ジェイドとガイが、グランコクマに到着したのは、三日後の朝だった。
焦燥感に急き立てられ夜通し歩き詰めだったため、到着する頃にはすっかり疲れ果てていた。ジェイドとガイは一先ず宿を取り、ひと眠りしたあと、情報収集に勤しむことにした。
「街はまだ元通りというわけにはいかないようだな」
昼から営業中の酒場に私服姿の二人はいた。
午後三時過ぎ。昼というには遅く夕方と呼ぶにはまだ早い時間帯、酒を飲んでいる者はまだ少なく、客の大半はどうやら食事目当てのようだった。皆一様に食事に舌鼓打っている。それも作業着を着ている客が多い。街の復旧に駆り出された各工業所の作業員なのだろう。
ジェイドたちは人目を避けるように、酒場の隅にあるテーブルに腰を落ち着ける。喧騒といってもいいほど酒場は賑わっていて、二人の様子を気に留める者もいない。グランコクマの状況を把握するにはちょうどよかった。
二人はメニューを開き適当に食事を頼む。安月給でも気軽に酒を楽しむことができる店だ。大衆向けのメニューの中から、ジェイドはペペロンチーノと魚介のサラダを頼み、ガイはミートソースのスパゲッティとシーザーサラダ、それにラザニアを頼んだ。ドリンクはミントとレモンのさっぱりとした炭酸水。料理が来るまで、二人は客の話に耳を傾けた。
「……重点的に狙われたのは宮殿と軍本部、それに巨大水道橋のようですね」
「どうも話を聞いているとそうみたいだな。他にも被害は出ているそうだが……」
「……巨大水道橋、宮殿、軍本部を同時に爆撃し、街の防衛システムと警備を一気にダウンさせたうえで魔物に襲撃させる。アリエッタがこんな作戦を思いついたとは思えません。作戦を指揮したのはシンクでしょう。……忌々しい」
ジェイドは目を鋭く尖らせて吐き捨てた。アリエッタは強大な力を持つが、その力を理由なく振るうことはない。なぜなら、その気になれば簡単に人間を殺せるからだ。人間がふだん足元にいるアリを気にしないように、彼女は人間を気にしていない。
そのアリエッタが、魔物で街を襲わせた。
彼女が忠実に命令を聞くとしたら、ヴァンか、オリジナルイオンに扮したシンクか。ヴァンがこういうことをするとはジェイドには思えなかった。
「なんで旦那はシンクだと断言できるんだ? もしかしたらヴァンの仕業かも知れないのに」
「ヴァンの計画にはいつも穴がありました。それに人間の感情が窺えた。しかし、今回は……人の命をなんとも思っていないからこそ、できる作戦ですよ。人間がいくら死のうがどうでもいいという、ね」
シンクは重点的に宮殿と軍本部、水道橋を狙ったが、他に被害を出していないわけではない。中には善良な街の人間も被害に遭っていた。意図的に被害を拡大する気はないようだが、結果的に被害が拡大してもいい、そんな作戦なのだ。
例えばジェイドが同じ作戦を立てるなら、決行はせめて深夜に行い、被害は最小限に収めるよう努力する。標的は敵の最高責任者と追従する部隊と決めて、集中攻撃を仕掛ける。そうして被害を最小限に収め、戦後処理が楽になるよう――周囲の人間を巻き込まないだけの理性をアピールし、敗戦者を悪に仕立て上げて、理解を求めることだろう。
しかし今回の一件は白昼堂々行われた。当時の宮殿には皇帝と使用人の他に、各地から観光目的に訪れた謁見者もいたというのに。
それにヴァンならこれほど大胆な行動を取ることはない。グランコクマはマルクト帝国の首都であり、軍の主力が集中している。国の心臓たる首都に攻撃を仕掛けるには、ヴァンたちでは戦力不足だ。今回のようにアリエッタの魔物を使うならまだしも、過去の出来事を見る限り、ヴァンは魔物を移動手段と考えている節が強かった。それはアリエッタの特殊性が広まっていることを想定していたからだろう。事実、ジェイドたちは今回の一件がアリエッタの犯行によるものだとすぐに気づいた。
ガイはすこし黙ったあと、さらに疑問を口にした。
「グランコクマ襲撃の指揮者がシンクかヴァンなのかはともかくとして……マルクトは譜術中心の軍構成だろう? 空からの襲撃に対応できそうなものだが……」
