ルーク・フォン・ファブレ。
グレン・マクガヴァン中将がその名前を見つけたのは、エンゲーブで起きた食料泥棒犯の報告書だった。
まさか本物のキムラスカ王族が食料泥棒などするはずがない。グレンは報告書に書かれた名前を静かな目で見ていた。このマルクト帝国でキムラスカ王族の名前を詐称するなど命知らずの者がいるものだ。マルクト帝国とキムラスカ王国の関係は冷え切っており、国境沿いでは近年小競り合いが勃発するほど悪い。そんな敵国の王族の名前を騙るなど愚かにも程がある。どうせ騙るならば違う名前にしておけば良かったものの。食料泥棒に加えて、身分詐称の罪は重くなるぞ――と呆れた思いでその報告書を他の書類の上に重ねるように置いた。
そのまま無視しようと思ったものの、敵国の王族の名前を名乗る以上、念のために犯人の顔を確認する必要があった。グレンは仕方なくイスから腰を上げて牢屋に向かった。そこで彼はぎょっと目を見開く羽目になった。
(なんと言うことだ)
牢屋の長椅子に座り込んでぼんやりと宙を眺めている少年。彼の特色に博識なグレンは見覚えがあった。
赤髪に緑眼、――敵国キムラスカ王族の象徴だ。
(……まさか本物か?)
冗談だろう。もし本物のキムラスカ王族だとすれば、この状況は――状況が脳に浸透すると同時に、グレンの顔色が青く染まり表情が強張る。牢屋番と、上司の後を追いかけてきた副官は、そんな上司の姿を訝しげに見ていた。
「即刻この方の牢屋の鍵を開けろ!」
「えっ?」
「早くしろ!」
「は、はい!」
グレンの青褪めた表情に驚きながらも、牢屋番は慌てて鉄の鍵で牢屋を開ける。牢屋のドアを開けて、中に足を踏み入れたグレンは衣服が汚れることも気にせずに石畳の床に両膝をついた。
グレンは少年に向かって「恐れ入りますが、ファブレ公爵子息様でしょうか」と硬い声音で尋ねる。
上司の問いに、牢屋番や、グレンの後を追いかけてきたマルクト軍人たちが一様にぎょっと驚いて顔を引き攣らせた。彼らの視線を一つに集めたグレンは否定が返って来るように心の底から願っていたが、願いは虚しくも天に届くことなく、瞬時に消え失せた。
「ああ。オレは、ファブレ公爵家のルーク・フォン・ファブレだ」
ようやく話が通じる奴が来たと安堵に頬を緩ませながら、ルークは大きく頷いた。
つい先日まで食料泥棒の一件に悩まされていた、食料の村エンゲーブ。
事件が解決して、のどかな田園風景が広がる村には平和が戻っていた。鍬や鉈を手に村人たちは農作作業に勤しみ、ブウサギや鶏たちは平和を味わうように村中を闊歩している。
午前中に農作業を粗方終え、農夫たちは食事を持ち寄って一息ついていた。
木陰の下にシートを引いてその上に尻を落ち着かせて、おにぎりや煮物といった食事を味わっている。料理に使われている作物はもちろんエンゲーブ産だ。簡単な料理でも美味しい作物を作る。それはこの村の農夫たちの誇りであると同時に、大事な収入源なのだ。
「食料泥棒が捕まって良かったな」
「本当だ。あのガキ、ついに反省一つしなかったがな。今頃セントビナーでマズイ飯でも食って泣いてんじゃないか?」
「ははは! そりゃいい! あのガキが泣いてる姿を是非一度目にしたいもんだ」
「軍人にたっぷりしぼられて反省してりゃいいんだがな」
食料泥棒は村人たちの誇りを汚し、収入源を奪う犯罪である。食料泥棒犯に対する憎悪は尋常ではなく、村人たちは口々にルークを罵り、一頻り満足すると次の話題に移った。
「なんだ……?」
食事が終わりかけた頃、エンゲーブの村の外にマルクト軍の馬車が数台止まった。馬車から次々と現れたマルクト軍人の姿にエンゲーブの村人はにわかに騒ぎ出す。
「何か起きたのか?」
農夫たちは食事を放り出して腰をあげた。彼らの目の前を通り過ぎ、マルクト軍人達は村長の家を訪れる。顔を見合わせた農夫たちは、野次馬根性に踊らされるままに、ローズの家に向かった。――その先で、無実の人間に冤罪を着せていた事実を突きつけられるとも知らずに。
2013/10/13
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