――レムデーカン・ローレライ7の日。
年明け早々、キムラスカでは王の庶子──と表向きは公言された。鮮血のアッシュとは同姓同名だが関係はないと公言されてもいる──アッシュと、ローレライの娘と名高いファブレ公爵子女ルークの結婚式が行われることとなった。
この日のために、マルクトからは皇帝が、ダアトからは導師に押し上げられたフローリアンが招かれ護衛を伴い参席することとなった。
かつての仲間たちも招かれ、ティアとアニスはルークの花嫁衣装の着替えを手伝いに行ってる。
今頃きっとルークはアニスとティアの雰囲気に押されてるんだろうなぁ……ガイはそんなことを考えていたが、不意にナタリアのことを思い出してピオニーの傍に佇むジェイドに話しかけた。
「そういえばナタリア王女がどうなったか、旦那知ってるか?」
職務中だったジェイドは一瞬話していいものか迷ったが、迷っている間にピオニーが代わりに答えていた。
「ナタリア王女なら離宮で謹慎中だ。今回の結婚式に参席できないだろうな」
ここ最近ひどく人気が低下しているナタリアだ。次に馬鹿な真似をやらかせば、王籍から抹消は避けられないだろう。そんな懸念を抱くインゴベルトがナタリアの参席を許すはずもない。他のキムラスカ貴族としてもナタリア王女に大人しくしていてほしいから願ったりなことだろうが。
ナタリアがアッシュに激しい執着を見せるのは周知の事実である。そのアッシュがよりにもよって、自身が偽物とさんざん否定してきたルークと結婚したらナタリアがどういう行動に出るか──考えるまでもないだろう。
ガイもそのことは重々理解しているのか暫しの沈黙のち「そうですね」と返す。ナタリアとの付き合いも長いガイは、離宮に謹慎中の彼女を思って同情したが、すぐに不思議そうに首を傾けた。見とがめたジェイドが「どうかしましたか?」と不審げに視線を向ける。
「いや、なぁ……ナタリア王女は大人しく謹慎するような人だったかと思ってな……」
「……あなたは不吉なことをいいますね。いくらなんでも、今の自分の立場を弁えてると思いますが?」
「うぅーん。だと良いんだが…」
長年の付き合いでナタリアの性格を理解しているガイの言葉に、嫌な予感が湧きあがってくる。何も起こらなければいい――そう思いながらジェイドは結婚式の主役であるルークとアッシュを待つのだった。
「アニス、ルークの肌は白いから口紅の色は抑えた方がいいんじゃないかしら」
「そうだよね〜」
アニスはティアの言葉に相槌を返し、薄紅色の口紅を手に取った。レースがふんだんにあしらわれたウェディングドレスを身に纏ったルークはとても綺麗だ。大きな鏡の前で椅子に座りながらカチンコチンに凍るルークの表情は、これから始まる結婚式のせいだろうか、緊張で固い。
「ルークってば、花嫁がそんな顔してどうするの〜? 笑顔! 笑顔!」
「う、うん、わかってっけど…どうしてもこんな顔に…」
「緊張なんてらしくないって。ルークは笑顔が一番なんだから! ねっ?」
「そ、そっか…?」
そうそうと言いながら、十六歳――もうじき十七歳になるアニスはルークのふっくらとした小さな唇に丁寧に口紅を塗ってゆく。ドギツイ赤い色の口紅ではなく、控え目な赤い口紅はルークの魅力を引き立たせるかのようだ。男としての感覚が抜けてないせいで、唇をべたべたとした感覚が襲う。今すぐ拭い取りたい。わずかに眉根を寄せたルークに対し、アニスは満足げに笑った。
「うん、これでよし! あとはヴェールをつけるだけだね!」
ティアがヴェールを用意する。キムラスカを象徴する真紅の薔薇がワンポイントとしてあしらわれたヴェールを、鏡台前に座るルークの頭にティアがゆっくりとかぶせた。
「わぁ…」
ルークは元から白が似合うが…まさかここまで似合うとは思わなかった。細身の体にぴったり合うように作られた白いウェディングドレス。足元にかけ、ふわふわと裾が広がるその姿はまるでお姫様だ。長くなった髪の毛は綺麗に纏め上げられ、いつもは可愛いルークだったが、このときばかりは綺麗と称するに相応しい。
