ミリア・フォン・ファブレには十歳年が離れた兄がいる。
なんでも己は父が年をとってからできた子供らしく、兄から見れば年が離れていて弟よりも我が子のような感覚だったという。そのため兄弟仲は良い。
ミリアは家督を争うこともなく、さっさと軍に入ると独り立ちした。とはいえ、かろうじて一桁に入る王位継承権を持つ公爵子息だ。結婚、せめて婚約をしろとせっつかれ、ミリアが見初めた女性は軍の同僚にして伯爵家の令嬢だった。
公爵家と伯爵家、そこには家格の差はあったものの、マルクトとの小康状態を緩和するために贈られた花嫁がその伯爵家の女性であったことからなんとか婚約を認められた。
その女性の名を、ジョゼット・セシルという。
キムラスカとマルクト、二国間の長らくの小康状態は国境沿いの争いにより、ついに表面化する。これにより、ホド戦争勃発。
マルクトのホド領主ガルディオス伯爵に嫁いだユージェニー・セシルの裏切りによって、セシル家は没落し、二人の婚約は破棄される。
「なんだこれは……」
ミリア中将は見たことがない巨大な譜業を前にして、眉間に皺を寄せた。元帥である兄そっくりと言われる評判の強面になったが、見ている者は誰もいなかった。
ミリアは今、コーラル城に来ていた。
事の発端は簡単である。二ヶ月前、兄の息子が誘拐され、後日コーラル城で発見された――という、ヴァン・グランツの証言に引っかかる点を覚えたので、わざわざ休暇を使って出向いたわけだ。
ルークが見つかったことは喜ばしいが、発見した相手がヴァンだったこと、それもファブレ家の別荘であるコーラル城であったことがミリアには不思議でしょうがなかった。
兄たちは預言の子でもあるルークが発見されて喜ぶだけだったが、ミリアはそれほど楽観的にはなれない。ファブレ家の別荘になぜヴァンが立ち寄ったのか、その疑問が解消されてない以上、気になることはとことん調べるつもりだった。
そうして、訪れたコーラル城はお化け屋敷さながらの廃墟になっていた。
雨風に晒されて城壁の塗装は剥がれ、年期の入った蔦が窓や壁に絡みつき、人が手入れしていない草が空に向かってぼうぼうと生えている。いくらなんでも放置しすぎだ。これでは野盗などがねぐらにしても文句はいえない。
ミリアはいつでも戦えるように武器に手を添えたまま、コーラル城に入った。城内は人に踏み荒らされた跡があり、魔物の住処になっていた。
金目の物は盗まれたあとらしく、壁には絵画が飾られていたであろう跡だけが残っている。ミリアはコーラル城の管理を怠っていた兄を胸中で罵りつつ、適度に魔物を追い払い、探索をはじめた。
……わかったのは、どうやら大勢の人間がコーラル城で好き勝手にしていた事実だった。明らかに数日がかりで組み立てられたであろう、巨大な譜業が城の一角を占めている。ミリアはその譜業に見覚えはなかったが、看過することができない存在感に、陛下に報告する必要性を感じていた。
譜業からなにか情報が読み取れないものかと、ミリアは譜業の傍をうろついてみる。起動ボタンらしきものは見つけたが、電源の供給は断たれているらしく、うんともすんともいわない。ただ、どうやらこの譜業は最近まで使われていたことがわかった。埃がすこししか積もってないのだ。譜業の電源が入れば、もっと何かわかるかも知れない。
そう思っていると、ミリアの耳が音を拾った。耳に神経を集中させて音を聞く。がしゃん、再びおなじ音が聞こえた。金属を揺らす音だ。
コーラル城を占拠していた何者かが武器をもって戻ってきた――と思うことはなかった。それにしては、音が小さすぎたのだ。足音も聞こえない。ただ、誰かが救いを求めているような、金属を揺らす音が断続的に聞こえる。
ミリアは怪訝な表情で警戒を怠らないまま、周辺を探索する。すると、空き部屋の一室から聞こえてくることがわかった。部屋の中には、壁一面の空っぽの本棚と、破れてぼろぼろになったカーテンしかない。――本棚のまわり、埃が不自然に途切れていた。また、断続的な金属音がする。
