「……今日も同じ一日が始まるのか」
ルークは体を起こす気力もなかった。すっかりと見慣れた天井をぼうっと見上げながら陰鬱な気分になる。ここには最低限の調度品を残し、トイレとシャワールームしかなかった。
シンクに捕まってから、早二か月。それはつまり監禁されてから二か月ということだ。
オールドラントの一か月は約60日。120日間、監禁生活が続いていることになる。
その間ルークは何もできなかった。
紙もペンも与えられず、暇をつぶす本も与えられない。窓もないから移りゆく空の色を楽しむこともできない。日に二度、兵士が持ってくる食事の内容も同じで、−−食事を与えられるだけマシと思うべきか悩むところだ。日にちは頭の中で数えているが、本当に合っているのかすらわからない。
いっそ周りのことを気にせず疑似超振動を使って逃げ出そうか悩む有様だ。自分以外の人間の姿を目視して、やめたが。そのくらいには、まだ理性は働いていた。それも、あとどのくらい持つか。刻一刻と時間が過ぎるたび、ルークの心は疲弊し、擦り切れてた。
その日常が、壊れる瞬間は、呆気なかった。
「やあ、ルーク。元気にしてたかい」
「……シンク?」
ノックもせずに入ってきたのは、シンクだった。慌てて起き上がろうとするが、なぜか力が入らなかった。
「ああ、いいよ。そのままで」
「なんで、お前がここに」
「そろそろ準備が整ったから、助けてあげようと思ってね」
「助けてなんて……! お前が俺をここに閉じ込めたんだろ!?」
腹が立った。ベッドから立ち上がりシンクに掴みかかろうとする。しかし実際には、ベッドから降りた瞬間に足が引きつって顔面から転んだ。
「いっ……てえ……! なんで……」
シンクも目をぱちりと瞬いて不思議そうな顔をしている。初めて、シンクが見せた隙だった。その隙も、瞬き一つで消えた。
「……ああ、そうか。しばらくこの部屋を出てないから、筋肉が衰えたんだ。ろくに動いてないから急な動きに対応できなかったんだね。武器も取り上げたし、剣の腕も落ちただろう」
「マジかよ……」
ルークは打ち付けた額と鼻をさすりながら立ち上がる。シンクに掴みかかる気だったが、その気も萎んでしまった。仕方なく、ベッドに腰をおろす。
何かあった時のためにすぐに動けるよう室内で体を動かしてはしていたが、本格的なトレーニングはわからなかったからできていない。その結果がこれかとルークは恥ずかしくなりそっぽを向いた。
「……それより、準備が整ったってどういうことだよ。だいたい、お前が俺をここに閉じ込めていたのに助けてなんてどの口が……」
「僕はお前を保護していたんだよ。あのティア・グランツたちからね」
「保護……? はあ?」
思いもよらぬことを言われてルークの頭は真っ白になった。
「そう、保護だよ。君はティア・グランツたちに洗脳されていたから」
「洗脳だって? そんなことあるはずが……」
「洗脳された人間は、洗脳されてる自覚がないんだ」
シンクの話がどこまで真実を含んでいるのか、ルークには判断がつかなかった。
正しいことを”正しい”と判断するためには知識が必要だ。その知識が欠けていたからこそ、彼はアクゼリュスの悲劇を起こしたのだ。もう二度と同じ過ちを犯さないためには知識が必要だった。
「とりあえず話をしよう。僕の話を否定するのは、それからでも遅くないよ」
シンクは不遜にも口角をつりあげる。そうして長広舌でふるまわれた話は、ルークに大きな衝撃を与えた。仲間への好意を少しずつ、しかし確実に、嫌悪へと塗り替えられる。
たとえばここにティアたちがいたら、ルークは迷うことなくシンクの話を否定できた。それが正しいと、仲間たちの姿を見て思えたからだ。自分の意思を殺し、多数の意見に同調すればいいだけの話だった。
しかし、この場はルークとシンクの二人しかいない。ルークの意思が試されている。
「ルーク。……話を聞いて、君がどう思ったのか言いなよ」
ルークの喉がひくりと引きつった。心の奥底に隠した本音を、シンクは引きずりだそうとしている。
「僕は、君の意見を決して否定しない」
ルークにはシンクが甘言を弄する悪魔の手先に見えた。
*
(……意外と手強いじゃないか。簡単に騙されると思ったのに)
