ジェイドの手紙は早急にピオニー陛下に送られた。
アクゼリュス崩壊と共に親善大使一行の生存の見込みは薄いと思われていたが、この手紙により、マルクト帝国は一時的に混乱したもののすぐに収まった。
しかし、キムラスカ王国はそうはいかなかった。
ナタリア王女死亡の誤報に気落ちしていたインゴベルト陛下は、ユリアの預言に詠まれた戦争を実現させようとする大詠師モースの気炎に飲まれて、宣戦布告に同意してしまったのだ。ユリアの預言に詠まれたキムラスカ王国の繁栄も開戦の後押しになった。
開戦の大義名分はナタリアの死である。
ちょうどその頃届いたナタリアの手紙は、大詠師モースをはじめとする戦争肯定派により偽物だと決めつけられて握りつぶされていた。
「どうしたの、みんな!?」
一方その頃。一行はユリアシティに戻るとすぐさまグランツ家に向かった。ティアは家のダイニングでぼうっとしていた。事情を説明する前にルークのことが気になり様子を聞くが、彼はまだ目が覚めていないようだった。
一先ずアッシュ、ガイ、ナタリアがルークの様子を見にティアの部屋へ向かう。ルークはベッドで静かに寝ていた。
アッシュはルークをじっと見下ろし、彼を警戒したガイが壁に背を預けて立っている。イオンは枕元の近くにあった椅子に腰をおろして、起きるのを待つようだ。ナタリアはアッシュを気にして、邪魔にならないよう壁際に立っていた。
四人を部屋に残して、目を白黒させているティアに事情を説明する。ティアはルークの実年齢が幼いことにおどろき、言葉を失くして、しまいには青くなった。
「……ルークが七歳の子供だったなんて……」
「反省はあとです。ティア、あなたはこれからどうするつもりですか?」
どういう意味だとティアはジェイドに視線を返す。
「考えたいことがあるという理由であなたはここに残りましたが、その答えは出ましたか?」
「……いえ、まだ……」
ティアは気まずそうに顔を俯かせて、口澱む。ジェイドは眼鏡のブリッジを直して一息間を置くと、冷淡な声で、現実を告げた。
「――言おうか悩んでいましたが、この際ハッキリ言わせてもらいましょう。ティア、あなたはヴァンの計画を事前に知っていた。その責任も取らず、ただ時間を浪費して……それが許される立場だとお思いですか?」
「っ私は兄さんを止めようとしました!」
ティアにはティアの言い分がある。ジェイドの一方的な言葉に、瞬時に頭が沸騰して彼女は言い返した。ジェイドは眼鏡奥の双眸を冷ややかに細める。
「いったいどのように?」
「……ルークの家に兄さんが行くと聞いて、私は兄さんを殺害するために彼の家に入りました。周りの人間を巻き込まないように譜歌を使って……そうまでして兄さんを殺そうとしたのに……攻撃を避けられて……ルークとの間に疑似超振動が発生したんです」
それでマルクトへ……と激情を堪えて続ける。ルークとティアの関係性をジェイドと――壁に寄り添って聞いていたアニスは初めて正しく認識した。アニスは二人の関係を姉弟のようだと思っていたが、とんでもない。二人の関係は加害者と被害者だ。
そう気づくと、ルークのティアへの態度の悪さが理解できた。アニスとジェイドからすると、よくティアの説教を鬱陶しがる程度で済んだと思う有様である。あの時ルークの話をもっとちゃんと聞いていたら……ジェイドは過去を悔やむように溜息をついた。
「……ティアの心痛は察します。でも同情はできません。あなたが言っていることには矛盾がある。周りの人間を巻き込まないようと言いながら、あなたはルークの家に侵入し、譜歌を用いて家人を攻撃している。ヴァンの殺害を邪魔される要素しかない場所で実行に移した。止めようとしたという言葉は口先だけにしか思えません」
ティアの唇がわななく。そんなことはない。自分は兄を止めようとした。言い返したいのに、なぜかティアの口から言葉が出てこなかった。膝の上で作った握りこぶしが白く染まる。不自然にできた沈黙に息が詰まりそうだった。
「……その上で、私は言っています。あなたはこれからどうするつもりなのかと。このままここに居続けるならそれはそれで結構。あなたがヴァンを止めようとしたという証言は口先であったことが証明されるだけです。しかし、あなたが本当にヴァンを止めようと思うのなら。――今すぐヴァンを探し出して、今度こそ当初の目的を実行すべきだ」
