「――アッシュ?」

 不意に、ルークは被験者の名前を呟いた。
 繋がっていたものが断ち切れたような、そんな感覚を感じ取った。
 その原因はアッシュだと直感で感じ取った。

「アッシュ」

 呆然とその名前を呟く。
 もう、この世の何処にも、アッシュはいない気がした。

 *

 バチカル城まで連行されたジェイドたちは地下牢に入れられていた。
 ルークの身も心配だが、別の場所に連れて行かれたナタリアの無事も気になる。同時にジェイドには気に掛かっていることがあった。

「……おかしいとは思いませんか?」
「何がですかぁ?」

 思考に耽っていたジェイドが声を出すと、全員の注目が彼に集まった。牢屋から脱出する策を求めている視線だ。だが、ジェイドが言ったのは牢屋から脱出する術ではなく、シンクに対する疑問だった。

「シンクのことですよ。私がシンクをオリジナルイオン様とお呼びしましょうかと尋ねたら、シンクは”あんたたちには呼ばれる必要がない”と言いました。これは明らかにおかしい」
「え〜、そうですかぁ?」
「呼ばれる”必要”ですよ。必要ということは、即ち、そうでなくてはならないということです。我々はシンクのことをオリジナルイオン様と呼ぶ必要がない、では一体誰に、オリジナルイオン様と呼ばせる必要があったのか……」

 アニスの脳裏に、シンクの傍に付き従っていたアリエッタの姿が思い浮かぶ。

「……アリエッタ?」
「おそらくは」
「シンクの奴、アリエッタを騙して利用してるってことですか!?」
「そういうことになるでしょうね。……アリエッタがグランコクマを襲ったのは、ヴァンの命令ではなく、シンクの命令なのかも知れません。シンクがヴァンの命令で動いているのかわかりませんが……」
「ルーク……無事でしょうか?」
「断言はできませんが、今のところは無事でしょう。最初からルークを殺害するつもりなら、何も我々と引き離す必要はありません。その場で殺しているはず。シンクの企みがわからない以上、楽観視はできませんが、今はルークよりも我々の安全を確保した方が良い」
「でも、どうやって……?」
「ティアが譜歌を使えれば話は早かったんですけどね……仕方ありません」

 ジェイドは一つ溜息を吐いて、コンタミネーションで槍を取り出した。武力行使しかない。ピオニーが生きているのならば、ジェイドだとて軍人として祖国の立場を苦しめるような真似はしなかっただろう。図らずも、アリエッタたちはジェイドの箍を外したのだ。

「サッサと此処から出ましょう」

 わざと大きな音を立てて、見張り番を牢屋の前まで呼ぶ。そこを一突きした。沈黙した門番から鍵を入手して、ジェイドたちは牢屋を出る。

「大佐、ナタリアはどうするんですかぁ?」
「助けに行くに決まっているだろう」

 アニスの問いに答えたのはガイだった。

「あたしもナタリアの無事は心配だけど、あたしたち牢屋に入れられてたんだよ?」
「兵士に見つかったら確実に私たちは牢屋に逆戻りですね。それだけならまだしも、アニスの言ったとおり殺されるかも知れません。……この状況でティアの譜歌が使用できないのは本当に辛い……」
「……すみません力になれなくて」
「じゃあ、ナタリアを置いて行くのか? ナタリアが危険だろう」
「そうは言っても、助ける手段が無ければどうにもできません。それともガイ、貴方何か策があるんですか?」
「……いや」

 ガイは苦い顔で首を振った。

「一先ず我々の安全を確保して、それからナタリアの救出を――」
「大佐?」
「静かにしてください」

 ジェイドは口の前で人差し指を立てると、城内に続く階段をすこし上がり、城の様子を窺う。慌しい無数の足音と話し声が聞こえた。

「何か起きたようです」
「何かって……?」
「さあ。それはわかりませんが、今はそれを調べている余裕もありません。それにこの事態は我々にとっては好都合です。この混乱に乗じて逃げますよ」
「はいっ」

 周囲の様子を窺いながら、ジェイドたちはバチカル城を脱出した。


 ――同時刻。
 ジェイドたちと引き離されて独りナタリアは部屋に閉じ込められていた。

「陛下のご慈悲です」

 そう言って差し出されたゴブレットの中には、並々と注がれた液体が入っていた。とろみを持つ液体が何かなど、わざわざ尋ねる必要はない。現状がすべてを物語っている。
 ――毒だ。
 ナタリアはそのゴブレットを青褪めた顔で見つめたまま、受け取れなかった。

