ぐらり、と眩暈を感じた次の瞬間、ジェイドの視界に広がる光景はまったく違うものに変化していた。
「ここは…」
四方を囲む壁紙は蒼一色。作業机と、ハンガーしか置かれていない、なんとも簡素な部屋に、ジェイドは一人突っ立っていた。
はて、ここは何処だろう。見覚えがあるが、いつ見たのか思い出せずにいる。天才の名を欲しいままにしてきたが、加齢と共に衰えた脳では、昔のことを記憶しているのが非常に困難になってきた。もっとも『彼』のことだけは他の記憶を代償にしても、生涯覚えたまま死ぬと決めていたが――それは今は置いておくとして、ここはいったい何処だ?
周囲をぐるりと見回して、机に目を留める。溜息を吐きたくなるほどに綺麗に積み上がった書類の山に手を伸ばし、一枚の紙を手に取った。
「…ND2018?」
馬鹿な、と瞬時に胸中で否定する。
しかし、ジェイドが手に持つ書面には、はっきりND2018と年号が刻まれていた。
レンズ越しにジェイドの双眸が、凄まじい勢いで上から下へと走る。たった数秒足らずで書類の内容を把握したジェイドの頭は、いつになく混乱していた。
(いったいどういうことだ?)
書類は、陸艦タルタロスの使用許可だった。タルタロスは沈んだはず――そう記憶しているジェイドは怪訝に顔を顰めることしか出来ない。回転が速いジェイドの脳は、幾通りの仮定を生み出して、果てには一つの答えを導き出しているが、彼自身が首を振って否定する。そんな馬鹿な、と現実的ではない答えを拒むように。
その結果、進展しない現状を生み出しているのだが……神の啓示のように、まさに唐突に一石の波紋が投じられた。
コンコンと軽やかなノック音がドアを叩く。一人の人物は自身の名を名乗りながら、ドアノブを回して、顔を見せた。
「カーティス大佐、準備はすべて整いました」
「……」
「……あの、大佐?」
「…なぜ」
「は?」
(何故、お前が生きている)
六神将率いる神託の盾騎士団兵に襲撃され、無残に殺された、副官のお前が――胸のうちで疑問を呟く。ジェイドに幽霊を見るような目で見つめられた副官は、居心地悪そうに身じろぎして、ドア付近で固まる。血色の良い副官の顔を見て、ジェイドは認めた。――今が、ND2018であることを。
(ここが過去だというのなら…ルークに、会えるのか)
夢でしか、もう出会うことが出来なかった彼に。
夢の中でくるくると表情を変える彼を見るたびに、目覚めたときの現実に一段と心冷やした思いを味わうのではなく、現実で再び会うことが出来るというのか。想像だけで、涙が出てきそうだ。
ジェイドは眼鏡のブリッジを直すふりをして、表情を隠す。
彼の表情は切なく歪められていたが、生憎と副官からは見えることはなく、またジェイド自身も悟らすような真似をしなかった。
表情を立て直し、いつものような余裕に満ちた笑みを浮かべる。見慣れた上司の表情に、副官があからさまに安堵して小さく息を吐いた。
「それでは行きましょうか」
――彼が生きる未来を模索する旅へ。
・・・
マルクト帝国エンゲーブ。
国内外に食糧の要と呼ばれる村だけあって、エンゲーブは作物の栽培や肉食動物の飼育が国内一盛んである。
村の中を歩き回れば、柵の中を牛やら鶏やらが自由に歩き回り、いずれは食卓に並ぶ運命のブウサギが当然のようにお目見え出来る。
ジェイドはブウサギがぶうぶうと動き回るこの村に来るたび、一度はピオニーを連れてきたいと心底思っていた。正しく言うとブウサギが捌かれる光景を見させてやろうと思っていた。きっと男泣きしてくれるに違いない。
そんな光景を想像して、やんわりと微笑んだジェイドは、ティーカップを傾け、一口味わうなり感想を述べた。
「さすが、エンゲーブ産で作られたアップルティーだけありますね。薫り高い。林檎の風味がよく生かされています」
「そうでしょう、そうでしょう? あの有名なカーティス大佐に褒められると嬉しいよ」
「あっはっは、そうですか? 私などに褒められても嬉しくないと思いますけどねぇ」
「いやいや、嬉しいよ。味がわかる人の褒め言葉ほど嬉しいもんはこの村には無いからね」
村長のローズと交わす言葉は気さくそのものだ。
あまりの気さくさに、『皇帝陛下名代』と言う立場に置かれた彼の護衛役が、ジェイドが任務を忘れていないか、不安になったほどである。
壁際に佇む二人の部下の懸念を他所に、ジェイドの全神経は家の外へ向けられていた。
ブウサギたちの鳴き声にまじって、人の怒声が聞こえている。ローズも騒ぎ声に気付いたようで、顔を顰めた。
「? 騒がしいね…」
「何かあったのかも知れませんね」
村に揉め事が起きた場合は、村長の出番である。ローズは少しばかり時間を貰えるようにジェイドに告げて、外へと向かうべくイスから立ち上がった。
と、同時に、思い切り背中を蹴り飛ばされて、前のめりになる形で少年が入ってくる。
(なんて馬鹿な真似を!)
