――ナタリア王女、生涯離宮から出ることを禁ずる。
会議中に乱入し、勝手に城を抜け出しファブレ公爵邸に行ったナタリアに告げられた言葉が、上記の言葉だった。もちろん政治に携わることは許されず、ナタリアは離宮で泣いて暮らしていた。
「っ、ひどすぎますわ…! わたくしはアッシュを取り戻そうとしただけですのに…っ!」
枕に顔を押し付けて泣く娘に、インゴベルトは憐憫を湛えた表情でナタリアの頭を撫でた。
―――本当だったら、ナタリアは王族から戸籍抹消されていた。
大事な会議中に乱入し、勝手に城を抜け出し、あげくに次代の王に殴りかかり次代の王妃に対し、暴言を吐いたのだ。いくら王女とは言え、そのくらいは当然の処置とも言える。
それを王の特権で、離宮でおとなしくすることで他の貴族たちの意見を退けたのだ。ナタリアとアッシュが結婚してくれれば、インゴベルトとしても言うことはない。むしろ喜んで祝福した。
だが、王家の威信が失墜してる今、英雄であるルークとアッシュの結婚は必要なのだ。だから、ナタリアにはアッシュを諦めてもらうしかない。
なに、王籍から末梢されなければナタリアは王女だ。引く手は数多。
結婚したがる者はいくらでもいる───そうだ。
そういえば、マルクト皇帝からルークに結婚の申し出があったではないか。
ルークではないが、ナタリアは王女。ナタリアでも良いのでは……?
ナタリアもマルクト皇帝と結婚すれば、ルークに対する怒りも収まるだろう……。
我ながらいい考えである。
インゴベルトは自らの楽観的な思考に何の疑問を抱かなかった。それが最良であると信じきって声を弾ませた。
「ナタリアよ、アッシュとは結婚できぬが、マルクト皇帝との結婚はどうだ?」
「え………」
枕から顔をあげたナタリアは、依然と涙を流しながら父を見上げた。父から言われた言葉を、脳裏で繰り返す。
――――マルクト皇帝と結婚。
そうすれば自分は、マルクト皇妃。
――――それも悪くない。
ナタリアはいそいそと起き上がると、恥らうように尋ねた。
「お、お父様…で、でも、わたくしとピオニー陛下と結婚なんて…その、ピオニー陛下はなんて仰ってますの?」
期待をこめた眼差しを向けるナタリアに、インゴベルトは娘が望む嘘をつくことにした。
「うむ、マルクト皇帝も乗り気だ。ぜひナタリアと結婚したいと言っておるぞ」
「まぁ…!」
ナタリアは満更ではない様子で頬を染める。明らかに機嫌を良くした娘の姿にインゴベルトも嬉しくなった。本当はマルクト皇帝が結婚を申し込みぜひに、と願ったのはルークだったが、まぁ、瑣末な嘘だろう。どうせ、マルクト皇帝がルークに結婚を申し込んできたのは政治的な思惑しかないのだろうから。それなら、ナタリアでも構わないはず。
確かに普通なら、政治的な思惑だと思うだろう。だからこそ―――インゴベルトは思わなかったのだ。まさか、マルクト皇帝がルークに惚れてるからこそ申し出てきた話だったとは。
*
「…キムラスカはふざけてんのか? どう思うよ、ジェイド」
「ふざけてますねぇ」
「だよな?」
ピオニーは正直怒りまくってた。書類を片付ける手が荒々しい。ペンなど持った先から、折れていった。ジェイドは苛々と仕事を片付けるマルクト皇帝を見て、溜息をついた。怒る気持ちもわからないわけではない。むしろ、怒って当然だと口に出さないまでも思っていた。
キムラスカから書簡を携えあらわれた使者に、誰もが心待ちしていた。
