怪しくなる雲行きの中、カイツールを抜けて軍港に向かう。アルマンダイン将軍はルークの無事を喜び、ジェイドの姿を見て嫌そうに顔を歪めたものの、バチカルに向かうための船を用意してくれた。

 連絡船キャツベルト。中継点としてケセドニアに寄港するが、バチカル港までそのまま連れて行ってくれる。初めての船旅をしばしルークは楽しむことにした。

「ミリア、あれなんだ?」
「あれはカモメですね」
「へえ……」

 海は穏やかだった。船の舳先が海を割るように進み、見渡す限り空と海が広がっている。暗雲と、青空が綺麗に分離していて、陸地ではなかなかお目見えできない空模様を楽しんだ。船と群れるように、白い鳥が飛び交い、時々海面から魚が顔を出す。潮風は冬ということもあり氷のように冷たい。

 ミリアとルークが船から顔を出していると、ジェイドが落ちないようにと注意をしてくる。そこまで間抜けではないと言い返したが、ルークの肩に乗っていたミュウが海に向かって転がり落ちそうになって、慌てて掴む場面はあった。

 ティアは船室で休み――ヴァンと話して気が楽になったらしい。ジェイドの命令を受けた精鋭兵が監視している――ガイはすこし寝ると言って横になってしまった。ジェイドはルークとイオンの護衛も兼ねているのか、傍にいた。

「イオン様、いったいどうしちゃったんですかぁ? 暗い顔して」
「……なんでもないですよ」

 イオンはアニスに何か言いたそうな顔をしていたが、ジェイドを見ると途端にやめてしまう。アニスもそれに気づいて、怒ったような顔でジェイドに突っかかった。
 
「も〜! 大佐、イオン様に何を言ったんですかぁ?」
「言いがかりはやめてください。私が何をしたっていうんです?」
「わかんないけど、大佐が何かしたんじゃないですかぁ?」
「酷い言いがかりですねぇ」

 ジェイドはおどけたように肩を竦めた。アニスは不満も露わにリスのように頬を膨らませる。イオンは苦笑した。
 
「……すこし、海風に当たって疲れただけです。部屋で休みますね」
「わかりました。あたしはもう少しだけ此処にいますね」
「……はい」

 イオンはアニスと二人で話したそうにしていたが、アニスが意を汲むことはなかった。ジェイドが自分を見ていることに気付くと、イオンはくるりと背を向けて足早に船室に向かってしまう。

「おい、いいのかよ?」
「同じ船にいるんだから、イオン様がどっかに行っちゃう心配もないし、大丈夫ですよぉ」

アニスは暢気だった。導師が行方不明になる可能性は低いとはいえ、体調不良になる可能性はあるのだが。ジェイドは精鋭兵に目配せをしてイオンの護衛に付かせる。アニスは「そんなことより」と笑うとルークの腕に抱き着いた。

「ルーク様って、どういう人がタイプなんですかぁ?」
「はあ?」
「例えば、可愛いとか、料理上手とか、お財布の管理にしっかりしてるとか。どんな女の子がタイプですか? あたしとか、良い線言ってるとは思いません?」

 ルークは今まで目にしたことがないタイプに押され気味だった。のけぞるように顎を引いて、腕に張り付くアニスを退けようとする。
 
「い、いや、俺は」
「もしかして、ティアがタイプなんですかぁ?」
「ああ? ねーよ」

 ルークは顰め面で即答する。アニスは顔を引き攣らせたが、すぐに気を取り直すと話を続けた。ルークはさっさと話を終わらせて景色を楽しみたかった。

「じゃ、じゃあ、あたしと、ティアだったら?」

 ルークはどちらもタイプではなかった。アニスは見た目が幼く、ティアは美人だが色々あって論外だ。ルークは面倒くさくなって周りを見回し、ミリアを見て、ミュウを見た。
 
「あー、ミリア?」
「ミリア!? それ誰ですか!?」
「じゃあミュウ」
「ボク男ですの」
「おまえ男かよ!?」

 毒にも薬にもならないしょうもない話をする。
 
 満足のいく答えが得られず、アニスは不貞腐れてイオンの所に戻ると言った。そういえばルークの気を引けると思ったようだが、生憎女心を解さない彼から引き留める言葉はなかった。アニスは消沈した様子で船室に戻る。そのアニスの姿を、ジェイドは怪しむように眺めていた。
 
