ND2018――レム・デーカン・レム・23の日。
季節は冬、1月の23日の日曜日に当たる日のことだった。街路樹の木々は葉っぱ一枚生えない寒々しい様相を見せ、街中を行きかう人々の服装が厚着であることが珍しくもないある日、何の前触れもなく、事件はキムラスカ・ランバルディア王国に起きた。
ひとりの少女が譜歌をうたい、ファブレ公爵家へ侵入した。
キムラスカ王国首都バチカルは巨大譜石の落下の窪みを活用した、天然の城塞に守られた街だった。雲を突き抜けるようにかった。
建てられたバチカル城を最上に構え、次に貴族の居住区である上層部が、中層部に一般の居住区にあたる城下町が作られている。貴族の居住区である場所に向かうには、ふたりのキムラスカ兵士が警戒にあたる天空客車と言う音機関を乗って上まで行かねばならなかった。
本来であれば、バチカル城と貴族の居住区である上層部に一般人が向かうことは出来ないはずだった。ふたりのキムラスカ兵が守る、天空客車に乗るためには彼らの厳しい目から逃れる必要があったのだ。だが、ひとりの少女は実に呆気なく警戒する兵士の目を逃れて、貴族居住区へ向かうことが出来た。
それは、ひとえに彼女が纏っていた服装の所為だった。少女は、中立国であり、キムラスカ国王の信頼厚いダアトが独自に作った軍隊、ローレライ教団神託の盾騎士団の軍服を身に纏っていたのだ。キムラスカ兵の少女に対する警戒の目は和らぎ、事情を聞くだけで良かった。
少女は告げた。
ファブレ公爵家にいる、ヴァン・グランツに火急の用があると。
ヴァン・グランツの部下だと思い込んだ、キムラスカ兵は道を譲り、彼女を天空客車に乗せた。
それがそもそもの間違いであった。
2名のキムラスカ兵が少女を通して、30分後。
バチカル城付近に構えられたファブレ公爵家の一部が、突如として、消失した。
同時刻。バチカル城、キムラスカ軍本部にて擬似超振動が観測された。
擬似超振動は、超振動の6割ほどの威力しかないとは言え、キムラスカ上層部は知っていた。かつてキムラスカ王国が滅ぼしたホドは擬似超振動によって消失したことを。それほどの威力があるものがファブレ公爵家で発生した。国王の右腕的立場にいるファブレ公爵、そして国王の妹であるシュザンヌ夫人、王位継承権第三位であり次期国王の座にもっとも近い子息のルーク、彼ら3人の身を案じる声がひっきりなしにあがった。
何が起きたのか、現状を確認するために国王は慌てて兵を差し向け――出向した兵士たちは青白い顔で報告した。
ファブレ公爵家に、ローレライ教団の軍服を身に纏った賊が譜歌を使い侵入。
賊は庭へ向かい、庭にて稽古をしていたルーク・フォン・ファブレと接触。賊に抵抗したルークと、賊との間に擬似超振動発生。
賊とルークの姿は忽然と消え、同時に擬似超振動はファブレ公爵家の一角をも巻き込み、収束した。
庭は完全に消失し、建物の一部をも飲み込んだ。犠牲にあったのは、当時庭にいたと思われる使用人1名。奇跡的とも思われる犠牲者の人数に安堵するキムラスカの重臣は事態の究明に乗り出す。
結果判明したのは、賊が真実ローレライ教団神託の盾騎士団に所属する、大詠師モース旗本情報部所属のティア・グランツ響長であるということだった。
天空客車に通してしまったキムラスカ兵が、彼女の人相と特徴、服装を鮮明に覚えていたのだ。
少女、ティア・グランツの行動はダアトからキムラスカ王国への敵対行動と断定された。
そのことも知らず、
ティアはマルクト陸艦タルタロスの一室にて言っていた。
「これはキムラスカからのマルクトへの敵対行動ではありません!」
シルフデーカン・ローレライ・26の日。(2月26日、金曜日)
和平使者一行は国境の砦カイツールにて足止めを食らっていた。簡単に言えば、キムラスカ王国が治める領土に入るための旅券が不足していたからである。
思いがけない足止めを食らって苛立ちを露わにしたルークは「旅券くらい用意しておけよ」とジェイドを責めたが、彼はさらりと「用意していたんですが、旅券はタルタロスの私のデスクの中でして」と躰した。