なにせうまくいけば、四十路間近の皇帝がようやく、ほんっっっっっっとうにようやく結婚してくれるのだ。ロリコンでも何でも良いから結婚してさっさと跡継ぎを作って欲しい――それがマルクト国民総意である。
そんな重臣たちの期待は書簡の内容を読み進めるうちに泡沫に消え……それどころか怒りに染まった。
「ルークはアッシュと結婚するので、マルクト皇帝の結婚の申し出は残念ながらお断りさせていただく。そこでなんだが、ナタリア王女をマルクト皇帝のお相手に…」うんたらかんたら。かなり噛み砕いたが、そんな内容の書簡がきた。
ルーク姫と結婚できないのは大変残念ですが、ナタリア王女との結婚も良いのではないですか───と、重臣たちが通常なら勧めてくる。しかし、誰ひとり勧めてくる者がいなかった。
それどころか、ナタリア王女と結婚することは絶対に許さないと一丸になるほど。ピオニーとしても、ルークならともかくナタリア王女と結婚する気はないので、それは願ったりだったのだが。
「…よくもまぁ、悪評が立ちまくってる姫を皇帝の俺に勧めてくるよな、まったく」
「悪評といえば…王命に背いたっていうアレですか」
「ああ。王の命令すら満足に聞けない姫を妻にしてみろ。王妃という権力を笠にやりたい放題だろ?」
ピオニーの言葉にジェイドはナタリアの性格を思い出した。――自分がやることすべて正しいと思ってる彼女なら、王の権力を笠に着ても自分の我を押し通すことだろう。容易に想像できてしまい、ジェイドはずれてもいない眼鏡のブリッジを押し上げた。
「……そうですね」
「それに、この国にはこの国なりのやり方がある。
それもわからず、政務に口出ししそうなナタリア姫を妻にしてたまるか」
けっ、と吐き捨てたピオニーにそれもそうかと、ジェイドは書類に目を落とした。
マルクトにとって、ナタリア王女をマルクト皇妃にするなんて論外である。
ナタリアを皇妃にするくらいなら、国内で有力貴族を妻に娶った方が余程国のためになる。だからナタリアを皇妃に云々というキムラスカの申し出は一笑して突き返す程度の話だった。
*
―――なんてことだ。
インゴベルトはマルクト皇帝から帰ってきた返事に血相を変えると、言葉を失った。
マルクト皇帝はナタリアとの結婚の申し出を断った。政治的思惑ならばルークでもナタリアでもどっちでも構わないとタカを括っていたのに、インゴベルトの見方は甘かったとしか言いようがない。ナタリアとの結婚話を喜んで受け入れると思っていたのに、こんな結果になるとは――インゴベルトはマルクト皇帝から届いた書簡を持つ手が震えた。
(ど、どうすれば良いのだ……ナタリアにはマルクト皇帝との結婚が決まったと言ってしまったぞ……)
アッシュと婚約破棄された娘は、マルクト皇帝との結婚話が出てようやく元気になり、マルクト皇帝の元に嫁ぐ準備をすでに始めてる。
綺麗になるため美容サロンに通い、マルクトに持ってく服を買いあさり、マルクトに連れてゆくメイドたちを厳選している。
これでもし、結婚話が破談──元々成立していなかったのだから、破談も何もないのだが──になったと知ったら。
今度こそ娘は暴走し、たとえインゴベルトでも庇えないだろう。
こうなったらマルクトに頭を下げてでも娘をもらってもらうしかない……。
インゴベルトの王とも思えない勝手な行動は、起こす前に、王の不審な行動に気づいた良識ある家臣たちによって止められた。
「そんな…」
