男主/無CP/※アッシュ好きさんご注意(男主によって非人道的な扱いを受けます)




(これは……)

 ミリア・ショウブは、本来ならば彼の身に相応しくない雑事をしている最中に”あるもの”を発見して薄っすらと水色の双眸を細めた。
 彼が手にしている手紙には、導師の動向が詳細に綴られていた。子供じみた丸みを帯びた筆跡にミリアは心当たりがあった。
 ――導師守護役アニス・タトリン。
 手紙によると、ダアトから誘拐された導師イオンの行動が仔細にわたって書かれていた。マルクトから現れたジェイド・カーティス大佐により、和平仲介役に頼まれたこと。その誘いに応じてダアトを立つこと。タルタロスに乗艦してキムラスカに向かうこと――。

(そういえば、先日導師を発見したとモースは言っていたな……アニス・タトリンが子飼いの部下か)

 他の詠師たちが導師の身を案じて右往左往する中、どこからか情報をいち早く手に入れたモースがマルクトに導師を誘拐されたとわめき立てた。導師不在中、導師の実権は大詠師に委譲される。その特権を使って、モースが導師を奪還すべく、六神将たちをマルクト方面に向かわせたことを知っていたが――導師守護役が導師の情報をリークしていたのならば、モースが大胆な行動をした理由が頷ける。

(……いずれにせよ、証拠不十分だな)

 アニス・タトリンを潰すだけならばこの手紙で十分だが、モースを大詠師の座から引きずり下ろすとまではいかない。この程度の証拠では、アニスが勝手に導師の情報を送ってきたと言い逃れすることもできる。情報を集め、証拠を固めなければなるまい。
 スパイは重罪である。モースと言えど、主に対するスパイ疑惑が発覚した場合は罪から逃れることはできない。
 ミリアにしてみれば、モースは威張り散らすしか能がないが、自分の身を危険な目に晒すような証拠を残しているとは思えなかった。あの男は保身に長けている。この手紙もいずれ燃やすなどして破棄される恐れがあった。ミリアは絶対に裏切らない確証を持つ自分の部下にアニスに似せた手紙を用意させ、手紙をすりかえることにした。

(……なんだこれは)

 探れば探るほどボロが出てくる状況にミリアは頭を抱えた。モースを大詠師の座から追い落とす取っ掛かりになれば良かったのに、大詠師モースどころか、導師イオンまで引きずり下ろせてしまう情報が集まった。同時に、このまま二人をのさばらせておくとダアト全体に危機が訪れてしまう現状に気付いて、もはや言葉も出てこない。まだ三十路前だというのに、白髪が生えそうだ。

 ミリアはギリッと歯噛みすると頭の中でやるべきことを一通り整理した。そうして、早速彼は椅子から立ち上がると、導師、大詠師以下の詠師たちを味方につけてイオンとモースの排斥に乗り出した。





 ――その日、キムラスカ・ランバルディア王国に衝撃が走った。

「な、なんじゃと……?」

 インゴベルト国王がようやく口に出せた言葉はその一言だけだった。近くで、汗を大量に流して動揺の最中にいるモースの姿など目に入らない。キムラスカ国王は目の前の男を凝視したまま、目を逸らせなかった。

「ナ、ナタリアが……偽姫で、本物の王女は……わしの娘はモースの指示によりすり返られたと……それは、それは真なのか!?」
「真です。その証拠もすべて揃っております。これを」

 ミリア・ショウブと名乗る男が恭しく提示した証拠――両手で持てるほどの白い四角い箱だ――、側近の手を介して、震える手でインゴベルトは受け取った。箱の蓋を開けると、中には、光沢を帯びた布に、灰色の小さな骨が丁寧に包まれていた。ザッとインゴベルトの血の気が下がった。

「こ、これは、」

 尋ねて、後悔した。答えはわかっている。

「インゴベルト陛下の王女様の遺骨です」

 間髪いれずに返された答えに、インゴベルトは声なき悲鳴をあげた。卒倒しそうになり、玉座の肘掛を強く握り締めることで意識を何とか保つ。謁見の間は蜂の巣を突いたときのような騒ぎに包まれた。

「墓は、王女様とナタリア姫をすり替えた実行犯の証言に基づいて掘り返しました。証言どおり、遺骨を発見致しました。その遺骨が王女様の物であるかどうかについては鑑定は行っておりません。王女様であらせられた場合、国王陛下の許しなく鑑定を行えば無礼に当たると思いましたので、そちらで鑑定を行って頂きたく存じ上げます。ナタリア姫が偽姫である件に関してですが、箱の中に同封してある写真を見て頂ければ、その真偽については確証をお持ち頂けるかと。真偽を確かめるためとは言え王女様の眠りを妨げるような真似をして、また当教団の大詠師、並びに部下が大変ご迷惑をおかけしたことを、重ねてお詫び致します」

