「ナタリアよ。そなたは偽者だ。”本物”のナタリアは”ここにいる”。そのことを忘れずに努力せねばならぬぞ」
「……お父様?」

 本物の王女ナタリアの墓を前にして父、インゴベルト国王陛下は言った。
 ナタリアは動揺してインゴベルトを見るが、父はナタリアなど見ておらず、その視線は墓に注がれていた。

「……わかっておりますわ。ですが、何故突然そのようなことを……?」

 ナタリアの問いに、インゴベルトは沈黙を返す。
 ナタリアは心臓がきゅっと掴まれたような、奇妙な緊張感を味わっていた。常とは違う父の様子に何を言われるのか恐々としていたせいかも知れない。
 ――墓に向けられた父の視線を、取り戻せないだろうか。
 本物のナタリア王女の墓を見つめたまま、こちらを見ない父に、ナタリアは焦燥感を覚えた。
 娘の心情を察することなく、父は静かにしゃべりだす。

「……先の騒乱から三年が経つ。マルクトに和平を申し込まれた際、そなたはわしの命令に背いて親善大使一行に同行し、自身の公務を投げ出した。そうじゃな」

 一瞬、父が何を言っているのかわからなかった。すぐに思い至り、顔を反省で赤く染めた。たしかに、あの頃の自分は愚かだった。と、認める。それと同時に、あの頃から数年経っているのに、今にして何故蒸し返すのだろうと胸中でぼやいた。

「っそれは……あの時のわたくしは、マルクトとの和平の成功を願っていたのです」
「わしの命令に背き、国民の期待を裏切り、国益を損ねても、か」
「お父様……そのことは謝罪致します。わたくしはもう二度とキムラスカ王国の王女として、国民の期待に恥じぬよう、行動を慎みますわ」
「……もう遅い。遅いのじゃ、ナタリア」

 インゴベルトの言葉は風に攫われてナタリアの耳に届く前に消えた。
 父が俯く。王の視線は本物のナタリアの墓に捕らわれたまま。次にインゴベルトが面を上げたときには、ナタリアの優しい父の顔は消えていた。

「王の命令に背き、公務を投げ出すなど。昔は王女として恥じぬ生き方をしていたのに、何故こうも”変わってしまった”のか。本物のナタリアであれば……」

 あからさまに失望されて、ナタリアはショックで固まる。硬直するナタリアを置いて、インゴベルトは本物のナタリアの墓に「また来る」と優しく告げて背を向けて去って行く。

「お、お父様……?」

 恐慌状態に陥ったナタリアは愕然と父の名を呟いたが、その頃には既に父の姿は遠ざかっていた。

 その日から、ナタリアは偽者の王女として扱われた。本物の王女であれば。そうやって比較されるたびに押し潰されていく心は悲鳴をあげた。

「本当にナタリア様は”変わってしまいました”ね。出自が明らかになる前は女王になる身だったというのに、この程度のことができないとは思いもしませんでした」

 新しい家庭教師が溜息混じりに告げた幾度目の言葉に、ナタリアの頭はいとも容易く沸騰した。家庭教師を見る眼は自然とつりあがっていたが、怒声をあげるような真似はしなかった。王女の矜持が品位のない真似を許さない。しかしながら怒りを堪え切れるにも限度がある。家庭教師のナタリアを貶めた発言は、片手には収まりきれないほどに膨らんでいた。

 何故お父様はこのような者を家庭教師に。父を恨みたくなる気持ちを家庭教師への怒りに変換させてナタリアは勉強を精一杯頑張っているつもりだった。それを、家庭教師は嘲笑う。腹が立つばかりで勉学が苦痛だった。

「……わたくしは王妃ではなく、女王になるべく帝王学を優先的に学んできましたわ。これまでと勉学の方針が急に変わってしまい、戸惑う気持ちを考慮してくださいませ」
「あら……今甘ったれた言葉が聞こえたような気がしますが、わたくしの聞き間違いですわね。嫌ですわ、最近聞き間違いが多くて。ナタリア様は”偽者”の王女なのですから、人に認められるべく血を吐くほどの努力を重ねるのは当然の事とご理解していますもの。それに……ナタリア様はかつて記憶喪失のルーク様に対して、勉強を熱心に奨められていたと聞いています。その熱心さはルーク様がもう一度言葉をしゃべれるようになる前からだったとか。それほど勉強熱心でいらっしゃるのですから、この程度のことができないとは思えませんわ」

