人の話し声を意識の端で受け止めていた。
 ミリアが瞼を持ち上げると、白い天井が視界に映った。ノリが効いた白いシーツに手をついて上体を起こすと、ミリアは自分がベッドに横たわらされていることに気付いた。ミリアの意識はティア・グランツの攻撃を凌いだところで不自然に途切れている。ミリアは慌ててベッドから飛び出すと、勢いそのままに転げるようにベッドしか見当たらない部屋を飛び出した。1つしかないドアに通じる部屋には、血臭と消毒薬の匂いが渦巻き、たくさんの怪我人が転がっていた。

「ミリアさん」
「シュウ医師、私いったい……いえ、それよりもこの状況は……」
 シュウ医師は椅子に座って怪我人の治療をしていた。
 混乱するミリアに対して、シュウ医師は言葉少なく状況を告げる。

「…ティアさんの譜歌の影響で」
「!」
 シュウ医師は最後まで言わずに言葉を濁したが、ミリアが状況を察するには充分な言葉だった。

「私も手伝います!」
「助かります。この場は私に任せて、ミリアさんには他の部屋にいる怪我人の治療をして欲しいのですが」
「わかりました」
「ミリアさんもくれぐれも無茶をしないでください」
 シュウ医師の忠告をありがたく受け取って、ミリアは部屋を飛び出した。


 

「あれは……?」

 怪我をしている人を治療して回っていると、廊下にキムラスカ軍服を着用する集団を見かけた。
 騒ぎの中心で、涙混じりの声と、怒声が飛び交っている。ミリアが歩み寄り、人垣の隙間を縫って中を覗くと、軍人によって警備兵が捕縛されていた。傍にはルークと、ティアの姿があった。

 床に座り込んでいるティアは頭を両手で押さえてさめざめと泣き、ルークはそんなティアを苦々しく見ていた。
 事態を把握出来ずに困惑しているミリアの耳に『警備兵がベンを射殺』『ベンはあの人を助けようとした』と言った言葉が届いた。細切れの言葉を繋げ合わせて、おおよその事情を把握したミリアは顔を歪めた。

 被験者が犯した罪はあまりにも重たい。
 自分の行動を犯罪だと認識していなかったティアにとって、今回の出来事は心を抉るような痛みを与えたはずだ。どうしてこんなことになったのかと涙に暮れるティアの姿は、事情を理解していない者達にとっては、ベンという死者を悼むやさしい女の姿に思えた。

 1人の研究員がティアに近付く。彼女の肩に触れて、慰めた。

「ベンが死んだのはあんたの所為じゃない。警備兵が殺しちまったのが悪いんだ。俺たちはあんたに感謝してるよ。怪我を治してくれて、ありがとう」

 ティアの泣き声が一層増した。ティアは縮こまって泣いて、小声で「ちがうの」「そうじゃない」と呟いた。慰めていた研究員はティアがさらに泣いた理由がわからずに困惑した。

 ルークはティアと研究員のやり取りを見ていられず、視線を逸らす。その先に、ミリアが居た。
 人垣の中に紛れていたミリアの姿に気付いたルークが「ミリア」と名を呼ぶ。その声に応えるようにして、ミリアは人垣を縫って近寄った――さめざめと泣いていたティアが面を上げた。

「あなたが……いたから! 私はこんな――ルーク!」

 ティアは涙塗れの顔で、ルークの名を呼んだ。
 まだ言い訳を繰り返そうとするティアの態度が腹に据えかねて、ルークは怒りの眼差しを向けた。

「ふざけんな!」
「ルーク、」
「…っ、ああ、わかってる……」

 ミリアはルークの怒りを鎮めるように、彼の腕をそっと引いた。ルークは深い溜息を吐いて、怒りを押し殺す。2人のやり取りを眺めていたティアはくしゃりと顔を歪めて、憎悪を剥き出しにした。
 怪我をした人たちを癒すという行為によって聖女のように思われていた少女の変貌に、彼女を慰めていた研究員と、状況を見守っていた周囲の人々がハッと息を飲んだ。

 ルークは怒りをどうにか抑えると、警備兵を捕縛して軍の支部に戻ろうとするキムラスカ軍人に近付いて声をかけた。小さな声で会話しているらしく、内容は聞き取れない。ルークの話を聞いたキムラスカ軍人は厳しい顔つきでティアに歩み寄ると、彼女に「ご同行願います」と言った。
 きょとんと呆けたのは事情を知らぬ者だけだ。言われた当人であるティアは再び顔色を真っ青に変えて、受け入れがたい現実を拒否するように首を緩く振る。しかしキムラスカ軍人は容赦なかった。ティアの両腕を持ち上げるように歩き出す。その姿は、犯罪者を無理やり連行する軍人の姿を連想させた。

