「――俺と、結婚してください」
緊張で強張った表情、喉から搾り出された声は掠れていた。
ミリアの片手ほどに収まるケースの中にはひとつの指輪が輝いていて、ミリアはぼうっと夢見心地で彼の告白を聞いていて。
「…ほんとに、私でいいの…?」
「ああ」
力強く頷く彼――ルークにミリアは複雑な表情をした。
愛する人に結婚を申し込まれた喜び、しかし彼と釣り合いが取れない自身の身分への嘆き、そのほかにも様々な感情が浮かんでくしゃくしゃに歪んだ顔だった。
「だって、私、貴族じゃないよ」
「それを言うなら、俺だって本物のルークじゃない。それに、貴族じゃなくたって良いんだ。その辺は…ミリアが俺の、その、プロポーズを受け入れてくれるなら、何とか出来る問題だから。だから、その、貴族じゃないとか、そういうのはさ、気にしないでほしいんだ。ただ、ミリアの気持ちを聞かせてほしい。――俺のプロポーズ、受け取ってくれますか…?」
差し出されたケースを、ミリアはじっと見つめる。
ケースを差し出した彼の左手が小刻みに震えていることに気付く。ミリアは笑ってしまった。
ミリアはごくごく平凡な家庭に生まれた、一般人だった。対するルークは、キムラスカ王国の王族筋に当たる公爵家の子息だった。身分の釣り合いが取れない結婚は本来許されるはずもない。
しかし、彼は身分のことは気にしなくて良いと言った。何とか出来る問題だから、気持ちを聞かせて欲しいと。彼が権力を行使すれば、ミリアを花嫁という立場ではなく、愛人と言う立場に置くこともできるのに、彼はたったひとりの女に選択肢を与え、意思を尊重してくれるという。それは、彼が優しいからだろう。
何度となく、彼と離れようと思った。身分が釣り合わない自分たちに待っているのは、悲劇でしかないと。けれど、離れることは出来なかった。――もうそのときに、覚悟はとうに決めていた。
ミリアは左手をそっと伸ばす。ルークは驚いたように眼を瞠り、次には嬉しそうに笑った。ケースから指輪を取り出して、ミリアの左手を掴んで、彼女の細い薬指に指輪をゆっくりと嵌めていった。
「…ありがとう」
ルークは笑う。嬉しそうに、切なそうに、笑う。
その目尻には薄っすらと涙の膜が張っていた。
ミリアは言う。
「私こそ、ありがとう」
ミリアの言葉をきっかけに、ルークの目尻からぽろりと涙が滑り落ちた。
ルークは恥ずかしそうにはにかみながら、慌てて拭った。
「なんでだろうな。…嬉しいのに涙が出てくるんだ」
「そういうものだよ」
ミリアが言うとルークはそうかもなと笑って、彼女の顔に向かって手を伸ばす。ミリアの目尻から零れ落ちそうになってる涙を指先で拭った。
「まぁ、素敵ですわ…!」
うっとりとした声音でナタリアがそう言うと、アニスも「ルークにしてはすっごいロマンチックな告白だとアニスちゃんも思うなぁ」と、はしゃいだ声で同意を示した。
彼女たちふたりの目の前には、まだ20歳を越えたばかりであろう、一人の小柄な女性が、幸せそうな顔で微笑んでいた。白い華奢な左手の薬指には指輪が嵌められ、時折銀色の光を弾いている。右手の細い指で、指輪をなぞる手つきはどこか艶かしく見えて10代後半に差し掛かるアニスは恥ずかしくなった。
彼女の左手の薬指に指輪を嵌めたのは、かつて世界を救った英雄、ルーク・フォン・ファブレだった。そして、指輪を受け取った彼女はルークを支えていた。そんなふたりを、アニスとナタリア、それにジェイドは旅が終わるまで見守っていた。心から仲間とは言い難かったとき、ルークは罪を犯し、失望したアニスたちが一時的に離れたときも、彼女は見限ることなく共にあり、彼と苦楽を分かち合った。
3年もの間ルークが行方不明になり、最早仲間たち全員が彼の生を諦めていたのに、彼女一人だけずっと信じて待ち続けたその想いは、3年の月日を越えて実り、そしてさらに半年経った今、生涯共にあることを誓うまでに到った。
