人類存亡を賭けた死闘から数年後。アニス・タトリンは世界を救済した英雄の一人として数えられ、導師にまで登りつめた。
壇上に上がるアニスを見てワッと歓声が上がる。詰め掛けた教団の信者達、これから自分が率いていく部下達の顔を見回す。
女性初の導師。
アニスがイオンを亡くしたときに抱いた夢が叶い、彼女は誇らしげに口上を述べる。
(イオン様、ルーク見てる? あたし、夢が叶ったよ)
初の女性導師の顔を、信者達の一部が呆然と見ていた。彼らの瞳は一様にアニスへの不信感を告げている。
台風の目が近くにあるとは知らず、アニスは明るい未来に思いを馳せていた。
初の女性導師は、過去に信者から説法代としていくつものお布施をもらっていた。ローレライ教団の規則には、個人でお布施をもらう行為は禁じられている。
まことしやかに水面下でそんな噂が広まったのが、アニスの未来の陰りだった。出所不明の噂は鎮火しようにも対処仕様がなく、したところで噂の信憑性を高めるだけ。噂の出所を探るよう部下に指示をしながらアニスは動揺を抑え切れなかった。
(なんで知ってるの)
お布施をネコババ――横領している事実は誰も知らないはずだった。今まで簡単に悪事がばれるような真似をしてきたつもりはない。大詠師モースのスパイであったアニスは悪事を隠す術に長けているのだ。現に彼女がモースのスパイである事実は、今は亡きルークしか知らないままだ。だからこそ、女性初の導師になれた。
噂を流した人物は、アニスがお布施を横領している事実を知っている。そう思ったアニスは、ふと、己が英雄と称えられるようになった、あの旅の出来事を思い出す。
(……ティアに、一度だけ見られてる)
そう、アニスはお布施を横領した姿をティアに一度だけ見られていた。ティアは規則を理由に挙げてお布施をもらったアニスを注意している。あの時は何も知らないくせに注意してくるティアを鬱陶しく思っただけだが、教団のトップに立った今、あの出来事が自らの足を引っ張りかねない事実だと背筋が凍りついた。
導師が過去にお布施を横領している。など、誰が聞いても顔を顰めたくなるだろう。教団の寄付金が導師に横領されていると勘繰る者も出てくるはずだ。アニスはおそろしくて身を震わせた。ティアへの疑惑が払拭できず、疑心暗鬼になる。
日が経っても噂は一向に消えず、アニスの中で疑惑は確信へと変貌を遂げ、怒りが湧き上がった。導師の公務を終えて、怒りが漲った双眸を部下に向ける。
「……ねえ、ティア大詠師を呼んでくれる?」
冷ややかな声でティアを呼ぶように告げると、部下は返事をして部屋を出る。
噂の出所がわからぬ不安と焦燥を解消したくて、ティアを噂を流した犯人だと決めてかかる。権力者が個人の感情を優先させることはあってはならないのだが、アニスは己の行動に一切疑問を覚えなかった。
三十分もすれば、優秀な部下は早急に命令を叶えてくれたらしく、ティアが導師の私室を訪れた。許可を出して入室を促すと、ティアが不思議そうな顔で入ってくる。
「お呼びと聞いてきました」
「うん。……リラ、席を外して。ティアと二人で話たいことがあるの」
傍に控えていた導師守護役のリラに席を外させ、二人きりになると、途端にティアの口調が崩れた。
「どうかしたの、アニス」
「……ティアに聞きたいことがあって」
どう話を切り出そうか迷う。とりあえず窓際にあるテーブルセットの椅子に座るよう、促す。アニスはティアと向かい合うように座り、自らお茶を入れた。ティアは自分がやると言ったが、アニスは断った。ティーカップに紅茶を注ぎながら、どう話を切り出すか考える。最初に口を開いたのはティアだった。
「……最近、大変なようね」
「え?」
「噂。聞いたわ」
ティアが苦笑していう。ティアの双眸にはアニスへの気遣いが浮かんでいたが、アニスは彼女に嘲笑われたような気がして、眉間に皺を寄せた。
「噂って……あたしがお布施をもらったこと?」
「ええ」
「あれは……しょうがないじゃん。あの時のあたしは、お人好しのパパとママのせいで、苦しめられてたんだから」
アニスは言い訳のように言う。ティアは苦笑を深めたが、同時に厳しいことを言った。
「でも、規則を破ったのは事実よ。それは変えられないわ」
アニスの中でティアへの反感が募った。己の境遇を理解しておきながら、規則を理由に非難する。なんて、血も涙もない冷血な女なのだろう。アニスはかつて、ルークがティアを冷徹女と称していた事実を思い出した。
「あのさあ……ティアがいえたことじゃないと思うけど? 規則を破ってたのはティアも同じなんだから」
自然と出た声が冷ややかだったのは無理もないだろう。規則を理由に非難するというのなら、同じことをやり返してやるだけだ。この、自分は立派な人間だと思い込んでる女を、やりこめてやりたくて仕方なかった。アニスの刺々しい声に、ティアの表情も固くなる。
「どういうこと?」
「ティアだって、仕事サボってたじゃん。あの当時のアンタの任務って第七譜石の探索だったでしょ。それなのに、ルークと暢気に旅なんかしちゃってさ。それで給料もらってたんでしょ? 給料泥棒じゃん。人のこと言えないよ」