「ま、待ってくれ!」
「な、なんで、その人を連れて行くんだ?」
「その人がいったい何をしたっていうんだ」

 ティアが連行される姿を黙って見ていられなかった者たちが、キムラスカ軍人の前を塞ぐ。キムラスカ軍人は職務妨害だと厳しい口調で言うが、前方を塞ぐ集団が怯むことはない。彼らにとって、ティアは怪我を治してくれた良い人だった。よもや、ティアが自分達を怪我させた原因であるなど思いもしなかった。

「あなたたち……」

 自分の味方をしてくれる人たちの姿にティアは感動した。そんな彼女の姿を目にしたキムラスカ軍人は不快になり、つい言ってしまった。

「この女は研究所を襲った犯人だぞ。お前たちを譜歌で眠らせて、怪我させておきながら、善人を装い怪我を治療して回っていたんだ」

 ティアの左脇を固めていたキムラスカ軍人から見て、ティアはとんでもない女だった。研究所を襲撃して、多数の死者、重軽傷者を出しておきながら、善人を装って怪我人を治療して回る。ティアの行動の裏に、自分の犯罪がばれても”何か事情があったのではないか”と周囲に思わるよう、善人を装っていたのではないかと、ありもしない打算を見出していた。自分の罪を軽減するために、被害者達の心情を自分に寄り添わそうとしているように見えたのだ。キムラスカ軍人の中の想像上のティアは悪女でしかなく、ティアが犯罪者であることも知らずに彼女の思惑通りに動いている者たちが哀れに思えて、口走ってしまった言葉は――事情を知らぬ者達に深い衝撃を与えた。

「……うそだろ?」
「ベンが、だって、それじゃ……!」
「あの警備兵は、そいつが犯人だって知ってて、……ベンは、」
「そんな…! うそだろ? なあ、そんなわけないだろ!?」

 驚愕を顔に張り付けて被害者たちは、ティアとキムラスカ軍人を囲んだ。

 ルークは、ミリアはまずいと顔を顰めた。こうならないようにルークは小声でキムラスカ軍人に話を通したのだ。被害者の中でティアは良い人として認定されていた。そんな彼らにとって、ティアが自分達が怪我をする元凶であり、さらにベンという仲間を警備兵に殺害させるキッカケであることを知ったら、パニックになる可能性があった。被害者が加害者に変わる瞬間など見たくない。ルークはその一心で事情を伝えたのに、1人のキムラスカ軍人はルークの意思を汲むことが出来なかった。このままでは暴動が起きるのも時間の問題だった。

 ミリアとルークがキムラスカ軍人と、被害者の間に割って入る。

「やめて!」
「やめろ!」

 何をやめてなのか、2人とも判断出来なかった。あるいは、これから起こるであろう暴動を予想して抑止するための言葉だったのかも知れない。
 2人の思いは、元凶であるティアによって、無に帰された。

「……ごめんなさい。あなた達を巻き込むつもりなんてなかったの」

 ルークの背筋を、蛇が這うようなおぞましさと冷たさが過ぎる。
 いつぞやルークに対して吐いた言葉を、ティアは再び述べる。あの当時、ルークはティアの謝罪を受け止めた。ルークに対して通じた謝罪を繰り返すティアは許されると思ったのだ。巻き込むつもりはなかった。誠心誠意謝り、事情を話せば、きっと許してくれるはず。ルークや、シュザンヌや、モースが許し、国が罪に問わず、許してくれたように。
 傲慢と称されるに相応しいほどの甘い考えをひけらかしたティアの謝罪は、被害者たちの怒りを買った。

「――ふざけんなっ!!」

 キムラスカ軍人の言葉を否定せず、肯定を返したことで、彼らは自分達が庇っていた少女が犯罪者であることを知ってしまった。
 警備兵がティアを射殺しようとした理由、ティアを庇って死んでしまったベン、警備兵を責め立ててティアに慰めの言葉をかけてしまったこと――何も知らずにいた自分達がまるで道化のようだった。
 怒りと憎しみ、悲哀といった感情が一気に胸中を埋め尽くす。頭に血が昇ってしまった者達は感情を堪える術を知らず、拳を作り、一斉にティアに襲い掛かった。

 先程までとは比にならない喧騒が広がる。
 鼓膜を打つ人々の怒声と共に、ルークとミリアは彼らとティアの間に挟まれて揉みくちゃにされた。

 キムラスカ軍人が血相を変えて暴動を収めようとするが、怒りに酔う人々は抑止の声を聞こうとしない。血走った目をする無数の人々によって、ティアはキムラスカ軍人の腕から引っ張りだされた。力強い手に白い腕を握られて、苦痛を訴える小さな悲鳴がティアの口から漏れる。それすらも怒りを助長させてしまい、ティアは身体を強く押されて床に倒れた。このときになってようやく、彼らの怒りを買ったことを理解したティアの顔が強張る。

 ティアが恐々と見上げた先にいたのは、憎しみと怒りに満ちた眼差しをする人々。

 彼らは一様に拳を振り上げて――

「や…っ、やめてええええええええええええ!!」

 甲高い悲鳴をあげるティアを殴り始めた。




2012/11/15
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