兵士に案内された部屋には、ルークのよく知る人物がイスに座って待っていた。
「……イオン」
「お久しぶりです、ルーク」
イオンはおっとりとした笑みを浮かべた。
中央に置かれた白磁のテーブルセット、三脚の内、一脚に腰をかけたイオンはルークの知る姿と何にも変わらなかった。
ルークは強張らせていた顔に笑みを浮かべてイオンに駆け寄った。
「よかった、無事だったんだな」
「心配かけたようで……すみません」
「お前が無事なら、それで良いんだ」
「シンクのために弁解させてもらうと、彼は僕に危害を加える気はないですよ」
イオンはそういうと、座るように促した。ルークは素直に従う。
ルークが腰掛けるのを待っていたように、給仕の女性が温かな紅茶が注がれたティーカップをルークに差し出した。礼を言いながら受け取ったルークは口をつける気にはなれなかったのだが、イオンがティーカップをゆっくりと傾けて飲む様子を見て、彼に倣った。給仕はお茶の用意をすると一礼して部屋を出て行く。
部屋の外にはルークの監視役の兵士が残り、室内にはルークとイオンの二人だけが残された。
イスが一脚、余っている。
「ルークと話をしたかったんです。……シンクが来る前に」
「! そうだ、イオン、いったい何があったんだ? シンクは本当にオリジナルイオンなのか?」
「……いえ、彼はレプリカですよ。僕と同じ。レプリカイオンの一人です」
イオンはハッキリとした口調で呟いた。
「イオン……」
「ふふ、ルーク、なんて顔をしているんですか。シンクの顔を見たんでしょう? 僕がレプリカだと疑ったはずです」
「……否定はしない。けど、俺にとって、レプリカだろうが何だろうが、イオンはイオンだ」
「ありがとう、ルーク。……シンクがどういうつもりで、オリジナルイオンを名乗っているのかわかりません。けれど、彼は被験者に対して激しい憎悪を抱いているのは事実です。彼はきっと、被験者を根絶やしにするつもりなのでしょう」
イオンはとんでもない言葉を簡単に言った。
ルークは青褪めた。
「……グランコクマが魔物に襲われたんだ」
「知ってます」
「あれは……アリエッタの仕業なのか?」
「ええ、アリエッタがやりました」
イオンはあっさりと頷いた。
「そんな……なんで……。被験者を憎んでいるからなのか」
「……ルーク……シンクは……僕たち兄弟は、オリジナルイオンの失敗作は、導師だけが使える力が使えなかったという理由で、ザレッホ火山に投げ落とされました」
ぞっとルークの背筋が凍りつく。
「被験者が憎いと思っても仕方ないとは思いませんか」
イオンは当然のように告げた。
「……それは……」
ルークは視線を落として言い淀む。その姿こそが、ルークの胸中を物語っていた。
「ねえ、ルーク。貴方は被験者を憎んだことがありませんか。僕はね、ありますよ」
ルークはハッと息を飲むとイオンを凝視した。
イオンは穏やかな表情で呟く。
「モースに言いように操られるたびに、アニスに蔑ろにされるたびに、ヴァンに冷めた眼で見られるたびに、僕は彼らとは違う生き物だと思い知らされる。彼らの都合が悪くなれば、僕らなんて簡単に捨てられる」
ルークは目を瞠った。イオンはがらりと表情を変えた。穏やかな表情を消し去り、無表情でルークをひたりと見つめる。イオンの深緑の双眸は底が見えない沼のように澱んでいた。
「その前に、僕らが彼らを捨てて何が悪いんですか?」
ルークは耐え切れずに叫ぶように言った。
「っ誰もイオンのことを捨てたりなんかしない! イオンは皆に優しかった。エンゲーブでは食料泥棒の犯人を捕まえるために自分で倉庫を調べていた。エンゲーブではチーグルを助けるためにライガに立ち向かったじゃないか! 和平のためにマルクトにだって協力してた。皆お前が優しいことは知っている。そんなお前のことを誰が捨てたりなんかするもんか!」
「ルーク、それは僕の意思じゃありません」
「……なんだって?」
間髪いれずに返された答えに、ルークは聞き返した。
「僕は導師ですから。信者たちに愛されるような、慈愛深い存在でなければならなかった。そういう環境にいたんです。僕の代わりなんて、いくらでも作れますから……」
イオンは、ルークの中のイオン像を塗り潰した。
「食料泥棒の犯人を捕まえれば、皆が僕を導師だと称える。チーグルを助ければ、皆に僕が慈悲深い存在だと印象付けられる。和平に協力したのは、導師としての功績が欲しかったから。すべて、打算ですよ」
ルークは首を振って、イオンの言動を否定した。
「うそだ……あれがすべて、打算? そんな、……じゃあ、俺のことを優しいって言ったのも?」
イオンは目を丸くする。ルークは呆然とした。
「俺のことを優しいって言ってくれたじゃないか! あれも打算だったって言うのか!?」
ああ、とイオンは合点がいったように頷いた。
ルークを優しいと称したことなんて忘れていたと言うように、あの言葉がどれほどルークを救ったのかわからないような態度に、ルークは激しいショックを受けた。
「……よく、覚えてましたね。そうですよ」
返された答えに、言葉も出ない。
「……っ」
ルークは左手で目を覆った。歯を食いしばって、涙を堪える。髪を切る前の自分は、皆に否定されるような最低な人間だった。そんなルークをただ一人、優しいと言ってくれたのがイオンだった。不器用だから上手く優しさを表せないだけだと、イオンだけが断髪前のルークを好意的に受け止めてくれていた。信じていたのに――!
