【8】
季節が三度巡り、春。
ルークが次期国王に、アッシュが次期公爵に内定した。
インゴベルトの治世は終わりを迎え、シュザンヌがその後を引き継いだ。とは言え、シュザンヌは王になるべく育てられた女ではなかった。シュザンヌは政治への参政を極力控え、結果、議会を中心に政が回っている。
シュザンヌによる治世は一時的なものだとわかっているため、貴族達は次代の教育に余念がない。中でも、次期国王になるルークと、その右腕として国を支えることになるアッシュの教育は厳しいものだった。二人はまだ勉学中の身ながらも参政する機会を与えられ、意見が窺われることも多くなっていた。
ヴァン率いるローレライ教団神託の盾騎士団は、三国連盟による合同軍により押し潰された。ヴァンの首級を取ったのはセシル少将だったという。戦功により、セシル少将は家の再興が許され、彼女は釣り書きの中から一人選び早々に結婚した。セシル家は軍人家系のため、セシル少将が軍を退役することはなく、婿入りの夫が家を回している。アスラン・フリングスという婚約者を亡くした傷は癒えることなく、のちにセシル少将は自分には過ぎる婚約者だったのだと語った。
旅の途中で別れたノエルもギンジも元気そうで、シェリダンでは旅で腕が鍛え上げられた二人を中心に、航空飛行のパイロットを養成しようという話になっている。
まだまだ飛行機体の数は少ないが着実に数を増やしているため、そのうち国中で見かけられるようになるかも知れない。航空事業はキムラスカ王国の新たな事業になりそうだ。国がいち早く航空事業の支援を決めたが、そのおこぼれに預かろうといくつかの貴族が支援に名乗りを挙げている。
またキムラスカ王国軍は航空飛行に目をつけ、空軍の増設を検討中である。マルクト、ダアトの警戒を悪戯に煽るものとして反対意見が出ているが、このまま航空事業を進めるなら空軍の増設もやむ終えないだろう。のちに制空権を巡りマルクト帝国、ダアトとの衝突が予想されたが、その辺は政治家の腕の見せ所というやつだ。将来政治家として生きるルークとしては頭が痛い話ではある。
「……問題ないですね」
ルークの健康診断は問題なく行われた。
マルクト帝国より出向したジェイド・カーティスは軍服を脱ぎ、白衣を着用するようになっていた。
次期国王に内定したルークは王子の名を冠するようになっていた。王位継承権第一位。レプリカの身で過ぎたる地位だと本人は口にしていたが、その身に流れる血と、功績が彼の地位を磐石のものに仕立て上げた。
王城に居を移したルークにあわせ、ジェイドはマルクト帝国軍客人医師としてバチカル城に迎え入れられた。現在は、王城で毎日ルークの体調を診るかたわら、レプリカ研究をしている。そのためにジェイド専用の研究室が与えられ、ダアトから送り込まれたディストと共に日夜研究に励んでいる。
「よかった」
いつものことだが、医師に太鼓判を押されてルークの頬は緩む。ジェイドは手馴れた様子で診断書を作成して、再び向き合った。
「目の下に隈がありますよ」
「ああ……昨夜は寝るのが遅かったから。なかなか仕事が片付かなくて」
「仕事、ですか」
「ああ。って、なんだよ。その含み笑い」
「いえいえ、三年前のルーク様を知っている身として、あなたの口から仕事という言葉を聞く日が来るとは思いもしなかったので」
「相変わらず失礼なやつだな……。へえへえ、どーせあの頃の俺は馬鹿でしたよ!」
ルークは顔をしかめて椅子から立ち上がる。ジェイドはくつくつと笑う。
「とんでもない。あの頃のあなたは、背伸びして精一杯生きていた。知識不足は否めませんでしたが、それも年齢を考えれば相応だった。レプリカだと知った後も、そのことに思い至らなかった私たちこそ、愚かだったのでしょう。……あなたは馬鹿ではありませんよ」
「……言葉に困るな」
「素直ですね」
困ったように笑うルークに、ジェイドは釣られて笑った。こんな日常が訪れるなど、想像さえしていなかっただろう。特に、ルークは。
