いったい自分が何をしたと言うのだろう。
何も悪いことはしていない。それどころか、良いことをするために、アクゼリュスに向かったというのに。
愛すべき民であるキムラスカ兵たちに捕らわれたナタリアは、牢屋の中で膝を抱え、一人俯いていた。隣の牢屋では仲間であるティアや、アニスたちも捕まっている。真向かいにはガイが捕えられ、ジェイドはグランコクマ宮殿へ行った際に別れてしまった。一人捕えられることがなかった導師イオンが、ナタリアたちが逮捕されたことに意義を申し立てに行ったが、楽観視できない状況に仲間たちの顔色は悪かった。
牢屋の周りを、譜業の明かりだけが頼りげのない光を灯している。
囚人たちの手垢で汚れた鉄柵越しに、兵士が物々しい武装をして鋭くこちらを見ていた。
(…わたくしは、何もしていませんのに…お父様は誤解しているのですわ。きっとあのレプリカルークの言葉に騙されて……お父様といい、ルークといい…わたくしの大切な人達を騙すなんて、絶対に許しませんわ!)
ナタリアは、ふつふつと苛立ちと怒りを募らせる。
「お父様と何とかして話さねば…お父様は誤解しているのですわ」
「あのレプリカのせいだよね〜、絶対…」
アニスが同意を示す。
レプリカと口にする声も、怒りが浮かんでいた。
ティアは黙りこくり、彼女は牢屋の中から出入口を固める兵士たちの姿をちらりと見る。そうして真向かいの牢屋に入れられているガイと目配せした。ティアが何をやろうとしているのか悟ったガイは、真剣な面持ちで頷いた。
――ティアの口には、縄のひとつもされていなかった。
「フェ レズェ クロア…」
それをおかしいと思うこと無く歌う。
美しいユリアの譜歌の旋律が牢屋に落ちて…兵士たちは眠気で倒れていった。
***
「陛下、ティア・グランツたちが脱走しました」
「そうか。…そうしてしまったか…、理解してくれなかったか…」
牢屋に押し込められた理由に思い至り、反省するようならば、罪を軽減させて社会復帰できるようにさせてやるつもりだったのに。――ティア・グランツや、国民の税金で最高の勉学をしてきたナタリアは、脱獄すると言う事の大きさを理解しなかった。
もう駄目だ。甘さを捨てるべきだ。――愛すべき娘だったと彼女に告げて、終わらせねばなるまい。
これより、キムラスカ=ランバルディア王国は変わるのだから。
膿はここで出し切るべきだ。まさかその膿として、最初に切り捨てるのが愛娘だったとは思わなかったが。
「謁見の間まで誘導するのじゃ」
玉座で厳かに告げたインゴベルトに、臣下たちは頷いた。謁見の間が瞬く間に慌ただしくなる。
隣の王妃の席に座っているルークが、心配そうな顔を向ける。それに大丈夫だと笑い、インゴベルトは玉座に背を預けた。ファブレ公爵と、もうじきその地位を引き継ぐアッシュが先頭に立ち、指揮を取っている声が聞こえた。
インゴベルトはその声を聞きながら、瞼を閉じる。
そうして見えたものは、すこし前まで当然のように描いていた未来の光景だった。
玉座にいる自分と、王妃の席にいるルークと、王女の席に座るナタリア。
そこには確かに、ナタリアの姿があった。
けれどそれは、儚き幻影へと変わってしまった。
瞼をゆっくりとあげる。王妃の席にルークが座り、――王女の席は、空のまま。
それが、インゴベルトの現実だった。
ティアの譜歌で牢屋から脱出したナタリアたちは、立ちはだかる兵士たちを薙ぎ倒し、謁見の間に向かい黙々と足を走らせていた。
兵とはいえどキムラスカ国民。愛すべき国民を傷つけて、ナタリアの胸は痛んだ。心の中で謝罪して、しかしすぐに立ち直る。――これもひとえに未来のキムラスカ=ランバルディア王国のため。
父の誤解を解き、あのレプリカを捕まえれば明るい未来が待っている。そのためには、多少の犠牲など構っていられないのだ。
謁見の間の扉が見えてきた。扉の真横には、兵士が二人ほど構えていた。
ティアは譜歌を紡ぎ、兵士達が倒れる事を確認するとナタリアは走る勢いそのままに、扉を開けた。
そうして視線を走らせ、玉座に堂々と座っている父と――隣にいるレプリカルークの姿を捉え、悲痛な声をあげた。