ミリアは空っぽの本棚のうしろから音が聞こえていることに気付いた。
隠し扉でもあるのかも知れない。そうだとしたら、この中にいる人物は間違いなく、人だ。
ミリアは本棚をよく調べて、隠し扉のスイッチを探した。指先程の小さなスイッチが本棚の一番下の上の棚に隠されていた。押すと、ゆっくりと本棚が動き出す。隠れていたものがあらわになった。ミリアの予想通り、鉄製の隠し扉だ。
ミリアは躊躇なく扉に手をかけて開けようとする。だが。扉には鍵がかかっていた。本棚で隠してなお、鉄製の扉にまで鍵がかかっている。この中に何者かを閉じ込めたであろう誰かの悪意が透けてみえるようだ。鉄製のドアから聞こえる音がますます激しくなった。ドア一枚を隔てて、ミリアがいることに中にいる人間が気付いたのだろう。
ミリアは扉の鍵を持っていない。キーピックの技術もないため穏便に鉄製の扉を開けることはできない。ゆえに、少々荒々しい手段を取ることにした。扉を一度叩く。
「おい、誰か中にいるな? 今からこのドアを開ける。少々手荒になる。ドアから離れていろ」
ドアの傍に人がいないことを確認し、ミリアはイフリートの力を剣に宿す。そして灼熱の剣をドアに向かって振り下ろす。鉄製のドアは瞬時に溶けた。どろりと赤い熱が床に流れる。ミリアの周囲を避けて流れた熱は周りを溶かしながら、やがて消えていく。
ミリアは精霊と相性が良いらしく、中でも火のイフリートと相性が良かった。
ミリアが中に入ると、そこは大きな牢屋だった。陽もささず、闇が支配している。そして、不快な臭いがした。肥溜めのような悪臭だ。鼻が曲がりそうな悪臭にミリアは顔を顰めながら、探索用のペンライトをつける。人差し指程度の小さなペンライトだが周囲を確認する程度には役立つ。ミリアは周囲に向けてペンライトを向ける。まず、牢屋の片隅にゴミのように山積みされていた兵糧が視界に入った。ねずみがかじっていたが、ミリアがペンライトを当てると瞬く間に散っていった。
そのままライトを滑らせる――すると、牢屋の中に、一人の少年が蹲っていた。頭を抱えて何事かを呟いている。
「……れ、だ、ヴァンか、たのむ、もういやだ、おれがわるかった。逃げてすまない。もう二度としないから、たのむ。ここからだしてくれ、……」
「――ルーク?」
見覚えのある顔だった。ミリアは思わず呆然と少年の名前を呟く。
「ルーク、だれだ、それは。おれは、おれは聖なる焔の――灰、アッシュ、そうだ、アッシュ、だ。……いや、おれは、ちがうアッシュじゃ……ルーク……ううっいやだ、いやだ、その名前は、おれの……ちがう、おれは……頭がぁっいたいいたいいたい!!!」
少年は床に向かって思い切り頭を打ち付けはじめた。床、といっても石畳だ。頭を打ち付けるたびに少年のまるい額に擦過傷ができる。少年は痛みを感じていないかのように、何度も何度も額を打ち付けた。ミリアの背筋に怖気が走る。このままでは彼は死んでしまう。
ミリアは少年を止めるべく、慌てて牢屋の出入り口を探した。
すぐに見つかったが、当然のように鍵がかかっている。その間にも、少年は何度も何度も頭を打ち付ける。隠し部屋のドアを無理やりこじ開けたときとおなじ手順で、ミリアは牢屋の鍵を断ち切った。錠前が床に落ちるのを見届けることなく、牢屋のドアを開けると中に滑り込む。
少年を羽交い絞めにして、無理やり行動を止めた。
「やめろ!」
「ぅあぁ……ぃたい、いたい、いたい、おれは、ルー、じゃないっ……アッシュ、アッシュだ……」
「いったいどうしたんだ……」
少年は苦悶に顔を歪めながら、自分に言い聞かせるようにアッシュだと呟く。どうやら、ルークという名前が少年を凶行に至らせた原因のようだ。ミリアはルークと酷似した少年を前に、どうしたものかと思い悩む。とりあえず彼を落ち着かせて、なぜこんなところにいたのか、理由を聞く必要がある。
ミリアは少年を羽交い絞めにしたまま立たせるが、少年の膝はガクガクと揺れて今にも崩れ落ちそうだった。ミリアはそれを見ると、少年の膝裏に手をのばして彼を抱き上げようとした。