「ま、まさかこんなもん…オレが着るなんて…」
鏡の中をのぞきこんだルークはフラリとよろめく。今すぐ脱ぎたい。そして逃げたい。……逃げてもいいかな。空笑いを浮かべて腰を浮かしかけたルークに、待ったをかけたのはティアとアニスだった。
「本当に似合ってるわ…ルーク」
「うん、似合ってる。アッシュが見たら鼻血出すんじゃない?」
そんな大げさな……苦笑するルークにアニスがビシッと指を突き付けた。
「その顔は…さてはアニスちゃんの言うことを信じてないなぁ〜! ……ま、信じられない気持も当たり前だけど。……ルークはイオン様たちのためにも絶対幸せになること!」
「アニス……」
「……ルーク、ごめんね。アグゼリュスのときとか……酷いこと言っちゃって」
「いいんだ。だってアレはオレが悪かったから……」
首を横に振るルークにアニスは苦笑する。――本当に、ルークは優しすぎるよ。アグゼリュスで辛い想いを誰よりしたのはルークのはずだったのに。
タルタロスの乗員を殺害するのに手を貸したスパイを、自らの行いを棚に上げときながら責め立てた自分を許してしまえるなんて。本当に優しすぎる。――悲しいほどに。他人の罪を易々と許してしまうのに、ルークは自分の罪は決して許さない。そのくせ、泣いてるように笑うから……アニスはもういいでしょ、と言ってあげたくなる。罪を充分すぎるほどに償ったのだ。今度は幸せになってほしい。
「私も…ごめんなさい」
瞼を伏せてティアが謝る。ルークは謝られる理由がわからないと、おろおろし始めた。慰めようとするルークにティアが苦笑する。――慰められる権利なんてないのに。そもそもルークがその手を汚す原因をつくったのはティアだ。超振動で共にタタル渓谷に跳ばされたとき、戦うことを強要した。他にもいろいろ…今考えれば卒倒しそうな罪を犯してきた。あの頃はルークの無知が罪のように思えた。だが、ルークが無知でなかったらティアは生きてられなかったろう。ティアが生きていられるのは、あのころのルークが無知だったからにすぎない。それに気づいてしまった今、謝らずにいられなかった。
ルークは困ったように頭を掻こうとしたが、アニスに衣装が崩れると注意されて頭を掻こうとした体制のまま固まる。カチンコチンに固まったルークにティアとアニスは顔を見合せて。二人の笑い声が部屋に響いたのだった。
アッシュは案の定ルークのウェディングドレス姿を見て、ぼけっと固まった。ピオニーを初めとする面々は、結婚祝いとルークのウェディングドレス姿を褒めた。ようやく気を取り直したアッシュがルークに対し「綺麗だ」と褒めてルークは赤い顔で俯いて、それを見て頬をうっすらと赤く染めたアッシュに誰もがどこのバカップルだと呆れる。
ミュウだけは首を傾げながらも「ご主人さま可愛いですのー」と言って場を和ませてはいたが。
結婚式は何の問題もなく始まった。城のホールで結婚式をあげ、結婚式が終わり次第、城下でもお披露目パレードがある。二人は神父が読み上げた宣誓によどみなく答え──誓いのキスをしようとした、そのとき。
「わたくしを通しなさい…っ!」
甲高い声が、ホールに響き渡った。何事だと一様に皆の視線が、声の発信源――すなわち扉の方を向いた。聞き覚えがある声に父の顔色が瞬く間に青褪めてることなど露知らず、娘のナタリアが戸惑う兵士たちを押し避けてホールに駆け込んでくる。
途端にホールがざわついた。彼女はルークとアッシュの結婚を祝いにきた貴族たちの人波を越え、息も絶え絶えになりながらアッシュとルークの目の前に姿を現す。くすんだ金色の髪はぐちゃぐちゃで、人波にもまれたせいだろう。いつになく服も乱れてて、白い手に弓矢を携えてる。王女としては異様な様相だったが──なにより際立ったのは、その表情。きりりと柳眉をこれ以上ないというほどにつり上げて、眉間にしわを深く刻み、新緑の瞳は赤く血走っていた。
