「目には目を、歯には歯を」
ハンムラビ法典の有名な一節だ。
この言葉は「やられたらやり返せ」の言葉を連想させる。
しかし知っているだろうか、ハンムラビ法典のこの言葉が通用するのは、同等の身分を持つ者同士の間で適用される言葉だと言うことを。
例えば尊い身分の人間に対し、下位の者が粗相をした場合は適用されず、尊い身分が下した罰をただ受けるしかないのだ。
ハンムラビ法典が生まれたのは古代バビロニアである。その当時、バビロニアは世界の中で最も文明が進んでいた国家と言われていた。
多種民族が共存する国であり、その為ある程度の身分制度が生まれ、その結果作られたのがハンムラビ法典と考えて良いだろう。
ハンムラビ法典は現代風に言うと刑法のようなものだ。
身分制度が今よりも厳しかったため、現代の刑法に当て嵌めると行き過ぎた印象を与えるが「何が犯罪行為であるのか明らかにし、刑罰を決める」と言うことが目的で作られた。
何が言いたいのかと言うと、国と言うものがあり、そこに暮らす数多の人間がいる以上、必ずしもルールと言うものが生まれ、それに則って生きることで、犯罪行為を抑制し国を円滑に働かすことが出来ると言うわけだ。
そして、国の規則=司法となり、それによって様々な問題が生まれるのも人が進化を続ける以上、仕方のないことなのだ。
皆の命は平等だ。
そう言う人間はいるが、果たしてそれは本当なのだろうか。例え話をするが、交通事故に合い、救急車で病院へ搬送されるとしよう。そうして治療されるにしても、政治家と一般人の命、どちらの人間の命が優先されるかは、暗黙の了解と言ったところがある。
現代において身分制度が存在していない、と言われる日本でさえこうなのだ。
では、身分制度があるとどうだろうか。
身分が尊い者こそ、優先されることが顕著になるだろう。
キムラスカ・ランバルディア王国には身分制度が通用されていた。
公爵子息、ルーク・フォン・ファブレが誘拐されて早一か月あまり。
この日、キムラスカ首都バチカル港は完全閉鎖されていた。
波の音と鳥の群れが鳴く音だけが港を包む。
キムラスカの赤い軍服に身を包んだ軍人と、ファブレ公爵が個人に有してる白光騎士団の騎士服に身を包む物々しい集団が、いつもは行商人が行き来して騒がしい港を占拠していた。
白光騎士団の集団の先頭に立つのは、二十代後半の男である。
左目から頬骨にかけて一筋の剣傷が走り、端正な顔立ちを瞬く間に人相の悪いものと化してる。
長い漆黒の髪の毛をうなじで一括りにして、きっちりと服を着込んでいる。
男…ミリアは砕けた口調で喋り出した。
「お前ら、ルーク様がようやくお着きになるぞ。マルクトの使者殿と、ダアトから導師もお目見えになると言う話だ。俺たちの第一印象でキムラスカの評価が決まるからな。くれぐれもみっとも無い姿を見せないように」
「「「はいっ、団長!!」」」
揃った部下の声にミリアは満足そうに頷く。
バチカル港に部下と共に足並みを揃え、今か今かとルークの姿を待った。三時間ほど過ぎたころだっただろうか。海面にゆっくりと一隻の船が見え始めた。
船から鳩が飛んでくる。伝書鳩だ。鳩に括りつけられていた手紙を受け取り、部下が報告した。
報告どおり、ルークは導師とマルクト使者の姿と共にあの船に乗ってるとのこと。
後少しだ、と待ち侘びて疲れた足並みを再度整え、船の到着を待った。
「おいおいマジかよ…」
私語は厳禁の筈だが、ミリアは思わず漏らしていた。
しかしミリアの言葉を誰も咎めることはなかった。その場の皆の注目は、トアル一行に集められていたからだ。その一行は、男たちキムラスカ軍人が待ちわびた人物――すなわち公爵子息であるルーク・フォン・ファブレがいる一行である。
一行は明らかに異様であった。
本来先頭に立つはずのルークをおざけりにし、まず導師守護役と見えるピンク色の軍服に身を纏うツインテールの少女が、バチカルに着いたことが嬉しいのかはしゃいでいる。そしてその横には守護役のはしゃぎぶりを止めることが無い導師の姿が。そして少し後ろにルークの姿、隣には使用人のガイの姿、そのさらに後ろにはマルクト軍人が、最後尾は男にも見覚えのあるダアトの軍服を身に纏った女の姿があった。
キムラスカ軍から遣わされたセシル少将が、ルークが無事帰還したことに喜びの言葉を述べている。
ルークはどうでも好さそうに受け取り、ミリアにも見覚えがあるダアトの軍服を着た少女が「そんな態度失礼じゃない」とキムラスカ軍人の目の前で言ってのけた。