「っやめてくれ、」
ばしりと弱弱しい力で、ミリアの手が叩かれた。少年は理性を取り戻したようで、両手で顔を覆った。
「やめてくれ。おれに触らないでくれ。こんなの、耐えられない……」
恥辱と泣き言が入り混じった少年の声は弱弱しく、ミリアは一瞬息を飲んだ。どういうことなのか意味がわからないが、少年の泣く姿を見て、ミリアは躊躇わずに彼を抱き上げた。そして、気付いた。少年が触るなと、耐えられないといった意味が。悪臭は、彼の身から漂っている。――床には尿が渇いた痕と脱糞の跡が残っていた。
牢屋から移動し、すこしでも陽があたるところで少年をおろした。
少年はまぶしそうに目を瞑り、何度も何度も瞬きを繰り返している。……長期間、牢屋に入っていたせいで、だいぶ視力が弱っているのだろう。ミリアはさり気なく窓の傍に立つと、少年に陽が当たらないようにした。少年はホッとした様子で表情をやわらげる。
「……それで、おまえはなぜここにいる? クリムゾン・ヘァツォーク・フォン・ファブレの息子か?」
少年は緊張で身を強張らせた。ただでさえ良いとは言い難い顔色をさらに悪くして黙り込む。沈黙が続く。ミリアは根気よく待ってみるが、いつまで経っても少年は口を割らず、とうとう匙を投げた。
「……質問を変える。俺の名前はミリア・フォン・ファブレだ。覚えは……あるようだな」
ミリアが名前をいうと少年の表情に精彩が戻った。おじうえ、と少年の唇が動く。言葉は音にはならなかったが、少年の表情を見逃さないようにつぶさに観察していたミリアはすぐに気づいた。
「とりあえず、俺がおまえを保護する。いいな」
少年は戸惑いを見せたが、ミリアは有無を言わせない。少年の身を、携帯用の水で軽く綺麗にしてやり、自身の外套をかぶせる。悪臭を放つ少年の衣服は燃やして捨てた。
そうして、ようやくコーラル城を脱出した。
少年を牢屋に閉じ込めたであろう人物とは幸い遭遇することはなかった。だが、ミリアは予感めいたものを覚えていた。いずれ、少年を閉じ込めた人物とは相対するであろうと。
ミリアが少年の正体に確信を覚えたのは、バチカルに戻る途中のことだった。
適当に立ち寄った街で少年の衣服を整えて、魔物を倒しながらバチカルに戻る。夜は少年を抱えて眠った。自分を守ろうとするミリアを信用したのか、彼はミリアの顔をしっかりと見て、自らがクリムゾン・ヘァツォーク・フォン・ファブレ、そしてシュザンヌの第一子だと名乗り事情を打ち明けた。
いわく、自らは誘拐されたファブレ公爵子息であること。誘拐犯はヴァン・グランツであること。コーラル城に連れて行かれたあとは、レプリカを作られたこと。アッシュは長い間、あの牢屋に監禁されていたと口にした。自らをルークだと、口にすることはなかった。
バチカルにたどり着いたのは、夕方のことだった。燃えるような赤い空に白い月が輝きはじめている。井戸端会議を楽しんでいた主婦と家路を急ぐ子供たちの人ごみに紛れながら、ミリアはアッシュを外套に包み、後ろに従えて公爵家の門を潜った。
門前を守る白光騎士団の兵士が不審そうな目をアッシュに向けていたが、ミリアが身元を保証して無理やり中に入ると執事長のラムダスが何事かとすっ飛んできた。ミリアは事情を説明することなく、兄に緊急の話があるから案内してくれと頼む。ラムダスは一大事だと察し、ミリアから任された仕事を忠実にこなしてくれた。
公爵の執務室に案内されたミリアは兄の許可を待ち、入室する。「どうした」と弟の来訪を不思議がる兄の前にアッシュを差し出した。
「その者は……?」
いったい誰かと表情で問う兄に、ミリアはアッシュの外套を外す。兄はしずかに瞠目した。どういうことだと表情で問う兄に、ミリアは早々に事情を打ち明けた。話を聞いた兄は絶句し、怒りに顔を染め、最後には呆然とする。
「――つまり、その者が……」