 ミリアは腰を下り深々と頭を下げると、面をあげようとしなかった。次から次へと聞かされる情報を処理しきれず、それでも何とかインゴベルトは適当な言葉を紡いだ。

「あ、あぁ……うむ……謝罪を受け入れよう……」

 ――後に、この謝罪を受け入れたことを後悔するとも知らず、インゴベルトはのろのろと箱の中に視線を移した。
 骨に意識が捉われていたが、よくよく見ると他にも写真と書類が入っていた。薄汚れた写真を手に取る――ハッと息を飲んだ。
 ナタリアと酷似した容貌の女性が映っていた。二十年くらい前に流行した、今となっては古い形の服装を纏っている。ナタリアよりも、いくらか年を重ねた女性は穏やかに微笑んでいた。女性の姿は、ナタリアとの血縁関係が明確に窺えた。
 インゴベルトは「あぁ……」と嘆く声を出して目元を震わせた。涙腺が決壊してしまいそうだった。ナタリアとこの女性は血縁者だ。その確信を持ってしまった。悲哀が胸を衝く。
 この写真は、インゴベルトと亡き王妃の実の娘がどこかに消えてしまった証明にほかならない。

 腕に抱えた白い箱の重みが急に増した。
 現時点において、誰のものともわからない遺骨が納められた箱は、もしかしたら本当の娘の遺骨を納めているのかも知れない。

 インゴベルトは箱の中の遺骨と、写真を見つめたまま、黙りこくって動かなくなった。
 たった数分の間に起こった出来事は彼の心労を重ねてしまったようで、玉座の上にはただの年老いた男親が座っている。謁見の間には水を打ったかのような静寂に包まれたが、それも長くは続かない。

 一国一城の主としての自負がインゴベルトを奮い立たせた。
 キムラスカ国王は翡翠の双眸を鋭くさせて、ミリアを見る。からからに乾いた口で、張り付くような舌を動かして、尋ねた。

「……面をあげよ。国に混乱を齎すような真似をしたおぬしはキムラスカに何を望んでいる?」

 ミリアは毅然と面をあげる。水色の双眸には強い意思が浮かんでいた。王と詠師、そこには地位という名の溝が横たわっているはずなのに、今この瞬間において、ミリアは王と対等だった。

 淀みない口調で、ミリアは答えた。

「交渉に参りました」

 ダアトはキムラスカに大きな借りがある。この度の己の言葉が不遜であることは重々承知だが、さらに不遜を重ねるように交渉という言葉を使わせて頂く。ミリアの言葉に謁見の間に顔を揃えた一同がざわついたが、ミリアは針の筵の中でも平然とした面持ちで佇んでいた。交渉というテーブルにキムラスカ国王をつかせるべく、ミリアは口を開いた。




 ミリアはキムラスカ、マルクトの両国の首脳と会談を交わした。

 マルクト帝国には、和平使者であるジェイド・カーティスが導師イオンを連れ出す際の手段を外交のカードにした。
 ジェイドは、信者を扇動して暴動を行うと、その混乱に乗じてイオンを連れ出したのだ。暴動は規模を増して、武力制圧が行われたほどだった。多数の犠牲者が出ている。起こるはずのない暴動を起こした責任を取って貰わねばなるまい。
 もちろん、マルクト皇帝も黙っていなかった。タルタロスが襲撃された事実、またそのタルタロスが六神将によって奪取された事実、それに加えてセントビナー前にて勝手に六神将が検閲を敷いた状態を鑑みても、それで手打ちとしてはマルクト側の被害と見合っていない。
 マルクト皇帝が問題視に挙げたすべてを、ミリアは「そもそもにしてジェイド・カーティスが導師イオンを誘拐しなければ行われなかった」とバッサリと切り捨てた。

 事実であり、それが全ての原因であった。

 導師イオンが引き受けた和平仲介だが、そもそもにしてダアトはこれを認めた覚えがない。だからこそジェイドは手段を問わずに導師を連れ去ったのだ。ローレライ教団のトップの人間を、世界平和のためとは言え、マルクトの事情により長期間拘束する。その間に滞る導師の公務の損失など、教団の迷惑を一切顧みていない行為に教団が抗議するのは当然である。

 導師イオンが誘拐された後、導師を取り戻すためにローレライ教団はタルタロスを襲った。
 先に話合いによる解決を図らなかったことをマルクト皇帝は問題視したが、教団にしてみれば、マルクト帝国の軍人の蛮行のせいで、マルクトに対する信用性が薄れてしまい、話合いで解決できるとは思っていなかった。教団の本音は、ジェイドがマルクト帝国主導のもと導師を誘拐したのではないか――ということである。何しろ、当時のジェイドは皇帝陛下名代の和平使者という称号を背負っていたのだ。
 教団はマルクトを信用できないと思うのも無理はない。ジェイド・カーティスは正規の手順を踏んで筋を通したわけではないため、教団からしてみれば、導師イオンを掻っ攫って行った誘拐犯に等しかったのである。誘拐犯に対して人質を返せと言ったところで、無視されるか、あるいはその対価を要求されるだけだけだろう。
 ジェイド・カーティスが導師イオンを連れ出した経緯を見ると、話が通用するような相手だとは思えない。教団が楽観的にも、お人好しにもなれなかった故に、導師を返してもらうべく、実力行使に及んだのだ。
 武力解決を教団に選ばせたのはマルクトである――ミリアの言葉にマルクト皇帝は苦しげな顔をしたが、反論は返ってこなかった。
 タルタロス襲撃事件、セントビナーに六神将が勝手に検閲を敷いた一件を不問にさせた。タルタロス襲撃に関しては、タルタロスの進路を教えたスパイと、襲撃を指示したモースをキムラスカ、マルクト両国に引き渡すことで、合意となった。

