「パパ? ママ……!? それにフローリアンまで!」
ユリアシティの会議室に入室したアニスは目を丸くした。
会議室の円卓に、両親とフローリアンの姿がある。
それだけではない、ダアトの重鎮達が一堂に勢ぞろいしていた。円卓を囲み、皆が皆一様に厳しい面持ちをしており、会議室の空気は刺すように張り詰めていた。
アニスは重鎮達の中に、善良な信者である両親とフローリアンがいる理由が気になった。一目見る限り、此処に揃っているのはダアトの重鎮だけだ。要職についているわけでもない両親と、フローリアンがこの場にいる理由がわからない。
「どうしたんですか?」
「お爺様、いったいどうして――」
ティアはアニスの両親達がいる理由を尋ねようとした。その前に、テオドーロ市長は発言を切るような鋭い声で制止した。
「アニス・タトリン、ティア・グランツ」
「……お爺様?」
「座りなさい」
着席をうながされて、困惑しながら席につく。アニスとティアは隣同士で座った。全員の視線が二人に集中していて、ひどく心地が悪い。バタン、と二人の背後で扉が閉まる。逃げ場のない空間に追い詰められたような、閉塞感に息が詰まった。
「これより、ローレライ教団神託の盾騎士団併合緊急会議を開始します」
張り詰めた空気が流れ、二人はごくりと息を飲んだ。
「……これは、いったいなんですか? お爺様、この状況はいったい……」
「お前たちの処分を決めるために、皆さんに集まってもらった」
「処分?」
「ちょっと待ってくださいよ! あたしたちは処分されるようなことは何も――」
「処分されるようなことは何もない、と?」
「「はい」」
アニスとティアは身の潔白を証明するかのような、自信に満ちた声で同意の声をあげた。テオドーロ市長の眉間がぐっと狭まり、列席者の顔も険しく染まった。非難の視線が二人に突き刺さる。
「これは驚いた。まさか本当に自覚がなかったとは! それとも、自分達の罪を問われることはなかったとでも?」
「アニス・タトリンに関していえば、無罪を装っているのでは? ティア・グランツのほうは……自らの罪を自覚することなく罪を重ねているところを見る限り、浅慮なのだろう」
「何にせよ神託の盾騎士団の面汚しであることは変わりない」
「違いない」
次々に浴びせられる罵倒の数々に二人は青褪める。
「……なんでそんなこと言われなくちゃいけないんですかぁ!?」
「私たちがいったい何をしたと言うんです?」
負の感情を見せる一同に言い返すのは勇気がいることだった。臆しながらも反論する二人に、ますます列席者の眼が冷えていく。教会、神託の盾騎士団の重鎮が揃う中、場違いと言うしかなかったアニスの両親が声をあげた。
「アニスちゃん、本当に自覚がないの?」
「アニス、本当に?」
フローリアンはもどかしそうな表情でアニスを見つめている。両親も悲哀と絶望を浮かべた顔で見ている。アニスは戸惑った。
「ママもパパもどうしたの? 自覚って……あたし、処分されるようなことは何も」
「アニスの嘘つき!!」
フローリアンは耐え切れなくなったかのように、テーブルを叩いて立ち上がった。
「フローリアン!?」
「ぼくの兄弟を裏切って殺したくせに!」
「え、」
「ぼくの兄弟だけじゃない! タルタロスの兵士だってそうだったんでしょ!? アニスのせいで死んだんだ! アニスが、パパとママの借金を理由にスパイなんかやったから!」
アニスは怯えたように後ずさった。
「なっ、なんで、そんなこと、」
「何故知っているのか疑問のようだな。貴様が世界を飛び回っている最中にも、貴様の両親はいつも通り借金を繰り返していた」
アニスの両親が縮こまった。二人は暗い顔で項垂れる。
「今まで大詠師モースが教団の運営費を私的流用して肩代わりしていたが、モースが死亡した後は、誰も肩代わりする者はいない。あとは話がわかるだろう。借金の返済が滞り、貴様の両親の借金取りは教会にまで押しかけた」
ザァッとアニスの顔色が青褪めた。アニス達の居住区は教団内部にある。借金の返済が滞った借金取りは取り立てのために教団に押しかけた。騒ぎにならないはずがなかった。
「パパ、ママ、また……?」
あれほど、これ以上借金を作るのはやめてといったのに。お人好しの両親は、アニスがいない間にまた騙されて借金を作っていたのだ。
「なんとか教団が取り成して、その借金取りは帰ったが……」
アニスの両親は肩身が狭いような顔で縮こまっていた。両親は自分達が世話になっている教団に迷惑をかけた事実に打ちひしがれていた。
「そのような事態がまた起こっては困るのでな。教団は徹底的にタトリン家を調査した。すると、どういうことだ? 貴様の両親は多額の借金を繰り返しては返済している。到底、貴様たちの給与では賄えきれない額を」
「――ぁ」
アニスはすべてを察した。
非難と罵倒を向けられている理由を。
がくがくと膝を笑わしながら、アニスは周囲を見回して、それでもなんとか自分を助けるための言葉を探し出そうとする。