「……大爆発現象ですが、現状を踏まえると発生率は限りなく低いと考えてもかまいません。もとより、大爆発現象は特殊な条件が重なって発生するものです。それだとて必ずしも発生するとは断言できない。あなたの場合はフォンスロットを開いたことで、体内にある音素が乱れやすい傾向にありましたから、フォンスロットを閉じて超振動の使用を控えれば、大爆発現象が起こることはまずないでしょう」
ルークとアッシュのフォンスロットは大爆発現象を回避するために閉じた。便利連絡網と称された回線が閉じたことで、一時的に体内の音素が乱れたが、今はもう問題ない。
「あとは音素乖離ですが……カプセルは毎日服用してますか?」
「ああ、朝昼晩、毎日飲んでるよ」
ルークはポケットから薬箱を取り出す。片手に収まる大きさの箱だ。箱の中には黄色のカプセルが二日分は最低でも入っている。毎日飲んでいることを確認するために、薬は一日分と、万が一を含めた予備の分のみ入れられている。
カプセルの正体は音素を含有する作物から抽出した成分で作られている。ルークとアッシュの体内から消失した音素をすこしでも取り戻すためにジェイドが作ったものだった。二人が音素乖離で失った音素は、体が維持できなくなるほど膨大な量だ。不足分を補うために膨大な量の第七音素を取り込む必要があったが、なくなった分の第七音素をいきなり体内に押し込んだらどうなるかわからない。そこでジェイドはすこしずつ第七音素を取り戻す方法を選んだ。時間はかかるが、二人の負担は少なく済んでいる。
「イヤリングは問題ありませんか?」
「ああ、問題ないよ」
ルークとアッシュの両耳についているイヤリングは、譜業技術の結晶といえるものだった。大部分は金でつくられているが、中央は黒色の石があしらわれている。その石は音素を吸収する石だ。これまで無価値とされて捨てられた石だったが、人伝に石の話を聞いたディストが利用することを思いついた。
ローレライの鍵のように、ルークの体から乖離した第七音素を収集する役割を石に見出したのだ。石は音素を吸収すると色が変化する。ディストは、石が二人の音素のみを吸収するように譜業で調整した。音素を吸収する前は鉛色だが、吸収すると緑色に変化する。石が吸収したルークの音素は石のサイズに合わせて圧縮され、専用の譜業で取り出すことができる。取り出した音素は、――事前に献血していた――ルークの血液に溶かして彼自身に輸血して、再び体内に取り込むのだ。
手間がかかるが、今のところ音素乖離を回避する方法はこれしかないのだから仕方ない。アッシュの方が音素乖離の進行は早く――レムの塔の前にはすでに音素乖離が始まっていたという――ルークの方が治療は先に済みそうだ。とは言え、年単位でかかるのは言うまでもない。時折、治療中の副作用でアッシュがぐったりしてるそうだが、ルークの前では弱味を見せないようにしているのかそんな場面に出くわしたことはなかった。
「何か気になることがあったら、私かディストにすぐに相談してください」
「ああ、わかった」
「無理をせず、お大事に」
ジェイドの言葉に、ルークは苦笑を返して医務室を出た。
陽が差す長方形の廊下を戻ると、途中でアッシュとすれ違った。アッシュもこれからジェイドの診断を受けることになっているのだ。特に用事もないので、互いに片手をあげて軽い挨拶に留めて、離れる。一歩、二歩と歩いたところで、ルークはなんとなく振り向いた。
アッシュの背中はすこしだけ草臥れていた。
足取りは重そうだが、背筋はぴんと伸びていた。アッシュは何かに急かされるように日々を忙しく過ごしている。多忙なのはルークも変わりないが、アッシュの場合はすこし、ちがう。
ナタリアの処分を委ねられて、その事実から逃れるように日々を忙しく過ごしている。
アッシュの立場は微妙なものだった。祖国の軍港を襲撃し、守るべき国民を死に追いやった犯罪者でありながら、一方では世界を救った英雄でもある。レムの塔で成した障気中和の功績は、ルークだけでなく、アッシュのものでもあった。国の犯罪者だが、世界の英雄という立場から、厳しい視線に晒されている彼は非常に難しい立場にあった。