ジェイドはもちろんだと頷いた。
「当然マルクトは空からの攻撃も想定しています。特に近年はキムラスカとの緊張感が高まり、かの国で浮遊音機関が開発されているという噂もありましたしね……。空からの攻撃に対応できるよう、譜兵隊と特殊部隊も用意されていました。他にも軍本部を中心に砲台を街の五か所に設置し、上空に現れた危険物への迎撃措置も取られる手筈になっています。しかし軍本部が爆撃されたとなれば……」
指揮権を持つ責任者が襲撃に巻き込まれれば、指揮系統が乱れる。砲台に迎撃指示を出す前に本部の体制を整えるのが先決だ。宮殿にいる皇帝の安否も気になる。
危険物への迎撃措置はおそらく現場の責任者に判断が委ねられたはずだ。突然渡された指揮権に、現場の責任者はさぞかし戸惑ったことだろう。決断するまでに、数分か、数十分か。それだけの時間があれば、次の混乱は勝手に生みだされた。
軍本部からの応援要請が届くのだ。被害状況の確認、防衛と、外敵への攻撃ーー本部の機能が停止したことで、それらすべてが一挙に各所に押し寄せた。応援要請を受け取ったセントビナー支部が部隊を作りグランコクマに到着したときにはすべてが終わったあとだ。
「……アリエッタは捨て駒と考えていいでしょう。今回の一件がアリエッタの仕業だとバレても、シンクは躊躇わず彼女をマルクトに差し出すつもりです」
「酷いな……。仲間じゃなかったのか?」
「シンクにとってはそうではないということなんでしょう。……しかし今回の一件の裏にいるのがシンクだとすると、厄介なことですね……。我々はヴァンだけでなく、シンクも警戒しなければならない」
「ヴァンの命令で動いているんじゃないのか?」
「こんな大それたことを仕出かしておきながら、シンクがヴァンの傘下に収まっているとは思えませんが。……ヴァンの行動が読めなくなったことといい、アリエッタがシンクのいうことを聞いていることといい、我々が気づかないうちに彼らに何かが起きているのかも知れません」
ジェイドはヴァンとシンクの関係が決裂している可能性を示唆する。
「いや、でも、シンクはイオンのふりをしていただろう? あれがヴァンの指示じゃないとしたら、ダアトは……」
「すでにシンクの手の中にあると考えてみてもいいでしょう」
「ルークとイオンが危険じゃないか! のんきに飯食ってる場合じゃないぞ!? それにグランコクマ襲撃の黒幕がシンクの仕業で、帰還したピオニー陛下がレプリカならマルクトもシンクの……。おいおい、冗談じゃないぞ……」
ことの深刻さを知りガイの背筋に冷や汗が滑り落ちる。二人は黙り込む。緊迫感から発生した沈黙を切り裂いたのは、店員の気さくで明るい声だった。
「お待たせいたしましたー! ペペロンチーノに魚介のサラダ、ラザニアとミートソースのスパゲッティとシーザーサラダ、それにミントとレモンの炭酸水です。では、ごゆっくりどうぞー!」
店員は沈黙をものともせず料理を置くとさっさと去って行く。木目調のテーブルに置かれた作りたての料理を見て、ガイとジェイドは顔を見合わせた。
「で、どうやって宮殿に入るつもりなんだ?」
腹ごしらえを終えて一息つく。
「もちろん堂々と正面からですよ」
「ピオニー陛下がレプリカでシンクの手先だったら危険なんじゃないか? 夜にこっそり侵入して確認したほうが……」
「もし我々の懸念が当たっていたとしたら、正面から行く方が危険性が減ります。幸い、私はピオニー陛下の懐刀として宮殿内に顔が利きますから。周りの目もあるので、その場で攻撃されるようなことはない……と思いたいですね」
「希望的観測!?」
「ガイが夜にこっそり侵入したいというのなら、私は無理に止めませんよ。侵入者としてみすみす攻撃される理由を与えるようなものですが、人生を終わらせる覚悟があるのでしたらどうぞご自由に」
「よし正面から行こう!」
ガイは真面目ぶった顔で力強く言った。理解したようで何よりだ。ジェイドは小さく溜息を吐くと椅子から立ち上がった。いつまでもぐずぐずしてられない。食事代を払うと二人は足早に酒場を後にした。
