「…ファブレ公爵。ルークの遺品じゃ」


登城したファブレ公爵を待ち構えていたのは、ルークの日記だった。
インゴベルト国王に手渡されたルークの形見をファブレ公爵は静かな表情で受け取った。
日記は革張りの表紙で、少しばかり手垢がついていた。
三ヶ月分の日々を記録できる日記だ。
親善大使としてルークが任命された折にシュザンヌが贈った日記は、まだ一ヶ月程度しか書かれていない。


二ヶ月分の空白が埋めつくされないまま、この日記は役目を終えた。


「…今日はもう家に戻り、休むと良い」


インゴベルトの言葉にファブレ公爵は頭を深く下げた。


邸に戻ったファブレ公爵は、主人の早い帰りに驚いている家人を無視して、執務室に直行した。
執務室に入り、ドアを閉めると、ドアに背をついた格好で虚ろな翡翠色の眼をそろりと動かしてルークの日記を見下ろす。
――国の繁栄と引き換えに息子の死が詠まれていることを知ったとき、ファブレ公爵の心中は荒れ狂った。
国の繁栄の上に成り立つ、息子の犠牲。
父親として受け入れられずとも、公人として、ファブレ公爵は受け入れられなくてはならなかった。
アクゼリュス崩壊と共に身を滅ぼさないといけない息子――崩壊時に死亡しなかった場合は、国王はルークを殺害するように命令していた。ルークを殺害したのは、インゴベルトが差し向けた暗殺者だった。


「………」


重たい足取りで執務机に歩み寄る。
太陽の光がそっと入り込む大きな窓の傍にある執務机の上に、ルークの日記を丁重に置く。椅子に座ったファブレ公爵は、今や息子の形見となった日記を開いた。すこし雑な字。下手ではないが、上手いとも言えない、字だった。等間隔で書かれていて、字は汚いのに、実は繊細な心を持っているルークの性格が滲んだ文字。


――たまらなかった。


あんまり息子と接する機会は設けなかった。仕事ばかりに明け暮れて、息子の顔を直視したことはそれこそ数えるほどにしかない。それでも、息子がどんな子だったのかファブレ公爵は知っていた。
七年間だ。誘拐されて以来、性格も態度も激変した息子に困惑を覚えながら、それでも七年間過ごしてきた。この邸の中で、誰よりもルークと接する時間が少なかったとしても、七年という歳月はたしかに育まれていた。
すべての記憶を喪失して、邸に軟禁されていたのに、ルークは驚くほど情緒面が豊かだった。嫌なことには不快を露にして、嬉しいと歯を剥き出しにして快活な笑顔を見せる。不貞腐れると眉根を寄せて、すこし顔を俯けて、瞳を曇らせた。
誘拐されて帰還したルークは身なりは十歳ほどの子供でも、赤子のように成長していった。
体が成長するとともに、心も成長していくルークを、何度と無く見かけた。――見かけるだけだった。
どうしてもっと、ルークと接しなかったのだろう。どうして、ルークが犠牲にならなくてはいけなかったのだろう。貴族じゃなければ、貴族としての地位を捨てて、公爵としての地位も名声も捨てて、ルークとシュザンヌと逃亡していれば――ルークは今も笑顔を見せてくれていたかも知れない。あの子の命を喪わせてしまったのは、国と、ファブレ公爵だった。


「…父親、失格だな」


親になるということは、子供が独り立ちするまで、子供の命と未来を背負うことだというのに。
親らしいことなんて、何一つしてやれなかった。
後悔ばかりが、胸を埋め尽くす。


軟禁状態から解けて、外で動き回るルークを見れなかったことがひどく残念だった。
繁栄を詠まれた預言さえなければ、妻の体調が良いときにでも、息子と三人で街を散策できるのにと――そんな、ささやかな夢を抱いていたから。
鳥かごから脱出したルークは、どんな想いを抱いただろう。笑顔ばかりではいられなかっただろう、悔しいことだってたくさんあったはずだ。
そんな思い出さえ話することが出来なかったから、あの子が外でどんな物を見て、どんなことを経験して、どんな思いを抱いたか、気になった。

