澄み渡る蒼天に歌声が響く。
譜歌だと判断したときには、ミリア・ミリアは何の躊躇もなく唇を噛み切った。唇から鮮血が滴り落ちるが気にする素振りも見せず、庭の中央で頭を抑えた主に駆け寄り背に庇った。すかさず剣を抜く。磨き抜かれた白銀の剣が太陽の陽射しを浴びて鋭く光る。
敵を貫こうとする剣の餌食になるべく、一人の少女が公爵邸の屋根から飛び降りた。
「ヴァンデスデルカ覚悟!」
少女は叫ぶと、勢いそのままに客人であるヴァンに切り掛かる。
「ミリア……っ!」
「お下がりください、ルーク様」
「でもヴァン師匠が! ミリアっ、俺が命じる! ヴァン師匠を守れっ!」
「できません。私はルーク様の騎士です」
ミリアは硬い表情で告げるが、ルークは命令を飛ばした。
「俺の命令を聞け!」
「……わかりました。ルーク様安全な位置までお下がりください」
「わかってる。早くヴァン師匠を守れ!」
ルークがよろけた足で庭から離れてゆく。それを確認して、ミリアは剣を構えて敵を排除すべく切り掛かる。その剣を邪魔したのは、侵入者である少女ではなく、ヴァンだった。ヴァンは剣を抜いてミリアの剣を押し返す。
「敵を庇うのですか!」
「ティアは私の妹だ! これは誤解だ……っ剣を収めろ!」
「聞けません。邪魔だ、退け!」
ミリアはヴァンの剣を弾くと、ティアという少女に切り掛かった。
突進してくるミリアにティアはナイフを構えるが、そんなもので応戦できるほど、騎士は甘くない。ミリアは突進すると見せかけて足払いを仕掛け、ティアを転ばせた。
ティアは予想外の攻撃に対応できずに転がった。
ぐるりと反転する視界に目を丸くしてるティアの肩を踏みつけ、ミリアはその手に持った剣で心臓を一突きにしようとする――ティアの顔が恐怖に染まった瞬間、ヴァンがミリアに突進してそれを阻んだ。
ヴァンにタックルを食らいそうになり、ミリアは寸前で避けるが、その間にティアが起き上がってしまう。侵入者を庇うヴァンにミリアは鋭い目を向けると、その剣をヴァンにも突きつけた。
「……その者は王族の邸に立ち寄った賊です。死刑は固い。庇い立てするなら貴方も賊の仲間とみなし、この剣の錆にしてくれましょう!」
ミリアはティアを見逃す気がない。彼の表情を見て判断したヴァンは厳しい表情で妹に撤退を促す。
「ティア! 今のうちに逃げろ!」
「そんな……そんなわけにはいかないわ! 私は、ヴァンデスデルカ、あなたを殺す!」
聞き分けのないティアは再びヴァンに切り掛かるが、呆気なく避けられてしまった。避けたティアが行った先にはルークが――ミリアは瞠目するとルークに駆け寄った。
「――ルーク様!!!」
ルークとティアの体がぶつかる。
そして、ミリアの手がルークの腕を掴んだ。
カッと閃光が爆発したように散った。
「っく……!」
急浮上する意識、鈍痛を訴える頭を振って無理やり目を覚ます。
まだ線を滲ませる視界で周囲を見回すと、咲き誇るセレニアの花と、藍色の空にぽっかりと浮かんだ青い月が見えた。突き刺すような空気は冬の夜独特のもの。こぼれ落ちた息は白く濁った。
ミリアは気だるい体を起こしてルークを探す。
それほど離れてない場所に、ルークは倒れていた。まだ、目が覚めていない。ミリアの視界の片隅にもぞりと動く女の影が映る。
ファブレ公爵邸に侵入した、敵だ。
ミリアはすぐさま腰に佩いた剣を抜いた。近寄れば斬ると、行動で示す。女は理解せず、声をかけてきた。
「……そんなに警戒しなくてもいいわ。私はあなた達に危害を加える気はないの」
そんな言葉、信用できるわけがない。
彼女は譜歌を使って侵入した。彼女の譜歌の威力は一流譜術土のエナジーブラスト並にあった。譜術防御力が低い者であれば、その痛みは筆舌し難いもののはずだ。今頃騒ぎに包まれた公爵邸が脳裏に過ぎたが、ミリアの優先順位はルークの護衛だった。
「まさか、そこのお坊ちゃんが第七音素士だったなんて……私と彼の間に擬似超振動が起きたのね。あなたはそれに巻き込まれた。ごめんなさい。あなたたちを私事に巻き込むつもりはなかったの」
そう言いながら、彼女が近付いてくる。
