「ディスト、お前にチャンスをやろうか?」

 シンクはそう言いながら、ディストにある希望を与えた。それは被験者が生存するための希望。ディストはそれを強く握り締めておきたかった。そうして、レプリカになった師とピオニーと、被験者であるジェイドと自分、それにネフリーの、レプリカと被験者の垣根を越えて、幼馴染五人が生存する道を選びたかった。

「最初はマルクト皇帝」

 シンクはピオニーの命を命令一つであっさりと奪い取った。

「次はそうだな……ネフリー・オズボーン」

 目的のためなら手段を選ばない。シンクは民間人だろうが関係ないと、ネフリーの命を握った。

「最後はアンタと死霊使いだ」

 ディストは顔を引き攣らせて、吐き気がするほど美しい笑みを浮かべたシンクを見ていた。

「さて、あんたはどうするんだろうね。楽しみだよ」

 と、悪魔は笑った。


 *


『――劣化レプリカ、貴様何をやってやがる!?』
「く……っ」

 キィインと耳鳴りのような音と共に激しい頭痛が襲いかかった。ルークは両手で頭を抱えて蹲った。

「アッ、シュ」
『何故、神託の盾騎士団兵たちと共に居る?』

 アッシュは便利連絡網と称される回線を使って、ルークの様子を覗き見していたらしい。シンクの命令によって神託の盾騎士団兵に案内された客室は、窓は無いものの、一目見て上等だとわかる部屋だった。

「……ナタリアたちはバチカルに連れて行かれた。俺はティアたちと離されて、一人だけ此処に残された」
『なに……? それで貴様は大人しくジッとしているわけか。ハッ、とんだ役立たずが』
「武器が取られた状態でどうしろっていうんだよ」
『超振動でも使ってそこから出ればいいだろうが!』
「まだ制御が完璧じゃない。周りの人間を巻き込むかも知れない」
『シンクたちなら構わねぇだろうが』
「シンクだけじゃない! ……俺は教団の本部に監禁されてる。超振動を使ったら、一般信者も巻き込むかも知れない」
『……ッチ』

 アッシュは舌打ちをつくと、溜息を吐いた。

『仕方ねえ。今から俺が行く』
「俺のことより、ナタリアたちの方に行ってくれ。シンク、ナタリアのことを偽姫だと言ってバチカルに連行させたんだ」
『なんだと? シンクの奴、何を考えてやがる……』
「それに、シンク、自分がオリジナルイオンだと言っていた」
『なんだと!? まさか、いや、だが……わかった。ナタリアたちの所には俺が行く。……ヴァンの行方を捜しているが、奴の行方を見かけなくなった。それどころかリグレットもラルゴの行方も掴めない。ディストは依然とワイヨン鏡屈でレプリカを作り続けているようだが、どうもおかしい』
「おかしいって?」
『ワイヨン鏡屈に忍び込んだところ、大量のフォミニンが採掘された跡があった。実験施設の稼動も確認した。作られたレプリカは失敗作、成功作に限らず、何処かに輸送されているようだ。情報収集したところ、定期的に神託の盾騎士団の船がワイヨン鏡屈とダアト間を往復している姿が多数目撃されている。破棄するなら輸送する必要はない』
「つまり、レプリカはダアトの何処かで生きているってことか?」
『ああ。その可能性は十分ある』
「けど、街中でレプリカらしき人物を見かけたことは無かったぞ」
『何処かに隠されているのかも知れねえ。そこにはヴァンがいるかも知れない。気を抜くな』
「ああ、わかった」
『ディストを締めて情報を聞き出せれば良かったんだがな……ヴァンの監視か、あいつの周りには護衛がうようよ居やがる。お前はどうにかして、そこから自力で逃げ出せ』
「頑張ってみる」

 ふん、と鼻を鳴らす音と共にアッシュの通信は切れた。
 レプリカがダアトの何処かにいる。そして、もしかしたらヴァンも――ルークはぎゅっと拳を固く結んだ。


 *


 ルークと通信を切ったアッシュはバチカルに向かうべく、キムラスカ方面に足を向けようとした。
 だがアッシュが歩き出す前に一人の人物が現れたことで、足を止めざるおえなかった。

