いつの頃からか、ルークはティアに好意を寄せるようになっていた。
自分がわがままでどうしようもなかった頃から、ティアはルークを想って度々忠告してくれた。アクゼリュスが崩落したあとも、厳しい態度を取りながらティアはルークの成長を見守ってくれていた。
いつかアニスがティアを姉さん女房になっちゃうよと揶揄交じりに表現したことがある。それを聞いたルークとティアは顔を赤く染めながら、アニスが告げた言葉が現実と化した未来を思い描いた。
ルークの隣に並ぶティア。今とおなじようにルークを見守ってくれる、やさしいティア。ルークの隣に立つのはティアで、ティアの隣はルークのもの。その未来を思い描いていたのは、何も当人ばかりではなかったのだろう。
ナタリアが偽姫だとわかって落ち込んでいても、ルークはナタリアを慰めてはいけない。
なぜなら、ルークが尊重しなければいけない女性はティアだから。
ルークが好意を寄せる女性はティアなのだから、当然のことだ。
アニスがイオンを亡くして落ち込んでいても、ルークは慰めてはいけない。
なぜなら、ルークが尊重しなければいけない女性はティアだから。
ルークが好意を寄せる女性であるティアの前で、他の女性を慰めてはティアが傷ついてしまうのだから、当然のことだ。
ノエルが祖父を亡くして気丈に振舞っていても、ルークは彼女のために怒ってはいけない。
なぜなら、ルークが尊重しなければいけない女性はティアだから。
辛いのは祖父を亡くしたばかりのノエルではなく、シェリダンの街を襲うように指示した兄を持つティアだ。
ティアの前で、他の女性を慰めては、一番辛いティアが傷ついてしまうのだから、当然のことだ。
「本当に辛いのは誰なんだろうな?」
(――本当に辛いのは、ティアなのか?)
ガイの口から吐き出された言葉に、ルークの心に疑問が浮かぶ。
(ティアよりも、……ノエルの方が辛いはずだろ?)
シェリダンの街が襲撃されて、ルークたちを逃がすために身体を張ってヴァンたちを食い止めてくれたのは、ノエルの祖父たちだ。今この状況で”本当に辛い”のは加害者の妹であるティアよりも、遺族のノエルだ。――そのはずなのに、仲間達の誰一人がガイの言葉を否定しない。
(……俺が間違っているのか?)
ガイの視線が、アニスの視線が、ナタリアの視線が、ティアを非難する動きを見せたルークを叱責している。
今までだったら、彼女たちの視線に気圧されたルークは、自分が間違っていたと思い込むことが出来ただろう。
けれど、ルークは見てしまった。
「落ち込んでいる暇はないのよ」遺族の死を悼む時間を”暇”呼ばわりされて、遺族の死を悲しむ時間すら与えられなかった少女が立ち尽くす瞬間を。
「本当に辛いのは誰なんだろうな?」そう言ったガイの言葉を聞いて、苦しそうに顔を歪めた、ノエルの顔を。
見てしまったのだ。
「――ノエルっ!!」
艦内に続く扉に消えていくノエルの姿に、ルークはとっさに声をあげて手を伸ばした。
ノエルの腕を掴むはずだった手は寸前で掴むことが出来ずに、空を切る。
ルークは少女の手を掴むはずだった自分の手を、呆然と見下ろした。不測の事態により家から連れ出される前から使い続けている良質の皮の手袋は、旅を経て、すっかりとボロボロになっていた。魔物や人間をたくさん殺して、血に塗れた手だ。この手で、ノエルを捕まえなくてよかったのかも知れない。ノエルは、あんなに綺麗な涙を流す少女なんだから。
ノエルの利発な双眸は、涙で潤んでいた。なだらかな頬を伝う透明な滴は、祖父や親類縁者の死を悼む涙だった。嗚咽をこらえるように下唇を噛んで、涙を流さないようにしていたのに、ガイの言葉を聞いて涙腺が決壊してしまったのだろう。今もノエルは泣いているのだろうか。たった独りで。
その姿を思い描くだけで、ルークは苦しくなって眉を寄せた。ノエルを追おうか。思い悩んだのは一瞬、ルークはノエルを追うために艦内に続く扉へ足を踏み出す――。
「ルーク? いったいどうしたんだ?」
ガイがルークの片方の肩を掴み、歩き出そうとする彼の背を止めた。
「…ガイ、放してくれ」
「おいおい、どうしたんだよ」
ティアはそこにいるんだぞ、とガイは視線でティアを盗み見た。きつい言葉を吐いたティアであったが、ルークの動向を気にしているらしく、彼の傍から姿を消すことはなかった。ルークの動きを注視しているのか、じっとルークを見ている。ルークはティアの視線に気付いていながら彼女に声をかけることもなく、自分の肩を掴むガイの手を振り払った。
「放してくれ、今はガイと話したくない。……ティアとも」
「えっ?」
呆気に捕らわれるガイを無視して、ルークはノエルを追って艦内に続く扉を潜った。
タルタロスの中に消えたルークを見送り、呆然とした面持ちでガイは「いったいなんだって言うんだ…?」と呟く。
その声を聞きながら、ティアは難しい表情をしていた。
(……ルーク?)
