(まずったことになったな…)
――翌日。和平妨害を企む者たちの目を盗むため、親善大使一行はバチカル下層にある廃工場を抜けてアクゼリュスへ向かうことにした。まさかその廃工場にナタリア姫が待ち構えているとは知らずに。
インゴベルト陛下に親善大使一行に同行するのは禁じられているはずなのだが、彼女は王の命令を無視してしまった。和平と言う大役に自分がいなくてどうする、とまでルークに向かって言ってくれた。
とんでもなく無礼な発言だ。
ナタリアはよほど、ルークのことが嫌いだと見える。
インゴベルトの妻であり、彼女の愛すべき婚約者の振りをしているルークは、自分がナタリアに嫌われていることに気付いていた。ナタリアは潔癖で夢見がちな思考を持つため、前王妃――つまりナタリアの母とされる女性――の立場を奪ったルークを許せないのだ。
父が、ナタリアの母以外の女性を愛することも許せずにいる。しかもその相手が、愛する婚約者の妹で自分よりも年下となれば尚更だった。そのため、ルークを娶ったインゴベルトに対しても複雑な感情を隠さず、逢うたびに刺々しい雰囲気を出し父を責めている。最近では仲が良かった親子が見る影もない。
つまり、ナタリアには愛すべき父との間に溝を作ったルークの存在を、嫌わない理由が無い。インゴベルトの愛情を今まで一心に受けてきたから、その愛情を奪い取るかのように現れたルークの存在に憎しみは倍増している。
こちらに視線を向けることなく、ティアやアニスと言った女性陣と会話をするナタリアを見て、ルークは溜息をつかずにはいられなかった。
「ナタリア、お前今すぐ城へ戻れよ」
「…なんですの、今さら。此処まで来ていて、なぜ帰らないといけませんの」
「今さらじゃねーだろ。俺は散々帰れつったのに、帰らないのはお前だろ。いいか、もう一度言うぞ。親善大使命令だ――帰れ」
「嫌ですわ」
ナタリアとルークは睨みあう。
険悪な雰囲気を出すふたりに、アニスは肩を竦めた。
「ちょっと…ルーク、様にナタリアは婚約者どう…っ」
「こんな人と婚約者なんかじゃありませんわ!!」
ナタリアの怒声が、アニスの言葉を掻き消す。
「えっ…で、でもぉ…ルーク、様とナタリアは婚約者だってガイが…」
「俺!?」
「そう言ってじゃん」
アニスに急に名指しされたガイは可哀想なほどに慌ててた。まさか話の矛先を向けられるとは思っても見なかったのだろう。ガイはナタリアの鋭い眼光を向けられて、たじたじになりながら、言葉を紡いだ。
「い、いやその、邸のメイドたちが言ってたから…ち、ちがうのか?」
「…確かにわたくしはルークの婚約者ですわ」
「なら…良いじゃないか、べつに」
「ええ、――この方が本当にルークでしたら、婚約者と呼ばれることにべつに何の問題もありませんわ」
「え?」
「……」
ジェイドを除いた一行が、怪訝な顔になる。
ジェイドは何かを考えるような顔つきになり、ナタリアはルークに挑戦的な視線を向ける。ルークは息を吸い込み、丹田から声を吐きだした。
「ナタリア。それ以上おしゃべりが過ぎるようなら、お前を逆賊として捕えるからな」
「なっ…! 王女のわたくしを捕えようなどと、何様のつもりですの!」
「俺が何者かは、お前は知ってんだろ。お前が今、口を滑らせたことはそれだけの意味を持ってるんだよ。逮捕されたくないなら黙れ」
「っ……」
ナタリアが悔しげに顔を歪める。
ますますルークに対する憎しみは深まったらしく、睨みつける顔は険しい。親善大使の護衛として付き従っている兵士たちが、彼女の視線からルークを守るように前を塞ぎ、睨みあいは終わった。
ルークが守られることを良しとしない一行は、兵士達がルークの周囲を固めたことに不満げな顔を隠そうとしなかったが、兵士達が鋭い眼光を飛ばしたため、何も言わず黙りこくった。