マルクト側にある宿屋で仕方なく連泊していたルークたちは各自好きなことを行っていた。ジェイドは報告書の作成や詰め所にいるマルクト兵と連携をとり、イオンとアニスはのんびりとお茶を楽しみ、そこにルークとティアが時折混じる。ひとつのところに留まることに飽きたルークはなるべく外をうろつき、気がつけばカイツールを警備しているマルクト軍人や、旅人と話をするようになっていた。今日も暇だから、カイツールをぷらつこう。ベッドから下りたルークは部屋を出ようとドアノブに手をかける。しかし、ドアを開け放つことはなかった。無数の足音が近付いてくることに気付いたからだ。
足音は一直線にルークが泊まる部屋を目指していた。いったい何事だと怪訝に顔を顰めて、ドアから離れる。ルークの脳裏には、タルタロスを襲撃した六神将の姿が浮かんでいた。六神将でも攻めてきたのかも知れない――剣に手を伸ばすと同時に、ドアはノックされた。
「ルーク様、ご無事ですか!?」
「…は?」
己の身を案じる声にルークは呆ける。ルークの返事が返ってこなかったことに不安がった来訪者は、「失礼致します!」と声をあげて、ドアを開け放つ。
赤い軍服に身を纏う女性は、部屋の中にルークの姿を見つけると安堵したかのように息を吐いた。女性に続いて、同じ軍服を纏う軍人がぞろぞろと姿を現す。ルークの姿を見つけると一様に皆安堵に表情を和らげる。
「な、なんだ? なんなんだ!?」
「驚かせてしまったようで申し訳ございません。私は、キムラスカ王国第六師団師団長のジョゼット・セシル少将と申します」
「キムラスカ!?」
「はい」
「そっか…。俺はルークだ。ルーク・フォン・ファブレ」
「はい、存じ上げております。公爵様と奥方様がルーク様のお帰りをお待ちしております。即刻バチカルへとお戻りください」
「ああ、わかっ「ルーク? いったい何事なの?」……」
ルークの言葉は途中で遮られて、むっと顔を顰めた。
騒ぎを聞きつけたティアは、ルークに与えられた部屋の出入り口でこちらの様子を窺っていた。ひょっこりと顔を覗かせたティアに注目が集まる。
セシルを筆頭にキムラスカ軍人は「何だこの女は」と怪訝な面持ちをして警戒をしていた。ルークが口を開く。
「キムラスカ軍が俺を迎えに来たんだよ」
「キムラスカ軍が? …そう、良かったわ」
これで荷が降りたと、ティアは笑みをもらした。
セシル少将は、ティアが着ている神託の盾騎士団兵の軍服を見て、一瞬だけ眉を寄せる。
セシルのささやかな変化にルークとティアは気付かずに、話を続けていた。
「ルーク、貴方これからどうするつもり?」
「家に帰るに決まってんだろ」
「そうじゃなくて…大佐とイオン様との約束忘れたの?」
「覚えてるよ! …ちゃんとバチカル戻ったら、叔父上に取り次ぎを頼んでみる」
「そう。見直したわ。忘れてなかったのね」
「忘れるわけねーだろ」
気安い会話の数々にセシル少将をはじめにキムラスカ軍人は戸惑った。
王族と同等の口を聞く、ローレライ教団の軍人。ルークと女の仲は良いのかも知れないが、他国の無数の軍人を前にして、その国の王族を呼び捨てにして、姉貴風を吹かせているあげくに”見直した”発言は如何なものだろうか。公私の区別がついていない軍人の姿に、ある者は呆れ、ある者は怒りを覚えた。
「…お話中、失礼致します。ルーク様、そちらの方は…」
「ん? ああ、ヴァン師匠の妹」
「ローレライ教団所属神託の盾騎士団、大詠師モース旗下情報部所属のティア・グランツ響長と申します」
ティアは軽く頭を下げた。
「ティア・グランツだと…? 貴様がファブレ公爵家襲撃犯か!」
「…え?」
「捕らえよ!」
セシルの命令をきっかけに、周囲にいたキムラスカ軍人はティアを捕縛するべく動いた。と、同時にセシルはルークをティアの傍から引き剥がして自身の背に庇う。ティアが抵抗したとき、ルークに害が向かないようにとの配慮だった。
突然の事態に泡を食ったティアは目を真ん丸くさせて身動きひとつ忘れた。突き飛ばされるようにして床に押し倒され、縄で縛られる。猿轡までされそうになったとき、ティアは我に返った。
