コンコンとドアをノックする音が聞こえた。
机で日記を書いていたルークは「誰だ?」と訊ねる。「ティア、だけど…」と名前を言い難そうに控えめに返って来た声に、ルークはイスから立ち上がった。

「…ティア?」

 ルークがドアを開けると、おにぎりを乗せた皿を持ってティア――彼女が立っていた。
 彼女はルークに皿を手渡す。

「アニスから、夜食を頼まれて」
「アニスから? そっか、ありがとう。ちょうど腹減ってきたところなんだ」
「じゃあ、おやすみなさい」
「え、あ、…もう帰っちまうのか?」

 すぐに背を向けた彼女を、ルークはつい引き止めてしまう。
 彼女は困惑した顔で振り返る。そんな顔されては、引き止めてしまうわけにもいかなくて、ルークは眉を垂れて口ごもる。彼女は困ったように笑った。

「…ルークがおにぎり食べる終わるまで、すこし話に付き合ってもらってもいいかしら?」
「…ああ!」

 部屋に招いたものの、何を話していいのかわからない。
 皿に乗った形の良い三角のおにぎりに手を伸ばして、口をつける。きっとこのおにぎりはアニスが作ったのだろう。ちょうどいい塩加減だった。

 ――そう言えば。

「……なあ、ティア」
「なに?」
「……俺たちの旅が始まった頃さ、お前が最初に作ってくれた食事覚えてるか?」
「え……? えっと……なんだったかしら」

 覚えてないわ、と彼女はぎこちなく笑う。
 その様子をじっと見ていたルークは、

「覚えてないんじゃなくて、ティアじゃないからわからないんだろ?」

 と言った。
 彼女の表情が強張る。目に見える変化にルークはやっぱりと小さく呟いた。

 今のティアが、”ティア”ではないことにルークはとうの昔に気付いていた。
 おそらくは、彼女がティアに成り代わってパーティに入って戦闘を始めた瞬間から。

 好意を寄せている女性が別人に変わったから、なんて真っ当な理由ではない。
 ルークに対していつも厳しく当たっていたティアの態度が変わったからという、理由からだった。
 
 彼女は戦闘中、ルークとガイとナタリアを庇いながら戦っていた。
 前衛に出るルークとガイよりも敵の前に出てしまい、ガイと2人して顔色を変えたこともあった。後衛の彼女が前衛に出るなど無謀にも等しい。血の気を引かせて「何を考えているんだ!」とガイが怒鳴ると、彼女はひどく困惑した顔をしていた。
 その理由を当時のルークは理解できなかったが、彼女の態度を見るうちに気付いた。
 ティア・グランツに成り代わった彼女は、ティアや周囲が評価していた”ティア・グランツ”を演じていたのだ。
 つまり、有能な軍人を。
 軍人は民間人を盾にしない。彼女は正しい知識に従い、また周囲がいう”ティア・グランツ”を演じるために最適と思われる行動を戦闘中にした。
 だから彼女はガイとナタリアとルークを庇い、そしてそれを責められたことに困惑を覚えた。
 そんな彼女に気付いたとき、ルークは目の前の彼女が”ティア・グランツ”とは思えなかった。
 他にも、ティアとは思えない良識的な態度や行動に何度となく疑問を覚え、その都度確信した。

 不思議とティアに何らかの変化が起きているとは考えなかった。
 彼女はティア・グランツではない。
 ティアに似た、他人。
 その表現がしっくり来た。
 ルークにはティアがティアでない可能性を仲間に打ち明けて、彼女でなく本物のティアを探すことも出来たのだ。
 ――でも、ルークには出来なかった。