「――お父様! そんなレプリカに騙されないで下さいませ!!」
ナタリアの後に続いたティアとアニスが続けざまに声を発した。
「そうです! レプリカルークはアクゼリュスを崩落させて、逃げた犯罪者です!」
明確な罪を持つティアがそう口走る。
ファブレ公爵家へ襲撃した愚か者がよく言う――ファブレ公爵が不快に顔を顰めた。
怒声と共に彼女達の口から吐き出される言葉は、ルークを痛烈に非難する言葉と、自己弁護の言葉だった。ルークはレプリカだ、アクゼリュスを崩壊させたのに野放しにしているのはおかしい、捕えて罪を償わすべきだ、私達を捕えるのは見当違いだ、等など。理路整然としていない、それどころか主観塗れの言葉ばかりが喧騒として響く。
彼女達の話を聞くうちに、謁見の間に居並ぶ重臣一同の顔が険しくなる。彼女達に向けられる視線はまるで鋭利な刃物のよう。
自身を取り巻く険悪な雰囲気を察することが出来れば、すぐさま顔を強張らせ、口を閉じずにいられなかっただろうに、彼女達は呆れるほど鈍かった。唯一、彼女達の後ろで、ルークに向かって何かを言おうとしたガイのみが、自分たちに向けられた視線を感じ取って、困惑げに佇んでいた。
王は黙ったまま、彼女達の話を聞いている。
しかし話を聞くうちに顔色は曇り、自嘲したように唇をつりあげた。
王の視線の先には、懸命に自身の潔白と共に、レプリカルークに騙されているのだと王妃を非難する愛娘の姿。
(…これが、我が娘の正体か…)
愛娘の言葉の数々に、愛娘を愛した過去が葬り去られてゆく。ナタリアは、自分が愛した娘はこんな娘だっただろうか。将来誰もが平等に生きていける未来を被験者ルークと共に誓い、福祉活動や慈善に尽くしてきた娘の正体がこれなのか。――失望しか、感じ得ない。
それは、婚約者である被験者ルーク…アッシュも同じようで、レプリカだからとルークを批判するナタリアに、だんだんと愛想を尽かしてゆくのがわかった。
そして、次に吐き出されたナタリアの言葉に、失望と、怒りと、それを上回る哀しみが心を埋め尽くした。
「――その者は、人間ですらない偽物なのですわ!!」
自分が言えた台詞ではないのだと、彼女は思わなかったのか。
アッシュが、一歩足を踏み出す。そうして頭を垂れたまま、彼が絞り出した声は、怒気に包まれていた。
「陛下、発言の許可を」
「ルーク!」
自分を弁護してくれるのだと、父を説得してくれるのだと希望に包まれたナタリアは、アッシュに駆け寄って行く。
「よい、許す」
王のその言葉で、頭をあげたアッシュは駆け寄って来たナタリアに鋭い一瞥を向けた。ナタリアの足が凍りつく。
「ル、ルーク…?」
「ナタリア王女。――いや、メリルと呼んだ方が正しいか」
「メ、メリル…? 何を仰ってますの…?」
「王女の偽物だと言っているのですよ」
アッシュの発言に、ナタリアの顔色が一瞬にして憤怒により赤く染まった。
「…わ、わたくしを偽物だと言うのですか! わたくしはキムラスカ=ランバルディア王国の正当なる、」
「そなたは、わしの娘ではない」
「………………え?」
「そなたは乳母の娘が産んだ子供。――本物のナタリアとすり替えられた、娘じゃよ」
インゴベルトの言葉に、ナタリアは息を忘れた。最大限に見開かれた瞳は、王の言葉を聞き間違いかと疑っていた。それを見て、インゴベルトは口を開く。
「モースと、乳母を此処に」
すぐさま、謁見の間の扉が再び開かれる。
兵に囲まれて現れた乳母は沈んだ面持ちで、大詠師モースはでっぷりと肥えたお腹が一回り小さくなって窶れた顔だった。頬の肉は削げ、虫唾が走るような眼つきが死人のような眼に変わっている。身体に外傷は無かったが、精神的に病むような事があったと一目でわかる姿に、モースを慕うティアが驚愕した。
「モース様!? なんて酷いことを…モース様にいったい何をしたと言うの?!」
モースをこんな目に合わせた者に対し、非難の声をあげるティアを、モースが睨む。怨嗟がこもった視線を浴びたティアは、息を飲んで硬直した。モースとしてはこれ以上部下であるティアに失言をされるわけにはいかなかった。――録音機で聞かされた彼女の発言の数々に、どれだけ親善大使に同行させたことを後悔したか!