「っいったい私が何をしたと言うんですか!?」
目を点にして呆然としていたルークもハッと我に返る。ティアのことを口やかましい冷血女だと思いながらも、ここまで共に旅をした影響もあり、情が移っている。そのため、ルークは動揺した声で「お、おい、やめろよ」と制止するが、セシルは頑として聞かない。それどころか、ルークにティアの罪を教えるように、話始めた。
「ルーク様、この者はファブレ公爵家に侵入し、多くの家人を眠らせたあと、ルーク様を誘拐した犯罪者です」
「私はルークを誘拐してなんかいません! あれは事故です! 彼が第七音素術師だと知らなかったんです! それに、私は兄さんを狙っただけで、べつにルークを巻き込むつもりは…っう」
聞くに堪えない、とキムラスカ軍人がティアに猿轡を噛ませた。
ティアは呻き声をあげながら、ルークに助けを求める。その視線をセシルは遮った。ルークがティアの拘束を解いてほしいと訴える前に、先ほどのティアと同様に騒ぎを聞きつけて姿を現した者たちがいた。
「ルーク? どうしたんだ?」
「何かありましたか?」
「騒がしいので来てみました〜…ってキムラスカ軍人がいっぱい! それに、え? なんでティアが拘束されちゃってんの!?」
ガイとイオンとアニスだった。三人は部屋の中にいる多数のキムラスカ軍人と、床に倒されているティアを視界に入れてひどく驚いた。
フェミニストを自称する彼はティアの様子を見て「なんてことをするんだ!」と怒りの声をあげて、ティアを救出すべく近寄ろうとした。が、当然のごとくキムラスカ軍人に阻まれてしまった。
「いったいティアが何したって言うんだ!?」
「ティア…あの、拘束を解いてもらえませんか? ティアがこんなことをされるような人間だとは、僕は思えません」
「何があったか知んないけど、いくらなんでも酷いですよぉ」
ティアの拘束を解くよう、訴える面々。
セシルはルークに尋ねた。
「…ルーク様、あの者たちはいったい何者ですか?」
「…導師のイオンに、守護役のアニス、それにうちの使用人のガイ」
ファブレ公爵家の使用人が何故犯罪者に加担しているのか。
セシルは呆れた溜息を吐いた。
「…この者はキムラスカ王国で犯罪を犯し、現在、国王直々に捕縛命令が出されています」
「! 叔父上が!?」
「国王が? そんな…」
国王直々に捕縛命令が出されているということは、それほどまでティアが犯した罪は重たいということだ。
イオンたちは二の句が告げなくなった。
「理解して頂けたようなら、ティア・グランツをこのままバチカルへと連行させていただきます。ルーク様、ただいま馬車を用意致しますので、それにお乗りください」
「あ、ああ…なあ、ティアがやったことってそんなにまずいのか?」
「この者は、キムラスカ王国に敵対行為をしたのです」
「敵対行為? …そうなのか?」
ルークは尋ねてばかりの自分に何度目かわからない悔しさを覚える。バチカルへ戻ったら、馬鹿にされぬよう、勉強しなければ。
そう決意しているルークの心境などセシルたちにはわからないが、無知である公爵子息に驚きを覚えながらも、彼女らキムラスカ軍人はルークを馬鹿にすることは無かった。セシルがルークにそうだと同意を示す前に、ティアが置かれた現状に不服があるのか不快に染まった表情でガイは言った。
「敵対行為だなんて、そんな大袈裟だろう。ティアに悪気があったわけでもないし、ルークも無事だったんだ。許してやればいいじゃないか」
「…悪気がなければ良いという問題ではありません。犯罪は犯罪。無事で良ければそれで良いという言葉が罷り通るわけがないでしょう」
セシルは犯罪者を擁護するガイに呆れた視線を向ける。ガイはセシルの視線を怖がるように顔を逸らした。やましいことがあると言っているようなものだ。
バチカルに戻り次第、ガイの経歴を洗い直すよう、ファブレ公爵に進めてみよう。――セシルが内心でそう思っていることなど露知らず、それでもガイはティアを擁護しようとしたが、セシルのほうが先に口火を切った。