――悪鬼羅刹。鬼というものが、この世に本当に存在するのなら、きっとこんな顔をしてるに違いない。国民を深く思い遣る慈愛深きナタリア王女の変わりように言葉もなく、ホールにいる誰もが息を飲んだ。
が、すぐさま気を取り直したアッシュは、ナタリアの不気味な雰囲気を感じ取りルークを自分の後ろへと隠す。
まるでルークを護る童話のなかの騎士のように。
その姿が癪に障り、ナタリアはアッシュの後ろにいるルークを射抜くつもりで弓を構えた。
「っ─────!?」
ギョッと誰もが瞠目する。彼女はアッシュを自分から奪ったルークだけを殺すつもりだったのだろう。しかし他の者からは次期キムラスカ国王と王妃を殺害せんとしている者にしか見えない。兵士たちは王女の凶荒に一瞬戸惑った。
それでもどうにかナタリアを止めようとにじり寄るが、ナタリアの弓矢の腕前は大会で優勝するほどの腕前だ。下手に近づけば次期国王と次期王妃の身が危ぶまれる。
迂闊に近づくわけにはいかない。
「ナ、ナタリア……早くそのようなもの下ろしなさい……! じ、自分が何をやろうとしているのか、わかっておるのか……? 今ならまだ間に合う、良い子だから下ろすのじゃ……!!」
緊迫した雰囲気の中、この状況に怖れをなしたインゴベルトが震える声でなんとか娘を止めようと言葉を尽くす。だが、ナタリアが言うことを聞くはずもなく「嫌ですわ」と切って捨てた。
「皆様、レプリカルークに騙されてるのですわ。そうでなくてはアッシュとレプリカルークの結婚を許すなど正気の沙汰と思えませんもの。わたくしがすぐにレプリカルークを殺して、皆様を正気に戻して差し上げます」
にこり。場にそぐわない笑みを浮かべるナタリアに、一同はゾクリと震えあがる。正気の沙汰とは思えないのは明らかにナタリアだった。
「さぁ、アッシュ……いいえ、ルーク。そこをお退きになって。あなたの居場所を奪った痴れ者はすぐにわたくしが排除してあげますわ」
かつての仲間たちはナタリアの変わりように、顔を歪める。あのジェイドですら、眉をかすかに寄せては眼鏡を押し上げた。
何が彼女をおかしくさせたのか。
アッシュとの婚約が破棄になったことか。
ルークが女になって帰還したことか。
国民から信頼を失ったことか。
――おそらくその全てだろう。
アッシュとの婚約破棄は、かつてのルークとの結婚の約束を糧に生きてきた彼女にとって、十何年間と育んできた恋の喪失であること同時に、自らを支えてきた糧の喪失だった。レプリカルークというイレギュラーの存在がなければ果たされたであろう結婚の約束。それでもまだ、ルークが男だったころは自分とアッシュか結婚するのだと信じていられた。何せ、レプリカルークは男。本物の王女じゃなくても、キムラスカ王族の血をひいてなくても女であるナタリアなら、アッシュと結婚できた。
だが、レプリカルークは女になって舞い戻ってきて……。ナタリアにとってのレプリカルークという存在は、ナタリアの存在を脅かすものでしかなくなったのだ。
レプリカルークを殺せば、レプリカルークが自分から奪い取った数多の恩恵は自分に返ってくるに違いない。ナタリアは愚かにもそういう風に思っていた。
「アッシュ、早くその者からお退きになって? あなたと瓜二つの人間もどきの人形など早く排除しなければ。あなただって、それを望んでいたではありませんか。……ふふ、そうですのね、あなたとその化け物は瓜二つですもの。自分で排除しようとしても、自分を殺害するように思えてしまったのですね。それなら早く仰ってくださればよかったのに。安心してください、あなたに似た忌々しい化け物など、わたくしがすぐに排除しますわ。そう、すぐに」
にこやかな笑みとは不釣り合いの言動が次々とあふれ出て、ゾクリとした悪寒が足元ににじり寄る感覚を覚えた。アッシュの額に冷や汗が流れる。