モースの人生最大にして最悪の後悔を与えた当人は、モースの身を破滅に追いやった事にも気付かず、困惑した表情だった。
乳母とモースは王の御前に、膝を折って頭を垂れた。
何を言われるのか、内心で恐怖に震えながら、王の言葉を待つ。
「モースと乳母よ。ナタリアがすり替えられた王女だということは真か」
「「はい、真でございます」」
「そんなの嘘ですわ! お父様、信じないでくださいませ!!」
ナタリアの叫びを無視して、先を促すインゴベルトの瞳には温情の欠片も無い。
いつだって自分に甘かった父の、そんな瞳を見た事が無かったナタリアは、このとき初めて父が国王であると言うことを真に理解した。柳のような足が、震え出す。
「して、何故すり替えた。乳母よ、包み隠さず申すが良い」
「はい…預言土に、私の娘がキムラスカ王女となる子を産むと預言され、真なるキムラスカ王女とすり替えた次第であります」
「う、そ……そんな、そんなの嘘ですわ…っ!!」
嘘だ、そんなの偽りだ、――そう言ってナタリアは、首を左右に振る。目の前の現実を直視せずに、否定する行為に何の意味があると言うのだろう。無意味な行為をするナタリアに、次々と現実を突き付けてゆく。
「モースよ、お前は私の真の娘であるナタリアの遺髪を見つけたと申しておったな」
「はい…」
「して、その髪の色は何色じゃった?」
「…まぎれもなく、この国の王族である証、紅色の髪でございました」
「―――っ」
ナタリアは、無意識のうちに自分の髪の毛を掴んだ。
上質な糸のように、美しい金色の髪の毛がナタリアの視界に映る。
父を見るたび、母の絵画を見るたび、両親の色を持って産まれなかったことがナタリアのコンプレックスだった。
王族の色である父に似た紅か、母の艶やかな黒が欲しい――鏡の前で何度となく、嘆いた。口さがない者たちに、本当に王女なのか疑われながらも、それでも自分は王女なのだと、王女であるために努力して来た。国民に認められ、慕われてゆくうちに王女として立派になったナタリアは思ったのだ。
――髪の色なんて、些細なことではありませんか。わたくしは、こんなにも国民に慕われて愛される王女ですわ、と。
それでも視界に映る、自身の金髪を疎ましく思いながら。
それなのに、本物のキムラスカ王女は紅色の髪だったという。
金色の髪を持つ自分は、“だから”偽物なのだという。
「っでも! わたくしは、お父様の娘で、この国の王女ですわ!!」
わたくしがいったい何をしたと言うのです。
王女として立派に務めを果たしてきたわたくしを、どうして偽物だと言うのです。
わたくしは自分が偽物だと思わない。第一お父様達だって、今までわたくしを偽物だと思ってなかったではありませんか。わたくしが偽姫だとしても、王女として務めを果たしてきたのはわたくしではありませんか!