 キムラスカ王国に対して、ダアトは大きな借りがあった。
 大詠師モースの王女すり替え、公爵家襲撃事件、カイツール軍港襲撃など――キムラスカに対して返し切れない借りがある。ミリアは大詠師モースとティア、それに軍港襲撃の実行犯であるアリエッタを庇うことなく、むしろ三人にすべての罪と責任があると言わんばかりに身柄引き渡しを申し出た。アリエッタは軍港襲撃の件に関してアッシュの存在を示唆したが、アッシュは教団がすでに命令に背いた罪と軍港襲撃の一件が重なり処刑したことになっていた。その証拠である遺体も提出済みである。
 無論、キムラスカは今まで勝手気ままに振舞ってきたダアトに対して追及と糾弾、それに伴う補償をさせようとしたが、教団の代表者として訪れたミリアがナタリア王女の遺骨を携えて現れた時、それらすべての謝罪をして、インゴベルトはまんまと謝罪を受け取ってしまっている。その後、ミリアはナタリア姫が偽姫である事実は、我が胸に永久にしまい込み、墓場まで持っていくと断言した。
 要約すると、ミリアはナタリアが偽姫である事実を世界中にばらされたくなければ、教団に責任が及ばないよう、個人による罪として処分しろと遠回しに脅迫したのだ。
  ナタリアが偽姫であることがばれてしまえば、国民の動揺を誘い、反ナタリア派の活動を活性化させてしまう。国が揺れる事態に発展する恐れもあった。ミリアは教団の代表者として、その事実を隠蔽し、また使うこともないと明言して見せたのだ。
 ミリアのふてぶてしい言い分の数々に、国王を筆頭に重臣一同が苦い顔をした。そもそもにして教団がナタリアをすり替えたのではないかと責め立ててやりたい気持ちがあった。無名の墓に王女を入れた原因共に一泡吹かせてやりたいのはやまやまだったが、現実がその思いにストップをかける。

 キムラスカは預言に頼った政治を行っている。預言でナタリアがすり替えられたのであれば、それは仕方ないことだと思う気持ちもあったのだ。情けないことだが、それが現実だった。例えば、教団がナタリアをすり替えるときに、そのように預言で詠まれているから――と言われれば、インゴベルトは結局のところ、本物の娘を王墓に入れて、偽姫をナタリアとして認めていただろう。国が預言を遵守する方針を取っていたため、国民も同意を示していたはずだ。
 国王の預かり知らぬところで王女がすり替えられた事実こそ無視できないが、それ以外に関しては容認するしかなかった。預言のためならと、王女すり替えの事実を容認してしまう地盤を作ったのは歴代のキムラスカ国王である。現時点において、キムラスカはダアトの申し出を受け入れるほかの選択肢はないのだ。
 この一件が尾を引いてダアトが預言を詠んでくれなくなったら、キムラスカの政治はたちまち停滞する。謝罪以上の何かを求められるはずもない。預言に依存している代償を支払ったと思うしかないのだ。そして、キムラスカはその謝罪はすでに受け取ってしまっている。王女すり替えの黒幕であるモースや、公爵家襲撃犯のティア・グランツに、ダアトにぶつけられなかった分の怒りを上乗せして責め立てて溜飲を収めることしかできなかった。

 表向き処刑されたことになったアッシュだが、実際はミリアの指示のもと地下に監禁されていた。

 アッシュが本物のファブレ公爵子息である事実、並びに彼に関する諸々の事情をミリアは把握済みだった。無論、ヴァンの計画もである。 アッシュがファブレ公爵子息である事実をキムラスカに知られれば、さすがに積み重なる罪を見逃すこともできず、キムラスカもダアトに攻め込む決断をせざる負えない。国の後継者たる二人がダアトの手によってすりかえられていたと知られでもしたら、ダアトは国を乗っ取るつもりだと宣戦布告の声を高々とあげるだろう。
 アッシュを殺害しても良かったが、彼の超振動は魅力的だった。もしキムラスカやマルクトに攻め込まれたとき、アッシュは人間兵器にできる。このまま地下に監禁し、裏切らないよう洗脳を施して利用することにした。ミリアは自らを下衆だと胸中で罵り自虐の笑みを浮かべたが、意思を翻すような真似はしなかった。

 モースと共に暗躍したヴァンは統率力が欠如していることを理由に――カイツール軍港襲撃の実行犯アリエッタがヴァンの命令に逆らってコーラル城に向かった――総長の任から下ろした。以後、ヴァンは行方不明である。ヴァンに心酔している部下が彼について相次ぎ離反し、この中には六神将のうちリグレット、ラルゴ、アリエッタが含まれていたため、教団は再編成することになった。
 この時点で、すでにダアトの実権を一手に担っていたのはミリアだった。
 マルクト、キムラスカと同等に渡り合ったミリアは満場一致のもと、大詠師に任命された。


