――時は遡る。
「テオドーロ市長があたし達に何の用だろうね?」
「ええ……」
マルクト皇帝より話を聞いたティアとアニスはユリアシティへと向かった。
いつきてもユリアシティは、悪く言えば、陰気臭い。街全体を覆う透明な膜の外は、障気で汚れ赤紫色の混沌が広がっている。ティアはユリアシティで育ったため慣れっこだが、アニスからしてみれば、いつこの街を障気から守っている膜が破れないのか不安で仕方ない。
サッサと外殻大地に戻りたい。テオドーロ市長のもとに向かうアニスの足取りは自然と早くなった。
――この先に、何が待ち構えているのかも知らずに。
*
――逃げなければ。
縺れそうになる足を必死に動かして、グランコクマを脱出しようとしていた。
背後から聞こえる無数の足音に、心臓が口から飛び出してしまいそうなほど神経が昂ぶった。ガイは必死の形相で街中を駆けていた。
時刻は深夜。月が中天に輝き、身を切るような冷たい空気が流れている。巡回する兵士を除いて、人っ子一人いなかった。
ガイの足音は静まり返った街中でうるさく響いていたが、誰一人、苦情を言うものはいなかった。
家のカーテンは固く閉ざされ、深夜に走り回る傍迷惑な人間を確認しようとする者もいない。足音に気付いていても、関わるのを嫌がっているのだろうか。もしそうなら、住民は正しい。今のガイは、もしグランコクマの住民を見つけたら、見境なく騒動に巻き込んだだろう。助けてくれと臆面もなしに救出を願ったに違いない。それほどまでに、ガイの現状は切迫詰まっていた。
とにかく、街を脱出すれば。そうすれば、逃げられる。
街の出入り口に向かって一目散に駆けたガイは勝利の笑みを浮かべた。よし。これで何とか逃げられる。逃げて、逃げ延びて、それから後のことを考えよう。安堵に足を緩めた瞬間だった。ガイの背に、弓矢が突き刺さったのは。
「……え?」
呆然とするガイの背を次々に矢が襲い掛かる。そのうちの一矢が、ガイの心臓を射抜いた。地面に崩れ落ちるガイのもとに、集団が歩み寄った。
集団はふつうの旅人の格好をしていた。ガイは薄れゆく意識の中で、彼等に見覚えがあることに気付いた。グランコクマの街中で、あるいは王宮で何度も顔を合わせている。――マルクト軍人だ。
「少々時間がかかったな」
「サッサと街から逃げてくれれば、こんなに時間がかからなかったんだが」
「ああ、そうだな」
わざと街から逃がしたのだと、ガイは彼等の会話を聞いて悟った。そういえば、街の外の戦闘は私怨だと立証されない限り無罪だ。その事実を、ガイは最期の瞬間にようやく思い出した。
志半ばで夢が潰える。何故こんなことに。永遠に答えが返らない疑問を抱いて、ガイは二度と目覚めない眠りについた。
「クソめ」
ガイラルディア・ガラン・ガルディオスを殺した集団の一人が吐き捨てた。睨みつける眼光は鋭く、まるで獰猛な獣が獲物を狩るときのような眼をしていた。そんな眼をしているやつが、少なくとも四人はいた。
ガイの背中に、最初に矢を射った男は肩を竦めてみせる。ガイの死体と、憎悪に身を焦がす男達を交互に見つめて、哀れなものだとどちらに向けた言葉かわからない思いを抱いた。
ガイラルディアは知る由もないが、今、彼の死体を憎悪の眼で見つめているのは元ホドの住民だった。
ガイラルディアのように戦火を逃れホドを脱出した者も中にはいる。親兄弟の命と引き換えに生き延びた者たちが、当時、島で何が行われていたのか彼等は知っている。
キムラスカ軍の侵攻を目前にしながら、ホドの領主はのんきに息子の誕生会を開いていたのだ。
ホドは孤立した島だった。当時は船という移動手段がなかったのだから、キムラスカ軍船が迫っていれば、容易に確認できた。もし仮に、キムラスカ軍船が軍旗を掲げず接近してきたとしても、軍隊が乗っていた以上、船の規模はそれなりにあったと推測される。あるいは小さな船で連なってホドに接近していたのかも知れない。
当時、キムラスカとマルクトは小規模の衝突を繰り返し、世論は戦争へと転がりつつあった。戦火がどこに及んでいても不思議ではない状況に、怪しい船が島に接近したら、船に対して警告、照会するのが当然である。
キムラスカ軍の侵攻に気付いたマルクト軍はホドを見捨てた。その決定をしたのは先代マルクト皇帝だが、ホドの住民だとて怪しい船の接近に気付かないはずがなかった。