 彼女は顔を俯けて黙り込む。
 小刻みに震えだした。
 ルークは彼女を動揺させたことに気付き、口に含んでいた白米をお茶で喉奥に流しこんで、フォローに回った。

「っべつに動揺させるつもりはなかったんだ! ただ、なんでティアとしてここにいるのか不思議に思っただけで……」

 彼女は不思議そうな目で見つめた。
 戸惑うように一瞬床に視線を落とす。すこしして意を決した顔で口を開いた。

「――ティアと偽ったわたしを責めないの?」

 予想外の質問にルークは面を食らう。

「……あなたの言うとおり私はティア・グランツじゃない。ティアのレプリカだよ」

 口調と声音、それに表情が幼くなった。
 ティアがしているような、冷めた表情じゃない。
 16歳の少女に相応しい顔だった。
 これが素の彼女なのだろう。

「ティアのレプリカ……そっか」
「…え、それだけ?」
「え?」
「……オリジナルの行方とか無事とか、気にならないの?」
「ああ!」

 そう言えば被験者ティアはどこへ行ったのだろう。
 言われて初めてそのことに思い当たる。ルークは自分の薄情さを内心で反省しながら、尋ねた。

「オリジナルはどこへ行ったんだ?」
「…ヴァンのところにいるよ」
「そうか…」

 ヴァンのところに行ったと聞いて、ルークはあっけなく納得した。
 ティアはヴァンを殺害する素振りを何度となく見せたが、本気でヴァンと敵対する意思は見えなかった。

 ルークをファブレ公爵家から連れ出したときに、一度だけヴァンをナイフで斬りかかる姿を見たが、ティアが本気でヴァンを殺害するつもりならばもっと楽に殺せたはずだ。
 たとえば、家の中で寛いでいるヴァンを譜歌で眠らせてしまえば、簡単に殺害することが出来ただろう。いや、譜歌で眠らせる必要すらなかったはずだ。たとえヴァンがすぐれた剣士であろうとも、まさか家で最愛の妹に殺害されるとは考えてすらいないだろうから。

 だというのに、ティアはわざわざルークの家で襲った。
 ティアはヴァンを殺害することに躊躇いがあるまま、今の今まで来てしまったのだ。
 おそらく、ヴァンに懐柔されたのだろう。
 ――アクゼリュスに向かう前に、ヴァンに説得されたときのように。

「ティアは……敵になったんだな」

 彼女は何かを言いたげに口を開けて、結局何も言わずに口を閉じる。顔を俯けて、膝の上で拳を握る彼女の姿をルークは見逃した。
 ルークは溜息を一つ吐いて、彼女の顔を見た。

「これからどうするんだ?」
「私は……」

 どうすればいいのかわからないと、彼女の顔は雄弁に告げていた。
 ルークと同じだ。自身がレプリカだと知り、一度家に戻ったあとルークは自分が何をすればいいのかわからずに途方に暮れて、日々を無為に過ごしていた。
 彼女の姿と過去の自分が重なり、ルークの口は勝手に言葉を告げていた。

「俺たちと一緒に来るか?」
「え?」
「自分がどうしていいのかわからないなら、旅をしながら考えてみるのもいいと思う。俺たちと一緒に来るなら、危険はつきものになるけど。……それでもいいなら、俺たちと一緒に来ないか?」
「……いいの?」

 彼女は「でも私、オリジナルじゃないよ」と言った。
 ルークは頷いた。

「そうだな……君はティアじゃない。でも、レプリカとかオリジナルとか、そんなこと仲間になるには関係ないだろ」

 言葉を選びながら、それでもしっかりと自分の思いを告げた。
 彼女は目を瞬いた。ルークの言葉を胸中で噛み締めると、「本当にいいの?」と尋ねる。

「私、ルークたちと一緒にいていいの?」
「ああ!」

 固い表情が花が綻ぶような笑顔に変わった。
 幼さを滲ませる笑顔に安堵して、ルークも笑う。

「そうだ、君の名前はなんていうんだ?」

 ティアじゃない、彼女の名前をなんと呼べばいいのかわからず、ルークは問う。
 彼女は困ったように笑った。

(名前がないのか)

 ティアのレプリカとして生きてきた彼女には名前すら与えられなかった。
 ルークも同じだ。この名は自分に与えられたものではない。
 だからせめて、彼女にはオリジナルの名前を持ってほしい。

「なあ、俺が君の名前をつけてもいいか?」

 ぱちりと目を瞬く。不思議に思ったとき、目を瞬くのが彼女の癖らしい。
 うん、と小さく頷いた彼女にルークは今までにないくらい、頭を悩ませた。しばらく悩んだ末に、ルークが頭の中から捻り出した名前を、彼女はうれしそうに復唱した。

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