  ・・・・・・


 アクゼリュス崩壊後、外殻大地に戻ってきたルークたちを待ち構えていたのは、めまぐるしく変動する国々だった。

「ルーク様!」
「セシル将軍……?」

 キムラスカのシンボルカラーである赤い軍服を身に纏ったセシルは、ルークの元に駆けつけるなり地面に片膝をついて頭を垂れた。セシル少将が率いていた部下も倣う。同じ軍服を着た軍人たちが揃って頭を垂れる。
 ――その光景は圧巻だった。

「まあ……面を上げなさい」

 ナタリアは驚いた様子を見せていたが、すぐに気を取り直して頭を上げるように言う。だが、セシルはナタリア王女の言葉に反応一つ見せずに、ただルークの声を待っている。ナタリアは怪訝さを覚えたものの、聞こえなかっただけだと思った。王女の手を煩わせるセシルにナタリアは溜息を吐きたくなるが、寛容な心で許してやる。

「セシル少将、面を上げなさい」

 間近で放った言葉だ。今度は聞こえないはずがない。
 ――セシルは何も言わずに頭を垂れたまま、面を上げようともしない。

「……おやぁ?」

 王女の言葉が自国の軍人に無視されている。面白がっているようなジェイドの声が背後から聞こえて、ナタリアの頬がカッと恥辱で赤く染まった。王女に恥を掻かせたセシルを睨む。
 状況を読んだルークが「みんな、顔をあげてくれ」と言うと、セシルたちはようやく面をあげた。何故王女である自分の命令は聞かないくせに、ルークだけ……ナタリアは不満を現すように顔を顰める。

「セシル少将、俺を探していたのか?」
「はい。ルーク様、御身の無事を心よりお喜び致します……! アクゼリュスに向かったきり、ルーク様が消息不明となりましたので、インゴベルト陛下のご命令に従い私共が捜索隊として借り出されました。即刻国にお戻りください」
「国に……? だけど、和平が」

 アクゼリュス崩壊後、ルークたちはユリアシティの老人たちに話を聞いて外殻大地に戻ってきた。
 アクゼリュスの障気中和を行えるというヴァン・グランツの言を信用して、パッセージリングなるものを超振動で破壊させてしまったルークは精神的にナタリアたちの袋叩きにあっていた。変わってしまった、失望させないでくれ、すこしでもいいところがあると思っていたのに……口こうに好き勝手に言う彼女たちの発言を真に受けて、どん底に叩き落されたルークは変わると決意した。
 マルクト皇帝の下に、アクゼリュス崩壊の件で謝罪をしに行こうと考えていたルークにとって、今国に戻るのは望ましくなかった。だが、その思考もセシルによって変えられる。

「そのことですが、和平仲介者である導師イオンと、和平使者であるジェイド・カーティスに深刻な問題が発覚したため、インゴベルト陛下は今回の和平は見送る姿勢を示しました」
「「「な……っ!?」」」

 ナタリアたちは血相を変える。ルークは眉を顰めて尋ねた。

「それって……つまり破談ってことか?」
「はい」
「何故……! 和平を見送るほどの問題とは何がありましたの!?」

 セシルはこの時ようやくナタリアを一瞥したが、その眼には冷ややかな感情が浮かんでいた。すぐにルークに視線を戻し、事情を説明する。

「インゴベルト陛下は和平交渉を無効と致しました。それというのも、カーティスが導師イオンを連れ出した際の方法が問題視されているからです」

 ジェイドは導師イオンを連れ出すために、信者たちを煽り、ダアトで暴動を起こした。その混乱に乗じて導師イオンを連れ出したのだ。

「教団側の許可を得ずに、マルクトは導師を連れ出しました。たとえ導師本人の意思が和平に傾いていようとも、教団側は和平仲介を公務とは認めない姿勢を示しました。また、長期間、導師イオンが教団に帰還する意思を見せなかったことにより、教団は導師イオンは私用で出払っていると各所に説明しています。このことにより、キムラスカは和平仲介は導師イオンの私用と判断した次第です」

 キムラスカは、イオンがローレライ教団の導師という権力を背負っていたからこそ、彼の申し出を受けた。
 だが、教団は和平仲介の件を引き受けていない。教団の許可を得ていない以上、今のイオンは一般人と変わりなかった。

 イオンは青褪め、ジェイドは表情を強張らせた。
 
「! ……そうですわ、イオンが自らの意思で和平仲介を引き受けた事実を、教団に説明すれば、問題などなくなりますわ」
「そう、ね。イオン様が教団の主だもの。イオン様の意思を打ち明ければ、教団の詠師たちも納得するでしょう」

 ナタリアとティアが希望を持って口にする。ガイやアニスは同意を示し、イオンもほっと安堵したが、ジェイドは顔に暗い影を落としたままだった。セシルの厳しい表情が気にかかる。