ふとしたときにノエルが見せる、ルークに向けた視線に含まれた意味を、ティアは知っていた。
ノエルとおなじ想いを、おなじ相手に向けているのだから、気付かないわけがないのだ。
だから。
ノエルが恋するルークが自分を想ってくれている事実に、優越感を覚えなかったかと言われれば、嘘になる。
ルークはノエルの後を追うようにタルタロスの艦内に入っていった。
ティアが艦橋にまだいるのに、ルークはいつまで待っても戻って来ることはなかった。
ティアの傍にいるのは、ガイだけだ。ガイはティアを気遣って傍で慰めてくれていた。
(どうして?)
こんなに自分が辛く苦しい思いをしているのに、どうしてルークはティアを慰めに来てくれないのだろう。
いつもルークはそうだ。鈍くて、ティアの想いがイマイチ通じない。思考に耽っているティアの耳に、焦ったようなガイの声が届いた。
「なんで……なんでルークはノエルといるんだ?」
「え?」
ティアの思考が止まる。ガイが告げた言葉に驚愕したティアが面を上げて、ガイの視線の先を追うと、艦内に続く扉から出てきたと思われるルークとノエルがいた。ルークはノエルに心配そうな眼を向けて、何かを話しかけている。俯きがちだったノエルは何度か頷いて、ルークの顔を見上げると、ぎこちなく笑った。
「ルークの奴……! 何でノエルと話しているんだ。ルークが大事にしないといけない相手はティアなのに……」
「………」
ティアを放って他の女性を思い遣る態度を見せるルークに、ガイは苛立だたしげにぼやく。そうして、ティアの顔を恐る恐る覗き見た。ティアは硬い表情でルークとノエルを食い入るように見ていた。ティアの唇がルークの名をつぶやく。身内が犯した罪に苛まれているティアを慰めもせず、他の女性を思い遣っているルークに怒りが湧き、ガイは離れたところにいるルークの名を咎めるように呼んだ。
「ルーク!」
ルークとノエルは声の発生源を探してきょろきょろと周囲を見回した。
ガイがここだと声をかける間もなく、ルークと視線が重なり合う。ノエルが、ガイとティアの姿を見て全身を強張らせた。ルークはノエルを安心させるように背に庇った。
呆れた表情でガイとティアが、ルークたちに向かって近寄った。
「なんだよ」
「なんだよってお前なぁ……ダメじゃないか。ティアを放って行くなんて」
「そんなことより……ティアはここで何をしているんだ?」
「え?」
「落ち込んでる暇、ないんだろ?」
「――」
ルークがティアに素っ気無く言った。ユリアシティで髪を切って以来、心を入れ替えたルークがティアに素っ気無い態度を取ることはなかった。ひさしぶりにルークに素っ気無い態度を取られて、ティアは唖然として言葉をなくす。
「こらっ、ルーク! そんなこと言っちゃダメだろう!」
「なんでだよ」
「なんでって当たり前だろう? 今回の出来事で一番心が傷ついたのは誰だと思っているんだよ……」
ガイが厳しい表情でルークの態度を咎めると、ルークは苦しそうに顔を歪めた。
わかってくれたか、と安堵の吐息をこぼしたガイに向かって、ルークはきっぱりとした口調で言った。
「ティアじゃない。ノエルだ」
「え、」
「……俺たちを助けるために、六神将に立ちはだかってくれたのはノエルの祖父さんたちだよ。なあ、ガイ、お前忘れちまったのか。あそこにいたのは、みんな、ノエルが今までずっと生活を共にして来た大切な人たちなんだぞ」
驚愕を顔に張り付けてガイは息を飲み込んだ。
「あ、え、俺……」
ノエルの心情などまったく考慮していなかったと、ガイの表情が告げる。
「わ、悪い、俺…どうかしてた……。ごめん、ノエル、ルーク…」
なんでティアが一番辛いだなんて思っちまったんだろう、とガイは呟いた。家族を殺害されたノエルの心情をガイは理解できる立場にいた。それなのに、加害者の身内が一番辛いと言ってしまったことに、ガイ自身、衝撃を覚えていた。自分と言う人間がとても気持ち悪く思えてしまい、吐き気を覚えて、口に手を当てる。
ティアが一番辛いなどと、ガイはもう二度と口が裂けても言えなかった。
それと同時に、ガイはティアが告げた非情な言葉を思い出してしまい、すぐ傍に立つティアを軽蔑の眼で見てしまった。
ルークから向けられた素っ気無い態度に加えて、ガイから向けられる眼差しの温度差に、思わずティアは眉間に皺を刻む。
しかし、ルークの言葉を聞いてしまったティアは何も言うことが出来なかった。ティアよりもノエルの方が辛いというルークの言葉を否定する気にはなれなかった。事実、シェリダンの街が襲撃されて心情的に誰よりも辛いのは、この場においては、被害者遺族の孫であるノエルだ。――ただ、そのことを指摘した相手が、ルークということがティアは気に入らなかった。
