「――っ」
喧騒に気付いたジェイドたちが騒ぎの中心にたどり着いたとき、そこはすでに静寂を取り戻していた。
部屋の中心には変わり果てたティアの姿がある。度重なる暴行を受けて、ショックで声も出ないらしく微動だにしない。殴打されたことにより腫れ上がった皮膚に、眼鼻が埋まったように見える。身体は青痣だらけで、中には赤黒く変色していた。腕や足も折れていないことが不思議なほどに痛めつけられていた。呻くことすら出来ず、ティアは屍のように床に転がっていた。
「ティア! なんて酷い――」
ティアの変わり果てた姿に、しばし一同は呆然としていた。
ハッと我を取り戻してたガイがティアに駆け寄る。
「なんでこんな、――ルーク! どうしてお前が傍にいてティアがこんな目に、」
ティアからすこし離れた先で、ルークとミリアが疲れ果てたように座り込んでいた。
ガイはティアの姿にばかり着目していて気付かないが、ルークとミリアも全身がぼろぼろになっていた。ティアを殴りかかろうとする人々を抑えるために立ちはだかった所為で、衣服を掴まれた。その所為で2人の衣服はだぼだぼに緩んでしまい、胸元がだらしなくはだけていた。先刻までは整っていた髪も鳥の巣のように跳ねている。
ミリアは疲労を濃く滲ませた顔で、ルークを責めようとするガイを止めた。
「ルークを責めないで。ルークはこんなことにならないように配慮したのよ。それを被験者が……無神経な一言で、彼らの怒りを買ってしまったの」
「無神経な一言って……いったいティアが何したって言うんだ! ティアがこんな目に合う理由なんてあるわけ、「あるに決まっているでしょう」……旦那?」
ジェイドは深い溜息を吐いて、ティアに近付く。人の足音を聞いて、再び暴行されるのではないかと恐れ戦いたティアはヒッと喉奥で悲鳴をあげた。ジェイドはすうっと赤い眼を細めて、ティアの怪我の具合を軽く診た。
「おやおや、随分と痛めつけられたようですね。まあ、死にはしないでしょう」
「死にはしないって…酷いじゃないか!」
怒りで顔を赤く染めたガイを鬱陶しそうに見やり、ジェイドはミリアとルークに視線を向けた。2人の傍には、同様に疲れたような顔を隠せずにいるキムラスカ軍人の姿があった。ティアに暴行を加えた者達と思わしき人物の姿は見えない。
「いったい何があったんですか?」
「……ティアが怪我した人たちを治療して回っていたんだよ」
「それでどうしてこんな……」
「ガイ、あなたは黙っていてください」
いちいち口を挟んでは理解出来ないと言うガイを、ジェイドは黙らせる。不満げにだがガイが黙り込んだことで、ルークが話を続けた。
「それで、警備兵がティアを殺そうとしたんだ。自分達を譜歌で眠らせて攻撃させたのはティアの所為だって、警備兵は知ってたから。ティアの行動が欺瞞に見えたんだろう」
「――なるほど。それで?」
「ティアを殺害しようとする警備兵を止めるために、研究員が警備兵に襲い掛かった。研究員にとってティアは自分達を治療してくれる人だ。そんなティアを射殺しようとしている警備兵は、研究員たちにとっておかしい奴だったんだろうな。……揉み合いの末に、警備兵が誤って研究員を殺したんだ」
「それは……」
さすがに一同は言葉をなくした。
「キムラスカ軍人が来て、一先ず騒ぎは収まったんだけど、そこにいる軍人がティアが研究所を襲った犯人だって言っちまって……それで真偽を確かめようとした人たちがティアに詰め寄ったんだ」
ルークは一拍間を置いて言った。
「ティア、そいつらに対してこう言ったんだ。『ごめんなさい。あなた達を巻き込むつもりなんてなかったの』って」
「なるほど。それで怒りに狂った人たちがティアに暴行を加えたわけですか」
「だからってこんな……酷すぎるだろう!」
「ガイ、あなたは自分が同じ被害者だと仮定して、加害者におなじ言葉を言われて怒らないでいられますか?」
「え?」
「たとえば。あなたのご家族に危害を加えたファブレ公爵が、そのことを一切打ち明けず、あなたや姉を保護し、治療したとしましょう。当然、事情を知らないあなたと姉はファブレ公爵に対して感謝の念を覚えますよね? 命の恩人として。ファブレ公爵が自分達に危害を加えたことを知る者が、ファブレ公爵を撃ち殺そうとします。あなたと姉は命の恩人であるファブレ公爵を守るために、相手を止めようとする。その結果、姉は相手に誤って撃ち殺されてしまいます。そこで、第3者により、元々ファブレ公爵が犯した罪を知らされるわけです。自分達を危険な目に合わせた元凶がファブレ公爵でありながら、彼は被害者を保護し、治療して回っていた。どう思いますか?」
「どうって、それは……ふざけるなって思う。俺たちを危険な目に合わせておきながら、今さらそんな善人ぶったって罪がなくなるわけじゃないのに」