「……ミリア大詠師より手紙を預かっています」
「え……?」

 ミリアより同じ内容の手紙を、ルーク捜索隊の責任者全員に渡されていた。導師イオンが親善大使一行に同行している可能性が高いため、もし逢うようなことがあったならと頼まれていたのだ。

 セシルがミリアから自分に手紙を渡すよう頼まれたこと、ミリアが”大詠師”と呼ばれたことに、イオンは二重の意味で驚いていた。
 イオンの知るミリアが、ミリア・ショウブであるのならば、彼は詠師のはずだ。
 若くして詠師の座に抜擢されたミリアのことを、モースは疎んでいた。気に入らない相手は何らかの手を使って排除してきたモースだが、ミリアを排除することはできなかった。ミリアは十年前に亡くなった前々代導師の孫だ。当時の導師の周りを囲んでいた者たちが、今では教団の上層部に顔を揃えている。ミリアはそれらを味方につけたため、さすがのモースも排除することはできなかったのだ。

 ミリアが大詠師ということは、モースは――?

 モースが権力闘争に敗れた可能性を感じ取りながら、渡された手紙の封筒を開封する。折り畳まれた手紙を開き、文面に目を通した。イオンはカッと目を見開く。

「これ、は……」

 これ以上ないほどに瞠目したイオンは何度も何度も読み直した。

 だが、いくら読み直したところで、手紙の内容は変わらない。
 イオンにとっては非情な現実がそこには綴られていた。

「……っ!!」

 全身を震わせて手紙を繰り返し読むイオンの姿に、アニスは「イ、イオン様?」と恐る恐る声をかける。応えは返って来ず、アニスはイオンに衝撃を与えたものの正体を見破ろうと手紙をそっと覗き込んだ。
 個人の手紙を勝手に読む行為すら咎められるのに、導師宛ての手紙を読むことについてアニスは遠慮はなかった。その姿が、セシルたちの眼にどう映るのか考えることもなかった。アニスとイオンは馴れ合いが過ぎていたのだ。
 
「えーっと、なになに………ッ!?」

 ザッと血の気が引いた。アニスの顔は青白く染まり、手紙を凝視したまま動かない。イオンと揃って硬直してしまったアニスに、ティアたちは訝しげな顔をする。

「アニス?」

 手紙の内容は簡潔に言えば、導師イオンの公的権力の無期限失効、ティア・グランツ、アニス・タトリンの身柄引き渡し要請だった。

 教団はマルクトの和平仲介の要請を受け入れたわけではない。
 だからこそ、イオンはアニスと共にジェイドの手を取り教団を飛び出した。
 これにより、導師イオンの消息を掴めず各地に混乱を齎したこと、導師の公務を全面停止することになったこと、”私用”の外出中にも関わらず導師の名を使い権力を乱用した――和平仲介役の導師イオンとして、インゴベルト陛下に名乗った――ことは到底容認できるものではなく、大詠師以下全詠師の満場一致のもと、導師イオンの公的権力を無期限失効処分とする旨が書かれていた。

 つまりイオンは、対外的には導師として教団の長のままだが、実権はなく、今後の扱いは象徴的な立場――所謂お飾りとして扱われることに決まってしまった。

 イオンの膝から力が抜ける。光をなくした眼で地面を見つめた主を気遣う余裕もなく、アニスは視線をさ迷わせた後、おもむろに走り出した。

「アニス!?」
「――逮捕!」

 セシルの怒声が空を射抜いた。セシルの部下である兵士達が一様に駆け出した。アニスと距離を詰めると、小さな背に飛び掛る。軍人達に潰されるような形でアニスは地面に倒れこんだ。

「やだ! 離してよ! やだぁ!!」
「大人しくしろ! 刑を増やしたいか!!」

 アニスは必死の形相で両手を振り回して暴れた。捕縛から逃れようと抵抗を続けるアニスに業を煮やし、兵士の一人が拳を握ると頬を殴った。アニスの甲高い悲鳴が落ちる。

「きゃあ!」

 殴られた衝撃で舌を噛んでしまった。口端から零れ落ちた血が顎を伝って地面に落ちる。アニスは抵抗する意思を暴力によって鎮められた。栗色の双眸に怯えを浮かべて、借りてきた猫のようにすっかりと大人しくなる。アニスはそのまま何処かへ無理やり連れて行かれ、イオンも丁重に別の場所に連れて行かれる。

「な、何してんだよ!?」
「ルーク様、落ち着いてください。アニス・タトリンに関してはダアト、マルクト連名の元、国際指名手配されています」
「国際指名手配!?」
「詳しい罪状は知りませんが、キムラスカの全軍にアニス・タトリンの逮捕協力要請が届いています」

 セシルは国際指名手配書のビラをルークに手渡した。数枚に及ぶその紙にはアニスの似顔絵と、ティアの似顔絵が描かれていた。

「はあっ!?」

 ぎょっと目を丸くする。ルークの傍で手配書を覗き込んでいたティアもガイも唖然と口を開けて、驚きを露にしていた。

「マジかよ……」
「ルーク様、重ねて申し上げます。即刻国にお戻り下さい。陛下もファブレ元帥もルーク様の御身を心配しておられます」
「あ、ああ……わかった……」
「ルーク!」