ジェイドは思わずイスから立ち上がった。
少年の後に続き、神託の盾騎士団の軍服を着用した美少女と、垢くささ全開の村人達が入ってくる。
むすっとした顔で立ち上がる少年の一挙一足に注視してしまうジェイドは、なんとか気をそらして、村人達の会話に耳を澄ました。
「何事だい!?」
「ローズさん、食糧泥棒を見つけたぜ!」
「だから、俺はちがうつってんだろ!? 食べ物に困る暮らしはしてないんでね!」
今にして思えば、この光景はとても許せたものではない。
一村人に公爵子息が、背中を蹴られたあげく、猫の子供のように首根っこを掴まれてしまうなどと。
泥棒騒ぎで気が立っているとは言え、何の物的証拠もなく、思い込みだけで彼を泥棒だと決めてかかる村人に、ジェイドの顔から表情が消える。
氷山のような雰囲気を纏ったジェイドに、思い思いのまま言葉を吐いていた村人の口はぴたりと閉じた。
「誰が食糧泥棒だと?」
「こ、こいつが…」
「何を馬鹿なことを。その方の言ったとおり、彼は食べ物に困るような生活はしていないでしょう。身なりからわかると思いますが?」
「…?」
「…彼の服の形状は、大都市の流行の最先端をいじったオーダーメイドのオートクチュールです。服の布地をよく見て御覧なさい」
冷たい声に促されるまま、その場にいる全員の視線が少年に集中する。
見られることになれている少年は、わずかに顔を顰めただけで、注目を平然と受け止めた。
太陽の光を浴びて、光輪を生み出す艶やかな朱色の髪。
毛先にゆくにつれ、色素が抜け落ちているのか金色に染まり、色の変移が美しい髪になっていた。
魅力的な髪を引き立たせる白い服は、まじまじと見ると肌触りが良い一級品の布地で作られていると知れた。
村人達は自分達の服と見比べて、ようやく思い知る。
彼の言葉が真実であることに。
泥棒犯に仕立て上げた少年が、高貴な身分であることが予想できて、村人達は顔色を蒼に変えて土下座した。
「「「「も、申し訳ございませんでした!!!!!!」」」」
床に頭をつけて、土下座した村人達に、少年は驚いて目を丸くした。それは彼の同行者である少女も同じらしく、釣り目がちのアイスブルーの目を瞠っていた。
「べ、べつにちょっとムカついただけだから、いい。だから、んな真似してねーで、早く立てよ!」
食糧泥棒という不愉快な罪を着せられた少年が、慌てたように言う。
遠まわしに許した少年を、貴族だと推測した村人達一同は、寛大な彼の心に感動して震えた。
もし彼の怒りが冷め遣らなかったら、村人の何人かが捕まっていた可能性がある。
食糧泥棒の犯人に仕立てられて、庶民に背中を蹴られて、首根っこを捕まえられたという体験をした貴族が怒らないほうが珍しい。それなのに、たった一言で少年は村人達の罪を許した。
これを寛大と言わずに、何と呼ぶのか。村人達にはわからない。
村人と少年の一幕に、同行者の少女は溜息を吐いた。
「…食糧泥棒に間違われた原因は、ルークにもあると思うけれど」
「なんだと?」
「お金も払わずに、勝手にお店の物を食べてしまったのは誰かしら。食糧泥棒だと疑われても、不思議じゃないわ」
「しょうがねーだろ! 買い物の仕方なんて知らなかったんだから!」
「…貴方、世間知らずを自慢してるの?」
「ち、ちげーよ!!」
貴族と軍人とは思えないやり取りに、村人達は唖然とした。
買い物の仕方を知らない、と少年の言い分に村人達は納得した。貴族であるならば、買い物の仕方を知らなくても無理はない、と。
エンゲーブは食糧の村だ。貴族の家に、食糧を直売しに行くことは珍しくない。貴族の家では、執事が家主の代わりに金銭を払う。街中を歩いても、貴族は財布を持たないことも珍しくなく、大抵お付の者に払わせるのだ。
代わりに金銭を払ってくれる人間がいるならば、買い物の仕方を知らなくてもおかしなことではない。
それを、同行者の少女は『世間知らず』だと切り捨てた。その言い方は、まるで少年が悪いように聞こえる。
貴族なのに、貴族ではないような振る舞いを見せる少年に、好感を抱いた村人達は、少女を睨みつけた。
「あんた軍人だろう? 何だ、その言い方は。その人は無実の罪を着せた俺達を許してくれたんだぞ!」
「大体、世間知らずとか失礼じゃないか。そんなこと貴族に向かって言う軍人のほうが、よっぽど世間知らずだとあたしは思うけどね!」
「第一あんた、その人が無実だって知ってたくせに、その人のために弁解の一つもしなかったな! さっき、捕まったほうがその人の為とか思ってただろ!? 軍人が無実の人間に対して、捕まったほうが良いと思うなんて……最低な軍人だな! ローレライ教団の軍人は、みんなこうなのか!?」
叱責された少女は、村人達が怒った理由が理解できずに困惑する。
