ガイと別れてティアは怪我人を治療して回っていた。ティアの譜歌の被害に遭った者たちは、多少の怪我で済んだ者もいれば、重体に陥った者もいた。

 ここは研究所だ。譜業の研究、譜術の研究、薬の研究、研究分野は多岐に渡る。
 ある者は、譜術の実験中に意識を失い、譜術を暴走させてしまい、部屋の中をしっちゃかめっちゃかにして、血まみれになって床に倒れていた。
 ある者は、薬品開発の実験中に眠らされてしまい薬品を床に落としてしまっていた。器具は割れ、薬は床に広がり、崩れ落ちた研究員を薬で焼いた。
 中にはすでに息をしていない者もいる。
 怪我をした者はヒールなどで表面上の傷を直すことが出来るが、譜歌による二次被害とも言える薬による火傷といったものは対処の仕様がない。
 悲惨な研究員の姿に誰しもが顔を歪めた。
 ――それは、被害をもたらした加害者であるティアも同様だった。

「酷い……」

 こんなつもりじゃなかった、怪我をさせる気なんてなかった――言い訳のようにティアは胸中で呟く。今にも卒倒しそうな顔色で、研究員にヒールをかけて回った。意識を失った研究員は皆一様に苦痛に顔を歪め、意識ある者はティアが自分たちを攻撃した犯人であることも知らずに礼を言う。
 ありがとうと言われるたびに、泉のように湧き上がった罪悪感にティアは激しく打ちのめされた。

 ティアは元々根からの悪人というわけではない。ただ、目先のものに捕らわれると、他者への迷惑を顧みることが出来ずに突っ走ってしまう。目的のために手段を選ばないところがあった。
 ティアが仕出かした罪の後始末をするのは、いつもティア以外の誰かだったから、彼女は自分のなりふり構わない行動の所為で傷ついた人がいることを頭では理解していても、自らの眼で確かめたことはなかった。
 だからどんなに大変なことを仕出かしたとしても、取り返しがつく、反省すれば許されるという、甘ったれた思考を育てた。その結果が、今ティアの目の前に照らされていた。
 自身が犯した罪の大きさにひれ伏し、怪我人の患部に手を当ててヒールを繰り返す。必死に怪我人を手当てする彼女の姿は、事情を知らぬ者にとっては献身的な姿に映った。
 次々と部屋から姿を現した研究員が、ティアの治療を待つ。自力で歩ける者はともかくとして、重体に陥った者を優先的に治療するが、ティアの治療術は大したものではない。全体回復は出来るものの、ナタリアのキュアに比べてヒールでは力不足が否めなかった。

「ありがとう」
「…いえ」

 怪我人の眼差しは感謝の情を一心に伝えていた。ティアは今にも泣きそうな顔で、お礼を受け取る。本当は感謝を伝えてもらう立場にないのだ。それどころか、責められて然るべき立場にいた。それを伝えて誠意をこめて謝罪をしなければならないのに、ティアにはそれが出来なかった。他人を責めたり窘める口は達者なのに、自分の非を認めるとなると口が重たくなった。怪我人に接するたびに、ティアの心中に暗雲が立ち込めて、嵐が来る前夜のように荒らした。いっそ感情に身を任せて我を失えたらと思うのに、その結果生まれた罪が目の前に立ち塞がっているとなると、それも出来そうにない。形容し難い複雑な感情に揺れ惑っているティアの心境を知らずに、怪我人の1人がティアの顔を見るや否や怒号を浴びせた。

「お前…! 俺たちを襲った女が何をしている!?」

 場がざわめいた。ティアは男の顔を見て、ハッと息を飲む。ルークたちの元にたどり着く前に、ティアが手に持っていたナイフで腹部を刺した男だった。警備員なのだろう、支給された紺色の制服姿で武器を携帯していた。譜銃を取り出した警備員は自身の腹部が血を濡らしているにも関わらず、この場にいた全員を守るべく、ティアに近付いた。