 ルークは渋々といった感じであったが頷いた。すかさず、ティアが咎めるような声をあげる。和平を投げ出すのかと責め立てるような声に、ルークはかちんときて「仕方ないだろ」と返した。

「叔父上の命令なんだ」
「だからって、一度引き受けた任務をこんな簡単に……」

 セシルは無言でティアの喉に手を伸ばすと、首を締め付けた。

「がは……っ!!」

 セシルの手を引き剥がそうと、ティアは両手で彼女の手を爪で引っかく。だが、セシルの両手には軍用の厚い手袋がはめられており、ティアの抵抗など猫がじゃれついているような痛みでしかなかった。

「ルーク様に二度と偉そうな口を聞けぬよう、その喉を潰してやろうか」

 セシルは氷のような冷たい目でティアを睨みつける。女性ながら自ら少将まで成り上がった軍人に睨まれて、ティアの心臓は竦み上がった。一端の軍人気取りであるティアだったが、戦争を体験して前線で活躍していたセシルから見ればひよっこでしかない。圧倒的な力の差を感じてしまい、ティアはヒッと締め付けられた喉で悲鳴を漏らしながら、弱弱しく首を振る。ティアの口端から唾液がこぼれ落ち、セシルの手を汚していたが、彼女は気にも留めずに脅しをかける。

「以後その口を勝手に開いて見ろ。すぐさま首を折ってやる。――ルーク様の眼前を汚し、大変失礼致しました」

 セシルはパッと手を離すと、ティアをその場に放った。ティアはよろりと地面にへたり込む。締め付けられた喉は焼け付くような痛みを訴えて咳き込んだ。ごほごほと咳をあげるティアの背を、ガイが女性恐怖症に耐えながら摩る。ルークは一瞬だけティアを同情するような目で見たが、すぐにセシルに戻した。

「セシル少将、先程から乱暴な真似をし過ぎですわ! いつから誇り高きキムラスカ王国軍はこのような無法者の集団になってしまったのですか! 国に戻ったらお父様に進言しなくてはなりませんわね……」

 ナタリアがティアたちに対する扱いの悪さに非難するが、セシルはナタリアを一瞥することなく、部下に命令を下してショックで呆然とするティアをアニスと同じ所へ連れて行かせた。きゃんきゃんと非難の声をあげるナタリアを無視し、セシルは瞬く間に変化してゆく状況に飲まれているルークに告げる。

「ルーク様、馬車を用意致しましたのでこちらへどうぞ」
「ああ……」

 セシルは馬車を呼び、ルークに入るように促す。ナタリアはルークの後に当然のように続こうとして、その前に一度振り向くと、ジェイドとイオンに対して意気込んで見せた。

「このような結果になったのは大変残念ですが、わたくしは諦めません。お父様たちを説得して、和平を続行させて見せますわ」

 ジェイドはそれに対して何も返すこともなく、イオンに至っては心ここにあらずと言った様子だった。二人の様子に不服を感じながらも、ナタリアはルークの背を追い越し、「さあ、早く城に戻りお父様を説得致しますわよ!」と気炎をあげて馬車に乗り込もうとする――が、馬車を守っていた兵に阻まれた。

「なっ?」
「この馬車はルーク様のために用意されたものだ。民間人を乗せることはできない。わかったなら早く立ち去れ」
「な……っ、お前達はわたくしの顔を忘れたというのですか!」

 ナタリアは恥辱で赤く顔を染めるが、兵は早く立ち去れと人を追い払うような仕草で退去を促した。その間にもルークは馬車に乗るように促され、声に押される形で足を踏み入れる。ルークが馬車の中に姿を消し、程なくしてセシルが馬を連れて現れる。彼女が馬に乗り馬車の横に並ぶと、あろうことかそのまま出発しようとした。――ナタリアをその場に置いて。

「我が名はナタリア・ルツ・キムラスカ=ランバルディア! キムラスカの王女です!」
「ナタリア様は城で臥せっておられる。王女の名を騙る不届き者め。公務執行妨害、王女詐称の罪で逮捕するぞ!」
「な、な、なっ………」

 キムラスカはナタリアが偽姫だと知った。その上で、彼女が王の命令に背いた罪を重く受け止めて、処することにした。
 インゴベルトにはナタリアに対する親子の情があったが、同時に彼女に対して複雑な心情を抱いていた。ナタリアがすり替えられたばかりに、本物の娘が無名の墓に入れられてしまったこと、遺骨という形で本物の娘を見ることになったこと――せめて一度だけでも、我が子をこの手に抱きたかった――王女の名を穢したこと。どれも許しがたい。とは言え、すり替えられた件については、当時赤子であったナタリアに罪はない。
 だから、王女として彼女がしたことを見極め、判断した。
 彼女は王女として相応しくないと。
 今のナタリアはメリル・オークランド。
 王女にすり替えられる前の彼女のミリアに戻されている。そのことをナタリアは――否、メリルは知らされずに無一文で放り出された。 