「あ、あれは事情があったのよ。私は兄さんが外殻大地を崩壊させようと計画を練っていることを知って、なんとか止めなきゃいけないと思って……それで兄さんを殺そうとルークの家に行って、彼との間に擬似超振動が起きてしまったの。巻き込んだ手前、彼を家に送り届けないわけにはいかないでしょう。私の責任なんだから……」
ティアはそっと瞳を伏せる。反省したように顔を俯けたが、すぐに毅然と背筋を伸ばして面をあげた。
「たしかに、ルークを送り届けている最中は仕事をしていなかったわ。給料は返還します。それで問題ないでしょう?」
「……なに言ってんの?」
アニスは唖然とした。
「ティアって馬鹿? ヴァン総長が外殻大地を崩壊させようと計画してたって……それを知ってルークの家に行ったって……アンタその頃から総長の計画知ってたんだ……」
ティアはハッと顔色を変える。蝋のような顔色で黙り込むティアをアニスは軽蔑する。
「よく、それでルークを責められたよね。ルークはたしかにアクゼリュスの人達殺しちゃったけど、そうするように仕向けたのはティアのお兄さんなのに」
「私は、兄さんを信じたくて……!」
「ルークを……他人を巻き込んでおいてよく言うよ。最低」
ティアが顔を赤く染めた。怒りで赤らんだ顔をアニスは冷えた眼で見つめる。ティアも黙ってなかった。
「……アニスに私のことをとやかく言われる筋合いはないわ。あなただって、モースのスパイだったくせに。あなたのせいで、イオン様が死んだこと、ちゃんと理解しているの?」
ぷつんとアニスの頭の中で糸が切れた。凍りついた眼で此方を見つめるティアを、アニスは殺気立った眼で睨んだ。それだけは言われたくなかった。イオンはアニスの初恋で、彼の死は触れられたくない辛くも大切な思い出だ。それを、自分の非を突きつけられた女の反論材料にされたくなかった。
アニスは胸中に渦巻く、怨嗟を吐き出した。
「……あれはティアのせいじゃない!」
「なんですって!?」
「イオン様はアンタの障気を受け取って死んだんだよ! あたしのせいでイオン様が死んだんじゃない! あんたのせいで死んだんだ!」
「アニスっ!!!」
「イオン様の代わりに、アンタが障気で死んじゃえばよかったのに!」
それは、まぎれもないアニスの本音だった。
たしかに、アニスのせいでイオンは死ぬまで追い詰められた。イオンは大詠師モースに惑星預言を詠まされて体力を消耗した。だが、ティアの障気をイオンが受け取らなければ、もしかしたらイオンが生きていたかも知れない。たらればの話など不毛でしかないが、その想像は、あれから何年経ってもアニスの心の中でしこりのように残っていた。
「っアニス……」
ティアは憤怒を抑えようとアニスの名前を一言呟いた。年下に心の底から罵声を浴びせないよう、年上の矜持で自制したのかも知れない。だが抑えても隠し切れなかった憎悪に似た怒りはティアの視線から発せられていた。アニスも同様だ。睨み合う二人の間を緊迫感が支配する。
目を逸らせば食ってかかられる――獣同士の命を賭けた睨みあいは、ノック音で破られた。
「――導師様、ご無事ですか? 今、怒声が聞こえたようですが」
ティアとアニスが同時に顔を背ける。
「……出てって」
「言われるまでもないわ。……もう二度と私的に言葉を交わす機会はないでしょう」
「……そうだね」
本当なら、顔も見たくない。
決裂は互いの意思だった。
そして、この時から、二人は敵になった。
アニスはティアを排除したくて、一方ティアは排除されないようアニスを排除しようとする。
二人の水面下の敵対は教団全体を巻き込む政争へと発展を遂げる。
聖女ユリアの子孫であるティア・グランツこそ導師に相応しいと、大詠師派が名乗りを挙げる。一方アニスも負けてはいない。導師派はティアは世界の敵であるヴァンの妹であり、彼女自身罪人だと罵った。
ティアの話を聞いて、アニスはキムラスカに照会したのだ。かつてティアがルークの家に乗り込んだ経緯を。王妃ナタリアはティアとアニスの関係が決裂しているとは知らず、教団の政争を周囲が勝手にやっているものだと信じて、簡単に教えてくれた。
証拠を掴んだアニスはそれを理由にティア大詠師派を追い込んだが、ティアも同じことをやり返した。
アニスがかつて導師イオンと敵対していた、モースの手先であった事実をばらしたのだ。
大詠師となったティアはモースが使用していた部屋を引き継いだ。アニスがスパイだった証拠も部屋から見つけたらしく、高々とあげた。
潰し合いをする二人の汚点が世界中に広がっていく。互いに互いを糾弾し合う二人に、いつしか人心は遠く離れていた。
ハッと二人が周囲の反応に気付いたときには、時すでに遅く。
失望と軽蔑で冷え切った眼が二人を取り巻いていた。
どこで間違えた。
――最初からだと、答える声は存在しない。
二人の話の真偽を調査した民衆は大声でいった。
「犯罪者をひっとらえろ!」
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