ティアはひゅっと喉を鳴らした。ジェイドの双眸は鋼鉄のような鋭さで彼女を見つめている。
「アクゼリュスは崩壊し、一万人以上のマルクト国民が犠牲になった。崩壊の引き金を引いたのはルークとイオン様ですが、その原因を作ったのは、あなたの兄だ」
感情を一切排除した低い声が滔々と告げる。
「マルクト帝国は、街を攻撃し、一万人の無辜の民を犠牲にしたヴァン・グランツを決して許さない。――ヴァンの罪を黙認した、あなたも」
ティアは喉を引きつらせ声を失くした。紙のように白く染まりながら全身を震わせる。恐怖に飲まれたのは明白で、ジェイドは彼女が正気に戻るのを待った。壁に寄り添ったアニスが怯えて足を震わせてる。
ティアが落ち着いた頃を見計らい、ジェイドは急かした。
「それで、どうしますか」
「わ……私は、……ヴァンを倒します……」
ティアは苦痛と悲哀に塗れた顔で言った。兄の殺害を強要され、彼女の心が揺らいでいるのは一目瞭然だった。ジェイドは「そうですか、では頑張ってください」と無情に返した。
ティアは何かを言いたげにジェイドを一瞬見やり、彼の視線の冷たさに閉口する。沈痛な面持ちのまま腰を上げると、旅の準備をするといってジェイドの傍から離れて行った。旅の支度が口実であることは憔悴しきった背中を見ればわかる。ダイニングから人が一人消えると、ジェイドは床に座り込んでいるアニスに声をかけた。
「アニス、いつまで壁に張り付いているんですか」
「……大佐こわいですよぉ〜! なんですか、あの脅し! 怖すぎですよ!」
「そうですか?」
「そうですよぅ! ……何もあんなに追い詰めるようなこと言わなくても……」
「おや、ティアを庇うつもりですか?」
「……べつに庇ってなんかないですけど! ティアにだって、事情があったんだし。ティア、最後のほうは反省していたじゃないですか」
「変なことを言いますね。事情があれば罪が許されるわけではないでしょうに」
「情状酌量の余地があるじゃないですか」
「そうですねえ、ティアがもう少し早く事情を打ち明けてさえいれば。私も彼女に同情すべき点がある、情状酌量の余地があると庇えたのでしょうが……アクゼリュスが崩壊した以上、彼女はヴァンと同様裁きを受けるべきだと考えてますよ」
ジェイドの冷ややかな怒りは声音にも滲んでいた。ティアに向けられた鬱憤とわかっていても、アニスの背筋が凍った。
「……アクゼリュスが崩壊した時。彼女は外殻大地を崩壊させないと言っていたじゃないと、ヴァンに対して言っていました。あの時、我々は何が起きているのか理解できませんでした。――私は大地震が起きたと思っていましたよ。あの混乱した状況下で”人為的に大地が崩壊させられる”という考え、思い浮かぶわけがないでしょう。ましてや、あの時、我々は自分たちが住んでいた大地がパッセージリングという支柱によって支えられていることなど思いもしませんでしたから」
パッセージリングの存在を知っていたティアと――イオンとはちがうのだ。ジェイドたちは自身が立っている外殻大地が、パッセージリングによって持ち上げられていることを知らなかった。
「何故こんなことになったのか。混乱する我々の前に、突如提示された答えが”ルークがヴァンに言われるまま疑似超振動を使った”というティアの答えでした。我々はティアの証言に踊らされるまま、ルーク一人に責任を押し付けたんですよ」
「……でも、ティアの言うとおりルークが疑似超振動を使ったのは事実だし……イオン様もルークがやったって……」
「それなんですけどねえ……アニス、あなたはルークだけが本当に悪かったと思いますか?」
アニスは突然明るくなったジェイドの声に呆気にとられる。質問の内容を噛み締めて、アニスは俯くことしかできなかった。
本当は、ルークだけが悪いと言いたい。ジェイドはルークをやけに庇うが、アニスにはどうしてもルークに問題があったように思えるのだ。罪を言い逃れしたルークが許されるなんてそんなの――。
「アニス?」
