない。
そんな言葉を言われたら、誰であろうと心に鉛のような重さを感じてしまうだろう。
決して良い意味ではない見限られるという言葉を、ティアはルークに向かって言っていた。
その瞬間から、ルークとティアの関係は、見限られる恐怖に怯える者と、監視者に変わった。
ルークが必要以上にティアを気遣うようになったのは、アクゼリュス崩落が発端であることは間違いない。
ルークがティアを気遣う理由に好意が入り混じっていたとは考え難い。
それどころか、ジェイドはルークがストックホルム症候群にかかっているのではないかと思った。
「ティアさんはご主人様に説教して、呆れて、怒ってばかりでしたの。そんなティアさんが、ご主人様に対して説教せず、呆れず、あんまり怒らないようになりましたの。だから、ご主人様も気付いたんですの。今いるティアさんにそっくりな人は、ティアさんとは別人であることに」
「…そうですか」
ジェイドはそう言うしかなかった。
アニスが頼んだゼリーが店員に運ばれてくる。生クリームをたっぷりとスプーンに掬って、ゼリーと一緒に食べながら、アニスは小首を傾げた。
「本物のティア、いったいどこ行っちゃったんだろうね」
「ヴァンのところではありませんの? ティアのレプリカを作るとしたら、ヴァンでしょう? もしかして…浚われたのでは?」
「そうなら大変だけどさ…。でも、あたし、ティア自分から総長の元に向かったんじゃないかって思ってるんだ」
「え?」
ナタリアが驚いた声を出す。
「ありえますね。ティアは、ヴァンが世界の敵になったことを理解しながら、甘いことを何度となく言ってましたから」
ジェイドが同意を示す。
「最初は総長を殺害しようと、ルークの家で襲ったんだよね?」
「…ええ。あとでルークに聞いたら、”覚悟!”と言いながらヴァンにナイフを向けたらしいですわ」
「で、総長の企みを知って、総長を殺害しようと実行しかけたのに、カイツールで当人に懐柔されて。あげくに、”外殻大地は崩落させないって言ってたじゃない!”でしょ。そのあと、”考えたいことがあるの”って言ってユリアシティに残ってさ。あれって、ルークを心配してユリアシティに残ってたわけじゃなくて、自分が殺そうとしていた兄が計画を実行に移したことにショックを受けて凹んでたわけでしょ? 最初はヴァン総長を殺そうとしたくせにさ」
「…順番が逆ですわね」
「そうそう。まるで、最初ルークの家でヴァン総長を襲ったことがパフォーマンスみたいだよ。”あたしは兄の計画を知りながら、兄を止めようとしたんです!”っていう。ユリアシティで考えたいことがあるのって言って、その間にヴァン総長と敵対する覚悟を決めたと思えば、”ずっと兄さんを止められないかって思っていた”でしょ? 矛盾してるんだよね、ティアの言い分って」
「そうですわね。…人間ですもの、時に矛盾を抱えるのは悪くないと思います。でも、ティアの言動と行動の矛盾は、他人を巻き込んで迷惑ですわね」
「うん。あたし、今までの――あ、今のティアレプリカじゃないよ? 彼女が入れ替わる前のティアみてたらさ、総長にまた懐柔されてるかもって思っちゃって。ティアの覚悟って、ヴァン総長の甘言であっさりと翻すことが出来る、容易いものなんだもん」
「たしかにそうですわね…」
ナタリアは相槌を打つ。アニスの言動を否定できなかった。
「では、今度逢ったとき、ティアは敵になっているのかも知れませんわね」
「ね。よーし、そんときはアニスちゃん頑張る!」
「あら、アニス、わたくしの分も残しておいてください」
「うん!!」
「………」
何を頑張るのか、今までのアニスとナタリアの会話を聞いていれば容易に想像がついた。
女性ふたりの物騒な会話に挟まれたジェイドは、胸中で被験者ティアの冥福を祈る。
「なに話してるんだ?」
「あ、おかえりー、ガイ」
買い物から帰ってきたガイだけが、被験者ティアとレプリカティアが入れ替わったことを知らなかった。
2015/01/14 再掲
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