「ぁ、あたし、ちがうんです! モース様があたしのこと可哀想だって! パパとママのせいで、あたしが苦労してたから、だから、借金を肩代わりしてくれるって! そのお金がどこから出てるかなんて知らなかったんです!」
「……アニスちゃん、あなた……」
アニスの母、パメラは口を両手で覆った。父オリバーはパメラの肩を抱いて、アニスを見つめる。
「――なんでそんな目であたしを見るの!? パパとママのせいじゃん! パパとママが借金をするから、あたしまで借金取りに追いかけられて、怖い目に遭ったんだから! だから、そのせいで……!」
「それならそうと言ってくれればよかったじゃない……! 私たちだって、アニスちゃんがそんな目に遭っていると知ったら、ちゃんと考えたわ。それなのに……モース様に借金を肩代わりしてもらって、イオン様のスパイなんかしてたなんて……」
パメラが俯いて泣いてしまう。オリバーはやさしく抱き締めて慰めるが、パメラは泣き止まなかった。自分のせいで母が泣いている。罪悪感に動揺し、アニスは言葉が出てこなくなった。オリバーはアニスを悲しげに、苛立たしげに見た。
「……もとを正せば僕達が悪かったんだ。でも、アニスは僕達の子供だろう。そんなスパイなんてことをする前に、僕達に相談してくれればよかったのに。犯罪行為だと知りながら、それをすることを選んだのはアニス自身だろう? 軍人として働いている君は立派な社会人だ。その行動と決断の責任を取るのは、アニス自身だ。僕たちを理由にしてはいけないことだよ」
アニスは腹の底から込み上げる怒りを吐き出した。
「――っだって!! パパとママのせいじゃない! あたしがモースのスパイになんかなったのも! イオン様が亡くなったのも! 全部、全部、全部!! 元をたどれば、パパとママのせいじゃない!!」
「アニス!」
フローリアンは立ち上がりアニスのもとまで駆け寄ると、その頬を叩いた。
「っなんで叩くの!?」
「アニスが全部オリバーとパメラのせいにするからだよ! たしかに、アニスがモースのスパイになったのは二人のせいかも知れない。でも、それは始まりでしかないんだよ!」
フローリアンはなんでわかんないの、と若草色の双眸に涙を溜めながら訴えた。
「アニスがモースのスパイとして活動することを選んだのは自分だよ! タルタロスの行路を教えたのもアニス自身だ。イオンが死ぬ可能性に気付きながら、そうなるように行動したのもアニスだ! そうしたくないなら、助けてって言えばよかったじゃないか! そうしなかったのはアニスなのに、しなかった理由を両親のせいにするのは都合が良すぎるよ!」
「――何も知らないくせに説教しないでよ!!」
アニスはフローリアンの頬を叩き返した。フローリアンは呆然と立ち尽くす。
「なによ……さっきから、好き勝手なこといってんのはアンタたちの方じゃない……! あたしが犯罪行為をすることを選んだ? あんた達に何がわかるの!? あたしがどういう気持ちで犯罪をしたのか想像した!? そうしなきゃ生きていけなかったのに、一度もそんな惨めな思いを味わったことがないアンタたちにも、あたしに頼って借金繰り返してきたパパとママにも説教なんてされる筋合いないんだから!」
アニスはぐるりと周囲を見回した。呆然と、固い表情でこちらを見つめる人々の顔をじっくりと見つめる。取り分け、両親を見る彼女の眼は鋭く血走っていた。
「お人好しのパパとママが借金取りに追われてるのに今まで生きてこれたのは、モースとあたしのおかげでしょ!?」
「ア、アニスちゃん……」
「他人に親切にして偽善ぶって、そのせいで惨めな思いをしてる子供のことなんかをちっとも顧みてくれなかった。あたしのこと守ってくれなかったくせに! こんな時ばかり親ぶって説教なんかしないでよ!」
アニスは両親のもとへ向かう。フローリアンが止めようとするが、アニスに敵のように見つめられて、その手を落とす。両親は近付いてくる我が子を悪魔を見るような目で見ていた。
「言ってくれたらよかったっていったよね、ママ。あたしが言ったらなにか変わった? 借金を増やすこともなく、預言を妄信することもなく、きちんと働いて借金を返済してふつうの人みたいに生活できた?」
オリバーに庇われていたパメラは青褪めて震える。
「あ、アニスちゃん……」
「できないよね。できたら、そもそもこんなことになってないもんね!?」
オリバーもパメラも顔色をなくした。言葉に詰まり、何も言えない。黙り込む両親に、アニスは失望を眼に宿す。
「パパとママはいいよ。自分達で決めたせいで貧しい思いをしてるんだもん。でもあたしは? パパとママのせいで、なんであたしまで貧しくてひもじい思いをしなくちゃいけないの? パパとママの子供だから、あたしが一生懸命働いて手に入れたお金をパパとママの借金の返済に充てるのも当然で、そのせいでご飯だって満足に食べれないのも当然なの? 借金取りに追い回されて怖い思いをするのも当然だっていうの? あたしだって本当はスパイなんてしたくなかった! でもしょうがないじゃない! あたしがふつうに生活するためには、それしか方法がなかったんだから!」