ミリアは理解し難いものを見るような目で見ていたが、警戒を解かず、剣を持つ手も緩めなかった。
「それ以上、私達に近寄れば斬る。私はお前を信用する気はない」
「……まだ混乱してるのね。無理もないわ。でも大丈夫。私は敵じゃないわ」
「敵だ。下がれ」
「でも……彼を診てあげなきゃ。怪我しているかも知れないわ」
倒れているルークを見て、ティアは言った。
まだ目を覚ましていないふりをしたルークが静かに上体を起こした。
「――結構だ。自分の怪我くらい、自分で見れる」
「ルーク様」
「ミリア、そいつから目を離すな。そいつは俺の家を襲い、ヴァン師匠を殺そうとした奴だ。何をするかわかんねえからな」
「はい」
ルークは頭を振って立ち上がった。自分が怪我していないか確認し、していないとわかると、ミリアが守り易い位置に移動する。ミリアの背に庇われ、彼女を油断なく睨んだ。
「お前、ティア、だったか。ヴァン師匠の妹らしいな。何故、俺の家でヴァン師匠を襲った?」
「……あなたには関係ないわ」
「関係ないわけあるか。あそこは俺の家だ! 本来、無関係だったはずの俺たちを巻き込んだ責任があるというのなら、お前は事情を詳らかにする義務がある。言え!」
「……私事だから、言えないわ」
ティアは言う気はないと冷えた表情を見せる。
ルークは腹が立ち拳を作るが、一息吐いて苛立ちを殺した。
「そうか。ならいい。――ミリア、そいつを殺せ」
「っ!?」
ティアはぎょっと驚いた顔でルークを見つめた。
ルークは感情が消えた顔で告げる。
「王族の邸を襲ったんだ。それだけで死刑になる理由がある。理由次第では、情状酌量の余地があると思ったが、事情を説明する気がないのならそれもいらないんだろう。ここで死んだ方が晒し首にさせられないだけマシだ。殺せ」
「――御意」
ミリアが剣を構えてティアを見据える。
ティアは焦り、弁護をする。
「待って、私はあなたたちを巻き込むつもりは本当になかったの! だから邸の人間を巻き込まないよう譜歌を歌って……。あなたたちも必ず私が家まで送り届けます。だから、落ち着い、」
ティアの声は呆気なく途切れた。
ミリアの剣がティアの胸元から引き抜かれる。その剣は血に塗れていた。
まさか本当に殺されるとは思わず、ティアは呆然とした顔をしている。呆気なく地に倒れ、大量の血液がセレニアの花畑を赤く塗りつぶしてゆく。
「……死んだか?」
「はい。魔物が血の匂いに集まる前に移動しましょう」
「ああ、そうだな。――馬鹿な女だ。あんな言い分が通ると思うなんて。……ミリア、俺の判断は軽率だったと思うか?」
「いいえ。たとえ彼女がどんな事情を持とうと、キムラスカの刑法に基づくのなら、死刑に相当する犯罪者であることは変わりません。死刑にならなくとも、彼女の身に流れる血を考慮すれば、女性として屈辱的な目にあうことも考えられます。ここで一思いに殺すのは、慈悲であったのかも知れません」
「……ヴァン師匠は俺を恨むだろうな」
ルークは小さく溜息を吐いて、歩き出す。ティアの死体に一瞥すら向けることはなかった。その背に付き従い、時に先導しながらも、ミリアもまた歩き出す。
「ティアの死は魔物による事故死で処理する。ダアトと事を構える気はない。……もっとも、それがどこまで通用するか」
ティアは神託の盾騎士団の軍服を着用していた。その格好からして、彼女が公爵邸に侵入した理由は任務に他ならない。ティアの私情という言い分をルークは当然のように信用していなかった。彼女がした行為はローレライ教団の総意であり、敵対行為に当たる。
ルークは苦い顔を見せて、ぽつりとこぼす。
「難しくても通用させるしかない。……戦争はごめんだからな」
お優しい人だ。ミリアはそう思いながらルークに付き従った。
二人が渓谷を下りる最中、魔物の群れが近くを駆け上がって行った。血の臭いに引かれ魔物が集まり出したのだろう。背後から魔物が獲物を奪い合って唸り声をあげていた。
2015/06/02
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