――これ以上は限界だ。
遠くに見える赤紫色の靄にアスランは目を細めた。
鉱山の町、アクゼリュスの周りを取り巻く障気は街へ近付く度にだんだん濃度を増して見える。
あの状態の街へ行ったとしても、住人が生きてる確率は限りなくゼロに近いだろう。
冷静な判断を下したアスランは、隣に立つジェイドに視線を移した。
「カーティス大佐、これ以上あの街へルーク様と導師イオンを近付けることは危険です」
「ええ。私もそう思います。ルーク様とイオン様には此処でお待ちいただいた方が良いでしょう」
ルークもイオンも大事な身である。
アクゼリュスの障気に中てられたとしたら大変だ。
もし彼らが死んでしまうような事にでもなれば、マルクトは一気に世界中を敵に回してしまう。
万が一の事態に陥らぬように、二人はマルクト軍人として最良と思える判断を下した。
「えっ…じゃ、じゃあ俺とイオンは此処で待ってなきゃいけないのか?」
アスランとジェイドの話を聞いたルークが困惑した表情を見せた。
黙って話を聞いていた導師も同じような顔をしている。
ルークはインゴベルト陛下によりアクゼリュスを訪問するように命令を承っているのだから、それも当然の事だ。
アクゼリュスの状況が危険だと知りながらも、王の命令に背いて良いものか困惑せずにはいられないのだろう。
対する導師の方は善意からアクゼリュスの住民を励ますために訪問したいと願い出たため、その善意を無下には出来ず、アスランもジェイドも此処まで同行を許したが、これ以上の同行は許可出来そうにない。
アクゼリュスの状況は思っていたよりも酷い。
病弱な導師を近付ければ、半時も経たぬうちに倒れること容易に推測出来た。
言葉を選びつつ、二人を説得させるべくアスランは口を開いた。
「アクゼリュスの状況は私達が想像していた以上です。高貴な身であるのにも関わらず、アクゼリュスを訪問して下さると言うお二方のお気持ちはマルクト一同心から嬉しく思います。ですが、ルーク様もイオン様もこれ以上お近づきになられては、命に関わります。ここはどうか、私達軍人に任せて下さい。私達はその為に来たのですから」
優しい笑顔で、言葉の後押しをする。
安全な場所で避難して下さいと言い含め、自分たち軍人に任せるように強調する。
イオンはともかくルークは他人に守られる事が好きじゃないらしい。
自分は安全な場所に居て、誰かに守られて良いのかと言う思いが有るようだ。
本来守られて当然であるべき身分であるのに、ルークがそう考える理由はアスランにはわからない。
しかし、敏いアスランはまだ出逢って間もないルークの思想をわずかに理解していた。
ルークの矜持を守るべく障気渦巻くアクゼリュスへ行くことは軍人の仕事であるから、安全な場所に避難することは恥なのではないのだと言葉に隠した。
ルークは決して馬鹿ではない。
一度教わったことは次に活かすだけの理解力を持ち合わせている。
アスランの言葉の意味を悟ったルークは戸惑いつつも、頷こうとした。
「待って下さいませ! アクゼリュスへ赴くことはルークがお父様から与えられた大事な命令ですわ。アクゼリュスの住民が今も苦しんでいると言う時に、ルーク一人安全な場所に避難しているなどと王族として恥じるべき行為。民が苦痛を味わっているのに、ルークだけ避難しているなどとそれは許されませんわ! ルーク、民のためにも貴方はアクゼリュスに行きますわよね」
ナタリアの力強い瞳に気圧されたようにルークは顎を引いた。
ナタリアの台詞にも一理あるような気がして、如何したら良いのかわからずルークは返答に詰まる。
ナタリアの言動は王女として立派なものだ。しかしそれは綺麗事でしかなく、自分が何者なのか心底理解していない者の台詞だと言うことに彼女は気付いていない。
このままではナタリアはルークを無理やり連れて行くだろう。それは困る。
アスランは笑みを浮かべたまま、厳しい言葉を述べた。
「ナタリア殿下、あなたのその民に寄り添おうとする姿勢は大変立派なものです。ですが、我々としては自分の身の危険も案じて頂きたいです。失礼を承知で言わせて頂きますが、障気で溢れたアクゼリュスへ向かったところであなた方に出来ることはありません。此処でお待ち頂いた方が、よほど建設的です」