 ルークは波音とカモメが船に戯れる音を聞きながら、ぼうっと呟いた。
 
「海って、こんなに広いんだな」
「……海を見るのは初めてですか?」
「ああ。つか、初めてみるもんばっかりだ」
「そうですか。何もかもが真新しいと」
「……悪いかよ」
「いえいえ。羨ましいですよ。新鮮な気持ちで世界を見れて」
「おっさんくせー」
「おじさんですからねえ」
「胡散臭い奴。つか、いつまでも俺の傍にいていいのかよ」
「一応、私はあなたの護衛でもありますから。和平に協力していただく手前、お守りさせていただきますよ」

 ジェイドの胡散臭い笑顔に、ルークは思い切り顰め面になった。

「まあ、それは置いといて。ルーク、ミリアを私に貸していただけませんか?」
「はあ?」
「え、わたしですか?」

 ルークが怪訝な表情をする横で、ミリアは首を傾げる。

「アニスがスパイである証拠を得るのに、ミリアに協力していただけないかと思いまして。ミリアならば、アニスの警戒網を潜り抜けることは容易でしょう」

 アニスはまだミリアという幽霊が近くにいることを知らない。ミリアならば、確かにアニスの警戒網を潜り抜けるのは容易だろう。

「アニスを疑ってるのか?」
「ええ。ほぼ黒だと思っています」

 ジェイドは灰色ではなく、黒だと口にした。乗船する前は灰色だったはずなのに。
 この数時間でジェイドが意見を変えた理由を考える。ヴァンとのやり取り以外、思いつかなかった。

「ヴァン師匠と話したときに、アニスを怪しいと思ったのか?」
「……ええ。ヴァン謡将は明らかに私を知っていました」
「どこかで会ったことがあるんじゃないのか?」
「面識があるなら覚えてますよ。あれほど身体的に特徴のある人物ですから。……面識がないにも関わらず、彼は一目で私をジェイド・カーティスだと判断した。まるで、誰かに私の特徴を細かく教えてもらったようじゃないですか」
「リグレットや他の六神将に教えてもらったんじゃないのか?」
「その可能性もないとは言えないでしょう。ですが……ルーク、覚えていますか?」
「なんだよ、もったいぶって」
「タルタロスで、ラルゴは私がジェイド・カーティスであることを知っている様子でした。だから、即座に私の危険性を見抜き、アンチフォンスロットを使用して無力化を企んだ」

 苦い記憶がよみがえる。ルークは自身が人質に取られた挙句に、目の前の男の戦力を低下させたことを深く反省していた。

「私の譜眼を見て、私がジェイド・カーティスだと気付いた可能性は否定できないでしょう。しかし、面識がない相手の特徴を見て、すぐにその人物だと特定できますか? 顔が広く知れ渡っているなら話は別ですが、私はただの佐官です。この譜眼を除けば特徴などないに等しい。赤い眼の人間がこの世にいないわけでもありませんしね。事実、私の勉学の師は赤い眼をした女性でしたよ」

 ジェイドの話を聞くうちに、ルークもアニスへの疑念を深めていく。

 ルークから見れば、ジェイドはジェイド以外の何者にも見えない。しかし、それはルークが最初から彼をジェイドだと知っているからに過ぎない。推測するに、ラルゴたちはタルタロスに乗艦していたのは第三師団だと知っていたのだろう。当然、率いていた人物がジェイド・カーティスであることも知っていたはずだ。

 しかし。

 ジェイドの言うとおり、彼を一目でジェイド・カーティスと判断できるはずがないのだ、ふつうなら。ジェイドの特徴といえば端正な顔立ちと赤い譜眼だが、この世に赤い眼を持たない人間がいないわけでもなく、彼以上の美形がいないわけでもない。