敬愛する師に裏切られた時のように絶望が胸を衝いて、ルークはすぐさま立ち直れない。
「ルーク、僕はシンクに協力しました」
答えられずにいるルークに言葉を重ねる。
「ナタリアを殺害するように、キムラスカを唆したのは僕です」
ルークはぐっと息を詰まらせると、左手を外してイオンを見る。憔悴しきった顔は紙のように白く染まっていた。
「このままナタリアが生きていれば、キムラスカはいずれ預言から離脱し兼ねませんから。まだ、それは困るんです」
イオンがナタリアを殺そうとしている。その事実にルークは怯えた。
「ナタリアたちはすでにバチカルについていることでしょう。もしかしたら、もう始末されているかも知れませんね」
何てことのないように告げるイオンに、ルークはイスから立ち上がった。もう嫌だ。こんなイオンは見たくない。目の前の現実を否定するように、ルークは駆け出すとそのまま部屋を飛び出した。兵士がルークの後を追いかけてくる。我武者羅に走り続けるうちに、いつの間にかルークは教団の出入り口から外に飛び出しそうになっていた。
あと一歩。そうすれば教団から逃げられる。そうしてバチカルに行って、ナタリアを助けて、ジェイドたちに合流する――希望が見えたと思った。
「イオン様から逃げるなんて許さない、です」
ルークの背中にどすっとライガが飛び乗る。ルークは顔面から床に叩き付けられた。頭が床にぶつかった拍子に脳震盪を起こし、ルークは呆気なく気絶してしまう。ライガに圧し掛かられたまま動かないルークにアリエッタは小首を傾げる。ルークに近寄った。
「ルーク? 寝た、ですか……」
目を回しているルークにアリエッタは仕方無さそうに息を吐くと、ライガに頼み、ルークの首根っこを掴んで教団の奥に戻って行く。他の導師守護役に囲まれたイオンの元まで行くと、アリエッタは報告した。
「イオン様、ルーク、捕まえた、です」
イオンはルークの顔を見て、「気絶したのか」と小さく呟いた。
「ダメ、でしたか?」
「……いや、ちょうど良いよ。あの喋り方はむず痒くてしょうがなかったんだ。アリエッタ、そのままそいつを部屋に運んでくれる? レプリカイオンには絶対に会わせるなよ」
「はい、です」
アリエッタは頷いて、ルークに視線を落とす。
「それが終わったら、当分僕の護衛は良い。その代わりに、不審人物が教団に入らないように、君のお友達に頼んで上空から見張っていて欲しい。アニスたちが脱走したそうだからね。次は此処に来るだろう」
「……アニスたち、どうする、ですか?」
「殺して」
アリエッタは目を瞬いた。
「殺す。アニスたちを、殺す?」
「そう。やってくれるよね」
「はい、イオン様のためなら、やる、です」
「ありがとう」
イオンは笑みを浮かべた。アリエッタの両頬が赤く染まるが、イオンは気にせずに踵を返してしまう。その背に追従する他の導師守護役を妬ましく思いながらも、アリエッタはルークを部屋に運ぶとベッドに寝かせた。そして、イオンの命令どおり、グリフィンに空から教団を見張らせると、侵入者に備えた。
*
(まったく、手間をかけさせる。逃げ出すなんて思ってもみなかったよ)
シンクは胸中で溜息を吐いた。
(でも仕方ないか)
ルークはイオンに心を預けていた。自分に好意的に接してくれていたイオンが打算塗れだったなんて、想像すらしたことがないだろう。だが、今回の一件でルークはイオンを信じられなくなった。それでいい。ルークが信用するのは自分一人で十分だ。
(ルークの周りから完全に味方を排除してやらないと。そうじゃないとあいつを懐柔できない)
シンクはルークを殺さないと決めた。だからといって、いつまでも自分に敵意を抱き続ける相手をただで生かすほどシンクは甘くない。ルークを殺さないためにも、彼の中の自分への警戒心と敵意を消す必要があった。
