バチカル廃工場。人の手から放棄された廃工場は魔物の住処になっていた。どこからともなく廃水が流れ落ちる音が工場内に反響する。
 ところにより食べ物の食いかけや飲み物のボトルがあちらこちらに転がっていた。おかしなことにまだ真新しい。若者が肝試しに入ることもあると聞いたから、そのせいだろう。
 どこもかしこも薄汚れて蜘蛛の巣が張っている有様だったが、比較的綺麗な場所を見つけて、そこでナタリアは親善大使一行を待っていた。

 王の命令に背いて、ナタリアは廃工場にきていた。それもこれも、マルクト帝国と和平を結ぶと聞いて、いてもたってもいられなかったのだ。和平の外交官に選ばれた婚約者のルークが七年前記憶喪失になって以来どうにも頼りないせいもある。自分がフォローしなければ、という思いに染まっていた。

 街の出入り口も、キムラスカ軍港も、両国の和平に難を示す神託の盾騎士団が封鎖している。街の外に出るには、廃工場を抜けるしかなかった。ルークたちはここにくるはず。確信を抱いて、王城を脱け出しナタリアは廃工場にきたものの、一向に親善大使一行が来る気配はなかった。

 焦燥に足踏みをしていると、不意に複数の足音が聞こえた。ようやくきたのか。ナタリアがパッと明るい顔で周囲を見回すと、暗がりからぞろぞろと四人ほどの男達が現れた。
 その後のことは思い出したくない。


 *


 ガイの進言を受けて、親善大使一行は廃工場を抜けて街の外に出ようとした。
 廃れて久しい廃工場はオイルと鉄錆の匂いが入り混じり、顔をしかめたくなる。

「盗賊のねぐらになってそうですねえ」
「盗賊はいないが、若い男連中が出入りする姿は目撃されてるよ。それに、腕に自信がある商人や一癖ありそうな連中も」
「ここを通れば街に自由に出入りできるようですからね。怪しい連中も出入りし放題でしょう」
「だから、魔物の住処なんだよ」
「なるほど。魔物が外から廃工場に入り込んだわけではなく、キムラスカが魔物を捕まえて工場に放ったわけですか」
「そうらしい。工場の持ち主は負債を抱えて亡くなって、国が管理するようになったんだがなにぶん工場だろう? 閉鎖しようにも、汚染水の処理や、その処理施設を建設するために莫大な費用がかかるらしい。……ホド戦争の傷もまだ癒えてないし、マルクトと小競り合いも続いてるから、ここに金をかけるわけにもいかないって話で、だから、手付かずのまま放置されているらしい」
「へえ、そうなのか」

 ガイの話に感心してルークが相槌を打った。興味深そうにティアたちは話を聞いている。

「でもさ、悪人の対策として魔物を放つのは得策とは言えないんじゃねーの? 魔物が街を襲ってくる心配もあるだろ」
「ルーク……あなたにしては良い質問だわ」
「どういう意味だよ!」

 ティアが感心して口を挟む。馬鹿にされたルークはイラッとして怒鳴り返したが、ティアは意に介した様子はない。ガイは苦笑した。ジェイドは眼鏡のブリッジを押すと断定した口調で言った。

「定期的に、キムラスカ軍が廃工場に入り魔物を間引くわけですね」
「ああ。魔物の繁殖時期に合わせて、魔物が増えすぎないようにキムラスカ軍が調整するのさ。メスを殺してね。だから、廃工場の魔物は一定以上増えない。それに、廃工場から魔物が出てこれないように譜術で何かしているらしい」
「なるほど。マルクト軍でも譜術をそういう風に使うこともありますよ。ですが、魔物を警備に利用するというのは聞いたことがありませんね。これは良いことを聞きました。上手く使えれば軍の経費の節約になります」

 ジェイドは含み笑いを見せる。

「まあ、人間が警備しているわけじゃないから、腕に自信がある奴は魔物の網を掻い潜っちまうんだけどな。だから、廃工場を通路に使う悪い連中もいるよ」
「それは、仕方のないことなんでしょうね」