 家庭教師はやわらかな笑顔を貼りつけて、ナタリアの心に釘を打った。家庭教師はわざとらしく両手をぱちんと叩く。

「そうですわ、そういえば、いつぞやナタリア様は親善大使一行に同行した際に”浅学が滲んでましてよ”と同行者に告げたそうですね。たしか、アニス・タトリンとティア・グランツだったとか。親善大使一行ですもの。当然、当時和平使者に抜擢されたジェイド・カーティスもいらっしゃったのでしょう?」
「……それが、どうかなさいましたの?」

 ナタリアは親善大使一行しか知りえない言動を何故家庭教師が知っているのか、疑問を持たなかった。

「あら……まさか、まだ気付いていらっしゃらないの? わたくしがナタリア様の家庭教師を始めた際に、ナタリア様には初歩的な勉強から始めさせていただいたのですが……そう、理解していらっしゃらないの。大変残念ですわ……」

 ナタリアは新しい家庭教師に教わった勉強を思い出す。低年齢の貴族令嬢が教わる勉学をいちから教えられて、屈辱のあまりに言葉をなくした日々を。わかりきったものばかり学ばされて、家庭教師が丁寧に説明してくれても、ナタリアは以前教わったものだと勉強に力が入らなかった。それを家庭教師は嫌味交じりに突いてきたが、一桁に満たない子供が教わる勉強を、成人を越えた大人が真面目にやれるわけがないと当時胸中で反論したものだ。
 馬鹿にしていた日々が、今になって足元を掬おうとしている。ナタリアの顔面が強張った。

「浅学は本来ならば自身を謙遜して使う言葉です。マルクトの和平使者はきっとこう思ったことでしょう。浅学を誤用するキムラスカ王女。キムラスカは自国の王女の教養すら満足にできていない国だと」
「――っ」
「王女である以上、その立ち振る舞いと言動が注目を集めます。ナタリア様の一挙一動がこの国の評価に響くことを重々ご理解くださいませ」

 ナタリアは頭から冷水を浴びせられたように白くなって震えていた。

「さあ、ナタリア様。国民の期待に応えるべく頑張りましょう。昔のナタリア様と”変わってしまった”と言われないように」

 真綿で締め付けられるような、閉塞感を味わう。ナタリアの喉はひくりと引き攣り、視線を素早く這わせた。逃げ道を探すように。
 だが、逃げ道は何処にもなく、ナタリアの視界に映るのは、家庭教師の薄ら笑いと、ドアの近くに控えた騎士とメイドの無表情な顔ばかり。そのどれもが、ナタリアへの期待をなくして、失望を浮かべた、冷えた眼差しだった。

 どうして、そんな顔で見る。
 どうして、そんな事ばかりいう。
 変わってしまったなんて。
 わたしからみれば、お前達のほうこそ変わった。

 腹の底に沈殿していた思いが一気に駆け上がる。声にして言おうとしても、彼らの表情に気圧されて言葉は封じられてしまう。それでもなんとか崖っぷちで保っていたナタリアの心は、アッシュとの婚約破棄によって潰された。

 インゴベルトは、アッシュにナタリアは相応しくないと婚約破棄したのだ。ナタリアの代わりに王族筋の令嬢が婚約に名乗り出る。
 悲痛に嘆くナタリアにインゴベルトは言った。

「お前は”偽者”なのだから、”本物”の蒼きキムラスカ王族の血を継ぐ娘と”ルーク”が婚約しても仕方あるまい」

 父によって木っ端微塵に粉砕された心は修復する術もなく。心が潰された状態で国民の期待に敵うことはできずに精彩を欠いたナタリアに不満が上がる。国民の期待を背負うことで何とか立っていた足は完全に崩れ落ちた。ナタリアは城に引き篭もり、後に適当な貴族に降嫁することになる。


 *


 インゴベルトは、ナタリアが徐々に墜落していく様をつぶさに見ていた。
 ゆっくりと花のように萎れていく娘の姿に心は悲鳴をあげていたが、救いの手を差し伸べることなどできるはずがなかった。
 本物の娘の墓の前に立ち尽くし、豪勢な花束がやわらかな風に散らされていくさまを見届けながら、インゴベルトは思考に耽る。
 かつてシュザンヌが口にした言葉が、脳裏に焼き付いて離れなかった。