(僕が言えば何でも聞くような、従順な駒にしてやる。ヴァンのように。けれど僕はヴァンのようにあいつを簡単に捨てたりしない)
そして、操り人形となったルークをキムラスカ国王にするのだ。そうすれば、キムラスカもルークもシンクの手に落ちる。キムラスカ国王となったルークはシンクの言うことなら何でも聞くようになるだろう。シンク以外、ルークの心の拠り所がなくなるのだから。
(それに、流石に僕一人で世界を治めるのは面倒だからね)
シンクは世界中の被験者を殺害して、レプリカとすり替える計画を練っていた。手始めにローレライ教団の上層部をレプリカに替え、その次は兵士を一人ずつ入れ替えていった。レプリカを作成しているディストが悲鳴を上げるほど、レプリカが作られる速度は早い。
ダアトは言うまでもなく、キムラスカ上層部の人間ももうじき入れ替えが完了する。
マルクトは皇帝位を巡って継承権争いが勃発し、国内は疲弊している頃だ。
(――そろそろレプリカピオニーを出すか)
ピオニー・ウパラ・マルクト。彼の情報はアリエッタにグランコクマを襲撃させた時に手に入れていた。アリエッタにピオニーの死体を持って帰って来させたのだ。ピオニーの死体から情報を抜き取り、ディストにレプリカを作成させた。その時のディストは死人と見間違うほど白い顔で、絶望に染まった悲痛な声をあげていた。何を悲しむことがあるというのか。元々ディストは師を蘇させようとしていた。それにピオニーが一人加わっただけの話だ。そう言ったシンクにディストは愕然と膝をついていた。
憔悴するディストを急かし、作らせたピオニーのレプリカは刷り込みが上手くいって人間のピオニーと大して変わらなかった。シンクに従順という点を除けばの話であるが。
マルクト帝国が混乱している最中に、ピオニーのレプリカを出せば、皆がピオニーは生きて
いたのだと思い込むだろう。皇帝位を狙う者にとってはピオニーレプリカは邪魔者でしかないが、民衆は賢帝と名高いピオニーが生きていたと知れば支持する。シンクは、爆撃に巻き込まれピオニーが意識不明の重体になってしまい、政敵に狙われぬよう、皇帝が完治するまでレプリカにすり替えた側近が隠していたというシナリオにするつもりだった。爆撃によりマルクト軍本部を壊滅状態に陥らせた事実も都合よく作用する。軍が機能しない状態であれば、皇帝の警護をする部隊もおらず、ピオニーの身を案じて側近が皇帝を隠したのも仕方ないと思わせることができる。
(あとは、あいつらを始末すれば良い)
目的の邪魔になる奴は全員始末する。ヴァンたちの殺害は完了し、あとはジェイドたちを殺害すれば邪魔者はいなくなる。ジェイドたちを始末したあとはアリエッタ、最後はディストだ。
「……ああ、そうだ。ティア・グランツは生かしておかないと」
ユリアの子孫の血は使える。ローレライをその身に憑依させることもできるうえに、パッセージリングの操作にも使える。またティアは第七音素術師だ。もし地殻に異常が起きて、ローレライを解放しなければならない事態になったとき、ローレライの鍵とティア・グランツと他の第七音素の素養を持つ被験者と擬似超振動を起こさせればいい。
(偽姫を殺害したのは失敗だったか)
ナタリアは生かしておくべきだったか――と思ったが、まあいいかとシンクは胸中でぼやく。ユリアの血族であるティアとは違い、擬似超振動を起こさせるだけならば、第七音素の素養を持つ被験者ならば誰でもいい。
(適当に第七音素を持つ被験者を捕まえておこう)
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