それでもアッシュは、ナタリアの言葉にショックを受けて泣きそうに瞳を歪めてるルークを庇うことを止めようとは思わなかった。かつて愛した少女を、痛ましい想いで、見つめた。
――俺はもう決めたんだ。
ナタリアでなく、ルークを愛することを。
「……ナタリア」
「なんですの?」
ナタリアがアッシュに返す言葉は、ひどく甘い。
まるで恋人に対する囁きに似ていた。
「愚かな真似はよせ。今すぐ武器を下して、ホールから出て行け。今は結婚式の最中だ。お前は離宮から出ることを陛下に禁じられていたはずだろう。――誉れ高きキムラスカ王女が、各国の首脳陣の前でどんな見苦しい姿を見せているのか、理解しているのか」
理解していたなら、このような愚かしい真似をするはずがなかった。ナタリアが聞きとがめたのは結婚式の部分だけだった。
「結婚式? いったい誰の結婚式ですの? まさかあなたと、そのレプリカではございませんわよね? あなたと結婚するのはわたくしと決まっていますもの。そのようなレプリカと結婚するなどと許されるはずございませんわ」
「……俺とお前の婚約は破棄されたはずだ。俺が誰と結婚しようとお前には関係ないだろう」
「そんなこと仰らないで。あなたがわたくしを愛してることを、わたくしは理解しています。わたくしもあなたを愛してます。あなたが愛してるのはわたくし、あなたの隣に立つのもわたくしですわ」
「……」
聞く耳を持たないナタリアにさすがにアッシュは閉口してしまう。深く皺を寄せるアッシュなど気にせず、彼女はまくし立てた。ルークがいるから自分たちは結婚できない、ルークがいなければ自分たちの邪魔をする者はいなくなる、ルークを消して自分たちの結婚式をやろう――ナタリアは最早正気ではなかった。
聞くに堪えない言葉の数々に、ようやくインゴベルトは娘がおかしくなっていることに気づき、全身を震わせた。インゴベルトは娘のナタリアが可愛い。娘をおかしくさせたレプリカルークを憎みたくなる気持ちは少なからずあったが、憎みきれない気持もあった。
なぜなら、インゴベルトは……いいや、キムラスカは、ただキムラスカ王族のレプリカとして生まれたルークに、瘴気中和などという重責を背負わせてしまったから。
親バカを地でゆくインゴベルトであったが、レプリカルークの存在が間違いだったと口にするほど娘を盲目に溺愛してるわけではない。
アッシュが苦々しく、けれども決然と──ナタリアにとっては冷たい言葉を吐き捨てた。
「いつか一緒に国を変えよう。あのとき、俺は確かにお前にそういった。だが、その言葉は決してお前からの愛情で出てきた言葉ではない。婚約者として、決められていた相手としてお前を愛そうとして口から出た言葉だ。あのときの俺は、国を国民を思いやるお前となら一緒に生きていけると信じていた。だが……あの言葉を、あの約束を裏切ったのはお前だろう!」
「なっ……わたくしのどこが……」
「俺は言ったはずだ。貧困に喘ぐ者たちも豊かに生きていける国を作ろうと! だが、お前がしでかしてきた行為はいったい何だ」
言葉を区切り、怒りを押しとどめる。彼女を傷つけるための言葉を、アッシュは容赦なく吐き出した。
「国王が行くなと言ってるにもかかわらず、命令に背いた。お前が親善大使に付いて行ったその間、どれだけの公務が滞った? お前がやっていた慈善事業、慰問に来てほしいと願い、何ヵ月間もかけて上申してきた者たちだっているだろう。それだけじゃない、お前が出てゆくことでナタリア王女に付いていた側仕えだって処罰を受けただろう。お前は約束を守ってきたつもりだったんだろう、しかしお前がしてきた行為は約束を裏切ってきた行為だ。貧困に喘ぐ者も平等にくらせるようにと……まだ、お前は気付かないのか。お前が公務をほったらかして親善大使に同行することは、公務にかかる出費を無駄にしたことだと。お前は国民が汗水をたらして、あるいは日々の暮らしを切り詰めて払った莫大な税金を、お前のわがままでたった一瞬で損失させてしまったことだと……!!」