 ティアが話を締めくくる。ルークはやけにガイが廃工場の事情に詳しいことが気になったが、追及することはなかった。話をしながら、魔物を倒しつつ先に進む。開けた場所にたどりつくと複数の男達が何かに群がっていた。

「やべっ」

 男達はルークたちに気付くと、慌ててずり下がったズボンを上げた。見たくないものを見てしまったティアとアニスが顔をしかめる。ルークたち男性陣は冷めた目を向けた。男達はズボンの前を直すと、愛想笑いを浮かべて、ルークたちの横をすり抜けようとする。彼らの背後に隠れていたものが姿を現した。
 カッと、一瞬で頭に血が昇った。
 ルークはとっさに一人の男の腕を掴んだ。険を孕んだ表情は男を威圧する。一人の男を残して、薄情な男の仲間達は去っていった。仲間に見捨てられた男は青褪めていた。

「おまえ……ナタリアに何をした?」

 男達に群がられていたのは、ナタリアだった。
 ナタリアは服を肌蹴させて呆然と倒れている。起き上がる気力もないらしく天井を虚ろな眼差しで見ていた。ふつうではない。頬は真っ赤に腫れあがり涙の痕が見える。唇は切れて血を流していた。いや、血を流しているのはそこだけではない。ナタリアの太股を一筋の血が蛇のように張っている。それだけではない。ナタリアの全身は、白いペンキのようなもので汚されていた。
 
 ガイは厳しい表情で、ジェイドは冷えた表情で、ルークに捕まった男を見る。ティアとアニスは言葉もなく青褪めていた。ルークは二人にナタリアを頼む、と声をかける。ハッと気を取り直した二人がナタリアに駆け寄った。

「あ、あの女が悪いんだよ……こんなところに一人でいるから……」

 男は怯えた表情で弁解する。こんな治安の悪いところで一人で出歩く女が悪いと。男はナタリアが王女だと気付いていないようだった。キムラスカ王族の象徴を持たないナタリアは男達にとってただの女でしかなかったのだろう。
 到底男の言葉は許せるものではない。しかし、男の言葉もわからなくはなかった。こんなところに一人でいるのが悪い。それは、一理あった。

 グッと眉間を狭めたルークに男はいう。

「な、見逃してくれよ。あんたたちも、あの女やっていいからさ。ほら、その女たちとあんたらもここで遊ぶ気してたんだろ? ここなら宿代かからないもんな。あ、そっちはマルクト軍人のようだし、バチカルに侵入しにきたんだろ? 神託の盾騎士団兵もいるみたいだし、戦争かなんか仕掛けにきた? なあ、そうだろ? なら、俺もあんたらを見逃してやるからさ……」
「ふざけんな!」

 男の身勝手な言い分に腹が立ち、ルークは言葉を遮るように怒鳴った。ガイも怒りが込み上げているようだ。ジェイドが男を冷たい眼で見ながら指示をくだす。

「ルーク、インゴベルト陛下にただちにこのことを伝えてきてください。すぐに謁見できない場合はあなたのお母上に頼むといいでしょう。もしくは、セシル将軍でしたか。とにかく、女性兵に。あまりことを広めないように。ナタリア王女の名誉がかかっています」
「っだけど!」
「あなたが最適なんですよ。私たちでは話がインゴベルト陛下に伝わるまで時間がかかります。心配しないでください。男が逃げ出さないよう私がしっかり見張っておきますので。ガイ、あなたもルークについていってください」
「……わかった。頼んだぞ」
「ええ」

 ルークが固い表情で頷いてガイもそれに倣う。後ろ髪を引かれるように離れがたいようだったが、今はジェイドの指示に従うしかないこともわかっている。街に向かって駆けていった。
 男はほっと安堵に胸を撫で下ろす。ルークは男の腕をかなり強い力で掴んでいたらしく腕にはくっきり痕が残っていた。ジェイドは釘を刺す。