そこで、アッシュに与えられた課題が、ナタリアの処分だった。
ナタリアは王家を謀った乳母の娘であり、王の命令に背いた娘だ。偽姫であることが知られた今、彼女の身をどう扱うか。度々議論の対象になっていた問題だが、ナタリアとアッシュが互いに好意を抱いている事実がどこからか暴かれて、アッシュに問題が丸投げされた。貴族達が納得する適正な処分を、ナタリアにくだすよう求められているのだ。
ナタリアという試金石の扱いによって、アッシュの今後が決まる。ナタリアに温情をかけて針の筵を選ぶか、切り捨てて国のために身を尽くすか。どちらを選んでも想像以上の困難が待ち構えているだろうが、選び取る道次第では光が射すだろう。
ルークはもう選んだ。国のため、世界のために身を尽くすことを。そのために何を犠牲にしたのかを。選んだ結果が、キムラスカの王位継承権第一位だった。アッシュの背が、医務室に吸い込まれていくのをどこか悄然とした眼で見送り、ルークは再び歩き出した。
かつて、一緒に旅をした仲間たちは、意図的に人生の岐路を変えられた。
アニスはマルクトに引き渡されて終身刑に。スパイ罪に加えて、タルタロス襲撃の幇助罪もあり死刑相当の罪だったが、彼女の家庭環境と事情を鑑みて刑が軽くなった。終身刑だが、今後恩赦が与えられる可能性もある。だが、恩赦が与えられたところで、アニスはもう家に帰ることはないのだろう。アニスは両親から届いた手紙を一度読み、その後はすべて無視しているという。
ルークが調べたところ、アニスは模範囚として暮らし、タトリン夫妻は困窮しているらしい。アニスが逮捕された当初こそ、娘に罪を償ってほしいと涙ながらに訴えて慎ましく暮らしていたが、今では生活に困窮して痩せ細っているという。
教団が肩代わりした借金が教団員、信者たちに知れ渡り、白い目で見られていることも影響しているのだろう。氷柱のような目で見られているタトリン夫妻はダアトから出て行こうとしたが、借金返済をしないうちはそれも許されない。周囲の眼がタトリン夫妻の監視を担い、彼らは新たに借金をせずに済んでいるのだが、教団の借金を返済するために身を粉にして働かなければならなかった。日々を安穏に暮らしていたタトリン夫妻にとっては、その状況は過酷というほかなく、アニスがいた生活に戻れればと思い、たびたび手紙を送っているようだ。娘可愛さというよりも、娘を犠牲にした甘い生活が恋しいのだろう。彼らは他人には優しくできるが、娘には優しくできなかった。子供を守るために身を粉にする親もいれば、子供を犠牲にする親もいる。タトリン夫妻は後者だった。
アニスはそれを理解して、両親の手紙を読まなくなった。
教団に引き取られたフローリアンはアニスとタトリン夫妻を心配して、一度タトリン夫妻の様子を窺いに行ったようで、夫妻に縋られたらしい。助けてと。ほんのしばらく与っていたフローリアンに対してそんな態度を見せるのだ。どれほど追い込まれているのかわかる。フローリアンの現保護者はそれを知りタトリン夫妻を手ひどく追い払ったのは言うまでもなかった。フローリアンはタトリン夫妻とアニスの現状を思い鬱々としていたが、現保護者の教育により、自分達と同年代の子供や他の大人たちと接するうちに変わっていったという。消化しきれない思いを抱えて生きていくことに決めたらしく、運動神経の良さを見込まれて、神託の盾騎士団に入団した。現在は訓練生として過ごしている。
ナタリアは退位したインゴベルトと共に、今も離宮に留まっている。
公的権力を失い、王女の役目からおろされた彼女は今や庶民だ。本来であれば城を離れるべきなのだが、前王が庇い、本人も父から離れたくないといっているため離宮に留め置かれている。しかしこのままではいられない。インゴベルトはともかく、ナタリアは王家とは無関係なのだ。インゴベルト亡きあと身の置き場に困ることは言うまでもない。
王の交代劇や、王、王女の公務の引継ぎでいろいろ手間取っていたため保留となっていたが、そろそろナタリアの処分を決めなければならないだろう。アッシュの決断次第でナタリアの明暗が決まる。