ノエルを傷つけた言葉を吐いたのに黙りこんだまま謝罪1つしないティアに、ルークとガイの顔色が曇る。
2人の中に作られていた、ティアという完璧な女性像に皹が入り、砕け散るのは早かった。
「ティア……君は、……いや、なんでもない」
ガイは何かを言いかけて――結局言葉を飲み込んで、違う言葉を紡いだ。困ったように笑いながら。
「……俺、もしかしたらティアに理想を作っていたのかも知れないな」
「え?」
「いや、なんでもないさ。さて、俺はタルタロスに戻るとするか。……ルークとノエルは……」
「俺たちはまだここにいるよ」
「そっか。身体冷やさないようにな。……ノエル、君の気持ちを考えず本当にごめん」
ノエルが、戸惑ったように瞳を揺らす。ルークの背中からそっと姿を現したノエルは、ぎこちなく笑って、謝罪を受け入れた。
「いいんです」
「――ありがとう」
ガイは苦く笑うと、軽く手を振って、タルタロスの中へ消えて行った。
残された3人の間で居心地が悪い雰囲気が流れた。ティアは落ち着かずに身じろぎする。ルークはそんなティアをじっと見た。好意を寄せる男性から視線を注がれて、ティアの心臓が小さく跳ねる。ティアの頬にうっすらと紅がさした。
「な、なに?」
「……俺もガイと同じだったのかも知れない」
「え?」
「ティアはまだ17歳の女の子だから、間違うことだってあるのに、絶対に正しいと思い込んで。そんなことないのにな」
「……ルーク?」
ルークの声色に含まれた自嘲するような感情に、ティアは顔を引き攣らせた。不吉な予感を感じ取って顔色を青く変える。ルークは自分の胸中に渦巻く感情を整理するように溜息をつくと、ティアの眼を見て、強い口調で言った。
「ティア。お前、その性格を直さないと、いつかきっと後悔するぞ」
それは、親善大使一行としてアクゼリュスに派遣されたとき。
デオ峠で、ティアがルークに言った言葉だった。
自分が口にした言葉を返された皮肉に、ティアの眉がきつく跳ね上がる。
「どういう意味?」
「自分で考えろよ。――ノエル、行こう」
ルークはノエルの手を握ると、ティアから離れて行ってしまう。
「っ、ルーク!」
責め立てるような響きを持つ声にも、ルークは振り向かずにノエルの手を引いたまま艦橋の端へ行ってしまった。
見える位置にいるからこそ、追いかけることも出来ず、ティアは離れたルークとノエルの姿を眺めていることしか出来なかった。
ルークがノエルに話しかけて、相槌を打つ。ノエルも1つ、2つと言葉を交わして、2人が穏やかな表情で同時に笑う。ノエルの笑顔はまだぎこちなかったが、それでもノエルは笑っていた。話し合う2人の距離は近い。話が途切れたのか、ルークとノエルは口を閉じた。
2人は互いに視線を送り、――照れたように笑う。
2人が近付いていく姿を目の当たりにしたティアの心情は嵐のように荒み、彼女は思わず下唇を噛んだ。
自分を想ってくれるルークにティアは強い優越感を抱いていた。ノエルがルークを想っていることを知りながら、それを楽しむ余裕すら持っていた。だというのに、今のティアときたら、昨日までのノエルの居場所にいた。
ルークはもうティアに恋愛感情を抱いていない。それを証明するように、ティアがこんなにも辛い思いをしているのに、ルークはティアを慰めようとしてくれない。それどころか、傍にさえ、いてくれない。
自分からルークが離れていく。――いや、離れてしまった。
その事実を受け入れたくなくて、ティアは好意を寄せる男性と、恋敵の少女に背を向けた。
「……落ち込んでいる暇なんかないわ。今は兄さんを止めることだけを、考えなくちゃ」
自分を鼓舞するために呟いた言葉は、負け惜しみのような響きを伴っていることにティアは気付かなかった。
タルタロスの中に足を踏み入れながら、それでもティアはルークが自分に声をかけてくれることを期待していた。
そんな彼女の背後で、ルークとノエルの穏やかな話し声が聞こえていた。
途切れ途切れに聞こえる会話は何を話しているのかわからないが、2人の声色はやさしくて微笑ましい。それがティアを惨めな思いにさせた。これ以上2人の話し声を聞きたくない――暗い表情をするティアの背後で、扉が閉まる。
その音が、ルークとティアの恋を別つ始まりだった。
END.
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