「逃げないでくださいね、死んだほうがマシだという思いを味わいたくなければ」

 ルーク達が数人の女性兵を引き連れて戻ってきたとき、地面には苦痛でのたうち回っている男とその様子を冷ややかに眺めるジェイドがいた。男の両膝は砕けていた。


 女性兵に囲まれ、ナタリアは毛布に包まれて肩を抱かれるようにして城に戻った。
 ルークたちも和平任務を一時中断して城に連れ戻される。当然、男も。こんな状況だ。和平任務を第一に考えるジェイドですら何も言わない。
 インゴベルトの私室まで連れてこられた。事情を把握していたインゴベルトは毛布に包まれた娘の様子を見て憤った。ナタリアは呆然と虚空を見つめたまま反応ひとつ示さない。まるで、廃人のように。

「おおナタリア! 誰がおまえをこんな目に! どいつだ! どの不届き者だ! わたしが殺してくれる!」

 国王は涙を流しながら毛布に包まれた娘を抱き締める。その眼は血走っていた。
 両腕を掴まれて引き摺って連れてこられた男は顔色を悪くさせて震えている。自分達が犯した相手が誰なのか、ようやく理解したようだった。

「ルーク、こいつか、この男がナタリアを!」
「叔父上、この男だけじゃありません。俺がたどりついたとき、この男のほかに三人の男がナタリアに……」
「なんと、なんということを……! 殺してやりたいのはやまやまだが、先にナタリアをこんな目に合わせたおまえたちの仲間を吐いてもらうぞ。どんな手を使ってでも、この男から情報を搾り出せ!」
「はっ!」
「あ、ああ、待ってください、その女が王女さまだと知らなかったんですッ! 陛下、ご温情を、陛下ッ! いやだ、そんな、いやだぁあ!!」

 キムラスカ兵は泣き喚く男を連れて行く。牢屋か、拷問部屋か。どちらにせよ、男の未来は決まったようなものだ。
 国王はナタリアを抱えながら「なぜこんなことに」と呟いた。

 国王からしてみれば、ナタリアは王城で大人しくしているはずだった。
 廃工場に、王女が一人でいることがそもそもおかしいのだ。無理やり男達に連れ去られたのか。連行した男を見る限り、そんなことができる人間とは思えなかった。良くも悪くも、男の印象は凡庸でしかない。それに、ナタリアが誘拐されたのなら護衛兵や、お付きの侍女たちが騒ぎ立ててる。
 それがないということは、ナタリアが自分で廃工場に向かったとしか考えられない。
 なぜ。ナタリアは護衛を撒いて、勝手に飛び出たのだろうか。ナタリアに真意を尋ねたいところだが、心を壊したのか返事ひとつしない。
 インゴベルトは暗澹たる気持ちで顔色を曇らす。暴漢に華を散らされたナタリアの今後が心配でしょうがなかった。
 王侯貴族は女性の処女性を大事にする。女は家の跡継ぎを産むことが多いから当然だ。ナタリアは――。

 インゴベルトは顔色を変えた。早く医者に診せて処理させなければ。国王は急いで王城勤めの医者を呼んでナタリアを診させた。

「和平任務を遅らせてすまない。軍でアクゼリュスまで送らせてもらおう」

 ナタリアのことは気にかかったが、王に促されてルークたちは親善大使の任務を続行する。海上を封鎖していた神託の盾騎士団はキムラスカ海軍の攻撃を浴びて海の藻屑に帰った。
 ルークたちは海路を使い、アクゼリュスへと向かった。
 導師イオンを救出することなく、余計な回り道を食うことがなかったため、ルークも失言することなく。アクゼリュスで導師イオンと再会する。
 その後、ルークは洗脳によりパッセージリングを破壊してアクゼリュスは崩壊するが、ティアが何を言おうとも、彼女の発言に疑問を抱いたほかの同行者により私刑まがいを受けることはなかった。


(2015/11/15)
(2015/11/16誤字修正)


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