子を持つ親たちが一斉に目を吊り上げた。両親の借金癖のせいでどれほどアニスが我慢を強いられてきたのか、彼らは知ってしまった。スパイを自白したアニスに同情を寄せる者までいた。
「それともなに? ……パパとママを見捨ててればよかった? ――それができないから、こうなってるんじゃない!!」
アニスの両親は真っ青な顔で魚のように口をぱくつかせた。
フローリアンはくしゃりと顔を歪めて力なくアニスの名前を呟いた。
アニスが両親を見捨てていればこんなことにはなってなかっただろう。両親を見捨てられなかったからこそ、生きていくために犯罪を犯すしかなかった。誰も救いの手を差し伸べてくれなかったから。いや、一度救いの手を差し伸べたモースがスパイの要求をしたせいなのかも知れない。だが、その一度で充分だったのだろう。両親が騙される姿を見続けたアニスにとっては、赤の他人など信用できるものではなかったのだ。
泣きそうに顔を歪め、それでも泣かずにいるアニスの姿を見て。子を持つ大人たちは、弟妹の姿に重ねた者たちは、一様にやるせなさに溜息を吐いた。
アニスはもういいよ、と失望に身を任せて告解した。
「……あたしはモースのスパイでした。理由は、モースに両親の多額の借金の返済を肩代わりしてもらい、その代償にスパイの話を持ちかけられたからです。モースにタルタロスの行路を教え、イオン様の動向を逐一教えていました」
アニスの力ない声がスパイになった経緯を説明する。
居揃うダアトの重鎮達は眉を顰め、「アニス・タトリンを逮捕する」と告げた。命令を受けて神託の盾騎士団兵がアニスを包囲し連行する。
アニスは無気力状態で連行されながら、最期にフローリアンと両親を見た。
フローリアンは傷ついた表情で黙って見送るしかなかった。両親はアニスを見つめたまま、青褪めている。何も言う気は起きず、アニスはそのまま視線を逸らして歩き始めた。背を向けて出て行くアニスに両親も言葉をかけられなかった。
ドアが閉まる音が室内に落ちる。
しばらく誰もしゃべることができなかった。
詠師の一人がアニスの両親に向かって話しかけた。
「……オリバー、パメラ。何か言うことはあるか?」
「……いえ、ありません」
オリバーとパメラは俯きながら応える。
「……そうか。他人にかける情はあっても、娘にかける情はなかったか」
「……それ、どういう意味です?」
弾かれたように面をあげて、オリバーは問う。
「私達はアニスちゃんを大事に育てていました。それなのにあの子は親に内緒でこんなことを……たしかに親である私達にも責任があるのでしょう。ですが、結局はあの子が選んだことなのです」
「選ぶ? 自分達の負債を娘に背負わせておいて、選ぶも何もないだろう。アニス・タトリンは生きるために、伸ばされた手を掴んだだけだ。その手がモースだったから、恩を返すために、結果的に犯罪行為を犯した」
「アニスに同情するのですか?」
アニスの両親から向けられた不満げな眼に、フローリアン以外の誰もが溜息を落とした。フローリアンは二人を凝視したまま悲しそうに俯いた。
自分達の苦労を背負わせておいて、娘に感謝も謝罪もない。アニスの両親は自分達のせいで娘の人生を歪めた自覚がなかった。
「……タトリン夫妻から、フローリアンの親権を取り上げる」
「え?」
「な、なぜですか!?」
慌てる素振りを見せる二人に、詠師は不快そうに言い捨てた。
「此度の一件で、タトリン夫妻にフローリアンの養育は任せられないと判断した。フローリアンは教団が改めて引き取る。ついてはフローリアンの養育費は全額停止、アニス・タトリンがスパイ中に受け取った給与、褒章は今回の一件で受け取る資格がないことが判明したため即時返還してもらう。モースが貴様たちの借金返済に使った金だが、教団の運営費から賄われているため、そちらも併せて返還してもらおう」
「そんな! 無理です、そんなお金はどこにも……」
パメラは悲鳴をあげた。オリバーも絶句している。アニスが捕まった時よりも大きな反応を見せる二人に、彼女たちの胸中が透けて見えるようだった。
侮蔑の視線を送る一同の眼にも気付かず、二人は今後の生活を思い苦悩していた。
今まで大詠師モースが肩代わりしていた借金がいきなり我が身に降り注いだことで、彼らは自分達がどれほどの借金を背負ってきたのか理解することになるだろう。一度や二度の借金は小額かもしれないが、利子を含めて併せれば庶民では到底返しきれない金額になる。その苦をこれまで味わってきたのはアニスだ。両親を見捨てずにいた娘の慈悲を、娘を悪にすることで同情を買おうとした彼らは思い知ることになる。
その先に、待ち受けているものは何なのか。両親の借金苦による死か、両親にとうとう愛想をつかせた娘からの離別か――何にせよ、タトリン一家の未来には光は見当たらない。
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