「そいつを放せ!」

 ティアが怪我を治療していた研究員を放すよう、警備員は要求した。油断なく譜銃を構え、銃口をティアに向けている。ティアを見る警備員の眼は警戒に染まりきっていた。命を奪う危険性がある武器を向けられることに緊張しながら、ティアは弁解した。

「待って! 私は何もしていないわ! ただこの人を治療してるだけよ!」
「信じられるか!」
「ま、待てよ、その人は何もしていない! 俺たちを治療してくれているだけだ!!」

 警備員がティアに銃口を向ける理由がわからずに、その場にいた者たちはティアを庇う。事情を知らない者たちにとって、ティアは自分たちの怪我を治療してくれる良い人にカテゴリーされていた。それを邪魔する警備員こそ悪に思えて、非難がましい視線がいくつも警備員に向けられた。
 銃を下げるように口こうに言われた警備員は、研究員たちに理解してもらえない苦しみを抱えて、それでもティアと対峙する。警備員だけが、ティアが犯罪者であることを知っていた。銃を下ろさぬ警備員によって、犯罪下に陥ったときのような緊張感を覚えた一同が苛立ちと焦燥を顔に滲ませる。軽傷だった研究員たちが、背後から警備員にそっと近付く。何をするのかわかってしまい、ティアは口を開けて制止の言葉をかけようとした。ただ口を開けただけの動作にも警備員は緊張を滲ませて、銃の安全装置を外す。鈍色の銃身が鋭利な輝きを放ち、引き金に指をかける。

「――今だっ!」

 研究員たちが一斉に警備員を襲った。守ろうとしていた研究員に襲われるとは想像だにしていなかったのか、警備員は酷く驚いた様子で抵抗して、揉み合いになった。銃の安全装置が外されているため、いつ弾が発射されるかわからない。このままでは銃による犠牲者が出るかも知れず、その場にいた者たちは一様に顔色を青褪めて「やめろ!」「危ない!」と声をあげた。制止の声が無意味に終わったことを、一同は思い知らされた。

――ガウンッ!

 太い銃声の音が落ちる。瞠目する一同の目の前で、1人の研究員の身体から力が抜けた。
 糸が切れたあやつり人形のように、不自然なほどくたりと研究員の身体が床に横たわる。頭部に小さな丸い穴が空いていた。そこから、栓を抜いたワインのように赤い水が噴出した。最初は激しい勢いで、次第にゆっくりと流れ落ちる血液を、一同は対岸の火事を眺めているような感覚で見ていた。目の前で起きた出来事が現実だと信じられず、誰もが言葉を無くしていた。不自然な沈黙を打ち破ったのは、鳴り響いた銃声に驚いた人々が駆け寄ってくる足音。

「――ッ!!」

 軍人を連れて戻ってきたルークは現状を知ると足を止めて、絶句した。
 ルークの視界に映った光景は、研究員に背後から襲われて応戦していたと思われる警備員の姿。警備員が手にした譜銃の銃口から、薄っすらと細い白煙が立ち昇っている。発射された弾は1人の研究員の頭部を撃ち抜いていた。清潔に保たれていた白衣が血に染まり行く瞬間が、今まさに生まれている。

「なんでこんな……」

 呆然と佇むルークの背を追い越して、多数の軍人が警備員に駆け寄った。
 軍事訓練を受けて有事の際は戦場に立つ軍人は一目で状況を把握していた。警備員が研究員を射殺したのだと。警備員は研究員を射殺したことについて激しく動揺しているらしく、硬直したまま動かない。血の気が引いた顔で、目を剥いて、唇をわなわなと震わせていた。
 そんな彼に歩み寄った1人の軍人が警備員の手から譜銃を奪い、彼の両手に手錠をかけた。現行犯だった。がちゃんと手錠がかかる音をきっかけに、傍観者にならざるおえなかった一同の時間は動き始めた。