ガイの行方は知れていない。マルクト帝国に戻ったあと、忽然とペールと共に姿を消した。ガイが姿を消す理由も、ガイが処分される可能性も、今のルークには思い当たる。だから、ルークはガイの行方を追わなかった。ガイが生きている確証は何もない。
生きているならばソレでいい。しかし、もしそうでなかったら。処分されていたら、パンドラの箱を開けてしまうことになる。そのあとに導き出されるのは、マルクト帝国との不信だ。その不信が国交を悪化させてしまうかもしれない。
ガイ一人のために、マルクト帝国との関係を崩す真似などできるはずがなかった。
ピオニー陛下は世界平和のために、ジェイドを差し出したのだから。
ルークはピオニー陛下のように上手くやれそうになかった。ピオニー陛下はジェイドを人身御供のように差し出してみせたが、同時に彼の命と尊厳を守り、国すら守ってみせたのだ。
だというのに、ルークは。
キムラスカ王国とダアトの関係を悪化させないように、公爵家襲撃犯のティアを差し出すしかなかった。
ティアがどんな目に遭っているのか。ルークは知っている。正しくいえば、ルークがそうなるように仕向けたのだ。
キムラスカ王族の血筋は尊ぶべきもの。
それを蔑ろにする者、仇なす者には然るべき報責を。
あの日、インゴベルト国王の治世に意を唱えた貴族たちは皆一様に声をそろえた。
貴族は互いの利益を重視しながらも、根幹はキムラスカ王家の忠臣というべき存在だった。キムラスカの王権制度を軽視するインゴベルトに鉄槌をくだした貴族会は、次期国王となるルークに王権制度の重要性と必要性を説いた。
創世歴時代から今に続くまで、キムラスカ王国は生まれは消えていく国々の中で必死に生き延びてきた。テリピヌシュ4世が王権制度を生み出すまで、王族同士で争い、それにより貴族も国民も犠牲になった。テリピヌシュ4世も、息子を亡くしたという。
そうして生み出された王権制度は、移りゆく時代の中では良いように作用した。
王権制度のおかげで、国王に絶対的な権力と求心力が集中し、国中が纏まった。貴族達の王位争いは凄惨を極めていたが、王権制度のおかげで国内は徐々に平定し、他国に目を向ける余裕が生まれ、介入される隙を作らなかった。 そうして、一早く時勢を読み取り勝馬に乗り、勝利を重ね、着実に強国となっていったのだ。
それは、一人の国王が生まれて死ぬまででという短い時間のサイクルではなく、何代も何代も代変わりをしながら積み重ねられた時間の中で築き上げられたもの。
王権制度はキムラスカ王国の根幹を作り上げたものだ。
王族に不敬を働いた者には、断固たる対応を取らなければならない。
そうでなければ、王権制度に皹が入り、王家に不信を覚えた貴族たちによる内戦が始まる。
それを制御できるのは、国王ただ一人。
国王は途轍もない重たい責任を両肩に背負うことになる。ルークはあえて選んだ。レプリカというハンデを背負いながら、さらなる荷物を背負うと決めた。
自分が死なせてしまった、アクゼリュスの住民とレプリカ一万人のため。
国内を平定し、世界を平和と秩序を守り、そうしてレプリカの生きる場所を作ろうと思った。
それができるのは、アッシュか、自分ただ一人だけというのだから。選んだ。自分が背負うと。
(アッシュ、おまえはどうする?)
先に答えを出した者として。ルークがアッシュの背を見つめていると、彼は立ち止まった。ぴたりと足を止めたアッシュは振り向く。思いがけず返された強い眼差しに、ルークは安堵する。ルークは口角をゆるりとあげて背を向けた。ゆっくりと歩き出す。
「俺は先に行くよ」
ルークが行く道はいばらが咲く険しい道だ。足裏を血に染めながら突き進む道は、いずれアッシュと重なる。それだけを救いにして、ルークは。
今は独りで、この道を往く。
END.
2016/05/26 完結
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