「悲しんでいても、何も始まらないのよ…」



痛ましい声音で告げたティアは、自身に向けられた二つの鋭い視線に気付かぬまま、華奢な背を向けた。機関室へ向かおうとするティアのか弱げな背中を見送り、ガイが痛ましそうに眉根を寄せて同情の響きをもって呟く。



「ティアだって、本当は泣きたいはずだよ。爺さんたちを殺したのは、ティアの兄貴なんだから…」



ティアの無神経な言動に驚愕のあまり絶句していたルークは、幼馴染が発した言葉を信じられない想いで聞いていた。


(なに、言ってんだよ)



――正気かよ。怒りのあまりに目が暗む、というのはこの事を言うのか。頭の中が白濁して、何も考えられない。呆然と突っ立つルークの傍で、ガイと同じようにティアの背中を気遣わしげに見送ったナタリアが、優しい口調でルークに言葉をかけた。



「ルーク、今のガイの言葉を聞いてましたでしょう? 早くティアを追い駆けて、彼女を慰めてあげて下さいませ。ティアは強がっていましたけど…今頃、きっと泣いているはずですわ」



ティアを慰めてやれ、と口にしてみせるナタリアは、ルーク達に背を向けて立つノエルの存在を忘れきっているようだった。筋肉がついて尚も細いノエルの両足は震えて、今にも崩れ落ちてしまいそうなのに。



「…ああ、そうだな。…ナタリアの言うとおりだ。ルーク、お前ティアが好きなんだろう? 追い駆けて、慰めてやれよ。…きっと、ティアもお前のことを待ってる」



早く行け、と促すガイの言動に、とうとう耐えられなくなったのは、誰が先だったか。ノエルを背に庇うように立っていたアニスは、憤怒のあまり掠れた声でガイとナタリアを怒鳴った。



「――ふざけないでよ…! ティアが強がって、泣いている? だから何なの!?」
「な…っ」



アニスの怒り様は凄まじく、彼女の言動に腹を立てたガイとナタリアが口を挟もうにも、アニスはそれを許さずにまくし立てた。



「ティアが泣く羽目になってたからってなに!? 加害者の妹が泣いたからってなんなのよ! 加害者の妹が哀しみを堪えているようなフリしたって、だから何なのよ。同情でもしろって言うの? 可哀想だって慰めてやればいいわけ? ティアなんか、ちっとも可哀想なんかじゃないじゃん! 被害者面ぶって……イエモンさんたちが、あたし達のために犠牲になったって言うのに、それを“落ち込んでいる暇”なんて言葉で片付けて……イエモンさんたちの犠牲を悼む時間が、暇だっていうの!?」



殺された、という直截的な言葉を使うのではなく、犠牲を悼むという言い方をしたアニスは怒鳴り散らしながらも、ノエルに対する思いやりを忘れていなかったのだろう。
ガイとナタリアはしどろもどろに、それでもティアを庇った。



「そんなこと言うなんて、いくらなんでも口が過ぎるぞアニス! 被害者ぶってって…兄の仕出かした事の大きさに震えているティアは、間違いなく被害者じゃないか。可哀想じゃないなんて、どうしてそんな酷いことを言えるんだ。それに、ティアは落ち込んでる暇なんて言い方したけど…あれは、心に余裕がなくてあんな言い方をしちゃっただけだろう。誰だって、自分の兄貴がたくさんの人を殺したら…心に余裕なんて無くなるさ」
「そう…ですわね。わたくしもティアの立場であるのなら、とてもではありませんが、余裕なんて持てませんわ…」



意見が合致したガイとナタリアは、ティアの事を思い、沈痛な面持ちをした。



「だから、ルーク。今すぐティアの元に、」



ルークは自分達と同様に、ティアを思って悲哀に満ちた表情をしているだろう。盲目なほどに心底そう思い込んでいたガイは、ルークに視線を向けて――表情を強張らせた。



「ル、ルーク…?」



ガイの視線の先に佇むルークは、ガイが一度も見たことのない表情をしていた。
ルークの育て親を自負するガイは、ルークの何もかもを知っていた。怒った表情や、泣き面、得意げに笑う様子や、退屈なときに浮かべる虚ろな表情など……ルークの全部を知った気になっていた。――けれど。


こんな、表情は見たことがない。
負の感情を露骨に浮かべたルークなど、ガイは知らない。
無意識にガイは、一歩、後退した。



「なぁ、ガイ。…ガイがさ、ティアを庇うのはガイの自由だよ。でも…」
「ルーク…」
「ティアを庇うとき、ノエルの気持ち考えた?」
「え――」
「ノエルの気持ちを考えた上で、そんなことを言えるのかよ。ガイ…」