 今のジェイドに初対面の人間が注目するのは、大体その端正な顔立ちか、マルクト軍服だろう。彼の身体的特徴には、彼を一目でジェイド・カーティスと断定できる情報はない。赤い眼をした知的そうなマルクト軍人という認識がいいところだ。
 それなのに、なぜラルゴたちは、ジェイドを特定できたのか。
 
 ――ジェイドの特徴を知り、イオンと共に行動している軍人の名を、事前に知っていたからではないのか?
 
 その疑念は一度生じたら、消えない。
 
「もしアニスがスパイであるならば。タルタロスの行路を知る彼女なら、神託の盾騎士団の襲撃を手引きすることなど簡単です。六神将や、ヴァンが私のことを知っていた説明もつく」

 ジェイドはゆっくりと目を細める。ルークに視線を向けているが、思い描いているのはイオンの姿だった。

「それに、イオン様の態度が気にかかります」
「……イオンはアニスがスパイじゃないって言ってたじゃねーか」

 ルークは自分でも驚くくらいの気弱な声で尋ねていた。

「そう思いたいだけかもしれません」
「どういう意味だ?」
「イオン様はアニスがスパイであることを知り、その確証を得ながら、彼女を庇いたいだけなのかもしれないということですよ」
「……なんで、そんな」
「イオン様にとって、アニスは特別のようですから」

 否定できずにルークは黙り込んだ。

 イオンを疑いたくはないが、アニスに関してはどうにも公平性が欠けているように見えるのは事実だ。

 何よりつい先日のことが気にかかる。イオンは、ティアを庇ったのに、アリエッタは庇わなかった。二人とも罪の意識に欠けた犯罪者であることには違いないのに、イオンはアリエッタを庇わず、それどころか非難したのだ。二人に違いがあるとしたら、アニスのこと以外他にはない。

 ルークは頭をがりがりと掻くと、一つ溜息を吐いて。ミリアを見た。
 
「……ミリア」
「はい」
「俺がいうこと、わかってるな」
「はい。お任せください」
「頼んだぞ」

 ミリアは静かに頭を下げる。ルークは鷹揚に頷いた。

「――ご協力感謝いたします」
「貸し、一つだ」

 忘れるんじゃねーぞ、とルークは笑う。大人びた、苦々しい感情を殺す笑みだった。ジェイドはやわらかな笑みを返す。
 
「三つ、ですよ」

 和平協力に、ルークへの態度を見逃してもらった分。それに、今回の件。どれだけ頭を下げたところで、恩を返しきれるものではない。



 航路を順調に進み、雨雲を置いてケセドニアに到着した。
 たった数時間の船旅だったが、地面が揺れるというのは頼りない思いを抱かせていたようで、大地を踏みしめた瞬間ひと心地ついた。

 ルークは大きく背伸びをしながら、乾いた大地に立つ街を眺める。

 さまざまな露天商が軒を連ね人々で賑わっている。ルークが眼についたのは道具屋や武器、防具屋だったが、店は一つだけでなく、あちらこちらにあった。ライバル店より客を掴むべく店主は声を張り上げていた。街中で商人が価格交渉をしたり、競争相手と値を競り合っている光景が見えて、ケセドニアがいかに活気であふれているわかる。

「二時間後には出立します。それまでに戻ってきてください」

 声をかけてくれた船員はあわただしく船内に段ボール箱を詰め込んでいた。ケセドニアで輸入した物をバチカルへと運送するのだろう。時間がないはずだ。
 邪魔をしないように船から離れると、各自いくつか注意を受けて散らばった。といっても、イオンとルークには当然護衛が付き従い、ティアも監視につけられている。

 イオンはケセドニアの人ごみに酔ってしまい、早々に青くなると、宿屋へ向かった。アニスもである。ルークに命令を受けたミリアは、イオンに気付かれないように距離を置いて、アニスへとついていく。
 