 ”王女詐称、公務執行妨害で逮捕する”

 兵士から突きつけられた言葉はメリルに衝撃を与えた。以前と変わらず王女のつもりでいるメリルは怒りと恥辱のあまり、言葉が出て来ずに馬車の出発を見送る。ハッと我に返り、メリルは馬車を追い駆ける。

「お待ちなさい! わたくしはナタリア、本物の王女ですわ! 城に臥せっているなどと嘘です! わたくしはここにいますわ!!」

 馬車を引き止めようと声を振り絞って叫ぶが、馬車は止まることなく、少しずつメリルから遠くなって行く。豆粒のように小さくなってゆく馬車をメリルは呆然と見つめた。

「いったいどういうことですの……?」

 王女であるにも関わらず、存在を無視される。耐え難い屈辱と悲しみにわなわなと身体を震わせる。これはきっと何かの間違いだ。そうに決まっている――自らを鼓舞すべく胸中で呟いた。城に戻り、父を説得し、セシルたちに王女に不敬を働いたものとして何らかの処分を下さなければ。ぐっと下唇を噛み、メリルは前を向く。

「わたくしは即刻キムラスカに戻ります。ジェイド、また何処かでお逢いしましょう。ガイ、行きますわよ!」

 今やメリルとガイ、ジェイドしかその場にいなかった。
 キムラスカに向けてメリルは歩き始めた。ガイはその背を追いかける。ジェイドは二人の背を見送った。その赤い両眼は憂鬱な感情に揺れていた。



 ――程なくして、世界中にナタリア王女の訃報が広まった。

 同時期、メリルという女が不届きにも王女を詐称し、また共犯のガイと名乗る男と共に、バチカル城に乗り込もうとして逮捕された。
 が、世間の関心は大詠師モース横領罪による逮捕と、スパイのアニス・タトリンと、公爵家襲撃犯ティア・グランツの逮捕に向いていたため、すぐに風に紛れて聞こえなくなってしまった。アニス・タトリンはマルクトに引き渡され、情状酌量の余地もあると判断されたが、本人に反省の色が見えなかったため絞首刑となった。ティア・グランツもまたアニス・タトリンと同様の判決が下されたが、彼女の身に流れる特殊な血を守るために、死刑執行までに長い時間を要することになる。

 国に戻ったジェイド・カーティスは導師イオンを連れ出した際の方法と、タルタロス襲撃を隠匿した事実を重く見られ軍事裁判にかけられた。導師イオン誘拐時、ジェイドは外交官という身分であったため、免責特権により教団から抗議文は届いても彼を逮捕する権限はなく、マルクトの采配に委ねられた。
 マルクトは教団との関係とタルタロスの乗組員の遺族感情を考慮し、また国と皇帝の名誉を汚し、損害を与えた罪により、ジェイドを終身刑にした。
 刑が甘いと口にする者と妥当だと口にする者でくっきりと別れたが、大きな批判はなかった。

 キムラスカに戻ったルークは護衛を付けられて、勉学漬けの日々を送っていた。
 アクゼリュスの預言を知った今、叔父や両親に対する猜疑心を抱かずにはいられなかったが、その気持ちもいつしか仕方ないことだったのだと思うようになる。昼は勉学と、顔を売り経験を積むために外交官の補佐を勤め、夜にもなれば新たに選出された婚約者の相手をし、時に夜会に出席する。公人として活躍の場を広げるうちに、次第に為政者としての考えが身につき始めたルークに対して、国王達は口を揃えていう。
 ルークが次期国王になったその日が、キムラスカの新たな時代の幕開けなのだと。
 教団にしてやられたキムラスカが預言からの離脱を掲げていることも知らず、ルークは多忙な毎日を送っていた。



 行方を暗ませていたヴァンが見つかると同時に恐るべき事態が発覚した。
 このまま預言通りに人類が生きれば、遠からず、人類は滅亡する。
 預言から離脱するか、預言を遵守して死を選ぶか。
 世界は選択を迫られていた。

 世界は預言離脱の方向に纏まるだろう。死を回避できるならば回避する。それが正常な者の思考だ。預言を笠にきて大きな顔をしていたダアトも今後は預言とユリアではなく、ローレライを神と崇める宗教団体に方針転換しなければならない。それは思っているよりも大変だろう。思わず深い溜息を落としたミリアの目の前に、そっとティーカップが置かれる。

「ミリア様、すこし休憩してください。適度に休憩とらないと、仕事の効率が落ちます」
「――シンクの言うとおりだな。……ありがとう」
「このくらい礼を言われるようなことじゃありません」