ルークの言葉には、ガイに対する失望が滲んでいた。
まさかルークにこんな言葉をぶつけられるとは思いもよらず、がつん、と石で思い切り殴打されたような、激しい衝撃と痛みがガイの頭に襲いかかった。


ティアを庇ったとき、ノエルのことなんてガイの頭の中には無かった。
顔馴染みであるヴァンの妹が可哀想で、身内が犯した犯罪に哀しむティアのその姿に、もし自分がティアの立場であったなら、さぞかし辛いだろうと彼女に同情した。同情する事が決して悪いわけではない。
ただティアに同情するよりも、本来であれば、もっとそう、ガイが気に掛ける人がいたのではないか――例えば、ガイと似た境遇を味わってしまった、ノエルを――ガイの顔色から、血の気が引く。



「―――――!」



アニスとルークがどうして怒ったのか。理解したガイは、厚い掌で口元を覆った。



――己はなんて馬鹿なことを自分は言ったのだろうか! 



被害者の遺族がいる目と鼻の先で、加害者の身内を庇った。それがどんなに被害者の心を傷つけるのか、少なくともノエルと似た境遇を経験したガイは気付かないといけなかったのに。ガイは全身を震わせて、自分が言った言葉の大きさと重さに打ちひしがれる。
ノエルとも、ルークとも視線を合わせる事が出来ず、視線を落としてガイを、ナタリアは心配した。



「ガイ!? いったいどうなさいましたの? 酷く青褪めて……」
「大丈夫だ。俺は…大丈夫だ」



蒼白した顔色でそんなことを言われても、とてもではないが大丈夫そうに見えない。
ナタリアは、ルークの言葉でガイが傷ついたのだと思い、ルークに非難の目を向けた。ルークは黙り込んだまま何も言わない。代わりに、鬱憤を吐き出してすこし落ち着いたアニスが言葉を紡いだ。



「ナタリアはさ…ティアを庇ったけど、ノエルのことはどうでもいいの?」
「どうでもいいなんてそんな。ノエルはわたくしたちの大切な仲間ですわ!」
「それならさ、もうちょっと物を考えて言った方が良いよ」
「! まるでわたくしが物を考えてないような言い方ですわね…」



アニスの言い様に腹を立てたナタリアは、ムッと顔を顰めた。



「だってそうじゃん。ここで蒸し返すことじゃないけどさ、約束を交わした“ルーク”がアッシュだって気付いたとき、掌を返すようにアッシュのことをルークだって言ったじゃん。あのとき、ナタリアは自分の気持ちでいっぱいだったけど、その後もルークに対して酷いこと言ってた自覚ないでしょ?」
「………わたくしは…」



約束を交わしたルークがアッシュだと知れて、ナタリアはルークを偽物呼ばわりしてしまった。悪気は無かった。それでルークが傷つくとは思わなかった。――傷つくとは、考えもしなかった。あのときナタリアが見えていたのは、アッシュと約束を交わした七年前の思い出だけだったのだから。それがどんなに残酷なことだったのか。
ようやく気付いたナタリアは、言葉も無く、悄然と項垂れた。


黙り込んだガイとナタリアの顔色は紙のように白い。
気まずげな雰囲気がその場を満たす。ルークはノエルに近寄り、そっと彼女の肩を掴む。俯けていた顔をあげたノエルは、今にも泣きそうな顔で、それでも心配をかけないように笑おうとして、失敗して歪な顔をしていた。その表情は、お世辞にも可愛いとは言えない。
ノエルの名前を呼ぼうと口を開きかけたルークだったが、二つの靴音に止められた。



「いったい何事ですか」



いつまで経っても現れないルーク達を怪訝に思ったのか、ジェイドが姿を見せた。
ルーク達の表情を一瞥したジェイドは、すぐになるほど、と納得したかのように頷いた。
そしてジェイドが何かを言いかけるが、それは彼のあとに続いたティアの言葉によって掻き消された。



「…まだこんなところで油を売っていたの。――悲しんでいても何も始まらないわ。そうでしょう? 落ち込んでる暇なんかないわ。私達ができることを精いっぱい、イエモンさんたちの分まで頑張りましょう」



皆を奮起づけるべく、ティアが放った言動。そこには悪気はもちろん、悪意だって欠片も存在していない。一行はそのことをきちんと理解している。けれど、心が納得できるかは別問題なのだ。ティアが発した今の言動は、無神経といわれる類の言葉だった。