「行かせませんよ、アッシュ」
「……ディスト」

 ディストとアッシュの周りを囲むように、神託の盾騎士団兵がぞろぞろと姿を現した。その数は百を越えていた。

「何故テメェがここに」
「貴方が私を付回していることは気付いてましたから」
「ふん……ヴァンは何を考えている?」
「ヴァン?」

 ディストは目を丸くさせた。意外な反応に、アッシュは訝しく思い眉を顰めた。

「……ヴァンの命令で動いているんじゃねぇのか?」
「ああ……貴方たちはまだ知りませんでしたか。ヴァンならもう死にましたよ。リグレットも、ラルゴも」

 ディストは苦味を含む笑みを見せた。

「なんだと!? どういうことだ!」
「そのままの意味ですよ。……ヴァンたちは殺されました。シンクによって」
「シンクだと……!?」
「貴方たちがヴァンを止める前に、シンクは強硬手段を使ってヴァンを殺害しました。手段を選ばないというのはシンクのことを言うのでしょう。貴方たちのやり方はシンクから見て、生温かったようですよ」
「生温いだと……?」
「そう。生温いんですよ、貴方たちは」
 ディストはアッシュたちを非難した。
「ジェイドはルークレプリカと貴方の因果関係に逸早く気付きながら確証を得るまで黙り込み、結果ヴァンが計画を実行し易い下地を作り上げてしまった。ヴァンの妹は、ヴァンの計画を知り殺害する機会に幾度も恵まれながらついには実行に移せなかった。ホドの伯爵はヴァンの計画に気付きながら、ルークレプリカを騙すヴァンにアクゼリュスが崩壊するまで協力していた。アニスは導師守護役として役目を真っ当せず、その結果、導師はセフィロトの扉を開けてしまった。アッシュ、貴方はヴァンが外殻大地を崩壊させる計画を知るまで、自分を誘拐したヴァンを信じ続けましたね」

 ディストは口元に笑みを浮かべながら、言う。

「どうして自分を誘拐し、ルークレプリカを作ったヴァンを信じ続けたんですか? 彼を超振動で殺害して、自分こそがルーク・フォン・ファブレだと名を上げて帰ればよかったのに」

 アッシュの身体が強張った。

「それができなかった時点で、貴方にはルーク・フォン・ファブレでいる資格も、自らの代わりにアクゼリュスを崩壊したルークレプリカを詰る権利もないんですよ」

 高笑いを浮かべるディストしか見たことがないアッシュには、目の前の人物が本当にディストなのか疑わしく思えるほど、彼は嫌な笑みを浮かべていた。甚振るように、詰るように、アッシュを非難する。

「わかってますか? 貴方は、ルークレプリカのみならずファブレ公爵家が、キムラスカが、ヴァンに騙されている事実を、七年間、看過し続けていた」

 ディストはアッシュに一歩ずつ近寄った。アッシュは睨みつける。剣柄に手をかけた。

「カイツール軍港を襲撃した事実と合わせると、本当に罪深い。貴方は、王族でありながら、祖国に弓を引いた、国家の反逆者ですよ」
「――黙れッ!! 大人しく聞いていれば好き勝手なことを言いやがって……! テメェに俺の気持ちがわかるものか!」

 剣柄を掴み、剣を引き抜く。その勢いのまま切り付けようとするが、ディストは寸でのところで避けた。

「おっと、危ない。からかうのはこの辺にしておきましょうか。アッシュ、貴方に二つの選択肢をあげます。シンクに恭順し、命を永らえさせるか。逆らい、死ぬか」
「答えは、テメェらを殺して生きる、だ!」

 アッシュは躊躇無く答えた。

「本当に? よーく考えた方が良いですよ。シンクはヴァンたちと違って容赦ない。目的のためなら手段を選びません。シンクは被験者を憎んでいます。それこそ全員殺害してやるつもりでしょう。被験者と共存することを考えずに。シンクは貴方だって簡単に殺しますよ」
「誰がそう簡単にやられるか。返り討ちにしてやる」
「そうできると良いんですけどねえ……無理でしょう。大事なものがある貴方にはシンクを止められませんよ」
「なに?」
「この意味をよく考えてごらんなさい」
「ディスト響土」

 ディストの近くにいた神託の盾騎士団兵の一人が声をあげる。咎めるような声と共に、アッシュとディストに鋭い視線を向けていた。ディストはおどけるように肩を竦める。

「どういうことだ? シンクは何をしようとしてる? 答えろ、ディスト!」
「その猶予は与えられてません。それより、私の質問に答えなさい、アッシュ。恭順するか、それとも……」
「シンクの僕になる気はねえ!」
「……そうですか。では、死ぬしかありません」