王に呼び出されたナタリアは父から伝えられた言葉に眩暈を感じた。
部屋の外には護衛のための騎士がドアの両脇に控えているが、国王の私室にはインゴベルトとナタリアしかいない。ナタリアは他人の眼が届かないことを良いことに、普段の優雅な態度を金繰り捨てて怒声を上げた。
「今さら結婚話が破談などと……! もう用意は進めていましたのよ!? そ、それに皆様にマルクト皇帝と結婚が決まったとすでに言ってしまいましたのよ!?」
もし結婚が破談になったと友人にでもばれたりしたら、きっと失笑を買う。良い笑いものになるだろう。そんな恥辱を味わうなんて冗談ではなかった。
「今さらなかったことにしようなどと、虫が良すぎますわ! そもそも結婚話を持ち込んできたのはマルクトではありませんか!! お父様、マルクトに抗議してくださいませ!!」
鬼のような表情で娘に掴みかかられ、インゴベルトが口ごもる。はっきりと返事を返さない父に焦れたナタリアが「お父様!!」と鋭い声をあげた。
「ナ、ナタリア…落ち着いて聞きなさい。確かにマルクトから結婚の申し出があったのは事実だ」
「それならば今すぐ…!」
「しかし、お前にと申し込んできた話ではなかったのだ」
「……え?」
「マルクト皇帝が結婚を申し込んできたのはルークだったんじゃ」
ルーク。
また、ルーク。
どうして。
ナタリアの視界が黒く塗り潰されていく。彼女は額に手を当て、怒りのあまり卒倒しそうになる自分を叱咤した。崩れ落ちそうになった膝がカクカクと笑った。
インゴベルトは娘の取り乱した様子を痛ましそうに眺める。今回の事態を招いた自らの軽率さに深い後悔を覚えながら、静かな口調で言った。
「……そもそも、マルクト皇帝の申し出がルークに来なければアッシュと結婚していたのはお前じゃったのだ。マルクト皇帝からきた結婚話を退けるには、それに対抗できる地位をもつ者でなければいけない。王家の威信が失墜している今、ルークをマルクトにくれてやるわけにはいかなかったのじゃ。……ルークの代わりに、と、お前との結婚をマルクト皇帝に申し込んだのだが……拒否されてしまった。こうなれば仕方あるまい、キムラスカで将来有望な貴族を余が見つくろってやる。だから、それで何とか気を収めなさい」
――それはつまり、ナタリアはルークに負けたということだ。
愛しい婚約者はナタリアとの婚約破棄に合意して。
ルークの代わりにもなれないと、マルクト皇帝に判断されて。
「っ…………!!!!!!!」
人間でもないくせに!! アグゼリュスを崩壊させた愚か者のくせに…!! アッシュを奪うだけじゃ飽き足らず、やっと幸せをつかみかけた自分の幸せを今また、邪魔しようと言うのか――ナタリアは押さえ切れない憤怒に頭を掻き毟った。綺麗に切り揃えられた爪が頭皮に引っ掛かる。一瞬顔を顰める痛苦を覚えて手を見ると、爪に血がこびり付いていた。
「ナタリア!?」
インゴベルトが慌てたようにナタリアの手を見る。父が医者を呼ぶべく部屋の外に向かって声を張り上げる姿を、ナタリアはぼんやりと虚ろな眼差しで眺めた。
(――……許せない)
脳裏に浮かぶ、ルークの姿。男の頃ならいざ知らず、今のルークはナタリアの敵だ。ナタリアの幸せを悉く奪い、彼女に不幸を招く、災厄でしかない。
駆逐しなければ。―−それが正義だと思い込んだ。
ナタリアの若葉色の双眸に、暗い炎が宿った。
「そういやさ、ナタリアどうなったんだ?」
お前との婚約破棄して、ピオニー陛下と結婚するんだろ?