「わたくしは第七音素術師ですわ。住民の怪我を癒す回復術を使えます、ルークよりも役に立ちましてよ」
グッとルークが息を飲んだのがわかった。さり気無くルークを貶めているナタリアは、無自覚に人を傷つける天才だ。ここまで来たのに何もしないで帰ることなど、正義感が強く猪突猛進なナタリアには我慢ならないと見える。立場を弁えない王族ほど厄介なものはない。ナタリアをあからさまに無下にするわけにもいかないし、だが、これ以上調子に乗らすわけにもいかない。ここは一度ビシリと言うべきだろう。その結果首が飛ぶかもしれないが、軍人たるもの死ぬ覚悟は常に出来ている。
真剣な面持ちで口を開きかけたアスランだったが、憎まれ役を買うことにはなれてるジェイドがその前に皮肉った口調でナタリアを非難し始めた。
「ナタリア殿下は障気が何で出来ているのか理解していないようですね」
やれやれと肩を上げて、鼻で笑う。嫌味な姿がこれほど様になる人間も珍しい。唖然とするアスランとルークを置き去りに、ジェイドはナタリア弄りに精を出した。
「何所から障気が発生しているのか原因は未だ不明ですが、構成は既に解明されています。科学者たちの話によると、障気は何らかの原因によって汚染された音素のなれの果てと言っても過言では無いとのこと。これがどう言う意味だかわかりますか? つまりアクゼリュスは汚染された音素で覆われてしまっていると言うことです。汚染された音素が充満する中で回復譜術など使えば、術師だけではなく、回復される人も汚染された音素を取り込む事態になりかねません」
わざとらしく溜息をつき、「それとも」とジェイドは間を置いた。
眼鏡の奥の血の色をした双眸が、ナタリアを嘲笑うかのように細められた。
「ナタリア殿下は住民を殺しに行くのでしょうか?」
「―――――っ!」
憤怒と屈辱でナタリアの顔色が赤へと変貌を遂げる。
障気の構成を知らなかった故に出たナタリアの思い上がった発言は粉々に否定された。
彼女の言動は、障気が何で出来ているのか理解している者にとって“アクゼリュスの住民を殺しに行く”ようなものだったのだ。
ナタリアは矜持を傷つけられ悔しそうにジェイドを睨み、薄桃色の口紅を塗った唇を噛み締めた。反論する術などない。回復譜術で住人を救助出来ると思いこんでいた彼女は、住民のために自分が出来る事など何もない事を知らされてしまった。
ナタリアは顔を逸らし、苦々しい心境のままに「わかりました。大人しくこの場に居ますわ」と言うしかなかった。
ジェイドはにっこりと笑い「イオン様もお待ち頂けますね?」と疑問符を浮かべながらも、先ほどナタリアを遣り込めた雰囲気のまま、有無を言わさない態度を前面に押し出した。
イオンは引き攣り笑顔であったが、納得してもらえたようで、はっきりと頷く。
ジェイドのおかげで助かった。流石ピオニー陛下の懐刀だ。いざと言う時の頼もしさは計り知れない。
アスランはホッと息を吐き、ルークに向き合った。
「ルーク様も此処でお待ち下さい」
「…おう、わかった。…その、気をつけろよ」
どう気をつけたらいいのか、わかんねーけどさ。と口の中でもごもご呟いたルークに、嬉しそうにアスランが笑った。
釣られたようにルークも笑い、切迫詰まった状況である筈なのに此処だけ緊張感が飛んでいるのだから、どうしようもない。
若いって良いですねぇ、とジェイドが年寄りくさいことを胸中で呟きながら、部下に伝令を飛ばしアクゼリュスの住民救助を進める様に命令を下す。
その声に現状を思い出したアスランが無意味な咳ばらいをして、気を取り直した。
「それではルーク様はこちらにてお待ち頂けるように――…」
「ちょっと待って下さい」
何かを考え込んでいたティアが足を踏み出して、自らの存在を主張した。
「…何か?」
「矢張りルークも連れて行くべきです」
「…先ほどのカーティス大佐のお話をお聞きになったはずでは?」
「はい、聞いていました。ですが、回復譜術を使わなければ行っても構わないはずです。ルークは親善大使です。アクゼリュスへ赴くようにと、インゴベルト陛下から勅命を賜っている以上それがルークは行くべきです」