 ディストは一歩下がった。
 彼の代わりに、神託の盾騎士団兵が先を競うように前に出る。

「……終わりですよ、みんな」

 ディストが呟くと同時に、戦闘は始まった。




 多勢に無勢。数の力に押されて、アッシュは地に伏せていた。

 その身体には無数の剣と槍が突き立てられている。急所を悉く外された――あるいはアッシュが急所を守ったのか――せいで、すぐに死ぬことができず、苦痛の中で死の恐怖と戦っている。彼の息はか細く、放っておけば、このまま息絶えるのだろう。じわじわと大地を侵食する血液の量が、目前に迫ったアッシュの死を物語っていた。

「さて、もう一度だけチャンスを与えてあげましょう」

 そのチャンスはアッシュのみならず、ディストに与えられたチャンスでもあった。

「シンクに恭順して、生きることを選びますか?」

 アッシュは最後の力を振り絞るように、瞼を固く閉じた。
 アッシュの身体から力が抜けて、――息が、止まった。

「――残念ですよ」

 ディストは諦めるように笑った。
 物言わぬ死体と化した、アッシュを眺めながら。

「貴方の決断は、被験者の死を招く」

 大爆発現象を解明するために、アッシュの身を確保しておきたかった。でも、もうそれもできない。本当は理由を打ち明けて、アッシュに自ら大爆発現象回避の協力をしてもらいたかった。大爆発現象を回避することができるなら、被験者とレプリカの共存の道は切り拓くことができたのだから。

 だが、シンクはアッシュを生かす、理由を打ち明けてはならないと言った。アッシュに頭を下げさせる、大義名分を与えてはならないと言った。最初からシンクは被験者と共存したいと思っていない。彼はレプリカのみの世界を望んでいるのだから。

 ルークレプリカの被験者が生き長らえたい一心で、自らレプリカに膝を折る。そうしたら、被験者と共存する道を考えてもいいと彼は言った。その言葉にディストは縋った。

「ディスト響土」
「……ええ、ええ、わかってますよ。これで私たち被験者はレプリカと共存する道を選べなくなった。死にたくなければ、シンクに心から隷属しろというのでしょう。なってやりますよ。それで、……それでネフリーたちを守れるのでしょう!?」
「……シンク様から伝言を預かっています」
「伝言?」
「ネフリー・オズボーンはとうに殺した。レプリカ情報は既に抜き取っている。裏切れば、ネビリム、ネフリーのレプリカ情報は破棄すると」

 返された言葉に、ディストの思考は一時停止した。動揺に塗れた高い声で話を促す。

「……なんですって? 死んだ? どういうことですか?」
「そのままです。シンク様は、最初から被験者と共存する気はありませんでした。貴方を含め、被験者はレプリカにすり替えるつもりです」
「待ってください、だって、シンクは私に選択肢を、」
「――? ディスト響土もシンク様のお心をご存知だったではありませんか」
「え?」
「シンク様は被験者を憎んでいる。それこそ全員殺害してやるつもりで、被験者と共存することは考えていない。貴方が口にした言葉です」

 ディストは言葉を失った。

「ご存知だったでしょう? シンク様は、最初から貴方に、被験者に、共存する道など与えてませんよ」

 目の前が真っ暗に染まった。ああ、そうだ。自分は知っていた。シンクが被験者を全員殺すつもりであると。それなのに、チャンスをあげようかと言われたばかりに、被験者とレプリカが共存する選択肢を与えられたとばかり思っていた。

「大爆発現象は滅多に起こるものではない。回避策など不要だ。大爆発現象が起きる前に被験者を殺害すればいいのだから。――シンク様はそう仰ってました」
「は、はは……はははは!」
「貴方が役目を立派に果たせば、ネフリーとネビリムのレプリカは作ると。そこに貴方のレプリカも加えて良いと仰ってました」

 シンクはディストを殺害するつもりなのだ。知っていた。気付いていた。

「とんだ、道化だ」

 顔を手で覆った。指の隙間からこぼれおちた言葉は震えていた。ネフリーを巻き込み、これからジェイドと自分を殺すであろう、シンクを心の底から憎む。それでも、ディストがシンクに協力しない選択肢はなかった。ネビリムとネフリーのレプリカ情報を握られた以上、シンクを裏切りたくても、できない。ヴァンの下についたときと同じだ。ただ、ヴァンよりも、シンクは残忍だった。
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