マルクト産のアップルティーをちょうど口に入れたときに、唐突に出された話題に一瞬アッシュはむせそうになったが、なんとかルークの目の前で失態を晒すことを避け飲み干すことに成功した。ルークがその話を知っていると言うことは、メイドたちが噂話でもしていたのだろう。――すでにその話は終わってるのだが。
「それはデマだ」
「デマ? つーと、お前との婚約破棄が?」
「それは真実だ。マルクト皇帝との結婚がデマだ」
「そうなのか…」
へー、とルークは料理長自慢のドーナツを頬ばりながら相槌を返す。だが、すぐにキョトンと目を丸くした。ナタリアとアッシュが婚約破棄したことは、この間の一件で予想はしていたが。
「でも、なんだってピオニー陛下とナタリアが結婚なんてデマ出たんだ?」
「……」
ナタリアが吹聴していたからだ。
と、アッシュは言わなかった。ナタリアに幻滅し、婚約破棄したとはいえ、幼馴染であることには変わりない。恥の上塗りになるであろうことは言わない。それが婚約を破棄した今のアッシュなりの思いやりだった。
アッシュはふと、城で流れている噂を思い出した。ナタリアが吹聴した噂は城中に広まってる。なにせ、ナタリア自身が吹聴してるのだから噂の勢いは止まることを知らず、城下でも流れつつあった。そこまでくると、マルクト皇帝がナタリアを娶らないといけないような流れに普通ならなる。しかし、身から出た錆と言うのだろう。
ナタリアが王命に背いた事実が国中を駆け巡り、そうした噂は国外にも及ぶ。悪評は止まることを知らず、マルクト皇帝とナタリア王女の結婚という誤報を知ったキムラスカ国民が「ナタリア王女をマルクト皇帝の元に嫁がせるなんて……我が国の恥を晒すようなものじゃないか!」と国王にそれはやめてくれ、という嘆願書がドサドサ届いたほどだ。
マルクト皇帝のほうにもそうした嘆願書がきっと届いて迷惑しているだろう。マルクト皇帝との結婚話が破談になったどころか、マルクト皇帝自身が「元よりそんな話は無い」と断言したこともあり、ナタリアが流した噂が事実無根……それどころか、ナタリア王女が公爵子息に婚約破棄され、アッシュが英雄のルーク様に懸想してることを知ったナタリア王女がなんとか公爵子息の心を取り戻そうと騒ぎ立てたと悪い印象が広がってゆくばかりだ。
今回のことは、ナタリアの思い込みと早とちりが招いたことだから何とも言えないが、父王でもあるインゴベルトにも責任があることは間違いない。権力を笠に着て、我を押し通してきた王と王女にそろそろ重鎮たちが事態の収束に乗り出すに違いない。忙しくなりそうな少し先の未来を思いやって、アッシュは遠い目をした。
ああ、空が青い。
―― 一時の現実逃避に走る。
「まあ、いっか。そういや、なんか話あるってお前言ってなかったか?」
「ああ、それはだな、」
「うん」
アッシュがくちごもる。アップルティーを飲み終わったルークが、今度はストレートティーをメイドに入れてもらった。アッシュはいまだ「あー」だの「そのだな」と言って一向にしゃべらない。ストレートを半分ほど味わったルークは蜂蜜が入った器に手を伸ばす。スプーンで蜂蜜を掬うと、紅茶へと投入した。サラサラとした上質な蜂蜜はスプーンでかき回さずとも溶けてしまうだろうが、念のためにぐるりとかき回す。カップを口元に運び、紅茶飲んだ瞬間、ようやくアッシュが口を開いた。
「―――俺と結婚してくれ」
「ブー―――ッッッ!?」
「汚いだろうが!!」
紅茶を噴出したルークが、げほげほ咽る姿に、眉を顰めつつ立ち上がって、背を撫でてやる。テーブル一面にルークが噴き出した紅茶がかかってしまった。すっかり白いテーブルクロスも紅茶色に染まっていた。
「おまえ……変なこと言い出すなよな! 紅茶ぶちまけて…もったいないじゃねーか!」
「それだけか?」
結婚にツッコまないのか。アッシュの眉間が微かに寄った。
「ああそうだ、もうひとつ! ドーナツが駄目になったじゃねーか!!」
「それでもないだろうが」