「―――――ッ!!」
アッシュの言葉はナタリアだけでなく、キムラスカで政事に関わってきた者たちの心を深く突き刺した。王女が王の命令に背いた。本来なら処罰ものだったが、王が許したからと処罰を望む声は挙がることもなかった。王女が公務をほったらかした代償が民の負担になることなど考えもせずに。
預言のまま戦争を起こしたことだってそうだ。繁栄が詠まれているからと、マルクトに戦争を仕掛けよと王が命じ戦争が始まり、すぐに終わった。
すぐに終わった戦争だったが、戦争にかかった莫大な費用は民の血税から賄われてる。それだけでなく、たくさんの兵士たちの命まで散ってしまって。
政事にかかわってきた者たちは、今さらそのような事実に気づき愕然と呆けてしまう。
王がやれといったから、やった。
しかし、本当にそれで良かったのか。
王の言葉に疑問を抱くことを忘れ、ただ王の命令を聞くだけならば誰だって出来たはず。
考える、という思考がいつの間にか欠如していた彼らは言葉もなかった。
インゴベルトも青白い顔で、自分の肩に乗っている責任の重さに怖れ震えた。アッシュの言葉を静かに受け止めたピオニーと、王の器の大きさが覗える。
「わたくしはそのようなつもりでは……そ、それに失われた損失はまた取り戻せばいいだけのこと。そうではありませんか!」
ナタリアの言い訳をアッシュは静聴する。静まり返ったホールに響いたナタリアの言い訳に、皆は聞くに堪えないと顔を顰めた。
「……そうしてお前は何の罰も受けずに、お前が愛した国民に負担を強いるのか」
「ッ……!」
「ナタリア。お前が愛していたのはなんだ? 俺か、地位か、国か、国民か? ――俺には今のお前は王女であることを、自分が権力者であることに固執している姿にしか見えない」
ナタリアの手から、弓矢が滑り落ちる。
「お前とでは、俺はこの国を背負っていけない」
その言葉を合図にナタリアの膝は崩れ落ちて。ナタリアはガラスのような瞳で、天井を仰いだ。茫然自失となった彼女に恐る恐る近付いたキムラスカ兵は彼女の両腕を掴むと、ホールの中から引きずり出した。───それが、公に出たナタリアの最後だった。
あくる晴れた日。
ナタリア王女の死刑が執行された。
マルクト、ダアトといった顔触れが揃った結婚式で彼女がしでかした行為は、王であるインゴベルトが庇えるようなものではなかった。最後まで死刑は重すぎると唯一反対を示したインゴベルトに対し、先日のアッシュの言葉に深く考えさせられた官吏たちは揃ってインゴベルトに政事から退くように働きかけた。
今のインゴベルトは王族としての地位は失ってないものの、淡々と生きる日々でしかない。年若いながらも早々に王として立つことになったアッシュは、ナタリアが今まさに首を切り落とされそうになる姿を表面上は淡々と見ていた。
アッシュの瞳に宿った、どこか辛そうな色にルーク以外気づく者はいない。
「…アッシュ」
ルークはそっとアッシュの手を握った。アッシュは隣に座るルークに視線を向ける。――本当だったら、ナタリアがいた隣に。
大丈夫か、と心配そうに見つめてくるルークに対しアッシュの心は意外にも落ち着いていた。
「……心配するな。俺なら、平気だ」
――お前がいるから。
笑みを返して、ルークの手をギュっと握り返した。そうしてナタリアに目を向ける。虚ろな眼差しで、彼女は虚空をボンヤリと見つめていた。アッシュはかつて交わしたナタリアとの約束が泡沫の夢だったことに気づく。
夢は夢。
いずれ目覚めるときが来る。
そのときが、今だった。
ギロチンがナタリアの首をゴトリと切り落とす音を聞きながら、アッシュはルークの手を握ったまま、キツく瞼を閉じたのだった。
END.
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