『お義姉様が命がけで産んだ”本物の娘”はメリルのせいで無名の墓に押しやられ、最近までその存在すらも亡き者として扱われていたなんて。ああ、なんて可哀想なの』

 それはまるで遅効性の毒だった。
 本物のナタリアの墓の前で、シュザンヌは憐憫と悲哀の涙をこぼした。

『”ルーク”……アッシュも、ルークを長い間憎んでいたんですもの。きっと本物のナタリアが生きていれば、メリルをさぞかし憎んだことでしょう。お兄様の愛情を一心に受け取り、王女として国民に愛される日々を送り、自らの存在を亡き者として扱われたのですから』

 がつん、と硬石で殴られたような衝撃を覚えた。

 アッシュとルークの関係が、ナタリアとメリルに当てはまることに、インゴベルトはようやく気付いたのだ。もし本物の娘が生きていたら、きっと、メリルを憎んだだろう。そう、ルークを憎んだ、アッシュのように。

『私にとって、ルークも大事な息子です。でも私は、……いいえ、皆が、あの子がレプリカだと気付く前は、ずっとアッシュだと思って接してきました。それまでの、ルークは、アッシュの代替品だったのです。そのことに気付かされたあの子も、さぞかし苦しんだことでしょう』

 シュザンヌの話を聞きながら、インゴベルトはふと、思った。

 それなら、メリルは。

 メリルは思わなかったのだろうか。自分は本物のナタリアの立場を奪い取って生きてきたことを。自らが代替品だったと、思わなかったのだろうか。

 ――それとも、メリルにとって、ナタリアの方こそ偽者だったのだろうか。

 ぞわりと足元から這い寄った恐ろしい考えに思考が奪われる。

『アクゼリュス崩落という罪を背負い、贖罪のために最期までもがき苦しんだルークを、私は親として悲しく思います。どうしてあの子が……私の大切な子供たちがあんなに苦しまなければならなかったのでしょう。偽者だと言われ、本物はここにいると言われ……それでもあの子は同じ偽者だったメリルを慰めた』

 シュザンヌに見せられた映像を思い出す。
 アッシュに吸収されたルークの記憶。七年間も邸の中で軟禁されて育ったルークの記憶は最初はスローで代わり映えのしない日々だった。だが、ティアが公爵家に襲撃し擬似超振動で連れ去られた直後から、怒涛のように記憶が流れた。

 その記憶の中で、偽者だとわかったメリルをルークは慰めていた。メリルに”変わってしまった”、”本物のルークはここにいる”と自らの存在を否定されながら。インゴベルトにルークは訴えたのだ。一緒に過ごした時間は本物だと。そんな心優しいルークを、メリルは――シュザンヌの話は続く。

『メリルが悪いわけではありません。でも、彼女が、お義姉様とお兄様の本物の娘の立場を奪い取ったのは事実。……メリルは何故ああやって、罪悪感もなく生きられるのでしょうか』

 吐息のように小さく吐き出された言葉を、インゴベルトは聞き逃さなかった。

『メリルの祖母が本物のナタリア殿下とすり替えたのに……あの子は何も感じないのですね。それとも、』

 シュザンヌが毒を吐く。
 インゴベルトは知らず知らずのうちに毒の沼に足を踏み入れていた。

『メリルから見れば、私達もルークと同じ”偽者”の家族ですわ。わたくしは”偽者”の叔母で、お兄様も”偽者”の父。だから、”偽者”の気持ちなど思い至らないのでしょうか』

 ずぶずぶと毒の沼にはまっていく。体どころか心までも毒沼に浸かる。それが二人の息子を国に利用されたシュザンヌの復讐であることに、薄々勘付いていながらも、本物の娘の嘆きが、耳に聞こえるようで。もう、どうしようもなかったのだ。

「ナタリア……」

 インゴベルトは娘の名前を呟く。彼自身、どちらの娘を呼んだのかわからない。ただ、亡くなった妻が腕に赤子を抱いて微笑む姿が見えたような気がした。



END.

20150809
prev next
back