「今あなたが思ったことを、ティアに暴行を加えた人たちは思ったんですよ。そして、真偽を問い詰めるわけです。自分達を治療してくれたあなたが、そもそも自分達が怪我する元凶を作った犯罪者だなんて、何かの間違いだろう。嘘であることを願いティアを問い詰めたのに、彼女が被害たちに返した言葉が『ごめんなさい』と肯定する言葉と『巻き込むつもりはなかった』という言葉だった。これでもあなたは、ティアに対して暴行を加えた人々が酷いと言えますか? ――復讐心を抱えて、人を殺害しようと企んできたあなたが酷いと言うことが出来ますか?」
「っ!!」
ガイは何も言えず口を閉じた。その顔色は悪い。
ティアを暴行した人たちをとやかく言える権利はないと、ガイは今気付いた。
「それで、その人たちは?」
「……他のキムラスカ軍人たちが連れて行った」
ジェイドは顔を顰めた。
「……暴行罪の現行犯として連行されたのかも知れませんね。情状酌量の余地はあるとは言え、暴行は暴行ですから」
不幸な事件だ。そもそもティアが事件を起こさなければ。犯罪者の自覚があれば。被害者に対して無神経な言葉を言わなければ。たらればの話をしても仕方ないことはわかっているが、それでもどうしてと思う気持ちが尽きない。ルークは唇を噛み締めた。
「あのとき、俺がティアを許さなかったらこんなことに……」
「ルーク、自分を責めないでくださいませ。あのときティアを許してしまったのは、ルークだけの責任ではありません。わたくしたち、キムラスカ上層部にも問題があったのです。何より、犯罪の自覚なしに罪を重ね続けているティアに問題があったのです」
ナタリアの慰めの言葉を、ルークは苦々しい表情で黙って聞いていた。
「……過ぎたことを言っても仕方ありません。ティアにはいい加減罪を償ってもらいましょう」
「…そうですわね」
ナタリアがキムラスカ軍人に命令を下す。早くティアを牢屋に連れて行くようにと。
キムラスカ軍人は頷き、床に伏したまま動くことも出来ずにいるティアを支えて、彼女を連れて部屋を出て行く。
「ちょ、ちょっと待ってくれ、ティアは!」
「ガイ、これ以上失望させないでください。ティアは罪を犯した。刑を受けるのが当然でしょう」
「だけど、ティアは俺たちの仲間なんだぞ! それにティアがこの研究所を襲ったのだって、元を正せば、ミリアがティアの居場所を奪った所為じゃないか!」
「「ガイ!」」
「ナタリア、君ならわかるだろう? アッシュがそうだったんだから!」
アニスとジェイドが飛ばされた叱責の声を無視して、ガイはナタリアに向かって言った。
ナタリアとルークの表情が強張る。ルークは7年間ずっと被験者ルークの居場所を奪っていた――アッシュはそう言った。ナタリアも1度アッシュの言葉に揺れ動かされて、ルークを”本物のルークの居場所を奪った偽者”として見捨てている。そのことを突かれたらナタリアは返す言葉がない。かといって、黙り込むなんて選択肢はなかった。
ナタリアは強く下唇を噛み締めると、ガイに歩み寄る。そうして、手を振りかぶるとガイの頬を打った。
風船が破裂したような音が落ちる。
ナタリアに頬を叩かれたガイは呆然とした面持ちで彼女を見ていた。
「居場所を奪ったなんて言葉、犯罪行為を犯す理由にはなりませんわ!」
それはティアのみならず、カイツール軍港襲撃の首犯でもあるアッシュをも責める言葉だった。
恋情を寄せるアッシュを責めることはナタリアに痛みを齎した。しかし、恋した人だからと犯罪を犯しても目を瞑るような真似を、ナタリアはもう2度としたくなかった。ナタリアは1度アッシュを本物のルークとして受け入れてしまっている。カイツール軍港を襲撃して自国に被害と損益を与えた男を、恋した人だからと彼が犯した犯罪行為から目を背けてしまった。
ナタリアはガイを睨むように見つめた。若草色の双眸が潤み、一筋の涙が頬を伝う。
「わたくしは、アッシュもルークも大切です。ミリアもティアも仲間だと思っていましたわ。けれど、今のティアは見ていられません。罪を犯したら償ってほしい、仲間だと思っていたティアに対してそう思うことの何がおかしいというのです」
ガイは何かを言おうとして、仲間から向けられた視線に沈黙した。
「……わたくしたちは以前に罪を犯したティアを許してしまった。犯罪を犯しても謝罪すれば許してもらえる。無意識のうちにティアがそう思っていても不思議ではありません。その傲慢な思考を助長させたのが、わたくしたちの所為ではないと、誰が言えますの?」
「……だけど、俺は……」
「ガイがティアを庇うのは勝手だけど、でもそれを、あたしたちにまで押し付けないで!」
耐え切れずに口を挟んだアニスがナタリアを庇うように2人の間に割り込み、ガイを睨みつけた。
ガイはぐっと口ごもり、踵を翻した。――ティアを追うために。
キムラスカ軍人に連行されたティアを追ったガイを見送る。
一同は薄々と予感していた。
ガイとティアとルークたち。――両者の道が2つに別たれたことを。
――その数10分後、ティアを連行していたキムラスカ軍人が何者かによって攻撃を受けて死亡した。
ティアとガイの行方は何処にも見当たらず、その後2人が仲間の元に戻ってくることは無かった。
prev next
back