兄クリムゾンはルーク――アッシュの名前を呼ぶのを躊躇った。息子とレプリカの差異に気付かなかった罪悪感と、牢屋から連れ出す直前のアッシュの様子を聞いて名前を呼ぶことができなかったようだ。それは親子としては悲しい事実だったが、アッシュの様子を見れば正解であることがわかる。
アッシュは緊張に顔が強張っていたが、――精神的に崩れるようなことはなく、ちゃんとクリムゾンの顔を見ていた。
クリムゾンはアッシュの顔をじっと見つめると、椅子から立ち上がった。ゆっくりとアッシュの傍に歩み寄るが、それを察したアッシュは怯えるようにミリアの後ろに隠れてしまった。クリムゾンはショックを受けたように黙り込む。ミリアは気まずい思いをして、視線をうろつかせた。
「……ミリア、おまえはどう思う?」
「どう思う、とは?」
クリムゾンはすこしして口火を切った。兄の真意がわからないミリアが問い返すと、クリムゾンは「……私はどうしたらいい」と一気に老け込んだかのように弱り切った声で言った。
兄は頭脳労働よりも肉体労働のほうを得意とする。国の有事に先陣をきって戦場に飛び出すのは得意だが、頭を使うような事態は苦手だった。ミリアのアドバイスを役立てようというのだろう。とはいえ、ミリアだとて頭脳労働はあまり得意ではない。どちらかといえば肉体派の兄弟は、自分たちの手で負える事態ではないと明後日に向かって匙を投げたくなった。ファブレ公爵子息が関与している以上、できない話だが。
「俺はこういう事態は……」
「それをわかって聞いている」
「……。レプリカ作成時に殺害されなかったことを考えると、アッシュを何かしら利用しようと思って生かしていたのは間違いないでしょう。レプリカとすり替えて、アッシュに何かをやらせるつもりか、あるいはキムラスカ王家を謀る気だったのでは? アッシュがナタリア王女と婚約していたことを踏まえると、レプリカにすり替えたのは、将来二人が結婚した際キムラスカ国王がレプリカであることを理由にダアトが脅迫する……ということも考えられます」
「……いや、前者はともかくとして、後者はないだろう」
「なぜそんなことが言えるのです」
「……ユリアの預言では、七年後に息子はアクゼリュスで死ぬ手筈になっている。ナタリア殿下と息子が結婚することはない」
クリムゾンはミリアの背後にいるアッシュを気にしながら、小さな声で答えた。ミリアは血相を変えた。そんな話、知らない。
「あ、あなたは、ル、……っ息子を犠牲にする気だったのか!? なんのた、」
クリムゾンは言い訳するかのようにミリアの声を遮った。
「――国のためだ! 国の、繁栄のために!」
「国の繁栄!?」
「そうだ、ルークの死によりキムラスカはマルクトに宣戦布告をし、その戦争で勝利する! そうして我が国には未曽有の繁栄が訪れるのだ! 仕方ないだろう……」
ヒッとミリアの後ろで、息を飲む音がした。ミリアが振り向くとアッシュが蒼褪めて胸を抑えていた。アッシュの動揺を見たクリムゾンが慌てて近づく。立ち尽くすアッシュの両肩を掴んで顔を覗き込むと、大丈夫だと強い口調で話しはじめる。
「大丈夫だ、”ルーク”。今はレプリカがいる。おまえを犠牲にしなくても、レプリカがおまえの代わりに死んでくれる――」
「ぁ、ああああああああ!」
「ル、”ルーク”?」
「ぁ、ぁあ! ああ! やっぱりそうだったんだ! ヴァン師匠の言うとおりだった! みんな俺を殺そうとしている! 俺は死ぬのか! ぁああ、ぃやだ、師匠の言うとおりにすればよかった、もどってくるんじゃなかった、あのまま あそこでせんせいをまっていればよかった! ――おれはここにもどってくるべきではなかったんだ!」
クリムゾンに両肩を掴まれたまま、アッシュは両手で顔を覆った。指の隙間から大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちる。動揺するクリムゾンがアッシュの両肩から手を放してしまう。するりと、獣のような身のこなしでアッシュは飛び出すように逃げ出した。
「まっ――!」