 ルークはミリアたちを見届けて、ガイと、ジェイド、おまけにティアを連れて、ケセドニアを楽しむことにした。

「ずいぶんと大変なことになっちまったな」

 ガイは自分たちに後ろについてくる護衛集団を見て、仰々しいと苦笑した。ルークも同意する。
 
「ま、しょうがねーよ。戦争はやだし。協力してやんねーとな」
「……そうだな。そういえば、彼女から聞いたんだが」

 ガイはティアと話しているようだった。女に触れないが、女は大好きだと公言するような奴なので、ルークは白い眼を向けるだけで特におかしいとは思わなかった。
 
「おまえ、ティアに忘れ形見手放させたんだろう?」
「はあ?」
「馬車の代金足りなくて、母親の忘れ形見で不足分を補ったって言ってたぞ。お礼ちゃんと言っとけよ」
「……元を正せば、そんなことになったのはあいつのせいだろ!」
「そうだとしても、忘れ形見なんて大事なもん、手放したんだぞ。そうまでして、お前を送り届けようと思ってくれたんだ。そのことについては、お礼の一つくらいは言ってもいいだろ」
「…………わかったよ」

 ルークは渋々といった様子だったが頷いた。ガイは安堵したように小さく笑った。

 そのあと、ルークたちはキムラスカ領事館に向かった。マルクト人と共にいるルークに領事は驚いていたが、事情を説明するとジェイド――マルクト――に感謝し、ルークの無事を喜んだ。ルークと導師の意思を汲んでティアの逮捕はしなかったものの、インゴベルトに報告すると領事は口にした。
 一通り話を済ませ、ルークたちは領事たちと別れた。

 宿屋に戻る途中、怪しい三人組がルークに近づこうとしたが、優秀な護衛が阻止した。その三人組はなんと漆黒の翼で、マルクト兵に正体を見破られて慌ててケセドニアから逃げて行った。逃走方向を見ると、どうもバチカル方面に向かったらしく、もしかしたらまた会うことになるかもしれない。漆黒の翼を取り逃がしたジェイドたちは苦々しい顔をしていた。



「イオン様、あたし、ちょっと用足してきますね〜!」

 と、イオンと護衛を置いてアニスは部屋を飛び出した。タルタロスで別れてから、何があったのかわからないが、一人になれる時間が極端に少なくなっていた。いつも必ずマルクト兵が張り付いている。アニスはトイレに駆け込みながら焦る。
 
「まっずいなあ……」

 アニスは個室の中に入ると、トクナガの中から小さく折られた紙とペンを取り出した。トイレのドアに紙を当てて、ペンを走らす。
 
 ――現在カイツール軍港発、キャツベルト船にてバチカル方面に向かってます。○○時到着予定。セントビナーにてマルクト兵補充、導師様・ルーク様の護衛厳重化。同行者にティア・グランツ、使用人ガイ確認。備考なし。
 
 文字が乱れているが書き直す時間はない。あまりトイレに長居してても怪しまれる。アニスは舌打ちして個室を出ると、水場で手を洗った。ケセドニアを出港する前に、どうにか一人になって、手紙を出さなければ……。考え込むアニスは気付かなかった。
 
 手紙を、間近で見ていた者がいることに。

「証拠を差し押さえます」

 ミリアからルークへ。ルークからジェイドへ。情報が伝達する。話を聞いたジェイドは冷えきった声で告げた。一人の時間を確保したアニスは早速行動を起こした。ケセドニアにある鳩小屋に向かい、伝書鳩にモースの元へ手紙を届けるように配達人に対価と共に頼んだ。ひと仕事を終えたアニスが宿屋に向かうのを見届け、即座にマルクト兵が踏み込む。
 アニスがスパイである証拠を得て、兵士たちは宿屋へと引き返した。




「……よくやったな。お疲れさん」

 ミリアをルークは言葉少なく励ます。そういうルークこそ、すこし悲しそうな表情をしていた。



(2016/08/26)
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