「――ありがとうございました!」
嗚咽混じりの声が届く。
(私を殺すのはお前か、)
(ルーク)
ヴァンは自分の体に突き刺さる剣を、満足そうに受け止めていた。
心臓が停止するのも時間の問題だろう。
死に際に立たされているというのに、ヴァンの顔に浮かぶのは穏やかな表情だった。
茶番だ。
何もかもが、茶番に過ぎない。
最後まで道化であったことを知らずに、自分を泣きそうな目で見ている2人のレプリカに向けて、ヴァンは笑んだ。
ガイとティアを欠いても、ルークたちの旅は滞りなく続いていた。
レプリカの大地で作り上げた、滅亡したホドを模倣した島、エルドラント。
そこにヴァンがいる。
六神将たちを倒して、残るはただ1人、ヴァンのみ。
突如浮かんだ島が、最終決戦の地になるであろうことは、皆が理解していた。
最終決戦前夜。
明日を迎えることは出来ないかも知れない。
その思いを胸に抱いた皆は心残りをなくすために、1日の自由時間を設けることにした。
「じゃあ、……明日!」
アルビオールが蒼穹を駆ける。
ダアトで降ろしてもらったアニスは、アルビオールを見上げて大きく手を振った。
アニスは最終決戦前夜を、両親と、導師イオンのレプリカであるフローリアンと共に過ごすことを望んだ。アニスが笑顔で「ただいまーっ!」と家に向かっていく。アニスの声を聞きつけて、家から飛び出して来たフローリアンがアニスに抱きつき、両親が笑顔で娘の帰宅を喜んだ。
アニスは明日、死ぬかも知れない。そのことを両親にも、フローリアンにも伝える気は無かった。ただ、次はいつ帰れるかわからないと笑って言った。
ジェイドはグランコクマの近くで降ろしてもらった。
ピオニー陛下に報告をするためだ。結婚もしていないうえに特別に逢いたい人も特にいない。明日は生きて還ってくる予定なので、これといって特別な過ごし方をする気はなかった。ピオニーに報告した後は家でのんびりと休もう。グランコクマ宮殿に向かうジェイドの足取りはいつもと変わらなかった。
ナタリアはバチカルの近郊で降ろしてもらった。バチカル城に向かうナタリアは、当然のようにルークを誘った。すでにルークはファブレ家の家族の一員として認められている身。無事であることを両親に知らせることは至極当然である。ルークはその誘いを受けようとして、ミリアの存在が気にかかり、曖昧な返事しか返すことが出来なかった。
ルークたちを降ろしたあと、ノエルはシェリダンに一時帰宅する。アニスはダアトへ、ジェイドはグランコクマへ、ナタリアはキムラスカへ、ノエルはシェリダンへ。皆それぞれ、帰るべき居場所がある。ルークも、ファブレ公爵家に帰れる。けれど、ミリアは。――帰る居場所があるのだろうか?
ルークがミリアをそっと窺い見ると、彼女は小首を傾げて「どうしたの?」と尋ねた。何の不安も浮かんでいないミリアの表情は、次の瞬間に亀裂が走った。
「……ミリアはどこに行くんだ?」
ナタリアがハッと息を飲み、反射的にミリアの顔を見つめた。ミリアの表情は一瞬だけ強張ったが、すぐにもとの表情に戻る。ルークはミリアの顔に浮かんだ、わずかな動揺を見逃さなかった。ルークは手を伸ばしてミリアの左腕を掴んだ。
「ミリア、お前もうちに来いよ」
「え」
「無理にとは言わないけど、良かったら来いよ。な?」
ルークの言葉にミリアは目を丸くして、苦笑を浮かべた。
「……家族の団欒を邪魔することは出来ないよ」
ルークの手にミリアの手が重なる――瞬間、ルークは驚愕に満ちた表情で唾を飲んだ。ミリアの顔を凝視して、なんで、とルークの唇が声なき疑問を口にする。
ミリアは笑顔でルークの疑問を切り捨てて、
「さ、ナタリアをこれ以上待たせてないで、早くご両親にも無事な姿を見せてあげて」
向き合っているルークの肩を、軽く押した。予想だにしていなかったミリアの行動に軽くよろめいたルークは、背中から転ぶことを避けるために動かした足で、アルビオールの機体からはみ出した乗員乗客用の段が低い階段を降りてしまう。
ミリアがノエルにアルビオールの離陸をお願いする前に、怒りと哀しみに染まった表情をしたルークが手を伸ばす。ミリアの左腕を掴んだルークは、そのまま彼女をアルビオールの中から引きずり降ろした。
ミリアは驚く暇もないままに、ルークの胸元に頭から激突した。ミリアごとそのまま背中からひっくり返ったルークは声を張り上げて、ノエルに命じた。
「ノエル、今すぐ離陸してくれ!!」
早く、とルークは乗員乗客用のドアの傍に立っていたノエルを急かす。慌てたノエルは「は、はい!」と返事を返すと、すぐさまコクピットに走り、操縦桿を握ると機体を飛び立たせた。アルビオールの両翼が飛び立った衝撃で目が開けられないほどの風と音を生み出した。ナタリアは風に負けてしまい尻餅をつく。目を瞑り、ごうごうと耳の奥まで突き刺さるような風の音を遮るために両手で耳を塞いだ。
目を閉じてしまいそうな風の中、ルークは自分の胸に顔を埋めているミリアの両肩を掴んで、顔を上げさせる。ミリアは呆気に取られた表情をしていた。
「このバカ! なんで……なんでビッグバンのこと言わなかったんだよ…!」
ルークの悲痛な叫びに、ミリアは瞠目して何も答えない。ルークは力強くミリアを抱き締めると、ミリアの肩口に額を押し付けた。
「ミリアのバカ……っ」
アルビオールが生み出した風は、ルークの嘆きを攫って消えた。ナタリアは瞼を持ち上げて空を仰ぐ。蒼穹の空に浮かんだアルビオールはぐるりと旋回すると、シェリダンの方向に向かって両翼をはばたかせていった。
「行ってしまいましたわね……」
ナタリアが視線を下ろすと、まばらにしか草が生えぬ地面でミリアを抱き締めるルークの姿があった。
まあ、と呆気に取られた顔をしてナタリアはぽっかり空いた口を掌で塞いだ。
ルークは深い深い溜息を吐くと、面を上げる。
「バチカルへ行こう。ミリアも」
「……宿屋に泊まるよ」
「ルークの家に行くことを躊躇うのでしたら、城へ招待しますわ」
「誘ってくれるのはうれしいけど、城も貴族の家も私には敷居が高いから。私のことは気にしないで」
微笑むミリアに強く言えず、ナタリアは諦める。ルークはミリアの顔をじっと見て、
「宿屋に泊まるんだな?」
「うん」
「わかった。――あとで行く。俺が行くまで、どこにも行くなよ。そのときに、どういうことか説明してもらうからな」
ミリアにしか聞こえぬよう、ルークは小さな声で言った。ミリアの返事を待たずに彼女を抱き抱えるように立ち上がると、彼女から手を放し、1人先に歩き出してしまう。バチカルへ向かって歩き出すルークの背に、ナタリアが「ルーク、1人先に行ってしまうなんて危険ですわ」と声をかけるが彼は振り返ることも、足を止めることもなかった。
「ルークはもう…。ミリア、行きましょう」
ナタリアは座り込んだままのミリアに声をかける。
ルークの背中を複雑な感情を湛えた眼で見つめていたミリアは服についた砂埃を払い、頷いた。
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