「わたくしが王女であったのは、わたくしに責任が無いと言うのに、それでもわたくしが偽姫だから悪いと仰いますの!?」
息を荒くさせて、まくし立てる。
自分が偽姫であることは、自分に責任が無いのだと。だから責められる謂れは無いのだと。
ナタリアのそんな言葉に、インゴベルトは微笑む。
「確かに王女としてすり替えられたことは、そなたの罪ではない」
ナタリアは安心した。
父が、わかってくれたのだと。
「しかし、そなたが犯した罪はある」
「つ、み…? わたくしは…何も…」
「余の命令に背いたろう? そなたは」
「え…」
「親善大使に同行するなと、余は止めたはずじゃ。親善大使の任は、ルークに任せたからと。そなたは、王の言いつけを無視して、親善大使に同行したな」
「……お父様なら、わかってくださると、」
「そなたがそう思うのならば、余はそなたの教育を間違ったのじゃ」
「…っ」
失望が滲んだ溜息を吐かれて、ナタリアは顔を俯かせる。
「王を嘗めるのも大概にするのじゃ。余は王として駄目だと申した。それを無視したそなたには、余の臣下である資格が無い。既に、そなたの王籍は剥奪しておる。そなたが偽姫であったこともこれを機に公表する手筈を整えている。そなたは今、ただのメリルでしかないのじゃ」
「そ、そんな……それしきのことでわたくしを捨てようと仰いますの!?」
王の命令に背いた事を、それしきのことと言い放ったナタリアは、自身の失言に今も気付かない。
蒼白い顔色で、父に駆け寄ろうとする。玉座に続く、階段に足を一歩かけた瞬間、アッシュによって腕を掴まれて立ち止ざるおえなかった。
「ルーク! 貴方ならわかってくださいますわね!? 私を捨てるなど…そんな馬鹿げたことをお父様に思い直すよう、貴方からも言って下さいませ!」
「……見苦しいぞ」
「っ、わ、わたくしとこの国を変えると仰ったではありませんか!! 約束を…裏切るつもりですの!?」
ギリッとアッシュは歯を食い縛った。
裏切るつもりなどとよくもまぁ言える。王の命令に背き、そのことに何の疑問を抱くこともなく、結果的に今こうして王籍を抹消されたのは、あくまでも自分の身から出た錆では無いか。裏切ったのは、王を甘く見て、慢心していたナタリアの方だ。言いたいことは山ほどあれど、口を閉じた。
ナタリアは、愛すべき婚約者に裏切られたのだと絶望の表情で、涙を浮かべた。愛する父だけでなく、アッシュまでも自分を捨てるなどと、到底思いはしなかった。目尻から大粒の涙がこぼれ落ちて、絨毯に染みこんでゆく。
言葉も無く、ただ泣きじゃくるナタリアを、アッシュは引っ張って兵に渡した。
ナタリアはもう、反抗する意思もなく、兵に連れられて行く。成り行きを見ていたガイが、ついに我慢の限界だと声を荒げた。
「っどうして…どうしてナタリアを助けてやらないんだ、ルーク!!」
ガイが言うルークとは、アッシュではなく、レプリカルークでもあるルクレツィアの事だった。王妃の名を呼んだのだと察知したアッシュが、ガイを止めるべく口を開きかける。インゴベルトもルークを睨むように見つめるガイの視線から守ろうとしたが、その前に当本人であるルークが二人を制した。
「どうして、俺に…私に助けを求めるのです、ガイラルディア・ガラン・ガルディオス。私には、陛下に背く意思はありません」
「……知って…?」
「知らぬなどと思ったら大間違いですよ。貴方が復讐の為にファブレ公爵家に潜り込んでいることなど、すぐにわかりました」
「……」
そんな、とガイは瞳を大きくさせて立ち尽くした。
「俺は…」
「貴方が何を仰りたいのか、私にはわかりませんが。…ここでお別れです、ガイ」
ルークとして兄の身代わりをやっていた頃のように、親愛の情をこめて、ガイの名を呼ぶ。決別を告げられたガイは、衝撃を受けた顔でルークを呆然と見つめていた。