持ってこれる遺品は、一つのみ。
剣でも、衣服でもない。
提示された条件に、ファブレ公爵が望んだ息子の遺品は、ルークの日記だった。


一ページ、一ページと読み進めていく――。
時を刻む秒針の音だけが、カチコチと部屋に落ちる。
次第にファブレ公爵の眉間には、皺が寄っていった。


「…なんだ、これは」


ルークの遺品となった日記には、親善大使一行の問題点ばかりが書き綴られていた。
息子を亡くしたファブレ公爵の胸中を埋め尽くしていた悲哀が、時を没頭して読み終えた日記によって、憤激に転じたのは、当然の成り行きだった。




・・・




ND2018。
ルグニカ平野にて、パダン平原の戦いと後世に名付けられた戦争が幕をあげた。
開戦理由は――親善大使、ルーク・フォン・ファブレの死だった。


ルークを欠いた一行はいつまでもアクゼリュス付近に留まっていることを良しとせず、パダン平原とルグニカ平野の中間点にあるカイツールの宿屋に泊まっていた。
デオ峠近くの街は、カイツールしかなかったためである。アクゼリュスからカイツールに一行が移る間に、キムラスカはマルクトに宣戦布告をしていた。
パダン平原の戦いが起こることは一行にとっては想定済みだった。
しかし、開戦理由は前回と異なっている。そのことに一行は不安を隠せない。


予想外に早く訪れたアクゼリュス崩壊。
それに加えてルークとミュウを何者かによって殺害された可能性が精神的ショックを一行に与えていたところに、キムラスカとマルクトの開戦理由がルークの死。


「…これから、どうすればいいのかしら」


大部屋に集まった一行は皆、陰鬱な顔で口を閉じていた。
可愛いミュウと愛したルークの死を二度も突きつけられて、項垂れるようにして椅子に座ったティアが重たい口を開いてぽつりとこぼす。


イオンを除いた全員が、前回の旅路を思い出していた。
アクゼリュス崩落後、ナタリアとイオン二人がモースの手引きによってダアトで拘束されて、断髪することによって精神的に成長しはじめたルークと共に助けに行った。
セントビナーにも崩落の危険性があることを知り、魔界に落ちたときに運よく乗れたタルタロスで海を渡るが、マルクトの機雷により故障したタルタロスを修理すべくケテルブルクに向かった。
その後、テオルの森でカースロットにかかったガイがルークに斬りつける騒動が起きるが、何とか一行はグランコクマでピオニー陛下との謁見の末にセントビナーの住民を救助する許可を得て、いろいろあった結果シェリダンでアルビオールを譲り受けてセントビナーの住民を救助したのだった。
魔界にあった第3セフィロトのパッセージリングを操作して、外殻大地に戻るまで、パダン平原の戦いが幕をあげるはずがなかったのに、一行が思っていたよりも早くキムラスカはマルクトに宣戦布告してしまった。


ルークの死を、開戦理由に。


セントビナーが崩落することを知っているのに、魔界に崩落したタルタロスに乗れない以上、一行は海を渡ってマルクトへ向かうことも出来ない。
マルクトとキムラスカの戦争を停止したくとも、前回とは違って開戦理由に読まれていたのは、ルークの死亡だ。王女であるナタリアが戦争停止を呼びかけても、停められない可能性がある。


「このままでは、セントビナーが崩落してしまいますわ! 戦争も停止しなくては…」


全員がわかっていることを、ナタリアは焦燥から吐き出した。
バンとテーブルを叩いて立ち上がったナタリアの様子を見て、ジェイドは眼鏡のブリッジをあげながら「…難しいでしょうね」と告げた。


「何故ですの!?」
「セントビナーの崩落を止めたくても、私たちには止める術がありません。ルークがいなければ、超振動でパッセージリングを操作することが出来ませんから」
「それは…アッシュが協力してくれるはずですわ!」
「何処にいるかわからないアッシュに、どうやって協力を頼めると?」
「っ」