「ん? そっか、紅茶とドーナツ無駄にしてごめんな!」
「違う、そうじゃない。まず結婚にツッコめ!」
「アッシュ知っているか紅茶も緑茶も烏龍茶もおんなじ葉っぱでつくられてるんだぜ発酵期間がちがうだけで、」
「そうか、今はどうでもいい。……お前、いい加減、話そらそうとするのやめろ。苦しいぞ」
「まじかよ。ヘタレに言われた……」
「あァ? 混乱しているからって、なに言っても許されると思ってんじゃねーぞ。阿呆が」
「なんだよ、アッシュのくせに!」
「どういう意味だ?」
いかん、ルークのペースに引き込まれてやがる。舌打ちをして気分を落ち着かせる。ルークも溜息をついて気分を落ち着かせた。イスにドサッと腰掛け、空を仰ぐ。
「……アッシュ……おまえ、マジで言ってんのか?」
「冗談で言うか」
「……ナタリアは? おまえら、その、ラ、ラブラブ? だったはずだろ?」
うっ、寒い。ルークは自分の言葉で大ダメージを受け鳥肌を立てていた。わずかに青褪めたルークに呆れ、アッシュもルークに習い腰を落ち着けた。
「ナタリアには愛想がつきた。だから結婚しない。それだけだ」
「愛想つきたって……なんで……。ナタリアはその、突っ走るところがあるけど、悪い奴じゃねーじゃん。なのに、なんで……」
ナタリアを擁護しようとするルークの言葉に、アッシュはピクリと眉を跳ね上げた。
「なんで、だと? お前こそなんでナタリアを擁護するようなことを言えるんだ」
「なんでって…」
「あいつは、俺とお前の違いにも気付かずに、お前が邸から出られる七年間もの間、今の今までのお前を否定する言葉を吐き続けた。お前と会えば『約束を思い出せ』と強請り、お前を見ようとはしなかっただろう」
「だって……それは俺が偽物だったから……」
「んなこと関係あるか。仮に俺が本当に記憶を失ったとしても、ナタリアは約束を思い出せと強請っただろう。第一、俺とお前がすり替えられていてもナタリアたちは気付かなかったんだ。それなのに偽物と言うほうがどうかしている。ナタリアにとって、俺が現れる七年間、お前が『ルーク』であった事実は変わりはしないのだから」
「……それは」
そうかも知れないけど……口ごもるルークにアッシュは言い聞かせるように言葉を続けた。
「それに……俺がナタリアを好きなままでいたとしても、俺とナタリアが結婚することは決してできないだろうな」
「! なんでだよ」
「ナタリアは王の命令に背いている。覚えているだろう。叔父上……陛下がお前を親善大使に任命したとき、ナタリアがお前と共に行きたいと言って禁じられていたことを」
「ああ……うん」
「王女とは言え、王が下した命令に背くことは罪に問われる。それなのにナタリアが今まで何の罰も受けなかったのは、叔父上がナタリアに甘いからにすぎない。それに加え、今の宮廷貴族はナタリアが王族の血を継がない偽姫だということを知っている。和解したとは言え、叔父上もナタリアを殺害しようとした事実もあるからな。あいつの立場は微妙だった。だからこそナタリアを英雄として祀ることで、ナタリアの悪い印象を払拭させようとしたんだろうが…。アクゼリュスが崩壊した直後、ナタリアが国に帰らなかった姿を国民に見られているせいもあり、なかなかうまくいっていない。……それも当然だがな」
「え?」
「国民だって馬鹿じゃない。ナタリアを英雄として祀ろうとする国の思惑だって気づいている。それに、お前や、ヴァンの妹はローレライ解放のために、あの眼鏡は瘴気中和に一躍勝ったが、導師守護役とナタリアはどうだ? 必要だったか? 導師守護役はまだいい、けれど王女であるナタリアがわざわざヴァン討伐に行く必要があったか……? 無いだろう」
「…………」
ルークは完全にナタリアを擁護するための言葉を失った。アッシュの言うとおりなのだ。王女のナタリアが行く必要など無かったし、ナタリアを行かせるくらいなら、軍隊を派遣してもらったほうが、戦力的に助かっただろう。ヴァンを倒すためにナタリアが同行する必要など存在しなかった。