アニスが、ナタリアが、ガイが、信じられないとティアを凝視する。ジェイドはフレーム越しの赤い双眸を呆れたように細めて、ノエルは辛そうに唇を噛みしめた。


「…ぅ…っ」
「ノエル!」


最早立つこともままならないと、ノエルの両膝から力が抜ける。ルークは咄嗟にノエルを抱き締めた。
ノエルの大きな双眸からこぼれ落ちた涙が、なだらかの頬を伝いつぎつぎに落ちてゆく。必死に唇を噛みしめて嗚咽を堪えるノエルに、ルークはやるせない気持ちでいっぱいになった。
ルークの脳裏にイエモン達の顔が浮かぶ。彼らはとても優しい人達だった。世界を未曾有の危機に陥れようとしているヴァンを止めるべく、奔走するルーク達に惜しみない協力をしてくれて、そのせいで犠牲になってしまった。
ルーク達が協力を頼まなければ、あるいはヴァンたちがシェリダンに乗り込んでこなければ。ノエルの祖父であるイエモンたちは犠牲にならずに済んで、人生をまっとう出来たかも知れない。


(俺たちがノエルのお爺さんたちを…イエモンさんたちを犠牲にさせた…。俺たちがいなければ、犠牲にならずに済んだかも知れないのに――!)


悲しんでいても何も始まらない。
落ち込んでる暇はない。
ティアだって、本当は泣きたいはず――。
彼らの犠牲を悼まないような発言をするティアを、ルークは許せはしない。


『ノエルを頼みます、ルークさん』


イエモンの顔が、ちらつく。
真摯にノエルのことを頼んだイエモンの顔を、ルークは生涯忘れることなんて出来ないだろう。あのとき答えることが出来なかった言葉を、胸中でルークはひっそりと呟いた。


(…任せてください、イエモンさん。俺が、ノエルを傷つける相手からずっと、守りますから――)


だからどうか。――やすらかに、眠れますように。
そうやって祈ることしか、ルークには出来ない。
ノエルを抱き締めたルークは、これ以上彼女がティアの言動に傷つけられないように力強く抱き締めた。
そんなルークを見ていたティアは、傷ついた表情をした。


「ルーク…」


傷ついたことを隠しもせずに、切なそうにルークの名前を呼ぶティアは、いったいルークに何を期待しているのか。
ルークはノエルからゆっくりと視線をあげて、ティアに向ける。敵意が剥き出しになった翡翠色の双眸は鋭く、それだけで人を殺すことが出来そうな眼差しだった。
好きな人からそんな眼を向けられたティアは、ハッと息を飲んだ。


「ティア、お前――最低だ」


ルークはそう言い捨てて、ノエルを連れて、何処かへと行ってしまう。
その背を追うことは、ティアには可能だった。けれど、背中を向ける前に、ルークが見せた敵意が剥き出しになった表情を思い出すと、追うことなんてとてもではないが、出来そうになかった。ルークの姿が見えなくなるまで、ティアの蒼い双眸はルークの姿を追う。ルークの姿が見えなくなったとき、ティアは消沈した声で「どうして」と呟いた。



「どうしてわかってくれないの…ルーク」



私だって、辛いのよ。――そう言うかのようなティアの言葉に、ジェイドは溜息を吐いた。
わかっていないのは、ティアの方だ。自分が一番の被害者だと思い込んで、同情を誘うかのような顔をして。自分以上の被害者がいないとでも思っているのだろうか。だとしたら、呆れ果てて言葉も出ない。



「わかっていないのは、貴方のほうでしょう…」
「え?」
「何でもありませんよ」



今までは、ティアが辛そうな顔をしたらルークがガイやナタリアに言われて慰めていただろうが。
もうガイやナタリアが、ティアを気遣えと言うことはなくなるだろう。それほどまでに、先程のティアの言動は無神経だった。
それに…もし仮に、ガイやナタリアが、ルークに再び気遣うように進言しても、ルークは決して彼女達の都合の良いように動くことは無いだろう。


ルークにとって大切なのはティアではなく、ノエルだと。
――ルークは気付いたのだから。





End
断罪でも制裁でもなく、こういう形になりました。原作を踏まえたうえでルクノエ要素を強く、そしてティアに厳しく、と考えていたらこんな感じの話になりました。いつか機会があればこの設定でルクノエとPMの番外編でも書きあげたいと思ってます。読破ありがとうございました。
(2010.05.19)
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