ふたりの始まりから、婚約まで見続けてきたアニスとナタリアはどことなく感慨深い思いを味わうと共に、終わることがなかった恋に羨ましさを覚える。
「本当におめでとう、ミリア」
「ありがとう、アニス」
ミリアと呼ばれた女性は嬉しそうに祝いの言葉を受け取る。ナタリアもそう言えば言い忘れてた、と少々早口で告げた。
「おめでとうございます、ミリア。…ルークに先を越されるとは少々癪ですわね。わたくし、ルークより年上ですのに」
ふうと溜息を吐くナタリアは未婚である。彼女はかつてルークと婚約を結んでいたが、3年間ルークが生死不明であった為、その間に婚約は破棄された。生還するかどうかわからないルークを待っていることは、彼女の王女としての地位が許さなかったのだ。現在、ナタリアは王族筋の侯爵家の年上の男性と婚約を結んでいた。
「でも、来年の春に結婚するんでしょ?」
「ええ。それでも遅いほうですわ。そもそも、こんなに結婚が伸びたのは、お父様がなかなか許してくれなかった所為ですわ! ルークとミリアが結婚するから、ようやくわたくしの結婚を許してくださいましたのよ」
「うっわ、親バ…ナタリアってほんとーにインゴベルト陛下に愛されてるよね〜」
「良いことじゃない。それだけ、ナタリアが大切に思われてる証拠なんだから」
「それはそうですけど…ですが、お父様はわたくしに過保護すぎます。わたくしは城から出て行くわけではございませんのに。困りものですわ」
「困ってるように見えないけど〜?」
「…アニス? からかうのは止してくださいまし」
アニスとナタリアの会話にミリアはくすくす笑う。暗い影がひとつも浮かんでいないその笑みは、見ている者の心まで明るくするようで、アニスとナタリアは顔を見合わせて笑った。
「それで、ルークとミリアはいつ結婚するの?」
「レムデーカン・レムの23の日」
「その日って…」
「――私とルークがタタル渓谷で出会った日なの」
「そうなんだ! 初めて出会った日に結婚か〜、なんか、いいね。そういうの」
「ふたりは結婚式、来てくれる?」
「当然ですわ!」
「もっちろん! その日は絶対空けとく!」
「ありがとう、ふたりとも」
年のわりに幼く笑ったミリアは「カーティス大佐と、ガイとティアにも連絡しなくちゃ」とごくごく自然な流れで話を続ける。
アニスは思わず待ったをかけた。
「大佐はともかく、ガイとティアは…忙しそうだし、出席無理だと思うよ? だから、事後報告で良いんじゃないかなあ?」
「そ、そうですわね。ガイとティアでしたら、きっと多忙でもお祝いに駆けつけてくれると思いますけれど…」
「…そうね。ふたりの迷惑になったらいけないし…ルークと相談して、ふたりで決めるわ。私ったら気遣いが足りなくて。ふたりに言われないと、ガイとティアに迷惑かけるところだったわ。ありがとう、アニス、ナタリア」
アニスとナタリアはミリアに謝りたくなった。
ミリアは軽くなったティーカップに視線を落とし、「あら、もうお茶がないわ」と言う。紅茶のお代わりを用意すべく手近にいたメイドに声をかけたミリアは、アニスとナタリアがぎこちなく笑い、何かを相談するように視線を交わしたことに気付かなかった。
それから季節を越えて、年が明けた、レムデーカン・レム・23の日。
街路樹の木々が寒々しい格好に変化を遂げ、厚着をする人が目立つ中、冬の厳しい寒さにも負けず、ルークとミリアの結婚式は開かれた。
1月の23日に当たるこの日――キムラスカ中の人々は、英雄のルークと、おなじく英雄のミリアの結婚を祝った。
2011.07.02
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