「「ルーク」」

 ひくり、とルークの喉が引きつった。瞠目した翡翠の瞳が彼の心情をまざまざと物語っている。
 シンクが連れてきた二人の人物を見れば、それも仕方ないことだった。

「……は、母上? 父上もどうして……」

 ルークの胸中で嵐のように動揺が吹き荒れた。戸惑いに瞳を揺らす息子に、母は涙ぐんで近寄ってくる。

「導師からルークを保護したと連絡を受けて参ったのです。ルーク、迎えが遅くなってごめんなさいね。怪我はない? 母によく顔を見せてちょうだい」
「母上……」

 母は心配そうな顔で息子が怪我をしていないか確認する。頬に触れてくる柔らかな華奢な手を、ルークは戸惑いながら受け止めた。父はといえば、厳格なクリムゾンに珍しく息子の無事を知って安堵の息を吐いていた。
 怪我はないか、元気だったか、と無事をたしかめる両親にどう答えればいいのかわからない。ルークの表情は曇り、返答も曖昧になった。

 ルークには、シンクの意図がまったくわからなかった。
 両親の話を聞くと、ルークは導師に保護されていたことになっていたらしい。今の今まで迎えに来れなかったのは、ナタリアが偽姫であることに悲観して服毒自殺をしたせいで、その処理に追われていたからだという。ようやく幼馴染の死を知ったルークは動揺して、思考が定まらなくなった。

 だいじょうぶよ。母が迎えにきましたからね。いっしょに帰りましょうね。もう戦わなくていいのよ。怪我も、つらい思いもする必要なんてないのよ――。
 母の慈愛という名の泥濘に落とされていく。窒息しそうだ、とルークはだんだんとぼんやりとしていく頭で思った。
 視界の端で、壁に寄りかかったシンクが笑みを浮かべている。

 ――やられた。

 シンクはルークを懐柔するために両親を搦め手に使ったのだ。親の愛で、ルークの行動を封じようとしている。
 母に抱擁されながら、ルークはシンクを睨みつける。

「シンク、お前……」
「ルーク様。あなたはファブレ公爵子息です。ナタリア王女亡き今、キムラスカ王国の未来はルーク様の双肩にかかっているといっても過言ではありません」

 わざとらしい言葉の数々には、ルークに、身分という重石を自覚させる意味が含まれていた。

「……っアッシュは……」

 ルークはアッシュの存在をほのめかして言葉を澱ませた。アッシュがいる、とシンクの言動を否定したくてもそれはできなかった。
 アッシュはいない。この世界のどこを探しても見つからないはずだと、ルークはなんとなく感じ取っていた。便利連絡網と称される体のどこかが、アッシュと繋がっているせいだろう。ナタリアが自殺した今、その予感は確信へと変わっている。

 ――アッシュがいるなら、ナタリアの自殺を止めるはずだ。ルークの現状を知れば、憎まれ口を叩きながらも、助けに来てくれるだろう。

 それがないということは、そういうことだ。
 アッシュはもういない。
 死んだ。

 自分以外の、キムラスカ王族の若者はいないのだ。ルークの行動が抑制されるもう一つの理由が出来てしまった。下唇を噛む。
 言葉を絶やしたルークに、シンクはにこりと笑む。嘲笑でも失笑でもない、自らの勝利を確信した者が浮かべる、朗らかな笑みだった。

「世界の平和のためにも、御身をお大事になされますよう」

 お手上げだ。もうルークに出来ることはない。仲間たちがいれば、なんとかなったかも知れないが――彼らの安否も不明だ。
 シンクの裏をかきたいなら、ルークは他者を顧みず超振動を使用してでも教団を脱け出す必要があった。そうすれば、仲間たちと合流しナタリアの死を覆すこともできただろう。ルークの視線の先で、シンクの唇が、音もなく動く。

 ――ルークは、やさしいね。

 他者の命を考え実行力を欠いたルークをシンクはそう形容する。機会を逃した臆病者だと、胸中で自分を面罵するルークの気持ちも知らず。ぐしゃりと歪んだ顔で母の抱擁を受ける。
 そういえば、かつて誰かが、ルークをやさしいと言ってくれた。いったい誰だったのか。仲間の顔が次々に思い浮かぶが、誰だったのか具体的に思い出せなかった。――そして、ルークの中で、やさしいと言ってくれた人物はシンクに塗り替えられた。