「――陛下の慈悲を無碍にするつもりか」 

 大臣の顔に冷ややかな感情が浮かび上がる。王家を謀った偽姫の分際で、と非難しているように見えた。

「……お父様に会わせてください」
「陛下はご多忙の身。そなたには会わぬ。……陛下がそなたに向ける最期のご慈悲だ。受け取りなさい」

 ゴブレットを差し出して、大臣は告げた。
 陛下が父としてナタリアに向けられる最期の情なのだと。

「っ……」

 ナタリアはますます顔色を悪くさせて、震える両手を伸ばして、ゴブレットを受け取った。切迫詰まった顔で大臣を見つめたあと、ごくりと唾を飲んで、ゴブレットを口元に当てる。そうして、勢いよく傾けた。ナタリアの喉に焼け付くような痛みが襲い掛かる。

「……!」

 ナタリアは一瞬瞠目したあと、ゴブレットを落とした。液体を飲み干す前にナタリアはイスの上から崩れ落ちてしまう。絨毯の上に倒れたナタリアの細い身体は、痙攣したあと、動かなくなった。
 大臣はナタリアの傍で片膝をつくと、しわがれた手を伸ばし、彼女の口元に手を当てた。――呼吸がなくなっていた。大臣は立ち上がると、ナタリアの死体を前にして、頭を下げる。

「――ご立派でした、ナタリア殿下」

 大臣はそう言うと踵を返して、部屋を出た。王女は自身が偽姫であることを知り、国民を騙した罪悪感に駆られ自殺したという美談にするために。


「……ナタリアが、死んだ?」

 ナタリア王女の訃報はバチカルに駆け巡った。
 偽姫である事実を知り、国民を騙した罪悪感により、自殺を選んだ悲劇の王女。
 ナタリアの福祉活動により、救われた多くのキムラスカ国民が愛する王女の死に嘆いた。偽姫でも構わない、生きていて欲しかったのに――哀悼の意をこめて喪に服するバチカルの住民を眺めながら、ガイはショック項垂れていた。

「やっぱり……あのとき俺たちが助けに行っていれば……」

 買出し用の袋を握り締めながらぽつりと呟く。ジェイドの言うことを聞かず、あのとき何が何でもナタリアの元に行っていれば助けられたのかも知れない。深い後悔の念を抱きながらガイは宿屋に向かう。
 ガイたちは今バチカルの宿に潜伏していた。逃走が判明してすぐに追手がかかると思い、一時的にバチカルから離れたものの、頃合を見計らって戻ってきたのだ。ナタリアを救出するために。だが、今となってはもう遅い。
 ガイは宿屋に戻るとナタリアが死亡した事実を全員に打ち明けた。ジェイドは目をわずかに伏せると「そうですか」と小さく呟いた。

「自殺って……そんな、ナタリアが?」
「自殺なんて、ナタリアがそんなことするなんて思えないわ」
「じゃあ……キムラスカに殺されたってこと? そんなぁ……ナタリアとインゴベルト陛下は親子だったのに……ひどい……」
「あのとき、俺たちが助けていればナタリアは死なずに済んだのかも知れない。……くそっ!」

 ナタリアを悼み、しんみりとした空気が流れる。誰もが沈黙する最中、口火を切ったのはジェイドだった。

「それにしても困りましたね。マルクト、キムラスカの後援は期待できず、ダアトもオリジナルイオン様ことシンクの支配下に置かれ、ナタリアを欠き戦力ダウンに加えて、ルークは捕らわれ、ティアの譜歌は封じられている……ヴァンたちの都合の良いように物事が動いています」
「本物のイオン様、どうしてるんだろう……」

 本物のイオン。アニスにとってはレプリカイオンの方だ。導師の私室に繋がる譜陣が書き換えられていた事実に加え、シンクがオリジナルイオンだと名乗っていることがアニスには気に掛かっていた。

「……その問題もありますね」
「ルークも大丈夫かしら……」
「ふむ……ルークの救出、それにイオン様の無事を確認するためにも、もう一度ダアトに行ってみましょう。……もしかしたらシンクたちもいるかも知れません」

 シンクたちがいるのなら今度は戦いを避けられないだろう――全員が同じことを考えていた。もしかしたら命を落とす者もいるかも知れない。それでも、行かないという選択肢はない。

「準備を整え次第、ダアトに向かいましょう」

 ジェイドの言葉に皆が頷いた。


 *


 コンコンとドアをノックする音に、ルークの意識は戻った。
 部屋に軟禁されて、早数日。
 シンクにつけられた監視役の兵士は実に優秀で、ルークを逃がす機会など与えてはくれなかった。超振動を使って逃げるしかないのか――そんな覚悟をルークが抱き始めた頃、事態は動いた。

「シンク様がお呼びです」
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