 しれっと返すシンクにミリアは目を伏せて「そうか」と頷いた。
 ティーカップに口をつける寸前、ミリアは思い立ったように尋ねる。

「アレの様子はどうだ」
「アレなら、ミリア様に早く正式にお仕えしたいと日々勉学に打ち込んでいます」
「そうか。近々見に行くことにしよう」

 アレ、とはアッシュのことだった。
 天井から床下まで白に統一された窓のない部屋の中に、アッシュは監禁された。
 ディストの置き土産の中から発見したアンチフォンスロットの簡易版を付けられ、超振動を制御されたアッシュは逃げる術も失い、誰とも話さない監禁生活を受ける日が数週間、数ヶ月と続いた。
 健康な人間は、太陽の光を浴びなければ欝状態になる。一部屋の中で一日を終え、朝も夜もわからぬ状態が長く続くうちにアッシュの精神力は削り取られ、思考を麻痺させていった。ヴァンのような洗脳を施したわけではない。ミリアはそれよりももっと残酷な仕打ちをアッシュに強いたのだ。
 ただ無為の時間を与えた。何かをするわけでもなく、ただ考える時間だけが与えられた。紙もペンも本もなく、暇を潰せるものが何もない部屋でただ思考に耽る。それがどんなに苦痛なのか、アッシュは知ってしまった。
 眠り続けて暇を潰そうにも、明日も明後日も寝るだけの日が続く。その絶望感を知ってしまった。代わり映えのない毎日なんて易しいものではない。何もすることがない、何も望まれることがない、自分の存在を自問自答する日々が続く。
 ゆっくりと砂時計から砂がこぼれ落ちるような、そんな狂気がアッシュの全身を支配していった。
 アッシュが完全に壊れた頃に、ミリアは彼の前に姿を現した。廃人になりかけていたアッシュの前に現れて、ミリアはさも善人のような顔で彼にやることを与えたのだ。神に啓示を与えられたかのように、アッシュはミリアの言うことを聞く、奴隷と化した。

「そうしてください」
「導師イオンの教育も終わってからになるが、そうしよう」

 導師イオン。そのミリアを聞いても、シンクは微動だにしなかった。

「ええ、そうしてください」

 ミリアが頷くと、シンクは「それでは僕は仕事に戻ります」と一礼をして下がった。
 背を向けて去っていくシンクの背を見送りながら、ミリアは冷める前にとティーカップの中の液体を飲んでゆく。

 導師イオン。公的権力を一切失った彼は今は再教育中だった。軽率な真似を繰り返したにも関わらず、導師の座から引き摺り下ろされなかったのは、教団の幹部職に就く誰もがその座を疎んだからだ。今、導師の座についたところで、イオンの尻拭いをさせられるのは明白だった。誰が好き好んで苦労を背負い込むだろうか。導師の座から下りることを許されなかったイオンは以来、教育という名の洗脳を詠師たちから受けていた。

(シンクは同じレプリカイオンでも、フローリアン達と違い、導師には何の関心もない、か)

 ――数年前、ミリアはレプリカイオンたちを拾った。シンクたちがミリアに対してどんな思いを抱いたのか知らないが、ミリアにとってシンクたちは使い勝手の良い部下という名の駒だった。

 秘預言により導師イオンが死亡することをミリアは知っていた。ユリアの預言の的中率の高さを知るミリアはそれとなく導師イオンを観察していたのだが、病床の身でありながらイオンがレプリカに手を出したことを知ると、成功作以外のレプリカを引き取ることにしたのだ。モースたちは知らないが、レプリカイオン作成時の研究者の中にはミリアに忠誠心を注ぐ者たちが数名いた。

 レプリカイオンたちの保護は容易だった。ある程度育つとシンク以外は各国にちらばり、自主的にミリアに情報を齎してくれる。ある者はミリアを家族と慕い、恩人と慕い、忠誠心を注ぐ上司と慕っている。シンクは後者でミリアの傍で働くことを選んだ。
 シンクが成功作の導師イオンに対して複雑な思いを抱いているかと思えば、そんなことはなかった。導師イオンに対して憎しみなどの感情は一切持っていないらしく、接するときは事務的だ。たとえ、導師イオンが、シンクの正体に気付きつつあっても。

(イオンはシンクに肉親の情を期待したのだろうが、シンクがそれを与えることはない。あいつにとって大切なものは限られている。俺と同じように)

 シンクにとって大切なものは、導師イオンを除いたレプリカイオンたちと、恩人で尚且つ忠誠を誓うミリアのみ。そのことはミリア自身よく理解していた。シンク同様、ミリアも大切なもの以外を気にかける性質ではないからだ。
 曽祖父というたった一人の家族を亡くしたミリアにとって、守るべきものは教団くらいしかない。曽祖父が愛し、大切にしていたものを守る。その気持ちだけでここまでやってきた。教団を守るためなら何を犠牲にしたって構わない。それは、シンクだろうと、今後部下になるはずのアッシュだろうと変わらない。

(俺に愛情を期待してくれるなよ)

 親愛だろうと、敬愛だろうと、どんな愛情だろうと持たないことに決めている。ミリアの心は教団と共に寄り添い終わることを決めている。

「幸せになりたいのなら、サッサと俺を見限ってしまえ」

 ミリアは呟くが、ドアが閉まる音にまぎれてシンクの耳に届くことはなかった。



END.

久々にガッツリ書いたよ…そして目が疲れたよ…。色々矛盾あってもスルーしてください。
書きたかったのはイオンの件のところ。それが何でこんなに長くなったのか自分でも理解できない。

2014/05/01

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