ナタリアは口ごもった。
アッシュが一行に協力し始めたのは、アクゼリュス崩落がきっかけだった。
アクゼリュス崩落の瞬間を身をもって味わっていない一行は魔界に落ちていないため、タルタロスを手に入れることも出来ず、ユリアシティにも行けていない。
ルークがいれば、アニスが名付けた便利連絡網を介してアッシュと連絡が取れたかも知れないが、ルークがいない以上仮定は仮定のままでしかない。


「ユリアシティに行けば、アッシュがいるかも知れませんわ! アラミス湧水洞にあるユリアロードを使えば…!」
「確証もなく行って、アッシュが協力としてくれるとして。…その間に、戦争は激化し、セントビナーは崩落する可能性が高いですね。アラミス湧水洞はパダミヤ大陸、ルグニカ平野のほぼ反対側ですから…そこまで行くのに時間がかかりすぎます」


パダミヤ大陸はダアトの自治区だ。
現在ジェイドたちがいるのはキムラスカ領土のカイツール。
タルタロス無くして徒歩でこれからマルクトに向かいパダミヤ大陸に行くとしても、キムラスカから宣戦布告をなされた、厳戒態勢が敷かれ、国境の検閲が厳しく制限されてしまっている問題があった。また、一行がパダミヤ大陸に向かっている間にアッシュがユリアシティから脱出している可能性も高い。
いるかも知れないアッシュに協力を頼むべくユリアシティに行くのは、得策とは言い難い。


「っでは、では、わたくしたちはどうすれば良いのです!? わたくしたちはこのまま手を拱いて、みすみす民が犠牲になるのを見逃せと言いますの!?」


悲痛な悲鳴をあげたナタリア。
ナタリアの言葉に感化されて、ティアもガイもアニスも、パーティの中で頭脳役を一手に担うジェイドに縋るような眼差しを送る。

彼女らは、今後の旅路の指針をジェイドに望んでいた。
大人であり、ブレインを担うジェイドが頼られるのは仕方ないこととは言え、そのジェイドですら迷いときには判断を間違える人間だということを、彼女らは理解していない。
完璧な、最善策を望む彼女らにジェイドは今取れる最善策を提示した。


「…セントビナーのことはひとまずおいて、戦争を停止しましょう。ナタリアはガイと共にバチカルへ行き、インゴベルト陛下の説得に当たってください。アニスとティアはイオン様を護衛して、近場のローレライ教団支部へ。イオン様、導師詔勅で両国に向けて戦争停止を呼びかけてください。私はグランコクマに戻り、陛下に戦争を停止するよう、呼びかけてみます」


ルークの死後、ずっと青白い顔をしているイオンは力なく頷いた。
ティア、アニス、ガイも頷くことで了解を示す。ナタリアは全身を震わせた。


「…セントビナーの住民を、見捨てますのね」
「………」


ジェイドが下した判断は、つまりはセントビナーの住民を見捨てることだった。
ナタリアは悔しそうに下唇を噛み締めて、それでもハッキリと頷いた。

無論、ジェイドは国に戻り次第、ピオニー陛下にセントビナーの住民を救助してもらうつもりではいるが、戦争時に人手がさけるかは果たして不明だ。戦争が終了した後に、すぐさま人手がさけるかわからないし、セントビナーの住民を救助するとしても前回と同じ状況にセントビナーが追い込まれていたらシェリダンのアルビオールは必要不可欠だ。
アルビオールはキムラスカ国の持ち物。使用するにも許可が必要だ。その点は、ナタリアに期待するしかない。世界の現状を説明して、戦争をしている場合ではないのだと――国主に理解させるしか、すでに道は無いのだ。その後、アッシュにパッセージリングの操作を頼むしかなかった。


その間に費やす時間は、決して少なくはない。
どれだけの大陸が、街が、――人命が崩落の犠牲になるだろうか。


想像したくもなかった。



TO BE…

2011.03.01
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