「ベン! ベン!」

 射殺された研究員に、同僚と思しき研究員たちがこぞって死体となった彼を囲んで泣き声をあげた。ヒールをかける暇もなく、一瞬で失われた命を嘆く胸を切り裂くような泣き声だった。
 親しい友人を、同僚を、恋人を亡くした元凶である警備員に憎悪を向けた。

「あんたがベンを殺したんだ!」
「なんでベンが死ななきゃならなかったの……!?」
「返して、ベンを返してよ!!!!」

 警備員はくしゃりと顔を歪めて、項垂れた。
 遺族は悲憤の表情で警備員に対して怒声を浴びせた。
 その光景を眺めていることしか出来なかったティアは、――両手で頭を押さえ、嫌々と首を振った。

 悪夢だった。
 ティアにとって、目前で起きた出来事は悪夢でしかなかった。

 現状において、ティアだけが警備員の事情を理解していた。
 ティアが譜歌を歌って侵入したばかりに、多数の犠牲者が出た。その際、ティアがナイフを使って蹴散らしてきた警備員は、彼女が現状を生み出した犯罪者であることを理解していた。ティアの元にたどり着くまで、警備員は多数の犠牲者を目にしたはずだ。元凶であるティアに対して激しい憤りを覚えていたことだろう。自分たちを怪我させて、殺したティアが、被害者に対してヒールをかけてお礼を受け取る。その姿を目にした警備員の心情をわからないというほど、ティアは感情の機微に疎くなれなかった。

 事情を知る警備員は、ティアから被害者である研究員を守ろうとした。
 事情を知らぬ研究員たちは、警備員からティアを守ろうとした。
 いったい誰が悪かったのか。
 銃の安全装置を外した警備員が悪かったのか。
 警備員の事情に理解を示さずに力ずくで止めた研究員に問題があったのか。
 そもそもの元凶は、ティアにあるというのに。

「っあ……」

 ティアの犯罪行為が、二次被害を招いた。
 根本を突き詰めれば、そういうことだった。 
 そのことに気付いてしまい、ティアは酷い悪夢を見たような気分で嫌々と首を振った。
 早く、この悪夢から覚めて、現実に戻れるように。
 これは夢ではなく、現実なのだと、突きつけられるのが怖かった。

(私は、私はこんな、)

 どうしてこんなことが起きてしまったのだろう。
 ティアはただ、ルークたちの元に行きたくて、……ルークに逢いたくて。
 彼の元にたどり着くまでに、妨害する警備員たちが邪魔だったから、譜歌で眠らせただけだ。
 ルークの家でヴァンを殺害しようと計画したときに、家人を巻き込まれぬよう配慮したときと同じように。
 それなのに、どうして譜歌を歌っただけで死者が出て、二次被害まで生まれてしまっているのだろう。

「何が起きたんだ?」

 警備員が研究員を射殺するという事態に疑問を覚えたルークが手近にいた人物に問う。思考に耽っていたティアはハッと顔をあげて、慌ててルークの疑問を払う人の声を遮ろうとした。

「俺たちを助けてくれたあの人を、警備員は射殺しようとしたんだよ! それをやめさせるためにベンたちが警備員を後ろから捕まえようとして……警備員はベンを射殺しちまったんだ!」

 ―― 一瞬、遅かった。
 研究員の視線がティアに向かう。それを追うルークの視線が、ティアの視線とぶつかった。

「ティアが、」

 警備員が射殺しようとした相手がティアだと知り、敏いルークは警備員の事情を理解した。
 他の誰もが警備員に射殺されそうになったティアを気遣う中、ルークだけはティアを複雑な感情を浮かべた眼で見て。
 ルークの双眸に映る確かな非難に気圧されて、青褪めていたティアは視線を逸らして俯いた。


 それしか、できなかった。




ストーリー重視だと夢要素がどこかに飛んでいきますね。
2012/11/01
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