ミリアたち一同…いやキムラスカ軍人の誰もが驚いた。
さらに驚く事に女はセシル少将に叔父上、つまりインゴベルト国王陛下の取り次ぎを頼むルークに対し「見なおしたわ、ルーク」とまで言ってのけた。
ミリアは呆れ返り、部下に命令を下した。
「その女を捕まえろ。ファブレ公爵邸を襲い、ルーク様を誘拐し、今なおルーク様に無礼を働いた罪人だ」
「はっ!!」
ミリアの命令を受け、部下はすぐさま動く。女は展開について行けず、抵抗する前に囚われた。
一行が驚きの声とともに非難の声を上げた。中でも慌てたのはルークだった。
「…お、おい! ティアに何すんだよ!?」
「驚かせて申し訳ございません、ルーク様方。彼女は公爵邸を襲撃し、あまつさえルーク様を誘拐した罪人です。我ら白光騎士団は公爵家に犯罪行為を働いた者を、取り締まり、即時に刑罰を与えることが義務づけられています。その義務に基づいて仕事をさせていただきました」
「ティアが何をしたって言うんですかぁ!?」
「何を…?」
吠えたてた導師守護役に、冷たい一瞥を向けた。
抗議をしようとしていた導師と守護役が、肩を震わせた。
「今、私は申し上げたはずですが。彼女はファブレ公爵邸を襲撃し、ルーク様を誘拐した罪人だと。この件はすでにダアトに抗議文を送っています」
「え…」
抗議の言葉に驚愕する導師と守護役に、ミリアは心中でツッコみをいれた。
公爵邸を襲撃した罪人が、ローレライ教団の軍人だと分かり、すぐに抗議は入れた。軍人には等しく定時報告が義務付けられているので、抗議があったことを知っていて当然だ。
それなのに知らないとなると、導師たちはダアトに定時報告してないと言うことだろう。
つまり、ダアトと連絡を絶っていると言うわけだ。
公務で此処にいるのか、一気に疑わしくなり、面倒くさそうなことになりそうだな、と男はあくまでも胸中でぼやいた。
「で、でも、それは…ティアに何か事情があったのでしょう。許していただけませんか?」
「それは出来ません」
「え、」
「我が国、キムラスカ・ランバルディア王国は身分制度が登用されている国です。王侯貴族であり、王位継承権を持つファブレ公爵家に害を成した以上、犯罪行為をした者に対し重罰を科すことが、この国の法律です。事情があったと言う罪人の言い分は、刑罰を科すに従い考慮されることはございません」
「そんな……」
愕然とする導師に、守護役が慰める言葉をかける。インゴベルト国王に抗議したらわかってくださいますよぉ、と。何を愚かなことを言ってるんだと呆れつつ更に男は言葉をつづけた。
「国や団体である以上、そこには規則が生まれます。ダアトにはダアトの、マルクトにはマルクト独自の規則があるように、この国では身分が物を言います。キムラスカでは、身分制度と言うものは何よりも尊ばれて当然のことであることをお踏まえ下さい。そして、この国の身分制度では、導師であろうとルーク様方王族ほど権限は無いのです。…出過ぎたことを申し上げましたが、他国を訪問する以上、この国の身分制度について見解はございますね?」
無いとは言わせない、と言った様子でミリアは無表情で告げる。
身分が高い者が他国を訪問する以上、その国のことを知っておくことは礼儀である。
導師たちは言葉に詰まったが、知らないと言えないことはミリアの言葉で察した。
導師の身分は確かに高いが、キムラスカでは王族と張り合うほど高くは無いのだ。ましてダアトは国ではなく、宗教団体。一国の王と張り合うほどの権力は導師になく、導師に与えられるもの尊敬の情である。
マルクトとキムラスカはダアトに尊敬を払い、導師の身分を王と同等扱いし、発言は考慮するが、自国において導師が王と同じ権限を持てわけではない。どこでも自分の身分が通用し、許されるとは思い違いである。導師は顔色を悪くし、頷いた。
「出過ぎたことを申し訳ございませんでした。――我ら一同、導師とマルクト使者殿の訪問を心から歓迎いたします」
――くれぐれも、この国ではあなた方の権力がまかり通るとは思われないよう。
失言をした場合は容赦なく切り捨ててあげよう。
ミリアは歓迎の笑みを浮かべたが、一行の目には蛇が舌舐めずりしたようにしか見えず表情を固まらせた。
End
深淵の矛盾の根本はルークを公爵子息、その仲間達を軍人にしたせいだと思いました。
2012.02.18. 再掲
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