ルークと話を終えたシンクは部屋を出て、自室――大詠師の部屋に戻るべく廊下を歩いていた。簡単に篭絡できないルークにほんのすこしばかりの苛立ちと、それを上回る愉悦に自然と口角がつりあがる。
「シンク様、楽しそうですね」
といったのは、リグレットのレプリカ――ジゼルだ。被験者は早々に処分され、レプリカが作られていた。ジゼルはシンクの背後を三歩離れて付き従う。
「ああ、楽しいよ。なんでもいうことを聞く奴より、すこしは意思を持つ者のほうがいい。無論、僕の手の中にいることが条件だけどね」
「そうですか」
「お前もこれからは意思を育んでいくといい」
「はっ! ……しかし、どうやって?」
「そうだな……恋愛でもしてみればいいんじゃない? お前の被験者はちょうど結婚適齢期だったからね。適当に恋愛でもして、結婚でもして、子供を産めばいい。この世界を維持するためには、子供が必要だから」
「恋愛ですか。相手がいません」
「お前が望むならいくらでも用意してやるよ。ああ、そういえば、お前の被験者はヴァンが好きだったね。ヴァンがいいかい」
「いえ、特には。シンク様のお好きなように」
「ああ、そうかい。じゃあ精通がある男なら、それこそ爺さんでも、子供でもいいか」
ジゼルは表情一つ変えずに「はい」と言った。意思がない弊害だな、とシンクは頭の片隅で切り捨てる。
「考えておこう。それより神託の盾騎士団のほうはどう? 問題ない」
「ございません。すべてシンク様のお望み通りに」
今のシンクはローレライ教団のNo2にまで上り詰めていた。これに加えて、神託の盾騎士団の主席総長の座まで射止めている。
ローレライ教団と神託の盾騎士団はあくまでも別組織だ。本来なら、認められることではないが、今のダアトでは許される。シンクこそが、ダアトの支配者であり――世界の王に君臨しているからである。
「そう。変わりがないならいい。それよりアリエッタは?」
「おとなしくしています」
「そうか。……そろそろ邪魔だから、アリエッタには世界の敵になってもらおうかな。暗示の準備はできてるね」
「はい。ご命令があればすぐにでも」
「そう、それならすぐに実行に移して。アリエッタには――そうだな、シェリダンとセントビナーを襲わせて、優秀な研究者たちを殺害してもらおう。万が一、僕ら(レプリカ)に気づかれて集団で襲ってきてもらっても困るしね。技術は惜しいから、そいつらのレプリカ情報はとれるように調節してくれよ」
「かしこまりました」
「行け」
「はっ!」
ジゼルは一礼をして、踵を翻して神託の盾騎士団に向かう。シンクはその姿を見送ることなく、毅然と面を上げたまま廊下を黙々と歩いた。白を基調としたローレライ教団の床は塵一つなく磨かれていて、靴音を反響させた。
ふと、気が変わり、礼拝堂に向かう。
アーチ状の出入り口を潜り礼拝堂に向かうと、ステンドグラスから差し込んだ午後のやわらかな陽射しがユリアの像を照らしていた。色とりどりの明かりが床に影を作っている。ダアトに初めてくる観光客は、かならずしもこの幻想的な光景に見とれるという。
シンクはその幻想的な光景を作り上げているユリアの像を無感動に見上げた。
立体的でありながら女性的なフォルム。やわらかな面差しに、聖職者の衣を纏う聖女。数世紀前に職人が精魂入れて作り上げた聖女の像は、丁寧に手入れされて、大切にされてきた。きっと、これまで生み出されたイオンのレプリカよりも何百倍も。
――ザレッホ火山でごみのように投げ捨てられた自分とはちがう。
かつてはこの像を見るたびに、自分という存在が嫌になった。矮小的な生き物であることを自覚させられて、人間になれない、生まれてすぐに役立たずと言われた無価値の自分を唾棄した。それもとうの昔の話だ。今のシンクは人間こそを、無価値で、哀れな生き物だと思っている。
ステンドグラスの光を浴びて輝くユリアの像も、かつての被験者たちが神のように敬っていた預言も、今のシンクにとってはただのガラクタにすぎない。
(ユリア。ユリア・ジュエ。あんたが守ったつもりになっていた世界は、人間は、ここで終わる。これからはレプリカの世界だ)
――ざまあみろ。
神という存在がいるならば、今すぐにシンクを罰してみればいい。そうでなければ、シンクは止まらない。
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