自分がレプリカルークを育てたのだと、思っていた。育てた子供は、可愛らしく、それでいてちょうど良い手駒だと内心で暗い考えを持っていた。絶対に子供は、自分の手を噛む事は無いと、そう思っていたのに。何かあっても、自分の考えだけは理解し、肯定してくれるものだと思っていた。――そのような都合の良いこと、あるわけがないことにも気付かずに。
呆然と立ち尽くすガイを、兵士が捕えた。牢屋へと連れ戻されることがわかっても、頭が真っ白になっていて抵抗など出来なかった。ガイが連れて行かれる。
「ガイ!」
ティアが兵を止めようと動いたが、そのことに気付いたモースが辛抱ならないと動いた。
「モース様!?」
急に自分の元にやってきたモースを見て、ティアは驚いた。両肩を怒らせてティアを睨むモースの顔は忌々しいと言わんばかり。手をあげて、モースは渾身の力を込めて、ティアの頬を叩いた。バシン、と小気味の良い音が謁見の間に落ちる。
「う…っ」
男であるモースに殴られたティアは、その衝撃を殺す事も出来ず、床に倒れ伏す。起き上がった彼女の頬はだんだんと赤く腫れていった。敬愛するモースに叩かれると思わなかったのか、歯を食い縛ることさえ出来ず、口の中を切ってしまったらしい。口端からうっすらと血が流れた。
どうせ自分もキムラスカに逮捕されるのであれば、その前にティアを一発殴ってやろうと思ったモースは、これが最後の表舞台だと覚悟を決めて、怒りをぶちまけた。
「ええい、この愚か者共めが!!」
「モ、モース様…?」
「ローレライ教団の軍服を身に纏い、ファブレ公爵家に襲撃しただけでは飽き足らず、ルーク様に対して何と無礼な言動! 王族に対して、注釈垂れるほど貴様はそんなに偉いのか、ティア・グランツ!!」
「モ、モース様…」
「この痴れ者めが…っ、ユリアの子孫だから重用するのではなかったわ! ユリアの名を貶しめる愚か者めが」
「わ、私はそんな、ユリアの名を貶めてなど…!」
「ユリアの譜歌を使い、王族の邸に侵入してよくもまぁ言えたことだ!」
「そ、れは――……」
「貴様のせいでこの私がどんな目に合ったか…それだけでなく、ローレライ教団の名をも汚しおって!!」
激しく責め立てられたティアは、顔色を蒼くさせる。
ユリアの譜歌を使い、ファブレ公爵家に侵入した事は、夫人に謝罪した事もあり、ティアの中では帳消しにされていた。そのことを責められたのであれば、謝罪して許してもらったはず、とでも弁解出来た。しかしモースに責め立てられているのは、その事だけでなく、ティアが誇りに思うユリアの名を貶めたこと。
ユリアの譜歌を犯罪へと使ったことに、モースが怒りを燃やしていることに気付いたティアは顔色を悪くさせるしかなかった。
黙り込んだティアから視線を逸らし、代わりのようにアニスへと向ける。
モースの剣幕に驚いていたアニスは、ビクッと体を震わせた。
「…借金は帳消しにしてやる」
「! ほ、ほんとうですか!?」
アニスは嬉しそうな声をあげる。
モースがそれを嘲るように、言った。
「しかし借金は消えても、お前の罪は消せないことを努々忘れるな」
「え……」
「私はこれからキムラスカにお前のことも含め、すべてを暴露する。そのとき、お前がどんな罪に問われるのか、私には関係ない」
「ぁ……」
アニスの脳裏に浮かんだのは、自分がスパイしていたと言う事実。顔色が悪くなるが、アニスには頼みのイオン様がいた。イオンならば必ず助けてくれる――そう思っているアニスは知らない。キムラスカに抗議を受け、抗議の内容を知るや否やローレライ教団はイオンの導師職を解任した事に。
スパイの事だけで罪が済むと思っているアニスは心底甘かった。