 *


「……シンク様、これでよろしかったのですか?」

 ファブレ公爵――の、レプリカが問う。シュザンヌ・レプリカとルークを部屋に残し、シンクはクリムゾン・レプリカと廊下で話をしていた。
 誰も通りかからない廊下はただただ静かで、小声で話す二人の会話は自然と響く。シンクのそばにはジゼルがいた。

「ああ、これでいい。ルークを頼むよ」
「もちろんです。あの子は、私共の子ですから」

 公爵夫妻の刷り込みは成功した。シンクたちが生まれてから三年、その間にも刷り込み技術は向上し続けた。今では細部の記憶まで被験者から引き継ぐことができるようになっている。
 ルークをここまで籠の鳥にして遊ばせていたのは、彼が過ごす環境を整えるためだった。これからルークはバチカルに戻る。そうすれば必然的に、公爵夫妻をはじめとしたレプリカたちと過ごすことになる。彼らに違和感を持たせないためには、時間が必要だった。
 シンクは、ルークにすべての真相を教えるつもりはない。

「君たちがレプリカだということは、ルークにはくれぐれもバレないように」
「わかりました」

 クリムゾン・レプリカがルークの部屋に戻っていく。これから親子水入らずの時間を過ごし、ルークは夫妻と共にバチカルに戻ることになる。その前に、もう一つの懸念を片付けておく必要があった。

「被験者ティア・グランツはどうしている?」
「先程ようやく目覚め、宿でおとなしくしているとのことです」
「ふぅん。もうすぐ夕方だっていうのに、いい気なものだ」

 シンクは、アニスとティアがダアトに潜入した事実を把握していた。
 ダアトがシンクの支配下に置かれてすでに半年以上経過している。旅人以外の住民はレプリカに入れ替え済みだった。
 また、旅人が泊る場合は連絡をするように各家に通達を出している。繁盛している宿屋も、やましいところがある寂れた宿屋も素直に命令に応じていた。レプリカの自我が育まれればそのうち命令違反者も出てくるだろうが、まだ作られてから数年も経過していないため、生みの親に逆らう者はいない。

 ともかく、アニスとティアの動向は常に監視されていた。

 アニスは牢屋にぶち込んだ。彼女は自分がタトリン夫妻の本物の娘であると言い張り、レプリカ・アニスを非難してやまない。レプリカ技術を打ち明けて自らの正当性を証明しようと躍起になっている。
 レプリカへの罵詈雑言を含む話を聞かされた看守は――もちろんレプリカだ――不快な思いをさせられて、看守の交代を陳情していた。看守を哀れんだシンクは交代制で被検者アニスの監視をするべく命じたものだ。

 アニスの身柄が拘束されているとも知らず、先程までティアは眠っていたようだ。時刻はすでにおやつどき(午後三時)を過ぎている。昨夜は情報収集していたとは言え寝すぎだと、シンクはつくづく呆れた。

「……ルークの帰還日にティア・グランツの行動を一時的に抑制する必要があるな。宿の店主に毒を渡し、水入れに混ぜるように言っておいて。明後日にはルークをバチカルに戻す。それまでに」
「毒の種類はどうなさいましょう」
「即死性、致死量がないもの、不調で数日寝込んでいるようなものがいい」
「手配いたします」
「頼んだよ」
「はっ!」

 ジゼルは敬礼すると即座に踵を返した。優秀なジゼルは自分の勤めをこなしてくれるだろう。これでティアは数日ベットとお友達だ。
 シンクはルークの部屋のドアを一瞥して、ゆっくりと廊下を歩き出した。

(あと二人)

 アリエッタを除く六神将とヴァンは早くに始末した。ナタリア、ジェイド、ガイもすでに始末済みだ。アニスも処刑台に上がっている。ルークは生かすとして、――あとはティアとアリエッタだけだ。

 アリエッタはジゼルの手によって、洗脳を施され、世界の敵へと仕立て上げられる。そして、グランコクマ襲撃の首謀者として、ヴァンに殺される。その功績を持って、ヴァンはマルクトの将軍として盤石の地位を築き上げる。

(ああ、そういえばルークに言ってなかったな。あいつのこと)

 ルークが知る、導師イオンはとっくに処分済みであることを。

(まあ、いいか)

 ルークがキムラスカ国王になった時、導師イオンと面会する機会はあるだろうが、その導師イオンは彼が知るイオンではない。
 かつて、ルークが救った世界で、フローリアと名付けられたレプリカ。それが、今の導師イオンに成り代わった者だった。
prev next
back