だが、ローレライ教団が侮辱されたことに気付き、すぐに厳しい顔つきになった。
睨みあう村人と少女の間に、険悪な雰囲気が広がる。ジェイドとしては、村人と少女が喧嘩したところで興味の欠片もないが(勝手にやればいい)、少年がおろおろとしている姿が見ていられずに話しに割って入った。
「話はそこまでです。私がこの場を預かりますから、市民の皆さんは元の居場所に戻ってください」
「……」
でも、と不満が入り混じった目を向けられるが、ジェイドは笑顔で一蹴する。
「良いですね?」
とっとと出て行ってください。――有無を言わせない笑顔を向けられた村人達は、仕方なく肩を落として、ローズの家から出て行く。
その後に続いて、少女が少年を連れて出て行こうとするが、それは敵わなかった。ジェイドに目配せされた兵士が、ドアの前に立ちはだかる。
「あなた方は、すこーしばかり待って下さい」
「あの…?」
「あなたはローレライ教団の軍兵ですね? なぜ彼――ルーク・フォン・ファブレ様と一緒にいるのか、事情をお聞かせ願いたいのですが」
「! 何故ルークのことを…」
「それは少し考えてみればわかりますよ。赤い髪に、緑色の瞳はキムラスカ王族の象徴でしょう。十代後半のキムラスカ王族で該当するのは、ルーク・フォン・ファブレ様のみです。――申し遅れました。私はマルクト帝国軍所属第三師団師団長ジェイド・カーティスと申します」
「…私は、ローレライ教団大詠師モース旗本情報部所属のティア・グランツです」
「…ルーク・フォン・ファブレ。お前らマルクトが誘拐した、ルーク様だよ!」
「これはご丁寧にどうも有難うございます。――取りあえず、ルーク様はお座りください」
兵士の一人が、テーブルのイスを引いて、ルークに座るように態度で示す。
ルークはどかりとイスに座ると足と腕を組み、そっぽを向いた。ルークの対面にジェイドも腰を落ち着ける。ティアは自分で勝手にイスを引き、座った。
以前と同じ話が、再現された。
「…なるほど」
話を聞き終えた感想としては、それくらいしか言うことはなかった。
何しろジェイドは一度このやり取りを経験しているのだ。
以前は和平使者としてキムラスカに赴く手前、彼女の行動を天の配剤かと思い、内心で感謝したところだが、あの時とは違い呆れが勝った。
「これはキムラスカからマルクトへの敵対行為ではありません!」
聞いてもいないことを勝手に話すティアに、ジェイドは実に素っ気無く返した。
「最初からそんなこと思っていませんよ。そんなことを思いつく前に、あなたは自身の行動を省みたほうが良いんじゃないですか?」
「え…?」
「おや、理解していないようですね。あなたはローレライ教団の軍服を着用して、ファブレ公爵家を襲撃したんでしょう? これはローレライ教団からキムラスカへの敵対行為と認識されると思いますが」
ティアの顔色が俄かに変わった。
「! そんなっ、私はそんなつもりは…!」
「弁解するなら、ファブレ公爵家でお願いします。私に弁解したところで意味はありません」
「……っ」
ティアは自身の犯した罪を理解して、全身を硬く強張らせた。
(自分の行動の拙さを理解せずに、よくもまぁ、ルークを責められたものですね。自分になんの非の打ち所が無いとでも思っていたのか。なんにせよ、これで少しは大人しくなってくれれば良いんですが)
自分が犯した行動がローレライ教団を巻き込んでいたことを自覚させられたティアは、大人しくせずにはいられないだろう。
尤も。もし、ルークに対して自身の立場も弁えずに、今後も不敬を貫く場合は――遠慮なく捕まえてしまうだけだが。
かつての仲間を切り捨てることに躊躇いなどありはしない。
ルークが目の前で、動いている。――生きている。
彼の命の灯火を、今度こそ消すわけにいかない。
その為なら、ルーク以外の命など、自分を含めて切り捨てることなど、今のジェイドにはあまりにも容易いことだった。
TO BE…
逆行ジェイドです。ED後から数十年後の世界から逆行してきています。
「無実だと知っていたのに〜」と言う村人の台詞は是非とも入れたくていれました。
原作を久々にプレイして思ったんですが、エンゲーブでルークが捕まったとき、ティア「このまま捕まったほうがルークのためかしら」と思ってるんですね。
今回は小声で呟いた事にして村人がそれを聞いていた事にしましたが…これ聞いたとき、軍人が、無実の人間に対して、捕まったほうが彼のためかしら、みたいな事思うのは一体どうなのかと思いました。
しかもルークと出会って一日、二日しか経っていないのに、よくもまぁ、ルークのことを理解してるように言ったな、とか思いました。まる。
2010.07.13
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