モースは白い顔色になった二人の部下から眼を逸らし、王に向かって深々と頭を垂れた。
すこし前まで頭を垂れる必要が無いと、傲岸にも王の隣りに立っていた過去を鮮明に思い出しながら、頭を垂れた。
「御前、失礼致しました…ッ」
玉座は何と遠いところか。下々から王の面は見えぬ。
それは、当然のことだった。
あくる日の早朝、キムラスカにてナタリア王女の廃嫡が発表された新聞紙が出回った。
国民は突然の事態に驚きを隠せず、事の真相を知るべく騒ぎ立てたが、国から配布された号外新聞を読むと納得する者が殆どだった。ナタリア王女は王の命令に背き、勝手に城を飛び出して親善大使一行に同行し、その間公務をほったらかしにしてしまったのだ。愛していた姫の失態に国民は大きな失望を覚え、ナタリアに狂信的な想いを捧げる一部の者達以外、ナタリアの処遇に納得した。
そして哀しいニュースに代わるように、次々と重大なニュースが国民の耳に飛び込んできた。まず一番最初のニュースは、国が預言から離脱すると言うことだった。国絡みで預言に頼って来たこともあり、国民はこのニュースに動揺した。しかし、国が何故預言から離脱すると言う理由を知るや、動揺しながらも国民は納得せざる負えなかった。
今この大地は、パッセージリングなる創世記時代に生まれた譜業で支えられているという。そのパッセージリングの耐用年数がもうじき切れて、大地が崩落してしまうとキムラスカ王国は世界へ向けて打ち明けた。このまま預言通りに行動すると、世界の滅亡がユリアの預言に詠まれていると知っては、どうしようもなかったのだ。
預言に頼らない生き方をすることに不安は覚えど、だからと言ってどうなるものでもない。
不安のままざわめく民の耳に次に届いたニュースは、インゴベルト王が再婚のニュースだった。実際は既に再婚をしていたのだが、国民にはそこらへんの事情がわかるはずも無い。ナタリア王女が廃嫡され、国の未来を背負う人物がいなくなった為に国民はこの自体に大いに喜んだ。他にも公爵子息が改名したり、マルクトでは一左官が軍位を剥奪されたらしいが、王の結婚に揺れるキムラスカ国民にはどれも些細なことだった。
そして、親善大使一行に任命された者達だが――親善大使のルーク・フォン・ファブレを除いて、ほとんどが犯罪者として逮捕されるという異例の事態になってしまった。
マルクトでは導師守護役のアニス・タトリンが逮捕され――なんでもタルタロス襲撃幇助の疑いがあるという。マルクトで裁判にかけられるが、その後はダアトにも移送されると聞く。少女は大詠師のスパイでもあったという話だ――ユリアの子孫、ティア・グランツも公爵家侵入罪に加え王族侮辱罪に問われ逮捕された。その後裁判にかけられたが、罪を犯した意識がまったく見えず反省が見られなかったことを考慮され、処刑された。処刑台の上で、ユリアの子孫であることを理由に死刑を逃れようと弁解していたが、処刑執行人は表情ひとつ変えることなく首を切り落とした。
彼女は兄も世界で指名手配されていて、そのせいで一族郎党罪人扱いされている身であり、彼女達の祖父にあたるユリアシティの市長テオドーロが肩身の狭い思いをする羽目になったという。
ダアトでは幹部が次々と逮捕、または行方不明に陥り、再編成に忙しいという。導師イオンは導師位を剥奪され、大詠師モースは越権行為が過ぎたとしてキムラスカで逮捕、軍の総長を務めていたヴァン・グランツは指名手配、鮮血のアッシュは軍部を除隊した。
親善大使の護衛として同行したガイは、親善大使を守らず、危険な目に合わせたとされ、バチカルを追放。その後、マルクトでホドで滅びたガルディオスの遺児として名乗り出たそうだが、その証拠はどこにもなく、伯爵位を騙った不届き者として逮捕、その後の行方を知る者はだれもいない。