ミリアが手を伸ばすが、子供の俊敏性は驚くほどに高い。アッシュはドアを開けると廊下を駆けて行く。呆然とするクリムゾンの横を通り抜けて、ミリアはアッシュを追いかける。白光騎士団の兵士たちが驚いて立ち尽くしているのを横目に、ミリアはアッシュを追いかける。
軍人と子供の足だ。どんどんミリアとアッシュの距離は縮まっていくが、アッシュも負けていない。アッシュはより力強く床を蹴るとぐんとスピードをあげた。庭に続くドアを開けて外に出ると、塀に向かって駆けていく。外はもう、暗くなっていた。
アッシュが外に出れば、もう終わりだ。
アッシュは二度と公爵家に戻ってくることはないだろう。それどころか、どこで何をするのかわかったものではない。
ミリアが焦燥して舌打ちをつくと、ぴたりとアッシュは走るのをやめた。何かに気付いたように、庭の片隅をじっと見ている。
(なにを――)
ミリアがアッシュの視線の先を追いかける前に、アッシュはその方向に向かってよろよろと歩き出した。悪い夢でも見ているような足取りだ。不安に駆られながらミリアも追いかけると、アッシュは庭の片隅、花壇の傍で立ち止まった。そこにあったのは、花ではなく、ぼうっと空を見上げて座り込むレプリカルークだった。
なぜこんなところに。ミリアが呆然としていると、アッシュはレプリカルークに向かって両手を伸ばした。レプリカルークの頬にアッシュの指先が触れる。驚いたように一瞬手を止めて、躊躇ったあと、レプリカルークの両頬にそっと手を当てた。アッシュはぐっと顔を歪めて、そのままレプリカルークを強く抱きしめる。
ミリアは何がアッシュの琴線に触れたのかわからないまま、二人に近付いた。レプリカルークはいつからここにいたのかわからないくらいに白い顔色をしていた。体を冷やして、足や手が真っ赤に染まっている。誰かレプリカルークを呼びに来る者はいなかったのか。それとも。――レプリカルークなど、どうでも良かったのか。
(……そういうことか)
レプリカルークとアッシュを交互に見て、小さく溜息を吐く。アッシュはルークの姿を見て、本来自分が受けるはずだった仕打ちを直視させられたのだろう。ミリアだとて、レプリカルークが――幼い子供が、こんな扱いをされているところを見て怒りを覚えている。
二人の子供が寄り添う姿は、ただただ憐憫を誘う。ミリアはもう二人の子供を放っておくことはできなかった。片手で頭を掻きむしり、二人を助ける覚悟を決める。
「……おまえたち」
アッシュの両肩がびくりと跳ねた。レプリカルークを抱きしめる細い腕に力がこもったのが、見てとれた。藁にでも縋りたいという言葉がある。例えるなら、今のレプリカルークは、アッシュにとって藁のようなものなのかも知れない。
「邸に戻るぞ。体が冷える」
アッシュの表情が強張り青白くなる。瞼を閉じて恐怖に震える姿はただの幼い子供でしかなかった。レプリカルークは不思議そうな目でミリアをじぃっと見ている。
「……ぃやだ。戻りたくない」
「戻るぞ。なに、そう不安になるな。いざとなれば、俺がどうとでもしてやる。そうだな……」
ミリアは二人を助けると決めたのだ。どうとでもなる。どうとでもすることはできるのだ。ミリアには、いつだって。
「――おまえたち、俺の養子にでもなるか?」
ミリアは牙を研ぎながら、眠ったふりをしていただけだ。まずは手始めに、兄の椅子を奪って、ファブレ公爵にでもなってやるとしよう。
この日、クリムゾン・ヘアツォーク・フォン・ファブレは一身上の都合により、家督を弟に譲り渡し、元帥の椅子をおりた。
ファブレ公爵家のみならず、軍の上層部を揺るがす事態であったが、不思議なほどあっけなく混乱は収まった。まるで最初からシナリオが用意されていたかのように、元帥の後任はすんなりと決まり、公爵家も平穏を取り戻した。
――そうして、七年の時が流れる。
2017/02/15
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