「ティア・グランツがローレライ教団の軍服を身に纏い、ファブレ公爵家に襲撃し、ルーク様を誘拐したことにより、キムラスカ王国はこれがダアトによる敵対行為だと判断致しました」
「そんな!」
真っ青な顔で悲鳴じみた声をあげるイオンを、セシルは「早くダアトに戻られることをお奨め致します」と生真面目な顔で言う。
床に転がされたティアは自分の所為で、キムラスカとダアト間の国家間が悪くなっていることを知り、青褪めていた。ティアは自分の行いが犯罪だという自覚がなければ、よもや自身の行動がダアトからキムラスカへの敵対行為に当たるとまで考えていなかった。
ヴァンの殺害を企むあまり、周りが見えていなかったのかも知れない。しかし、そんなものは言い訳にもなりはしない。だが、それを認められず、ティアは違うのだと首を振った。自分の所為でダアトの立場が悪くなったことなど、ティアには認めてしまいたくなかった。――そうしてしまえば、自分が起こした罪の大きさに飲まれてしまいそうだったから。
逃れたくても逃れられない現実を、セシルは容赦なく見せ付ける。
「キムラスカに居た大詠師モース、ヴァン・グランツ謡将はすでに拘束されています。彼らの処遇は、導師からの返答待ちです。返答次第によっては、開戦もありえるとのこと。…もっとも、すでに書簡を送り数週間が経っていますので…」
セシルは言葉尻を濁す。
その後に続く言葉はダアトにとっては最悪のものであることは間違いなかった。
和平協力のため、世界平和のためという大義名分を笠にきて、ダアトから抜け出したイオンは当然ながらダアトにいる詠師らと連絡を取っていなかった。スパイであるアニスは大詠師モースと連絡を取り合っていたが、不正な情報であるため、この現状で役に立つはずがない。
キムラスカ王国から書簡が届いてどのくらいの月日が経過しているのだろうか。ダアトのトップである導師に送られた大事な書簡を、誰が処理できるというのか。導師の判断を待つ仕事はいくらでもある。それらを放り出して、自ら和平の協力を買って出たイオンは、自分の行動がどれほど上に立つ者として、どれほど無責任であったか気付かされた。目の前が歪み、イオンは崩れ落ちそうになる。
「……」
「イオン様っ!」
ふらついたイオンをアニスが慌てて支えたことにより、現実から一時でも逃避する機会は奇しくも失われてしまった。
最早イオンの顔は血の気を失い、表情すらもなくしていた。虚ろな眼差しをセシルに向けて、まだ間に合うかと問いかけたくなる。しかし、一軍人であるセシルに問いかけても無駄だと悟った。ダアトはもう終わりかも知れない。イオンは絶望的な気持ちを背負い込み、視線をさ迷わせた。
イオンの視界にルークが映る。心配そうな顔だった。ルークは、何も悪くない。
イオンの視界にアニスが映る。心配そうな顔だった。アニスに問題があったとしても、ダアトの立場を悪くさせてしまったのは、イオンとティアだった。
イオンの視界にセシルが映る、キムラスカ軍人が映る。彼らは一様に冷たい目を向けていた。それも仕方ないことだろう。ダアトの権威は失墜し、ティアの所為でキムラスカ王国は被害を被ったのだから。
イオンの視界にガイが映る、彼は床に転がる何かを――ティアを見ている。
イオンの視界に、ティアが、映った。
ティアの深海色の双眸は、不安と恐怖に染まっていた。
イオンと視線が合うと、小刻みに身体を震わす。
怒りが湧いた。
もとを正せば、ティアの所為でここまでダアトの立場が悪くなったのだ。
ティアがいなければ、ティアさえ犯罪行為を行わなければ。
「…っ!」
イオンの喉奥から言葉が次々と競りあがってくる。
口を開けば罵倒の言葉が絶えず出てきてしまいそうになる。普段は口にしない言葉を吐き出そうと頭の中を真っ赤に染め上げた激情が、理性を弾いた。
「この、犯罪者が! ――さっさと死んでしまえ!!」
イオンから吐き出された言葉の痛みを受けきれず、ティアは眉根を寄せて目を瞑った。
その程度で堪えきれる、現実ではなかった。
END.
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