一度宿に戻り、ジェイドは軍服に着替える。その間にガイは貴族用の礼服を取りにガルディオス邸に戻った。宮殿に入ってもおかしくないよう二人は身なりを整えて、宮殿へと向かう。ジェイドは軍本部の様子も気にしていたが、今は顔を出す気はないようだった。もし軍本部もシンクの手に落ちていたら戦闘になる可能性がある。ピオニーにたどりつく前に余計な騒ぎは起こしたくない。
今もなお宮殿に爆撃の跡は色濃く残っていた。首都の顔である白亜の宮殿の中央、欠けた建造物を隠すためかブルーシートで覆われている。その下は、崩壊のおそれがあるからか足場が組み立てられ、建物の骨格が薄っすらと見えていた。
国の威光を知らしめるグランコクマ宮殿がこの有様とは。ジェイドとガイは言葉を失った。しばらく呆然としていたが、いつまでもこうしてはいられず、中に足を踏み入れる。
宮殿内はいつもどうり兵士が巡回し、時々使用人が動き回っているのが見えた。彼らはジェイドとガイの姿を見て会釈する。武器を構える様子はなかった。
「大丈夫っぽいな……?」
まだ安心はできないが、少なくとも周りは敵ではないようだ。と、ガイはすこしばかり気が緩んだ。ジェイドは警戒心を緩めずに謁見の間に向かってカツコツと靴音を鳴らす。磨き抜かれた大理石の床はジェイドたちの姿をくっきりと映し出していた。
開かれた謁見の間から、ちょうど謁見者が出てくる。どうやら相手は観光客のようで、ケセドニア地方でよく見かける服装を纏っていた。
謁見の間からは、巨大水道道が作り出す滝と虹が見える。その景色を目当てに観光客が謁見を申し込むことも少なくはない。巨大水道道が壊れている今、その景色も望めなかったのだろう、すこし残念そうな顔をしていた。次の謁見者がいないことを確認し、二人は謁見の間に入った。
「ジェイド、それにガイじゃないか。久しぶりだな」
皇帝は二人の姿を見ると驚いた様子もなく、平然と声をかけた。怪我をしたと聞いていたが、意外と彼は元気そうだった。足には包帯が巻かれているが、怪我らしきものはパっと見それくらいだった。ピオニーは二人に向かって前からよく見せていた、気持ちのよい笑顔を見せる。
噂では、一度、ピオニーは死んでいた。
死んだはずの幼馴染が見せる壮健な姿は、ジェイドの心のやわらかな部分を突き刺した。一瞬だけ……そう一瞬だけ、グランコクマ襲撃など起こらず、ピオニーはいつものように玉座に君臨していると思ってしまった。
そんなこと、あるはずがないのに。
「――ええ、お久しぶりです。意外とお元気そうで何よりです。死んだと聞いていたので、驚きましたよ」
都合のいい妄想を瞬時に消し去る。軍人よりも科学者の側面が強いジェイドは悲しいことに夢想を殺すことに慣れていた。
グランコクマ襲撃は行われた。そして、ピオニーはその襲撃で死亡したという噂が流れた。噂を証明するかのように、二か月間、マルクトの玉座は空だった。
今、ジェイドの目の前にいるピオニーはレプリカの疑惑がある。
その疑惑の真相を、ジェイドは確かめにきたのだ。
「ああ、アスランたちに助けてもらってな。何とか生き延びることができたんだ。それにしても、ジェイド? お前随分と薄情じゃないか。俺が死んだという噂を聞いて、今ようやく顔を出すとは」
もしこのピオニーがレプリカなら、ジェイドは化かしあいをすることになる。ひどく、気が滅入った。
「我々も大変だったんですよ。それに、混乱中のグランコクマに戻っても余計なことを押し付けられるだけだと思いまして」
「大将の椅子は座りたくないか?」
「……席が空きましたか。私は今の地位で十分満足してますよ。陛下を救ったというフリングス少将こそ、その椅子が相応しい」
「ふん? アスランなら二階級特進だ」
「おや。では今後フリングス少将ではなく、フリングス大将とお呼びいたしましょう」
ピオニーの傍に立つアスラン・フリングスは照れ臭そうに立っている。おやめください、と彼の表情が現在の心情を物語っていた。ピオニーは横目でその姿を見て、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべている。