ホドは島であり、そのため予定のない船は天候が荒れていない限り近付いてこない。物資の流通は船で行われるため、民はいつ頃に商船が到着するのか把握している。当時マルクト軍の研究施設があり、マルクト軍の船も行き来していたが、マルクト軍ならば軍旗を掲げているのでわかりやすかった。
キムラスカ軍が商船を偽って接近したとしても、予定にはない船の接近に不信感を抱いて、領主のもとに話をしに行く住民も中には存在していたはずだ。いつ戦端が開かれてもおかしくない時勢、住民だとて無知ではいられないのだから。
キムラスカ軍が侵攻する前に、ホドの領主が住民を脱出させておけば――そこまでは望まなくとも、警戒しておくことはできた。
それなのに、ガルディオス一族はガイラルディアの誕生会にキムラスカ軍が突入して、初めて、キムラスカ軍が侵攻してきた事実を知った。
マルクト軍はホドに接近したキムラスカ軍に気付いていたのに。本来ホドを守るべき領主はその情報すら持ち得なかった。防衛をマルクト軍頼りにしていたのか、それともホドを狙うとは思わなかったと高を括っていたのか。ガルディオス伯爵夫人がキムラスカ貴族であった事実を踏まえると、後者かも知れない。
何にせよ、無警戒にも程があった。
ホドを侵攻したキムラスカ軍も、あまりの呆気なさに驚いただろう。あるいは呆れ返ったかも知れない。
キムラスカ軍はガルディオス一族、騎士は遺恨を断つために全員殺害したが、投降、あるいは無抵抗のホドの住民を殺害することはなかった。
捉えた住民は捕虜として扱い、戦後マルクト帝国と司法取引して彼等は解放された。生き残ったホドの住民は、事前に島から脱出を図った者、キムラスカ軍の捕虜になっていた者たちだった。
だが、中には犠牲になった住民もいた。ホドの崩落に巻き込まれた者たち、キムラスカ軍に抵抗した住民たちだ。
ガイラルディアを殺したのは、捕虜、あるいは脱出して生き延びた者達だった。
彼等はガイラルディアが名乗りを挙げるまで、ガルディオス家に対して複雑な心情を抱えど、死者を甚振るつもりはなかった。だが。
――ガイラルディアが生き延びて、ヴァン・グランツと共謀し世界を危機に陥れ、平和条約の場でキムラスカ国王に刃を向けたとなれば話は別だ。
平和条約が結ばれたとは言え、キムラスカ王国に対して敵対感情を向ける者は多く存在する。その一派にとって、ガイは反キムラスカ王国の旗頭として擁立しやすい。今後、火種になる可能性は充分あった。
などと、様々な大義名分はあるが、結局のところガイラルディアを処分する正当な理由を欲していた。
ホドの住民も、ピオニー陛下も。
ガイラルディアが生きていては国のためにならない。だから、処分する。ぐだぐだと理由を垂れようと、本音はその一言に要約されていた。
ガイを殺害するだけで、様々な懸念が解消されるのだ。
ホド崩落後、ガイがどこで生きていたのか。いつ、ファブレ公爵子息と面識を持ったのか。何故、ピオニー陛下は、素性が怪しい人物をガルディオス伯爵子息と認めてしまったのか。突かれれば致命的な怪我を負うのは確実だ。誰かが追及する前に、闇に葬ってしまえ。
ホドの住民は無能な領主一族への憎悪から、それ以外の者たちは国と皇帝への忠誠心から、ガイを消すことを選んだ。
賢帝と名高いピオニー陛下の治世をこれ以上邪魔させるわけにはいかない。ただでさえ、ジェイド・カーティスの一件だけで、すでにマルクトは不利なのだから。アクゼリュスと引き換えにジェイドの汚名は雪いだが、それはジェイドが天才だったから、彼自身に価値があっただけの話だ。ジェイドには今後、キムラスカ王国の政治の中心人物になるであろうルークを生かすために、引いてはキムラスカ王国に何十年越しの貸しを作るために利用できる。
ガイは処分する理由はあれど、ジェイドのように生かしておく利点はない。だから、消すことを選んだ。
『早急に処分しろ』
皇帝の私室から逃げ出したガイラルディアをピオニー陛下は許さなかった。処分するように冷徹な顔で命令をくだしたピオニー陛下は、まぎれもなく、マルクト帝国の皇帝であった。
皇帝の命令を完了した集団は夜闇に紛れて、その場を後にする。集団が去ったあと、すこしして、魔物の遠吠えが空に響き渡った。
血臭が周囲に広がったが、グランコクマに届く前に風に攫われて消えた。もう、ガイがいた痕跡は何も残っていない。
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