険悪な雰囲気で親善大使一行は進む。デオ峠に差し掛かったところで、ルークは足を止めて周囲をぐるりと見回した。アッシュとここで入れ替わる予定だったが、アッシュの姿は見えなかった。何か問題でも起きたのだろうか。少しばかり不安に思ったが、もしかしたら先にアクゼリュスに進んでいるかも知れないと思い、立ち止っていた足を動かそうとした。
しかしその前にアニスの声が、ルークの歩みを止めた。
「みんな〜、少し休憩!」
「…は?」
振り返ってみれば、後ろを歩いていたアニスがイオンの身体を支える様にしていた。
イオンの顔色は少しばかり白くなっていた。汗をかいていて、無理をしていることがわかる。その様子を見て、ティアたちは迷いも無く足を止めて休憩の体制を取る。大丈夫ですか、とティアが声をかけ、イオンが大丈夫です、と言葉を返した。
「……イオン、お前、今からでも遅くないからダアトに戻れ」
「…足手まといなのはわかってます。けれど、僕もアクゼリュスに行って、住民を励ましたいんです」
「その心掛けは立派だと思うけどよ。お前の方が励まされているのが現状だってわかってんのか?」
「ルーク! そんな言い方はイオン様に失礼じゃない!!」
ティアが非難じみた声をあげるが、ルークは気にしなかった。気にしたのは護衛たちで、親善大使であり公爵子息――と偽っているが、実際は王妃――を呼び捨てにするティアに何度目かになる苛立ちを募らせた。
「イオン様は住民を励ましたいと想っているのよ。そんな立派な心掛けを無為にしなくても良いでしょう」
「そうそう。それにぃ、イオン様は和平に必要な人なんだしーそんなこともわかんないなんて…ルーク様って…」
ひょっとしてバカぁ? ――と、アニスの唇が呟くのが見てわかった。
ルークの周囲に護衛がいる手前、悪口を表に出すことはないが、それでも悪口を言ってることがわかる程度にはアニスは非難を隠すことはなかった。
護衛兵が殺気立つのを片手で押えて、ルークはアニスに向かって問う。
「そう言うならアニス、どうしてイオンがアクゼリュスに行かないといけないのか説明しろよ」
「…だから言ったじゃないですかぁ。イオン様はー和平に、」
「イオンはあくまでも和平仲介者であり、和平使者じゃない。インゴベルト陛下にジェイドが謁見して、和平が成立した時点でイオンの役目は終わった。ちがうか?」
「それは…でも!」
「これから俺たちが向かうアクゼリュスは、障気が渦巻く場所だ。病弱なイオンが向かえば、倒れる可能性が高い。導師守護役であるお前が、導師をみすみす危険なところへ連れて行くのか?」
「!」
ハッと息を飲んで、アニスは視線をさ迷わせた。
しどろもどろで「それは…」と呟いたきり、言葉を失くしてしまう。そんなアニスを、イオンは庇った。
「アニスを責めるのはやめてください、ルーク。アニスは僕のわがままを聞いてくれようとしているんです。アニスは悪くありません」
「イオン様…」
麗しき主従愛、とでも言おうか。
アニスを背に庇うイオンの姿に、ジェイドと護衛兵を除いた一行から咎めるような視線をルークは向けられた。針のむしろ状態にルークはやってらんねぇ、と小さくボヤく。ジェイドを除いた一行を置き去りにしたい心境になった。精神的疲労が滲み出した虚ろな眼で空を仰ぐ。
そのとき、護衛兵が警戒した声をあげた。
「ルーク様、おさがり下さい!」
護衛兵が武器を掴み、戦闘態勢に入る。それと同時にガウンっと発砲音が青空に響き落ちた。
音の出所に視線を向けてみれば、岩影からひとりの女性が姿を現す。
「ティア、そこの出来損ないから離れなさい!」
「教官!?」
魔弾のリグレットに出来損ないと罵倒されたルークは、頭を掻き毟った。
――ダアト、滅ぼしてぇ。
取りあえずバチカルに戻ったら、キムラスカ名義で寄付しているダアトへの金を一切停止してやろうと思った。
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