「確かに普通であればそうするべきでしょう。しかしアクゼリュスの現状は極めて危険です。万が一ルーク様が倒れるようなことになったら、私達軍人の首が飛ぶくらいでは足りません。キムラスカ・マルクト両国間の和平は破綻し、戦争が勃発するかも知れない。そのような事態を避けるためにも、もしものことにならぬように私達は尽くすべきです。貴方の意見は了承出来ません」
「お言葉ですが、フリングス少将、ルークが倒れることなどあり得ません。バチカルでルークは崇高な預言を賜りました。ルークがアクゼリュスへ赴くことで、キムラスカは未曽有の繁栄が預言で約束されています。その繁栄の導き手であるルークが倒れるはずがありません。マルクトのためを思うのであれば和平を保つためにも、キムラスカの繁栄に協力するべきです」
流暢にティアは述べる。納得してしまいそうな言動に流されそうになる。
ティアが言ったことは本当なのだろうか。ジェイドやルークを見ると、そのような預言が詠まれたのは確かだと彼らは相槌を打った。
預言の存在の重さを知る身としては、ここで反論して良いのか戸惑う。
預言は絶対だ。こんなことを言われてしまえば、否定してしまえるわけにもいかない。
ティアの言動で力を得たのだろう、悔しげに黙りこんでいたナタリアも嬉々と声を上げた。
「ティアの言う通りですわ。キムラスカの繁栄を詠まれているからには、ルークがアクゼリュスへ赴くことは使命! 預言に詠まれている以上、ルークの身にも危険は無いはずですわ」
「あたしもそう思いま〜す。預言は当たるもん。フリングス少将は過剰にルークのことを心配しすぎですよぉ」
アニスも預言のことがあるからか、ティアの意見に賛同する。
他意があったわけで無い事は口ぶりから窺い知れた。
アニスは預言が当たると言う認識はオールドラントの常識だからこそ力押ししたまでに過ぎない。
それと同じくして、困ったように成り行きを見守っていたガイも「そうだなぁ」と賛同の意見をあげた。
「俺もそう思うぞ。預言で大丈夫だって詠まれていたなら、大丈夫じゃないか?」
預言は絶対に当たるのだから、ルークはアクゼリュスへ赴くべきだ。
預言に詠まれていたからと、一様に意見を揃えた一同に、言い知れぬ気持ち悪さをアスランは感じた。預言に頼ってこなかったルークも同じようで、顔を顰める。
預言を否定することは、オールドラントの常識に背く行為だ。
ここでティアたちの意見を聞くべきだろうか。
預言に詠まれていたから大丈夫なはず、と言う彼女達の曖昧な証言を信じるのか。
ルークの顔をちらりと横目で見つめた。
ルークは何もわからないから、アスランに一任したようだ。
アスランならば自分を悪いようにはしないと言う信頼の元で。
息をゆっくりと吐き出す。アスランは自分の思うまま、行動してみることにした。
「もしものことが無いとは限りません。ルーク様にはお待ち頂きます」
もしも、預言が外れて居たら。
ルークの命は喪われるかも知れない。
確実に預言が当たると言う保障は無いのだ。
自分の意に反することも度々起きる。
万が一のことを考え、拒否したアスランの言葉に彼女達は険しく噛みついた。
「あなたはキムラスカが繁栄することが望ましくありませんの!? 和平を結ぼうとしているのに、所詮敵国ですわね!」
「いくらでもお好きなように仰って下さい。ルーク様の身をお守り出来るのであれば、この命を差し出しても構いません」
絶対に、ルークの身は守る。
それがマルクトのためを思って出た言葉なのか、それとも預言に反してもルークを失ってはならないと自分の心から告げた言葉なのか理解不能だが、この決断に悔いは無い。
「――キムラスカの繁栄を妨害した罪を償えと申されたら、私はいつでもキムラスカにこの首を差し出します」
死ぬ覚悟を持って告げた言葉は、重みを増して。
アスランの発言に噛みついていたナタリア達は、彼の言葉に飲まれたように言葉を失った。
End
かっこいいアスランと、軍人らしいジェイドを目指しました。
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