和平使者であるジェイド・カーティスは王族を馬鹿にし、不敬の限りを尽くしたとされ、軍位を剥奪され処刑されるはずだったが、馬鹿にされた当の公爵子息が、和平に罅を入れるからとマルクトに貸しを作る形でそれ以上は不問に処した。マルクト皇帝は幼馴染を処刑せずに済んで人知れず安堵したが、それを上回る苦々しい思いを味わったという。
そしてナタリア王女――ナタリア元王女だが…この日、牢屋から出された。
「ほら、行け」
兵に背を押され、ナタリアは躓くように城から足を踏みだした。
牢屋に入れられる前は輝かしかった金髪は、今はくすんだ色を湛え。服も、罪人が着る簡素な格好となっていた。久方ぶりに見る太陽に眼をうっすらと細めて、しばらく日射しを楽しんでいたが、兵士に早く立ち去るように睨まれて、歩き出す。
しかしナタリアは、本来ならそのまま城下へと降りて行かなければならない身でありながら、ファブレ公爵邸へと向かってしまった。薄汚れた格好をしている自分に羞恥に塗れた想いを抱えながらも、それでも婚約者であるアッシュに逢いたいと願っていた。ナタリアは未だにアッシュと父がルークに騙されているという、都合の良い勘違いをしているのだ。それが空想であることにも気付かずに、ファブレ公爵家へ行くが、門前に控えている白光騎士団の兵士に素気無く追い返されてしまった。そのことに、言い様のない憤りを覚えた。――すこし前までは、自分が“ナタリア”だと気付くや否や、通してくれたのに。
「ルークを呼んでくださいませ! ナタリアが来たと仰れば、ルークは絶対にわたくしを通してくださいますわ!」
吠えたてるナタリアを白光騎士団は迷惑そうに見やり、―― 一人の兵士が、邸の中へ入って行く。ナタリアに名前を呼ばれたルーク…アッシュは、つい先日父により与えられた執務室で公務に励んでいた。長きに渡り、ヴァンの企みを知るため、預言の真意を知るために鮮血のアッシュとして潜伏をしていたが、今は公爵子息としてキムラスカに戻っている。父の仕事を手伝いながら、いつか公爵家を継ぐために奔走しているのが現状だ。
アッシュは、父の若りしころと同様の難しい顔をしているとはよもや気付かずに、一枚の書類に隈なく目を通していたが、不意にノック音が聞こえて、顔をあげた。
「お仕事中に失礼いたします、アッシュ様」
「何用だ」
「ナタリア元王女がお出でですが…」
メイドは、アッシュの仕事を邪魔して申し訳なさそうに告げた。
ナタリアは王女として追放された身ではあるが、彼女が王女であったことは周知の事実だ。
元王女とは言え、王女として扱っていた者を追い返していいのか判断に困った事には簡単に予想つく。しかしアッシュは、それを批判した。
「元王女だろうが何だろうが、既にその身は庶民だ。追い返せ」
「! ――はい、畏まりました」
お仕事中に失礼して申し訳ございませんでした。メイドはそう言って、去って行く。アッシュは書類に再び目を落とす。その顔は何処となく辛そうに歪んでいる。
彼女の手を取れて、これからの未来を歩めたらと。――そう確かに、以前は思いはしたけれど。道は違えてしまった。アッシュの隣りにナタリアの姿はなく、またナタリアの隣りを歩むことは許されないし、またアッシュは、それを選ぶ事を自分で許さない。
せめて、今後の彼女が自身の罪を理解して、つつましくも幸せになるように祈るだけだ。
(許せ、ナタリア)
心の中で謝ったアッシュは、これから未来のことを考えた。
白光騎士団に追い返されてもなお、過去にしがみついているナタリアは、公爵家へと無理やり押し入り――今度こそ、未来を投げ捨てた。
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