「じゃあ……なんでナタリアを行かせたんだ?」
疑問を素直に口に出すルークに対し、今度はアッシュが口ごもる番だった。アッシュも、ナタリアを何故行かせたのかとルークと同じ疑問にぶち当たったことがある。考えた末、思い立った考えはナタリアを奈落へと叩き込むであろう、答えだった。
「……死んでほしかったんだろう」
「!?」
「王命に背き、戦争時にあろうことか敵国をふらふらしていたナタリアが偽姫であることを知った貴族たちにとって、ナタリアは厄介ものでしかない。叔父上はナタリアの悪いイメージを払拭するために、ナタリアがヴァンを倒し英雄になることを望んだが……貴族たちはナタリアがヴァンと殺されれば、王女は国を守ろうとして死んだと美談を流すことができる。ナタリアが死ななければ、王族から英雄が生まれたことになるし、ナタリアの生死がどうだろうと、国の損にはならない」
「そんな……」
「あいつは叔父上が擁護しなければ、もう宮廷に留まることはできない。偽姫だとわかった以上、貴族たちが俺との結婚を許すはずもない。……キムラスカ王族の血筋はナタリアが言っていたように、尊いものだからな…」
「……」
アッシュは苦々しい気持ちで紅茶を啜る。――アッシュだって本当はナタリアのことを言えないのだ。自身はルークに身代わりになってもらっていたし、七年間もの間他国で軍人をしていた。
マルクトの陸艦を襲うだけに飽き足らず、自国の軍港を壊滅状態に陥れて……今アッシュが生きているのは、キムラスカ王族の血筋を濃く受け継いでるからにすぎない。カイツール軍港を襲撃したことだって、本当なら罪に問われたはずなのに、ヴァン討伐とローレライ解放に一躍買ったと有耶無耶にしてここにいるのだ。罪の自意識があるアッシュは今後、国民のために尽くしていくことで罪を償うことになっただけ。もし自身を省みることをしなければ、ナタリアと同じ羽目となっただろう。
二人の間を沈黙が包む。
沈黙を破ったのは紅茶を飲みほしたアッシュだった。
「俺は今後、キムラスカのために身を尽くす。……虫がいい話だとは思うが、ルーク。お前となら、俺はやっていける。俺と結婚してくれないか」
アッシュはルークを真摯に見つめる。その眼差しに不思議にもルークの心臓が跳ねた。外見年齢はどうであれ、実年齢はまだまだ幼いルークがそれが恋の前兆と気づくはずもない。アッシュに必要とされて嬉しいと思う。自分が居場所を奪っていた七年間の分まで、アッシュには幸せになってほしいと思ってる。被験者はやっぱりレプリカには特別な存在で。さんざんアッシュに否定されていたルークはナタリアが不幸になってくのを知りながら、不謹慎にもアッシュの言葉が嬉しかった。
それでも、素直にアッシュの申し出を受け取るにはナタリアもルークにとって大切な幼馴染だから、喉から言葉が出かかっては声にならず消えてしまう。俯くルークにアッシュは優しく微笑みながら言った。
「返事は今じゃなくても構わない。ゆっくりと考えてくれ」
ルークの意思など本当は必要なかった。国の総意でルークがアッシュと結婚することはすでに決められているようなものだった。けれど、今まで世界のために身を費やしたルークのルークの意思を無視することはアッシュはしたくなかった。ルークが嫌だと言うのなら、重鎮たちを押さえつけてだってその意思を通してやる心づもりで言った。
アッシュの言葉にルークは顔をあげて、翡翠の瞳に頼りなさげな色を湛えて。それでもはっきりと、何かを──ナタリアを──振り切るように、口にした。
「……オレ、アッシュと結婚するよ」
ナタリア、ごめん。彼女を裏切ることになろうとも、アッシュが望むなら、それに応えたい思いがルークの中にあった。
困惑から満面の笑みへと変わるアッシュに心臓が不自然に高鳴りながらも、ルークは胸中でナタリアに謝ったのだった。
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