「……あたし……あたしは、やっぱりルークには大きな責任があると思います。いちばん悪いのはヴァン総長だけど……。ティアはちゃんと止めようとしてたし、それに比べてルークは言い逃れしていたじゃないですか!」
アクゼリュスが崩壊したあとの、ルークの態度を思い返すたびアニスは腹が立って仕方がない。
「大佐は何とも思わないんですか!? あいつのせいでアクゼリュスは崩壊したのに! ――あの子だって、あいつがパッセージリングを壊さなければ、本当は死ななくて済んだんですよ!?」
アクゼリュス崩壊直後。親善大使一行はユリアの譜歌により守られたが、それ以外の人間は犠牲になった。魔界の海に漂う街の瓦礫と、そこにしがみついた一人の子供。アニスたちの目の前で、その子供は障気の海に飲み込まれていった。
たしかに、ヴァンはアクゼリュスを崩壊させた主犯なのかも知れない。しかし、アニスには、その引き金を引いたルークに責任がないとは決して思えないのだ。
「……そうですか」
ジェイドは小さく溜息をつくと、頷いた。
「あなたが言っていることは一理あります。私たちは、ルークが起こした結果を、目の当たりにしている。私個人としてはルークが悪くないとは決して言えません」
例えば自分たちが第三者の立場だったら、また見方は変わるのだろう。しかし、ジェイドたちは第三者という部外者ではなく、今回の事件の当事者である。どうしたって客観的な見方はできない。
親善大使一行はティアの譜歌がなければ魔界の藻屑になっていた。自身の命の危機を看過できる人間はそういない。主観的な考えが混じるのは当然のことだった。
「それならどうしてそんなのにルークを庇うんですか……!?」
「……私はルークがまだ子供であることを知っています。ルークは……アニス、あなたの半分も生きていないんですよ」
アニスは息を飲んだ。正論だが、卑怯な反論封じだった。子供は善悪の判断がつかず、責任能力に薄いというのが一般的だ。しかし大人でも多々そういう人間はいるし、逆に子供のほうが責任能力がある場合がある。
子供であることはその子供の犯罪を見逃す理由にはならない。そう思いはするが。
「……ルークの場合は子供であることを抜きにしても、彼に責任があるとは言い難い状況です」
アニスは納得のいく答えを求めて、ジェイドを見上げた。
「……テオドーロ市長はアクゼリュスの崩壊を、ユリアの預言として認めました。キムラスカ国王の傍に大詠師モースの姿があったことを考えると、キムラスカ国王もその預言を知っていた可能性が高い」
「それって……」
「……残念なことですが」
「そんな……」
アクゼリュスの崩壊は、キムラスカ王国と宗教国家ダアトの思惑が絡んでいるかも知れない。アニスはとうとうルークを責める口を閉じた。ジェイドは眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げると、ちらりとアニスを見やり首を緩く振った。
「……大佐?」
「いえ、なんでもありませんよ。さて、ティアはどうするんでしょうねえ」
「どうするって……あたしたちと一緒にヴァン総長を探すんじゃないですか?」
「おや。いつから私たちの旅の目的はヴァン討伐になったんですか?」
「え? ……まさか、ヴァン総長を放っておくんですか!?」
「私たちが彼を倒す必要はないでしょう。我々は親善大使一行ですから」
アニスは呆気にとられると大きな溜息を吐いて、疲れたように「イオン様の様子見てきま〜す……」と言ってダイニングを出て行った。開いたドアの向こうに消えていく導師守護役の背中を眺めて、ジェイドは目を細める。
一枚のドアを隔てて、アニスとジェイドの間には大きな壁が生まれた。ルークを責めるアニスと、庇う姿勢を見せるジェイド。相互努力すれば理解し合うのも難しくはないだろうが――ジェイドは諦めた。
人が人を公平に裁くことはできない。何故なら遵守すべき法律も人が作ったからだ。法律は人の罪悪を決める指針にはなるが、その人間を悪と断定するのは個人の意思なのである。
個人or立場の事情により見方が変わる人たち。
もうここで終わっても良いのでは。
2018/03/17
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