ガイはそのやり取りを見てすでに警戒心を無くしていた。彼の目には、アリエッタの手によって奪われたはずの日常が戻っているように見えた。
「ジェイドが大将にならないというのなら、やはり、あいつに任せるのが妥当か」
ピオニーは背もたれに背を預けて、軍の人事を口にする。軍本部の機能が停止したことで、軍の人事権が、皇帝の手に渡っていることがよくわかる発言だった。
「あいつ、ですか。どなたでしょうねえ。グレン・マクガヴァン将軍でしょうか、それともーー」
ジェイドは思いつく限りの名前を列挙する。ピオニーはにやにやと笑みを浮かべたまま、首を振った。
「いいや、ちがうな。だが、お前たちもよく知っている人物だ」
「いったい……?」
「そう急くな。今、紹介してやる。入れ」
ピオニーは謁見の間の外に向かって、声をかけた。
「ヴァンデスデルカ・ムスト・フェンデ」
入ってきたのは、マルクトの軍服を身に着けたヴァンと、蒼白な面持ちで付き従うディストだった。
「……な、ぜ……」
声をなくした。緊張で喉がからからに渇いた。なんとか口に出した言葉はあまりにも不格好だった。呆然と、ヴァンとディストを凝視することしかできない。ピオニーは笑みを崩さないまま、両手を広げる。
「驚いていただけたようで結構! 俺の生みの親の一人、ジェイド・バルフォア博士。最期にあなたに出会うことができて俺は嬉しく思う! そして残念だが――あなたには死んでもらわなければならない。ああ、非常に残念だ! ……だが、仕方ない。俺たちの王の命令だ。被験者はいらない。……さあ、死んでくれ。ジェイド・バルフォア」
ピオニーの口から聞いたことがない哄笑が漏れ出す。老獪な獣のような笑みを浮かべる皇帝は、ジェイドたちを敵と定めていた。
一斉に、謁見の間にマルクト兵が雪崩れ込んでくる。
四方八方を囲まれた二人は、兵士の中に何人も見知った人間を見つけた。
ジェイドは――第三師団の死んだはずの部下の姿を見つけて、武器を手に取ることもできなかった。
数十人、あるいは数百人のマルクト兵を前にして、ジェイドは目が暗んでいくような絶望感に支配されそうになっていた。
ああ、なんてことだ。自分たちは思い違いをしていた。シンクたちだけが敵だなんて――それだけしか敵がいないと思い込んでたなんて!
グランコクマ宮殿はもうジェイドたちの安全地帯ではない。
敵が味方に偽装している。
ここは敵陣だ。
「――旦那!」
ガイが退路を切り開こうと剣を握る。支援を任されたのはわかっていたが、ジェイドは動くことができなかった。ガイの姿は数の力に飲み込まれて消えていく。ジェイドは自分に向かって放たれる矢を、剣を、避けることもできずにただ身に受けた。二人の幼馴染の顔を視界に入れながら。
意識が闇に乗っ取られていく。その前に彼が思ったことは一つだった。
これは夢だ。
現実主義のジェイドが最後に信じた、みじめで哀れな夢だった。
*
先程までの喧騒が嘘のように謁見の間は静まり返っている。濃厚な血の匂いは空気に溶けて、ゆっくりと散っていく。兵士が囲む中央には、二人の死体があった。ジェイドの遺体の傍らでディストは跪く。びくとも動かない体を揺さぶって、必死に呼びかけていた。
「ああ、ジェイド。ジェイド。私は、僕は、こんなこと望んでいたわけじゃないんです、ただ、僕は、先生がいた日々をよみがえらせたくて……ジェイドとぼくが、ネフリーとピオニーがいたひびをーーねえ、きいてる? なんとかいってよ、ジェイド」
三十半ばの男の声が、やけに幼い子供の声に聞こえる。その声に応えたのはジェイドではなく、レプリカピオニーだった。
「よみがえるさ。ディスト、おまえが、ジェイドたちを蘇らせてくれるんだろう?」
ジェイドの遺体からディストは面をあげた。
「……ああ。そうだね。ピオニー」
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